宮瀬あおい
「おはよう、宮瀬。それ朝飯か?」
「おはようございます、速水部長。そうですよ。この前ネットで見かけて買いました」
私はプロテイン配合のチョコバーをかじりながら、コーヒーで流し込む。
今日も速水部長は完璧だ。
ちょっと癖のある髪を綺麗に撫で付けて、いつでもかっちり決まっている。
上質そうなオーダーのスーツに適度な筋肉を押し込んで、一階に入っているコーヒー店の紙袋と紙コップを持ち、残念顔で私の朝食をのぞき込む。
「これ1本で1日分のたんぱく質とビタミンが取れちゃうんだそうです。今日はもう食べなくて大丈夫なんですよ! すごいでしょ!!」
私は昨日届いたばかりの“カロリーフェロー”を速水部長に自慢する。
……実はちょっとウソついた。今、“カロリーフェロー”は私の推しアイドルユニットのメンバー、“K”とコラボしていて、食べる本数によって貰えるグッズがあるから大量に買ったのだ。
応募期間長くて助かったよ。バーコード取るために開けちゃったらぜーんぶ湿気って不味くなっちゃうもの。
私は食べ終わったパッケージをボックスにしまった。
「宮瀬。お前、また昼も夜もそれ以外食べない気だな。いつか身体壊すぞ」
速水部長は1階で買った紙袋をポンと私のデスクに置いた。
「昼はそれを食べなさい。いいか、絶対だぞ」
部長はそう言って、さっさと自分の席に着き、鞄からノートPCを取り出す。
私は押し付けられた紙袋を開けてみたら、トマトとチーズのバケットサンドが入っていた。
「これ、部長の朝ごはん……」
「少しは野菜も食べなさい。たんぱく質もビタミンも入っている非常に健康的な食べ物だ。全く手間のかかる部下を持ったよ。今日からの異動者の件、よろしく、宮瀬」
速水部長が言い終わるのを待っていたかのように、フロアに始業のチャイムが鳴る。
私は休憩モードからお仕事モードに切り替えた。
「はい。承知しております。人事から引き継ぎましたら、いつも通り私が担当します。速水部長」
私はイントラを開いて、社内の異動通達を確認する。
“以下の者に異動を命じる”
“6/1付 北日本エリア→海外営業部 藤ヶ谷祐一”
藤ヶ谷君、どんな人かしら。
願わくば“ケイ”みたいにかっこいいと、私の生活も潤う。
私はネックストラップに付けている、“ケイ”のピンバッチをちょいちょいと触ってから、迎えるための資料準備を始めた。
※ ※ ※
他部署の説明や手続きが終わったと人事から呼び出されたのは、ランチが終わった午後の時間だった。
「宮瀬さん。後お願いしてもいい?」
「はい。あとは私が引き受けます」
「じゃあ、よろしくね!」
人事の沢渡さんを二人で見送ると、私達はその場で挨拶を交わす。
「今日から配属の藤ヶ谷祐一です。よろしくお願いします」
藤ヶ谷君はにっこり笑って挨拶してくれた。
その笑顔は極上で、普通の女の子はイチコロなんだろうなぁ、と思った。
藤ヶ谷という名前から勝手に想像していたのは細身のイケメンだったけど、実物もほんとにイケメン高身長で、手抜かりのない控えめな茶髪に紺色のスーツが若手らしく、細身なモデルみたいな人だった。
脚の長さが身長の三分の二とか、マネキンみたい。
身長150センチ代の小柄な私は見上げるのに首が痛くなるほど上についてる顔は、いかにも得意先受けしそうな爽やかルックスで、眉毛もひげも完璧だ。
でも、私には速水部長という、心に決めた人がいるけどね。
「私がOJT担当の宮瀬あおいです。今日から1週間よろしくお願いします。身長高いね。昔バスケとかやってたの?」
「実は大学のバスケ部でインカレ出ました。唯一の自慢ですよ」
はははと明るく笑いながら、私の隣を歩く姿に管理部フロアの女の子たちがちらちらと目線を投げてくる。
「すごいね、インカレ。十分自慢だよ。面接の時、ウチの社長にウケたんじゃない?」
わぁ……。これは気を抜いた途端、ズブリと刺されそう。
気をつけよっと。
「最終面接は僕の話はそっちのけで、社長のバスケ自慢ばっかり聞かされましたね。いい思い出です」
エレベーターが2つ上で止まり、セキュリティカードを通して、私達のチームの席のあるデスクに案内した。
「では改めまして。ようこそ。ここが海外営業部の席よ。席といっても部長以外フリーアドレスだから、適当に座って」
海外営業部は経営企画などと一緒のフロアで、管理部門と違いフリーアドレス。
フリーといっても大きな机を何人かでシェアする形。
「でも一週間は宮瀬さんの隣にいます。何かと便利ですから。ここのデスク、引き出しないんですね」
「必要なものはこのボックス使って。なるべく電子ファイルにして紙の資料は作らないこと」
私は藤ヶ谷君の名前入りデスク用の書類ボックスを渡した。
「電子……。僕、パソコン苦手なんですよね」
藤ヶ谷君はため息交じりで、ボックスに筆記用具などを入れ、支給されたタブレットに電源を入れる。
私達のチームのプレゼン資料は基本タブレットかPCに入れて使うのだ。
「大丈夫。すぐに慣れるわよ。国内営業だってPCは使ってたでしょう?」
「使ってましたが、プレゼンは紙でした」
「んーー。じゃあ北海道帰る?」
「帰りません! 僕何度も異動願い出し続けてようやく叶ったんですから!!」
「なら覚悟を決めて頑張りなさい。タブレットもPCも藤ヶ谷君に噛みついたりしないからね」
その後はつきっきりで資料の場所や各種システムのログインなどであっという間に定時になった。
初日ならこんなものだろう。
それに速水部長は今日一日会議漬けで挨拶は月曜にとの伝言だし……。
「初日お疲れ様。この後の予定は?」
「帰って荷物整理の続きくらいです」
「最寄り駅の近くにね、私達がよく行くお店があるの。案内がてら行こっか」
私は以前の藍野さんや杜山さんたちにしたように、藤ヶ谷君を連れ出す。
軍資金も心配ない。部長から二人分以上貰っているもの。
後で清算して返さないとね。
※ ※ ※
私は藤ヶ谷君を連れて、いつもの和食ダイニングへ連れてきた。
私達の仕事は作った日本酒やウイスキーを海外にあるレストランやバイヤーに売るのが仕事。
ここは私達の会社がお酒のプロモーションを兼ねて作ったお店だ。完全に別会社なので、一般の人はあまり知らないけど。
落ち着いた旅館の離れのような雰囲気とおいしい創作和食が自慢で、私達営業がお客様を招いたり、広報が自社CMの撮影にも使っていた。
「ふふふ。ごめんね。知ってる場所で。ちゃんとしたところは、速水部長やみんなが揃ってから行こうね」
「いえ。ここ僕も好きです。本社の営業会議の帰りとか、みんなでよく寄ってました」
二人でグラスをカチンと合わせる。
「だけど意外ですね。この会社にいてお酒飲めないとは」
藤ヶ谷君は冷酒のグラスを半分くらいまで一気に減らしても、へっちゃらな顔をしている。
「うー。これ体質だもん。部長や藍野さん達はお酒強いよ」
私は一口分だけを飲み下し、ウーロン茶を一口飲む。
私達は海外営業。売り込むものは日本酒や日本製のウイスキーが多く、必然みんな日本酒やウイスキー好きが多く、酒豪揃い。
翻って私はあまり飲めないタイプ。冷酒だってちっちゃいグラスの三分の一が精いっぱいなのだ。
「さっきから聞きたかったんですが、宮瀬さんってネックストラップに“ケイ”のピンバッジ付けてます?」
「よく分かったね、つけてるよ。ファンだからね。お主、もしかしたら……」
「はは。僕もそうです。僕は“レイ”担当ですが」
照れくさそうに笑って鞄から文庫本を取り出し、銀テープをラミネート加工したしおりを見せてくれた。
これはレイの誕生日の時のライブのものだそうで、手作りしたそう。
た・ん・と・う・!!
担当なんて推し用語、知ってるとか!!!!
「推し仲間がこんなところで見つかるとか! すごい偶然!!」
「偶然じゃないです。これは奇跡ですよ」
出会いにもう一度乾杯し、私は藤ヶ谷君を今度のイベントに誘ってみる事にした。
「藤ヶ谷君はファン交流イベントとか興味ある?」
私はファン同士での交流会の話をする。
ファンでホテルや会場を借りて、交流会をするのだ。
最近、ホテルも“推し活プラン”と称した宿泊プランがあり、中にはシアタールームを貸してくれるところがある。
そういうところを借りて何人かでイベントをするのだ。
「あります。地方だとなかなかチャンスがなくて。こっちにいる間、絶対一度は行きたいと思ってたんですよ!!」
藤ヶ谷君は何人かの有名ファンをフォローして、虎視眈々と参加機会を狙っていたらしい。
なら話は早いかな。
「じゃあ知ってるかな。藤ヶ谷君と同じレイ担の“ちゃきっコ”さん。私とちゃきっコさんともう何人かで今度デビュー5周年のお祝いやろうって話をしてて、まだ予約できるから、一緒にど……」
私が言い終わる前に藤ヶ谷君は「行きます! 絶対行かせてください!!」とすごい勢いで私の両手を掴み、キラッキラの目で懇願した。
「あのー……。藤ヶ谷君??」
「うわーーっ! すみません、すみません、すみません!!」
藤ヶ谷君は慌てて手を離し、冷酒をがぶ飲みした。
そうかぁ。そんなに“ちゃきっコ”さん好きだったんだ。
何だか藤ヶ谷君とも早く仲良くなれそうで、私はとても安心した。