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グッバイ ハイドアウェイ  作者: 宗あると
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 カン、カン、カン、と黒の鉄階段を降りるシズク。視線をふとあげると、店の前を走る路面電車の電線が見える。

 ぼんやりと記憶が蘇り、この場所へ来た時のことが頭に浮かぶ。

 初めてきたこの地に来た時は、絶望に打ちひしがれていた。何も考えられず、あてもなく歩いて、目に留まった路面電車に乗った。流れる景色は張りぼてに見えた。ただぼんやりと無感情に外を眺めていた。ある駅で同乗していた乗客が全員、降りた。1人車内に取り残されるのが何だか嫌で、シズクも後を追うように電車から降りた。

 降りた乗客のほとんどが、ひとつの建物に吸い込まれていった。

 白い店、黒いひさし。近づくとひさしに小さく白い文字で喫茶サンと書いてあるのが見えた。

 黒いドアの手前にはモーニングのメニューが書いてある看板が置かれていた。

 シズクは喫茶店など人生で一度も入ったことはなかったが、その時は導かれるように何の躊躇いもなくドアを開けていた。

 そこで蘇ってきた記憶がぷつりと途切れる。

 視線を落としてシズクは鉄階段を降りると、植え込みの前を横切って店のドアを開けた。

 カウンターの中にいた店主のサンは窓の向こうを横切るシズクの姿を見ていたので、店のドアが開いても俯いたままだった。

 シズクは特に気にする様子もなく、4席あるカウンターの隅に腰掛ける。

 店内は道路側のテーブルに1人初老の男性がいるだけだ。朝のピークの時間は過ぎている。

 「トーストちょーだい」

 スマホをジーンズのポケットから出しながら、シズクが言う。

 言われて、サンは黙ったまま手を動かしはじめる。

 ジジジ、とトースターの音がする。

 「今日は何かあるの?」

 少し低い声でサンが聞く。サンは45歳の眼の大きな美人だ。年齢より若干若く見える。茶髪の長い髪を後ろで束ねている。

 「ゲスの下のコラボカフェの代行が13時から」

 シズクはスマホを見つめながら、答える。

 「また?」

 「私の引きの強さがちょっと有名になってんの」

 「人が欲しいものが引ける、運が良いんだか悪いんだかの能力ね」

 サンは呆れたように言って、ポットから注いだお冷をシズクの前に置いた。

 「それのお陰でタダ飯にありつけるんだから、ラッキーな能力だよ」

 得意気に笑ってシズクは言う。

 「あんな色のついた食べ物、身体に悪いよ。あんた、この前まで化学物質がどうとか、オーガニックだとか言ってなかった?」

 「タダ飯に勝るものなーし」

 開き直ったように言うシズクに、サンは、あっそ、と素っ気なく返した。

 シズクは23歳。黒髪ショートボブにパーマをかけている。整っている顔立ちだが、美人ではない。

 「そんなたかるような事してたら、いつか炎上するんじゃない」

 「ちゃんとオタクのフリしてるから大丈夫」

 「そういう問題なの?」

 サンは言って、トースターから焼けたトーストを出し、バターを塗った。

 「ゆで卵は?」

 「欲しい」

 サンはトーストとゆで卵をお皿に乗せて、シズクの前に置いた。

 分厚いトーストは3つに切られている。シズクはひとつ手に取って、口に運んだ。

 カラン、とドアが鳴る。

 トーストを齧ったままシズクが肩越しに振り向くと、見知った若い男女2人が入ってきた。

 「おはようございます」

 金髪で色白の綺麗な顔立ちの男が、言った。

 その後ろにいた黒髪のウルフの女は、黙ったまま男の脇を通り、ドアの正面にあるテーブルに歩いていく。

 「いや、カウンターでいいっしょ。シズクちゃんいるし」

 金髪男が、ウルフ女の背中に言った。

 ウルフ女は肩越しに振り返り、露骨に嫌そうに眉を寄せたが、金髪男に言われた通り、カウンターに向かった。

 ウルフ女はシズクからひとつ離れた椅子に座った。

 「おはよう、ショーコちゃん」

 サンが挨拶すると、ショーコは消えそうな声で、おはようございます、と言い、会釈した。

 「レイジ君もおはよう」

 レイジは2度目のおはようございますを言い、シズクとショーコの間に座った。

 サンがお冷を2人の前に置いた。

 「俺、チーズトーストとアイスレモンティー、ショーコは?」

 「同じでいい」

 「じゃ同じの2つ」

 「はーい。チーズトーストね」

 サンは言って、カウンターに背を向け、トースターの前に立った。

 「夜から一緒なの?」

 唐突にシズクがレイジに訊いた。

 「違うし。何度言わすの。そういうんじゃないって。バンド内恋愛禁止!」

 レイジは言い、フン、と鼻で息を吸い込んだ。

 「あっそ」

 興味を無くしたようにシズクは言って、トーストを口に入れた。

 レイジとショーコは、4人組のロックバンドをやっている。レイジがギターで、ショーコがボーカルだ。

 「マジうざい」

 小声でショーコが言ったが、トーストを噛んでいたシズクには聞こえなかった。

 「新曲の歌詞、拓馬と3人で書いてたんだ」

 「へー、拓馬は?」

 「彼女に呼ばれて帰った」

 拓馬はバンドのベースで、20歳のレイジとショーコより3つ歳上。黒髪長髪のイケメンだ。シズクは密かに想いを寄せている。

 「まだ束縛女と付き合ってんだ」

 シズクは言って、お冷を飲んでトーストを口に運んだ。

 「ああ、うん。まぁでもーーー」

 言いかけて、レイジはショーコの方を見た。ショーコがグイグイと腕を引っ張り、スマホの画面をレイジに向けていた。

 「なに?」

 レイジは訊きながら、画面を見た。拓馬からのLINEだった。彼女に浮気と思い込まれて別れを告げられたらしい。部屋を追い出されそうだと言っている。2人に今から部屋に来て彼女に無罪を証明して欲しいとある。

 「どうする?」

 ショーコがレイジに訊いた。

 「めんどくさっ。放っとこう。別れちゃえばいいんだよ」

 「バンドは家族じゃないの?」

 ショーコはレイジの眼をじっと見つめて、言った。

 「あの時とは違うっしょ」

 「まぁね」

 微笑を浮かべてショーコは言うと、拓馬にリーダーは見捨てることに決めました、と返信した。

 ほどなくして、拓馬から泣き顔の絵文字が沢山返ってきたが、ショーコは未読スルーした。

 サンが黙って、2人にアイスレモンティーとシロップを出す。レイジはありがとうございます、と小さく頭を下げた。

 「怒って辞めるとか言い出さないといいけど」

 ショーコが可笑しげに言った。

 「あー、そんなら俺が彼女に捨てられたくらいでなんだお前の夢はその程度なのかって熱く説得してやるよ」

 「いつも言われるやつぅ」

 笑って、ショーコは言った。

 「1回言ってみたかったんだよなー」

 そう言い、レイジも笑った。笑いながら、ふとシズクの方を見ると、シズクがトーストを齧りながら、まじまじと2人を見つめていた。

 「なに?シズクちゃん」

 レイジが訊くと、シズクは口に入れたトーストを飲み込みんだ。

 「お仲がよろしいようで」

 おっとりした口調でシズクは言った。

 「これは家族の会話みたいなもんだよ。バンドは家族」

 シズクの冷やかしにレイジは動じずに言った。

 「そういうのが好きなの?きんしんーーー」

 「朝からやめてちょーだい」

 シズクが言い切る前に、カウンターの中からサンが遮った。

 「朝の空気を汚さないで」

 「シズクちゃん、最低だ」

 不快そうにレイジは言った。

 「そんなに酷い?こんなのギャグみたいなもんだろ」

 シズクは言って、けけけ、と嘲笑した。

 「うざっ」

 ぼそりとショーコが呟く。

 「はーい、お待たせしましたー」

 気まずい空気になりかけたが、サンが2人にチーズトーストを出して、空気を和ませた。チーズトーストのお皿にはゆで卵も乗っている。

 「ありがとうございますー。いつ見ても美味そう。いただきます」

 言うとすぐにレイジはチーズトーストに齧り付いた。

 その横で、いただきます、とショーコが小声で言い、アイスレモンティーをストローから飲んだ。

 「ごゆっくりどうぞ。あっ、ありがとうございます」

 窓側のテーブルに座っていた初老の男性が会計をしにきたので、サンはレジの方へ移動した。

 初老の男性は支払いをしてから、サンと2、3言葉を交わして、カランとドアを鳴らして出ていった。

 シズクにはサンと初老の会話ははっきりと聞き取れなかったが、自分のことを話しているのではないかと、気になった。だがすぐにその猜疑心を振り払った。

 ないないない、何にもない。誰も私の話なんかしない。シズクは自分に言い聞かせると、ゆっくり深く息を吸い込み、ふーーっと長く吐き出した。

 その様子を見ていたレイジが、訝しげに言った。

 「どうしたの?気分悪いの?」

 「なんでもない」

 素っ気なくシズクは応えると、最後の一切れのトーストを口に運んだ。

 落ち着いてる。前とは違う。大丈夫。シズクは自分で自分を励ました。

 


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