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「ママさんは、さっきシズクちゃんが言ってたことどう思います?」
レイジの問いに、サンは宙を見上げて少し思案してから、口を開いた。店内はレイジとショーコとサンしかおらず、静かにジャズが流れている。
「私にはよくわからないわ」
サンは小さく笑みを浮かべ、続けた。
「あの子は考えはちょっと偏ってるから。私も20代の頃は歌で生きていきたいと思ってたけど、戦争がどうとか考えたことないしね」
「えー、ママさん歌ってたんすか」
レイジは目を輝かせた。
「まったく駄目だったけどね。ああいう世界は才能とやっぱり華がないと」
「ママさんには華あります」
「まぁ、3、4人、そういう特殊な追っかけはいたわ」
サンの皮肉に、ショーコがクスリと笑った。
レイジは皮肉に気づいていない。
「まさか、シズクちゃんのお父さん?」
サンは、ハハッと笑い、腕を組んで体を少し屈めた。
「違う、違う。あの人は歌とか興味ないし、私が働いてたカフェの常連客」
「えーでも、ある意味追っかけじゃないですか。ここにも通ってるんだし」
ショーコが言うと、サンは、はたと真顔になった。
「まぁ、そうね。でも、あの人が何考えてるのかはよくわからないのよ、私にも」
「そうなんですか」
ショーコは言い、レイジの方を見た。
レイジは何か言いたげな顔をしていた。
「レイジが、ママさんがシズクちゃんのお父さんと付き合ってたのか聞きたいみたいです」
ショーコがレイジの代弁をした。
「いやいやいや、そんなこと思ってないし」
レイジは頭を振ったが、図星だった。
「それは大人の事情で言えません」
サンがそう答えたのと同時に、ドアがカランと鳴って、2人組の客が入ってきた。
こんにちは。いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ、とサンが明るく言い、お冷とウェットティッシュを用意し、カウンターから出て行く。
「大人の事情って何?」
レイジがショーコに訊く。
「黒ってことだよ。わかってよ、それくらい」
少しイラッとして、ショーコが答えると、レイジは、あー、と頷いて、宙を力なく見つめた。
夕方、閉店した店内で、サンはカウンター内で片付けをし、りえが店内を掃除している。
「なんかさー、レイジ君達にあの人と付き合ってたか聞かれたんだけど」
サンが言うと、カウンターを拭いていたりえが、ふふっと笑ってサンを見た。
「それはバレるって。毎月サンの誕生日の18日にくるんだから。わかりやす過ぎるよ」
「それもやめてって言ってるの。あの人、人の言うこと全然聞かない」
サンは言って、溜息を吐くと、りえの方を見た。
「シズクにだって気付かれたし、そういうこと、何にも考えないのよ」
「でもシズクちゃん、忘れちゃうんでしょ?そのこと」
「だからいいんだけどね。まぁシズクにとってはよくないんだけど、本当のこと知ったところで、また変になっても困るし」
「でも逆にそれが原因なんじゃないの?病気の。ひとつの疑念から、妄想膨らませちゃうんじゃない?」
「関係あるのかな。でも本当のこと教えたからって、私が何を出来るわけじゃないし」
「愛情が必要なのかも。だってこの前来るまで、シズクちゃんのお母さん、一度もここに来なかったでしょ?もう3年もいるのに」
「愛情は関係ないよ。前も言ったじゃない。それなら私もおかしくなるって。シズクはもう大人だし、そういうものなんじゃないの?」
「普通だったらね。でもシズクちゃん家出同然だったし、変になっちゃった時も来なかったじゃない。普通は心配になって来るよ。愛されてる実感がないんだと思う」
「だとしても、それで病気になったわけじゃないと思う」
「でも、本当のことは言ってあげた方がいいんじゃないの?大分落ち着いて来てるんだし、最近のシズクちゃん」
「言ってどうなるかなんて、わからないよ」
サンが言ったところで、棚に置いていたサンのスマホが鳴った。
サンはスマホを取ると、画面を見てから、震えるスマホを持ったまま、りえに見せた。
「上にいるのに、わざわざ呼び出しです。降りてくればいいのに」
りえは、画面を見て、苦笑した。
「ちょっとこれ、シズクちゃんが見たらーーー」
「見ない、見ない。見られたって、わからないよ、自分だって」
サンは微笑み、言った。
着信画面には『MY DAUGHTER』と表示されていた。
サンがシズクの部屋に入ると、シズクは腕を組んでベッドに腰掛けていた。
「話って何?わざわざ上に呼んで」
サンは少し警戒しながら、言った。また、自分のことを母親と言うのではないかと思った。そう言われるのが嫌なわけではなかった。ただシズクが記憶を失うことが、サンには居た堪れなかった。
シズクが記憶を失くすとわかった時、サンは、どこかでホッとし、同時に悲しかった。
心の奥に閉じ込めていた望みに一瞬だけ光が差し、また閉ざされる感覚。そんな都合の良いことはないと自分に言い聞かせたが、サンはシズクが自分のことを親として愛してくれることを、何処かで望んでいた。
シズクは腕を組んだまま、ベッドの向かいにある水槽を見つめていた。水槽では、ウーパールーパーが泳いでいる。
シズクは思案げな顔をしていていたが、ふーっと息を吐くと、両手を太腿の上に置いて、背中を丸めた。
「なんか私って駄目だよな」
「何が?何、突然」
「口にしてわかったけどさ、私って考えてること、なんかおかしい」
「おかしいって言うより、ユニークね。私は戦争の原因だとか、転売のこととかは深く考えないけど、シズクは突き詰めて考えちゃうんでしょ?」
「私は私の見える世界が真実だと思って生きてるけど、それがそもそもおかしいよな」
「それはみんな一緒だと思うけど、私の世界は私が創るとかいうのはわからない」
「まぁ、それはいいけどさ、私には見えてない世界だってあるのに、自分の見える世界だけが真実っておかしいよ」
「知らないことを知って世界が広がるのは普通のことだと思うけど」
「知らないことっていうか、元々そこにあるものなんだから、私に見えないだけで、それも真実としてずっとそこにあるんだよ」
「ちょっとわからない。話したいことって、そのこと?」
サンは少し拍子抜けしながら、言った。
「いや、違う」
「じゃあ何?今日は疲れてるから、早く帰りたいんだけど」
思ってもいないのに何故かサンはそう言ってしまった。シズクとは、一緒に過ごせるだけでいい。
「そうなの?ならいいや。そこまで大した話じゃないし」
「え、気になるから言ってよ」
「いや、この部屋から出ようと思ってさ」
「どうして?」
サンは胸がギュッと締め付けられるのを感じた。シズクが側にいるのが、もう当たり前になっていた。
「なんとなくさ、そろそろ潮時かなーって。くそオヤジが今度からサンに渡してた20万、私にそのまま振り込むって言ってきたから、部屋も借りれるだろうし」
「無職で?」
「そこなんだけどさサン、一緒に部屋借りて私と住まない?」
サンはハハッと笑った。
「なんでそうなるの」
「もう娘みたいなもんだろ、私は」
「調子に乗らないで。じゃあシズクは私のこと、母親と思ってるの?」
サンは言ってから、しまったと思った。このままだとまた、シズクは記憶をなくしてしまうかもしれない。
「思ってないけどさ、気を遣わなくていいし。完全な一人暮らしって、面倒なこともありそうだし」
「一緒に住む方が、色々あると思うよ」
「でもサンとなら乗り越えられる気がする」
ふざけた調子でシズクは言って、立ち上がった。
「ふざけたこと言って、暮らしはじめたらこんなの無理って言うに決まってる」
「いや、普通に暮らすならそうかもしれないけどさ、私はただサンに甘えたいんだよ、側にいて」
「なにそれ」
「わかんない。急にフツフツと湧いてきた。サンのもっともっと側にいたいって、離れたくないって」
「薬は飲んでる?」
「飲んでるよ、変じゃない」
「うーん。なんでそんなこと思うんだろ。別に私はどこにも行ったりしないけど」
「本能的に思うんだよ、このままだと後悔するって、一緒に過ごせる時間は目一杯、一緒にいたいって」
「どういう感情なの?他人の私に」
サンは微笑して言った。もうこの子はわかっている。それは今までも何度もあった。私が受け入れたら、きっとそれで上手くいくのかもしれない。
「わからないけど、でも、なんか、、、」
言葉を止め、シズクは鼻を啜った。
「嫌なんだよ。私、サンとこのままなの。このまま、他人みたいに過ごして、いつか別れちゃうの」
シズクは言って、嗚咽を漏らしはじめた。
サンは胸が痛くなった。この子は今まで何度も、私に希望を打ち砕かれている。その度に記憶をなくして、それでも本能が諦めない。私のことを母親と信じて、本当の愛を求めている。
「シズク、もういいから。わかったから」
サンは言いながら、シズクを抱きしめた。
シズクは戸惑い、きょとんとした。
「な、何?」
「シズクがそう思うなら、望むなら、それでいい。私のこと母親と思っていいから。なるよ私、シズクの母親に。だから、私を母親だって思ったこと、もう忘れないで」
「忘れないでって何?っていうか別に、私サンのこと母親と思ってるわけじゃ」
頭に疑問符を浮かべながら、シズクは記憶を思い返したが、サンのことを母親だと思ったことは今まで一度もなかった。
「ただ離れたくないだけなんだよ」
「だったら、それでいい」
「何?変だよ、サン」
戸惑っているシズクをサンはきつく抱きしめた。
シズクはちゃんと愛されて心の重荷をおろしたいだけなのに。自分は愛されていると心から実感できるだけできっと、シズクは自分を苦しめる何もかもから解放されるんだろうと、サンは思った。
「ごめんね」
「なんで謝んの。本当におかしいって」
「思ってくれていいから。ずっと私のこと母親だって」
「うん?だから私はサンのこと母親と思ってないって」
「思っててよ」
サンは笑みを浮かべながら言って、鼻を啜った。
「泣いてんの?なんで」
シズクはさらに戸惑った。
「あー、うるさい。私の気持ちなんて、シズクにはわかんないの」
「泣くほどなりたいの?私の母親に」
「うるさい、うるさい。私はね、幸せなの。シズクと居られることが」
「なにそれ。側にいたいのは、私の方なんだけど」
そう言って、シズクは抱きしめてくるサンの肩に顎を乗せて、体を預けた。
「だったらさ、側にいてよ。母親って言うんだったらさ、ずっと」
「いるよ。私はいつだって側に」
「嘘ついたら、許さないから」
冗談っぽく、シズクは言った。
「大丈夫。DON'T WORRY ABOUT TOMORROW」
「何?」
「こうしてる今が、一番大切」
サンは言い、シズクをぎゅっと抱きしめた。
シズクはサンの優しい温もりに包まれて、幸せだった。このままでいたいと思った。ずっと。




