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「ツアーは全公演中止で、ラストライブはツアー前にやる筈だったシークレットライブの会場で開催予定だって」
レイジが力ない声で言い、ショーコがうん、と頷いた。
「引退理由は本人の意向により明かせませんが、皐月並びにファンの皆様はご理解の程、よろしくお願い致します。ってなんだよ。そこが一番知りたいっての」
レイジは溜息を吐くと、ショーコの横に座った。
「まさか、この前の失恋が原因?」
ショーコが眉を寄せて、言った。
「そんな軽い理由なわけ、、、でも前にもあったっけ」
「あった。あれはでも恋人と海外に逃げたんだよ」
「恋人絡むとMAYは理性失うタイプなのか。ショックっていうかガッカリ。俺達皐月の存在はその程度なんだなぁ」
レイジはまた、深く溜息を吐いた。
「アーティストなんてそんなもんだろ。結局ファンなんて見ず知らずの他人なんだから、恋人の方が大事に決まってんじゃん」
シズクが素っ気なく言うと、レイジとショーコがムッとシズクを睨んだ。
「俺達皐月はMAYに直接選ばれてるから、見ず知らずの他人じゃない」
「そうだよ」
「でもさ、あんたらだって、ファン以上に大切な存在あるだろ?ファンがいるのか知らないけどさ」
「う、うーん、、、」
「人間なんてどこまでいっても変わんないって。むしろ私は何よりファンが大切ですなんて言うヤツどーだよ。人間味なくない?そんなことあるわけないし、あったらちょっと感覚おかしいだろ」
「まぁ、そうかもしれないけど、失恋が原因なら、それを糧にして欲しいけどなぁ」
「もともと辞めたかったんじゃないの?都合良い理由が出来たんだよ。前にも逃げてんだろ?」
「辞めたそうには見えなかったけど」
「人の心なんてわかんないって」
シズクはサバサバと言い、お冷を飲み干して立ち上がった。
「あ、待って、シズクさん」
ショーコが呼び止めたので、シズクは立ち止まった。
「なんだよ」
「ラストライブの詳細、、、リバーサイドフォーラムだって、場所」
ショーコは呼び止めたシズクを放っておいて、レイジに言った。
「マジ?あそこキャパ2000だろ」
「チケットは1人2枚までで皐月限定だけど、同行者は皐月じゃなくても良いみたい」
「ラストライブに皐月以外の人呼ぶわけ?何考えてんだよ、運営」
「MAYの意向なんだって。最後は自分を愛する人すべてに分け隔てなくって」
「だったら、ツアーそのままやってラストツアーにすればいいのに」
不満気にレイジが言うと、ショーコが驚きで目を丸くした。
「今の批判?」
皐月はMAYの批判を禁じられている。批判を目にしたり耳にした場合は、運営に報告する義務がある。皐月は皐月同士で厳しく見張り合っている。
「いや、違う。意見だよ、意見」
慌てて、レイジは言った。
「ふーん」
「報告すんの?」
「どうしよっかなー」
「マジ?」
「私もう行くよ?」
2人の会話に、シズクが割って入った。
「待って、あと30分したらラストライブのチケット抽選あるみたいだから」
ショーコがシズクに言った。
「そんなにすぐやんの?」
訝し気にシズクは眉を寄せた。
「シズクさん、代わりに応募してくれませんか?シズクさんって、人の望む物引けるんですよね」
「グッズの話だよ。チケットはわかんない」
「でも私達より確率高そう」
「それでいいの?大事なラストライブ他人に託して」
面倒そうに、シズクは言った。
「1人2枚だから、単純計算で皐月3万人掛ける2の6万で、キャパは2000だから30分の1」
「その程度の確率なら、自分でやっても変わんねーだろ」
「いや、シズクちゃん、俺とショーコは絶望的なまでに引き弱いの。今まで皐月先行の抽選当たったこと一度もない」
「あっそ」
シズクは気怠そうにカウンターに座り直した。
「当たんなくても私のせいにすんなよ」
レイジとショーコが調子良く、ありがとうございます、と礼を言った。
シズクはスマホを取り出し、写真のライブラリを開いた。
スワイプして月日を遡り、3年前の1枚の写真を画面に映す。
画面には、MAYのマフラータオルを首に下げてピースするシズクが映っている。その隣には、黒髪ポニーテールの姉のアカネがシズクの肩に腕を回している。
あの日、ライブに行くのは本当はアカネだった。アカネもMAYのファンで、シズクと一緒にチケットの予約をし、2日あったライブの両方とも当選した。シズクは2日ともダメだった。
2日共1枚しか予約してなかったので、初日はシズクが、2日目はアカネが行く予定だった。
予約する直前、2枚で予約しようとしていたシズクにアカネが1枚の方が滑り込みやすいかもしれないという謎の提案をし、シズクも何となくそんな気がして、2人とも2日共1枚で予約した。
私の作戦勝ちねー、と自慢気に笑ったアカネをシズクは思い出す。
初日のライブに行き、興奮を抑えられなかったシズクは、2日目も行きたいとアカネにせがんだ。
あまりにシズクがしつこいので、アカネは渋々、チケットをシズクに譲った。
この借りは大きいからね、とちょっと不機嫌にアカネは言った。
なんで譲ったんだよ、とシズクは思う。自分が行ってれば、あんなことにならなかったのに。
シズクはスマホに映るアカネを見つめ、涙がこみあげそうになった所でスマホの画面を消した。
「2枚で予約すんの?」
レイジ達の方は見ず、前を見つめて、シズクは言った。
「あーうん、2枚。シズクちゃんは申し込み確定を押してくれるだけでいいから」
レイジが言うと、ショーコがよろしくお願いしまーす、と続けた。
「それ本当に私がする意味あんの?」
「少しでも可能性をあげたいから」
レイジは答えた。
「なら1枚にした方がいいと思うよ」
「え?なんで?」
「滑り込めそうじゃん、1枚の方が」
「そう?」
レイジはショーコの方を見た。
「別に変わらないと思う」
ショーコが答えると、レイジは、だそうです、とシズクに言った。
「まぁあんたらの好きにすればいいけど」
シズクは、ぼんやりと宙を見つめて、記憶を辿った。
まだ小さかった頃、母の静子のシズクへの接し方は露骨に悪く、おやつの時間にアカネにはケーキを与えて、シズクには煎餅1枚など、とにかくアカネだけを可愛がっていた。
それでもアカネがいつも、静子が見ていない隙に自分の分を分けてくれていたので、シズクにとってその時間は静子に嫌がらせを受けたというより、アカネに優しくされたという感覚の方が強い。
お風呂あがりにドライヤーで髪を乾かすのも、静子はシズクは自分でやらせたが、それもアカネがやってくれた。
ドライヤーを渡されて、使い方がわからず、困ってただドライヤーを見つめるしかなかったシズクを、静子は面白がって見ていた。
アカネはシズクに使い方を教え、わたしがやってあげる、と言っていつも髪を乾かしてくれた。
泣いていても、いつもすぐに側に来てくれるのはアカネだった。
母の愛情を感じられない寂しさを、アカネが和らげてくれた。
シズクが高校生の頃、お母さんは変わらないからシズクが強くならなきゃね、とアカネは言った。強くなるまでは、私が守ってあげるから。
シズクがふざけて、だったら一生このままでいてやる、と言うと、アカネは笑って、それでもいいよ私は一生だって守るから、とさらりと言った。
何の見返りもなかった。無償という言葉が本当によく似合った。
なんでそんなに優しいんだよ、というシズクの問いにアカネは、
シズクは私を強くしてくれたから。シズクを見ていると自分がどんな存在になりたいのかわかった。その感謝をただ、返してるだけだよ。優しさをシズクが教えてくれた。
と、答えた。
シズクがいるから、私は私でいられる。そういう人を守りたいと思うのは自然なことだよ。
シズクにはよくわからなかったが、守られているという安心感だけは感じていた。
アカネがいればいいと思った。何があったって、誰を敵にしたって。
「あんたら2人とも当選したら、余ったのどうするの?」
シズクが訊くと、レイジとショーコは顔を見合わせた。
「皐月の人に譲るよね」
ショーコが言うと、レイジは頷いた。
「今DMで、もしチケット余っても家族とか友達より皐月の人優先にチケット譲ろうって来た」
「ふーん。最後の最後でMAYの意向無視すんの。そんなの望んでないんじゃないの?MAY本人はさ」
刺すように、シズクは言った。
「まぁMAYが言うからって何でも聞くのもおかしい話だけどね」
「いいんだよ、皐月はそれで幸せなんだから」
レイジは言って、スマホをシズクに差し出した。30分が既に経っていた。
「はい、申し込み確定の所押して」
シズクは促された通り、スマホの画面をタップした。続いて、ショーコにも同じようにする。
「結果いつわかんの?ま、興味ないけど私は」
「1週間後。シズクちゃん行く気ないの?もしチケット余ったら」
レイジは何となしに訊いた。ショーコがそれを聞き、怪訝そうに眉を寄せた。
「興味ないって。ロックなんてうるさくて聞いてられない」
シズクは素っ気なく言って、椅子から立ち上がった。
アカネもはじめはそう言っていたな、とシズクは思い出す。
よくこんなうるさいの毎日聴けるよね、と。
どんなにMAYの良さを語ってもクラシック好きのアカネにはわからないようだった。
でも、ある年の年末の歌番組に初めてMAYが出演したのを観た時、生放送と年越しの高揚感も相まってか、MAYのパフォーマンスがアカネの心を打った。
この人こんなに楽しそうに歌うんだね、とアカネは言った。シズクがすすめたCDのジャケット写真やアーティスト写真では、いつもクールか少し不機嫌そうな顔しかMAYはしていなかったので、意外らしかった。
シズクも驚いていた。事務所の意向で出たくないけど出ると、ラジオでMAYが言っていたのを聴いていたので、流す感じで歌うのだろうと思っていたら、ライブでもあまり見せないリラックスした楽しげな表情で歌っていたからだ。
それがそれまでのイメージを壊したというより、良い意味でファンを裏切ってさらに惹きつけ、MAYに対して良い印象を持っていなかった人達をさらに取り込み、MAYを日本を代表するロックスターへと押し上げる分岐点となった。
たった5分あるかのパフォーマンスで、これだけ人を惹きつけて、意識を変えてしまうMAYを心底シズクは凄いと思った。
こういう人なら、世界を変えてくれるんじゃないかと。
でも、もし。
MAYがあの日の出演を断っていたら、アカネがMAYを好きになることも、事故で死んでしまうこともなかったんじゃないかと、シズクは考えてしまう。
私は自分がしたいと思うことしかやらない、とMAYが常々公言していたこともあって、シズクの心には、もやっとしたモノが取れないでいた。
自分を貫く選択肢だって、あった筈なのに。なんであの年、あのタイミングで、それまでと違った一面を、パフォーマンスを、テレビで見せたのだろう。
それがアカネの運命を狂わせてしまったと思うと、シズクは居た堪れない気持ちになった。
「ロックスターなんてさ、知らない所で人に恨まれてたりするんだから、何にも感じずに続けるなんて無理な話だよね」
シズクの言葉に、レイジとショーコは目を丸くした。
「どうしたの急に。MAYは別に恨まれてないと思うけど」
レイジは、シズクがMAYを心良く思っていないことには、触れずにいた。
「そんな人がやめることなんてないよ。本人や周りがわかってなくたって、理由はちゃんとあるんだから。人は無意識に色々感じ取ってんだよ」
「まー恨まれてなくても、嫌がる人はいるかもなー。MAYは反戦歌歌ったりしてるし、自分のグッズが高額で転売されてることを人間の醜悪の極みって言ったりしてるし」
「なんで反戦歌が嫌がられるの?良いことでしょ?それに別にMAYだけじゃないし、歌ってるの」
ショーコが怪訝に言った。
「紗希さん言ってたじゃん、どんなアーティストでもそういうのはやって欲しくないって。アートは人を楽しませたり癒したりするもので、争いに目を向けさせるものじゃないって。そういうことは普通に口で言えばいいって」
「あの人いつも批判スレスレのこと言うよね。オフ会でも最近の皐月加入の審査が緩いって言ってたし」
「それMAYにもミーティングで直接言ったらしいよ。何故かお咎めなかったっぽいけど」
「え?何それ。誰も特別扱いは絶対しないって言ってたのに」
「そういうことの積み重ねがさ、人を自然と退場に向かわせるんだよ」
ふふん、とシズクは言った。
「確かに皐月自体普通のファンクラブの人からしたら特別扱いだし、選考から落ちた人からは恨まれたりしてるかもなぁ」
レイジはしんみりと頷いた。
「でもそんなこと言ったら、アーティストなんかみんな続けられなくない?普通のファンクラブの先行とかだって、事情があって入れない人からしたら特別扱いだし」
ショーコの言葉に、レイジは確かに、とまた頷いた。
「単純に受け入れられなかったんだろ。MAYが望む世界がみんなに。理想を掲げたら、その答えは返ってくるもんだから。続いてる人達は、ほどよい感じでやってんだろ。恨みとか買わないように」
シズクは言った。
「そうかもしれないけど、それだとロックじゃないっていうか、そんなこと気にするのはMAYじゃないし、ほどよい感じでやられても好きになってないかなぁ」
「世の中が求めてるものは違うってことだよ。あんたらにMAYは必要でも、世の中からすれば必要じゃなかったってだけ。反戦歌なんか歌うってことはさ、ファンだけじゃなく世の中全体に訴えて、影響を与えたかったわけでしょ?その答えがさ、やめるって結果になったんだよ。世の中からの答え。そんなMAYなんかいらないって」
「うーん。だったら反戦歌歌うミュージシャンはみんな消えてなきゃいけないけど」
「消えてないってことは、その程度の影響力しか持ってないんだよ」
「だったら、MAYには世界を変えるだけの影響力があったってこと?」
「かもね。ただ変わった後の世界が、世の中が求めるものじゃないんだよ、きっと」
「戦争がなくなるなら、それで良いと思うけど」
腑に落ちない様子でレイジは言った。
「世界から争いがなくなるほどの意識の変化を怖がる人もいるよ。だってそうなったらさ、今度は自分のしてきた些細な過ちや罪が最悪の行為になるんだから。心の何処かでみんなあれに比べたらって、心の拠り所にしてたりするんだよ、最悪な出来事や行いを見てさ」
「うーん。そういうものなの、、、?」
「戦争がなくなったら、じゃあ次はって、そうやって世界がどんどんポジティブに変わっていく中で、意識を変えきれない人達って多いんじゃない?」
「自分の醜さと嫌でも向き合わなくちゃならなくなるのか、世界が平和になると」
「ま、私は世界が平和になろうが変わんないけどねー。私の世界は私が創るから、他に影響されることはない」
「確かにシズクちゃんが良い人になるのは想像出来ない。そんなことが起きたら、世界が終わる気がする」
「そう言われるとなんかムカつく。私なんか良い人の部類だよ。人に迷惑かけてるわけじゃないし」
「転売は?」
「別に騙してないし、押し売りもしてないし、すべては相手の意志によるものだろ。嫌なら買わなきゃいいんだから」
「いや、本来手にする筈だった人から、チャンスを奪ってるんじゃ」
「本来手にする人の下には、行くようになってんだよ、世の中は。引き寄せの法則を知らないの?」
「そんなことがまかり通っていいわけない」
「なんでもありなんだよ、この世は。あんたらの見識が狭いだけで」
シズクは面倒そうに言って、もう行くよ、と、さっさっと歩いて、ドアを開けて出ていった。
カラン、とドアが鳴る。




