藤ヶ谷祐一
僕のOJTが順調に終了し、一人で営業に回り始めるようになった頃――。
僕は宮瀬さんに誘われて、初めての推し活イベントデビューをした。
こういうファン同士の交流会、実はちょっと憧れていたんだ。
メンバーは僕や宮瀬さんのほかにも何人かいて、総勢7人くらいになるらしい。
「へぇ。すっごい。こんなところでやるんだ!」
「そりゃあデビュー5周年記念だもん。ファンとしては華やかにお祝いしたいよね!」
今日来たのは都内にあるホテル。“推し活プラン”と言うのがあって、他のファンともこうやって交流したり、連絡先を交換したりしているそうだ。
推し活らしく、ちゃんとシアタールームも抑えていてDVDを鑑賞し、推しについて語り合いながら、デビューを祝うのだ。
何より楽しみなのは。
「まさかあの“ちゃきっコ”さんが宮瀬さんの知り合いだったとは」
“ちゃきっコ”さんはファンの間でも有名で、SNSのフォロワーが何万人もいる有名人だ。
僕も彼女のインストとツイッピーはフォローしている。
毎年の誕生日には、凝った祭壇を作り上げる、ファンの鑑みたいな人だ。
「えへへ。唯一の自慢だよ。担当は違うけどイベントで意気投合したの」
宮瀬さんも正体は知らずに、ただのファン同士として交流していて、連絡先交換となった時、初めて知ったそうだ。
羨ましい、その引きの強さ。
「今日はライブ見て、推しケーキ食べて、グッズ交換して、推し愛を夜通し語りつくす日だよ。楽しもうね」
「あーっ! “ちゃきっコ”さんの銀テープコレクション、すっごい楽しみ」
デビュー当時からファンで、ライブの銀テープをたくさん持っているらしい。
いくつかはSNSの写真で見てるけど、初期の銀テープの実物が見られるだけでもラッキーだ。
僕らはフロントでシアタールームの鍵を借りて、部屋のあるフロアに向かった。
※ ※ ※
心行くまで推しについて語る。これほど幸せな事はない。
どこがいい、あそこがいい。あの歌詞がサイコー、あの振りが意味深。
今度のライブの期待に次の誕生日の計画。
いくら話してもきりがないはずなのに、ふと話題が途切れた。
「ああホント、楽しいよね。ねぇ、速水部長はお休み、釣りか料理してるって。私、料理しないから尊敬しちゃう。すごいよね」
ここでもまた速水部長の事。
どんな話をしていても、僕の指導をしていた時も、いつだって宮瀬さんは速水部長の事を忘れた事がない。
本人はきっと気づいてないかもしれないけれど。
「宮瀬さんは速水部長が好きなんですね。ケイよりもずっと」
「う……。やっぱバレますか?」
「わかりやすいですよ。宮瀬さんは」
お酒も飲んでないのに心持ち顔の赤い宮瀬さんは、ペットボトルのお茶を一口飲んで、手の中でボトルを転がす。
「でもね、全然進展ないんだ。嫌われてるって事はないと思うけど、年の差もあるし、私の事は妹か子供扱い……」
ため息交じりで現状を零す。
二人は海外営業チームが新設された当初からの付き合いで、今は3年目で時々食事をする仲だそう。
「私、料理苦手だし、推しにお金使いたいから大抵“カロリーフェロー”みたいなお菓子やゼリーで昼食済ませていたの。そしたら“身体によくない”って時々ご飯連れてってくれるようになって」
宮瀬さんはお酒は飲めるタイプじゃないから、食事がほとんど。そういう雰囲気にもなりにくくて、大抵はご馳走になって終わりだそうだ。
「お礼を口実に出かけたり、誘ったりは?」
僕の問いに宮瀬さんは残念そうに首を横に振った。
「ううん。ランチとか残業の夕食くらいかな。ちゃんと誘ったことはない。断られるのが怖くって」
はははと少し悲しそうに笑い、カッコ悪そうにまた一口お茶を飲んだ。
もう付き合いも長いし、一緒に食事に出かけた時、たまに支払う事がお礼として定着してしまい、なかなかきちんと誘いづらいという。
「告白……今からでもすればいいじゃないですか?」
「できないよ! 断られて気まずくなっちゃったりしたら、絶対立ち直れない!!」
宮瀬さんは即答した。
それに断られた空気を引きずったままで、部内に影響するのも嫌だという。
「私、そんなにぱっぱと切り替えができるタイプじゃないしね。“ケイ”のファンくらいの距離感がちょうどいいんだよ、きっと」
そう言って諦めたように笑う宮瀬さんが悲しかった。
「じゃあ速水部長じゃなく、僕にしません?」
宮瀬さんは「へ? どういう事?」と目をぱちくりさせた。
ちょっとかわいい。
「僕と付き合いませんか? 推し活だって隠さなくていいし、僕の方がずっと年も近いですよ」
「えっと、私……」
断られるのが嫌なら、返事をされる前にこちらから畳みかければいい。
共感と利点の提示は営業の鉄則。
僕は自分の利点をプレゼンをする。
「僕なら断られる心配もありませんし、チームに影響だってないですよ。付き合ってる事、オープンにするかしないかは二人で決めればいいし」
「あのっ! 私、部長がダメだからと……」
ものすごく視線を泳がせて、断ろうとする宮瀬さんを僕は止める。
「それは聞きました。今は部長の事でいっぱいなんでしょう? じゃあ僕と付き合う事、考える価値もありませんか?」
少なくとも宮瀬さんに嫌われてはないし、宮瀬さんだってダメなら次を考える。ずるいと分かっているけど利用するよ。
「う、それは……。藤ヶ谷さんは悪い人じゃない。知ってるけど、でも……」
迷うならあと一押し。僕を選びたくなるにはどういう提案がいいのか、目いっぱい考えて答える。
「そんな重く考えないでください。僕らは買ってもらうため、クライアントに試飲させるでしょ? それと同じです。部長のスペースを少しだけ僕に下さい。その代わり、味見したら僕と本気で付き合いたいって絶対言わせますから」
「強引だなぁ、藤ヶ谷君は」
宮瀬さんはようやく困った顔を引っ込めて笑ってくれた。
「そりゃあ粘り強いディフェンスが僕のウリだったんですからね。チャンスがあるなら、絶対ポイント決めますよ」
「わかった。考えてみる。確かに味見しなくちゃ買えないものね」
「その代わり期限は切りましょう。来週のライブ、宮瀬さんもチケット取ってますよね?」
「ああ、うん。5周年記念のライブね。あるよ」
「会場最寄り駅のみなとみらい駅、午前十時に。ちょっとでも僕との未来、考える気になったら、ライブ、一緒に行きましょう」
――宮瀬さんは来てくれるかな。
部長の事なんか忘れるくらい大事にするから、僕を選んで欲しい。
ウーロン茶ですっかり赤くなってしまった宮瀬さんのほっぺたに、自分が触れる日が来ればいいと思いながら、僕はビールを空けた。