婚約者1
翌日
あまり眠れなかったこともあり、珍しく寝過ごしてしまった。
「おはようございます、お嬢様」
リズがカーテンを開けて朝であることを知らせてくれるまで眠っていたようだ。
「おはよう、リズ」
目をこすりながらゆっくりと身体を起こす。
「お嬢様が寝過ごされるなんて珍しいですね。いつも起きて私を迎えてくださるのに」
「昨日は寝るのが遅かったの」
「もしかして、水差しを持っていった時寝てらしたとか?」
水差し、そう言われて昨日の出来事が頭に浮かんだ。
自然と顔が赤くなる。
リズにバレないように用意してくれた水で顔を洗った。
「昨日は本を読んでいたの。それが面白くてついつい夜ふかししてしまっただけよ」
渡されたタオルで顔を拭く。
「それならいいのですが………お嬢様、今日は少し急ぎで朝の準備をさせていただきます」
「どうして?」
「今日は2年に一度の大切な配置転換会議です」
「もうあれから2年経ったのね」
ローズネス家では2年に一度、侍女や執事、騎士などの配置転換を考える会議が開かれる。
侍女頭などが中心になり希望などを聞きながら配置転換するのだ。
もちろん最終決定権はウィルネスとリーシャにあるが、よっぽどのことがない限り会議のとおりに配置転換される。
「これからもお嬢様付きになれるようにしっかりとアピールしてきます」
「私からお父様とお母様にリズがいいと伝えているから大丈夫よ」
「それでもお嬢様付きの侍女は人気がありますので、隙を見せてはいけません」
リズはいつもよりも手早くアイリスの身支度を整えた。
「私はもう行かなければなりません。お嬢様、もうすぐしたらセイウス様がいらっしゃると思いますので、それまでは部屋で待機していてくださいね」
「いくらなんでもこんな朝早くに何も起きないわ」
「念には念を入れておくべきです」
あの事件以降、みんなが過保護になりすぎている。
「わかったわ。いってらしゃい」
「行ってきます」
リズは丁寧にお辞儀をして部屋を出ていった。
アイリスは静かになった部屋で自然とセイウスの部屋と繋がるドアを見つめていた。
そして昨日の夜のことを思いだす。
告白したこと、セイウスに口づけされそうになったこと。
夢だったのではないかとさえ思う。
しかし、夢ではない。
アイリスはドアの前まで歩き、控えめにドアをノックした。
コンコンコン
しばらくすると
コンコンコン
と向こうからノックが返ってきた。
「セイウスさん、聞こえますか?」
ドアに向かって問うと
「はい、聞こえます」
と返事が来る。
顔が見たい………。
アイリスは少し躊躇ってから
「そちらの部屋には入りませんのでドアを開けてもいいですか?」
と聞いてみた。
しばらくの沈黙。
「決してこちらの部屋は来ないと誓えるなら」
セイウスの返事を聞いて、鍵を差し込みドアを開けた。
少し離れた位置にセイウスは立っていた。
騎士団の服を着ている。
なんだか眩しく見える。
「おはようございます、セイウスさん」
「おはようございます、アイリスさん」
顔を見て声を聞くと昨日の事を思い出してしまい、顔が赤くなった。
不自然に視線を逸らす。
「あの………」
何を言えばいいだろう。
そう思っていると
「アイリスさん、昨日は申し訳ありませんでした」
セイウスが深々と頭を下げながらそう言った。
「セイウスさん!?頭を上げてください」
びっくりしているとセイウスは頭を下げたまま話を続けた。
「私は貴女が成人するまでは指一本触れないと約束しました。しかし、その約束を反故にしてしまい、結果的に貴女を怖がらせてしまった。なんとお詫びすればいいのか」
「私は」
「いくら貴女から告白されて抱きしめられたらからと言って理性を手放していい理由にはなりません。あのときリズさんが来なければ取り返しがつかなかったかもしれません。本当に申し訳ありませんでした!」
更に深々と頭を下げるセイウスにどうしたらいいのか戸惑いながら
「取り敢えず顔を上げてください。謝ってほしくてドアを開けたわけではありません」
と伝えた。
「このまま頭を下げたままなら、セイウスさんの部屋に入って身体を起こしにいきますよ」
「それは困ります!」
セイウスはぴしっといい姿勢になった。
思わず笑ってしまった。
「セイウスさんが謝ることは何もありません」
「しかし、アイリスさんを怖がらせてしまったのは事実です」
「私、怖がってなんていませんよ。リズが来て残念に思っていたくらいです」
「………えっ?」
「リズに邪魔されたと思ってしまったのですから」
そう言いながら顔が赤くなるのを止められなかった。
見るとセイウスは驚いた顔をして手で口を覆いながら2歩下がってしまった。
「ですから、謝る必要なんてありません」
「アイリスさん……こういうときは怖がって下さい。私は貴女が嫌がることは絶対にしません。アイリスさんが嫌がれば決して触れることはしないのです」
「つまり………私が嫌がらなければ触れるかもしれないと」
「そ、そうとは言いませんが、昨日の自分の行動で、私は自分が思っている以上に理性が弱い事がわかりました。ですのでどうか、嫌がって下さい」
「嬉しいと思ったのに嫌がることなんてできません」
アイリスの言葉にセイウスはまた一歩下がった。
「はぁ………取り敢えずこの扉を開けてこちらに来ることだけはしないで下さい。いいですね」
「こうやって開けてお話をするのはいいですか?」
「………夜じゃなければ」
セイウスは何かを諦めたようにそう言った。
「それより、私と婚約するとウィルネス様に伝えても大丈夫ですか?」
セイウスはため息をついてからそう聞いてきた。
「もちろんです」
「アイリスさんは公爵家の跡取りになります。私は婿養子という形になるでしょう。正式に婚約が決まると破棄するのは難しくなります。アイリスさんは王族の血を引いていますし簡単に破棄はできません。この意味を理解していますか?」
心配そうな顔をしている。
「覚悟はできています」
「私はアイリスさんと一緒になれるのならどんなことでも耐えられる自信があります。しかし………アイリスさんはまだ若い。私なんかが婚約者でいいのですか?」
「セイウスさんがいいんです。」
「わかりました。では今日にでも両家にその旨を伝え、婚約の手続きに入ります。いいですか?」
何度も確認してくれるのはアイリスの事を想ってだろう。
勢いで決められる立場にいないことを知っているからこそ聞いてくれるのだ。
やっぱりセイウスは優しい。
いつもアイリスの事を考えてくれている。
「私も一緒にお父様とお母様に伝えます」
「ではお迎えに上がりますので扉を閉めて部屋でお待ち下さい」
セイウスに言われて扉を閉めると、なんだかさみしい気持ちになった。
すぐに迎えに来てくれるのに。
くすぐったいような気持ちに自然と笑みがこぼれた。




