第1章 脱走 1-3. 脱獄
隣の牢に入れられている囚人の刑の執行は、その2日後にやってきた。
彼女を刑場に連れていくためにやって来たのは、獄吏が2人に執行官、見届人、そして、ルーメンクルス教会の司祭、それぞれ1人ずつで併せて5人だ。
僕は隣の牢から、その様子を観察した。煉瓦一個分の穴から。
獄吏は2人とも槍を持ち、そして、執行官と見届人は腰に剣を履いている。
「 エレミエル・アウグスタ・ブラウンズウィック。
其方は、リッシュモン伯爵家令嬢・マリエル・アレキサンドラ・リッシュモンに加えた数々の虐待、ならびに、殺害を企てた罪により、ブラウンズウィック侯爵家より除籍要請が出ている。
その身を一介の庶民に貶めた上で、、前述せり罪により、只のエレミエルとして極刑を以てこれを償うべし 」
エレミエルと言われた少女の前で、執行官により罪状が読み上げられ、続いて、司教が死にゆく彼女のためにに祈りを捧げる。
侯爵家のご令嬢だったんだ。
なんか、修道院の尼さんって感じになるまで人生を達観してたみたいだけど。
司教の厳かな祈祷が終わると、エレミエルを刑場に連行するために、獄吏が両側から彼女の腕を抱えて立たせる。鉄格子の扉は開け放たれたまま。
いまだっ!
突如、牢の壁が崩れ、僕が跳び出す。
そう、一度崩した壁の煉瓦を、積み直していたのだ。
まさか、突然、牢獄の壁が崩れるなどとは思っていない男達は、驚きの余り一瞬、硬直して動けないでいる。
僕は、エレミエルの方に向かうと見せかけて、ステップを踏んで反転、見届人に向かって一気に間合いを詰める。
そして、未だ頭が混乱した様子で動けないでいる、そいつの腰から剣を無理やり奪い取った。
執行官がいち早く僕の行動に気づき剣の柄に手をかけたが、時すでに遅く、僕の握った剣の柄が皮鎧の上からそいつのみぞおちをえぐっている。
執行官が床に倒れるのを待たずに、見届人の顔面を鞘ごと剣で殴打。
そして、エレミエルの腕を離して繰り出す獄吏の槍を躱し、そいつの首に鞘に入れたままの剣を打ち込んだ。
前のめりに床に倒れ込む仲間をにも目もくれず、もう一人の獄吏がエレミエルを離して槍を構えようとするが、それを待たずして僕の剣が顔面を打つ。
その獄吏が倒れた隣では、司教が腰を抜かし、床にへたり込んで震えていた。
「 行きますよ 」
エレミエルとは昨日、脱獄の手筈に就いて既に打ち合わている。
彼女は、倒れている獄吏の腰をまさぐって提げていた鍵をむしり取ると、執行官の腰から剣を、見届人から鞄を奪い僕に続く。
そして彼女は、鉄格子を出ると、獄吏から奪い取った鍵で扉に施錠した。
さっき執行官が侯爵家と言っていたが、お嬢様にしてはなかなかやる。
牢を出た僕達は、素足のまま廊下の石畳の上を走って階段に向かい、先ずは、階段の様子を確かめた。
「 このまま階段を使って城壁の上まであがりましょう 」
「 城壁の上まであがるって、その後はどうするのですか? 」
「 オルセー監獄は要塞です。城門を通って出て行かせてくれるとは、到底、思えない。だったら、城壁の上まであがり、下の堀に飛び込みましょう 」
「 判りました。それしか方法がなさそうですね 」
僕たちは頷き合うと、階段を駆け昇っていく。
確か、いったん地上に出ると、その近くに、城壁の上まで続く階段の入口があった筈だ。
かつて訪れたことのある監獄の間取りを、頭に浮かべてみる。
地上に足を踏み出す手前で止まり、外の様子をうかがった。
地上は舗石が敷き詰められた平坦な石畳で、警備の兵の姿はない。
彼らは、詰所か監視塔にいるのだろう。
跳ね橋は、思った通り上がったままだ。
石畳を素早く走り抜けると、昇りの階段に跳び込む。
エレミエルは、麻布でできたワンピースの囚人服が脚にまとわりついて走りにくそうだが、裾を詰めている暇はない。
階段を昇り始めて直ぐに、上の方から足音が聞こえててきた。
ガシャ、ガシャという金属音は、武装した兵士のものだ。
僕たちは、身を隠すために階段の途中に設えてあった扉を開け、中に跳び込む。
だが、中には兵士がいた。どうやら、城壁内の詰所らしい。
幸い兵士は独りだった。
突然の侵入者に驚く兵士に向かって剣の柄を突き出し、その顔をしたたかに殴る。
兵士は殴られた勢いで、椅子に座ったまま背後に倒れていく。
椅子が壊れ、金属鎧が床に打ち付けられるガシャ、ガシャーンという大きな音がして、階段を降りてくる兵士のガチャガチャした足音も早くなる。
すかさず、エレミエルに壁際によるように指示を出すと、自分も扉の陰に隠れた。
「 どうした!大きな音がしたぞ! 」
そう叫びながら部屋に入っていくる兵士の兜頭を剣で思いきり殴り、倒れたその兵士から再び、ガシャーンッ!と大きな音が鳴り響く。
もうグダグダだ。
階段の上の方が俄かに騒がしくなり、直ぐに、2人か3人が階段を降りてくる足音がした。
僕はエレミエルの手を取ると、今度は階段を駆け下りる。
彼女を連れたまま複数と戦うのは分が悪い。人質にとられかねないからね。
再び地上に出て、どこかに隠れる場所がないか探すが、そんなに都合よく見つかる筈もない。
ところが、城壁の最下層部に開いている穴を見つけて思いついた。
排水口かそれに近い何かだろうって。
エレミエルの手を引いてそこを目指す。
城塞は謂わば箱だ。箱から雨水を逃がす排水溝があってもおかしくない。
「 囚人が逃げたぞお! 」
後ろから聞こえてくる叫び声に急かされ、足を縺れさせながらも、その穴まで駆けていく。
そして、かろうじて潜れる大きさだと判ると、エレミエルを抱きかかえて排水口に滑り込んだ。
真っ暗な、ヌルヌルとした穴の斜面を滑って下っていく。
生きた心地がしない。
だが、滑っていたのは一瞬で、直ぐに目の前が明るくなった途端、穴から吐き出される。
ほんの僅かな時間、足をバタつかせて宙空を泳ぎ、次に水の中に放り込まれた。
どうやら排水溝は堀に直結していたらしい。
エレミエルを抱いたまま一度水に潜り、城壁に張り付いた状態で浮上する。
堀の真ん中を泳いでいたら、城壁から矢を射かけられるからだ。
案の定、僕たちがいた場所に矢が降り注ぎ始めた。
壁にくっついたまま、城門から遠ざかるように泳いでいく。
予想に違わず、跳ね橋が降り始めた。直ぐに追手が出てくるだろう。
早く水から揚がって何処かに潜まないと見つかってしまう。
矢を放ってくる城兵の死角に入るよう、僕らは壁伝いに城門から離れると、見られていないのを確認してから対岸に地上に揚がれる場所を探す。
城壁の上で、兵士たちが僕らが着水した場所を視るように集まっているから、まだ、現在の僕たちの位置を確認できていないはずだ。
兵士たちが、城門側に集まっている間に堀から揚がり、監獄から出来るだけ離れるために、森の奥に向かって奔る。
城門の反対側は森が堀まで迫ってきているので、木々が奔る僕らの姿を隠してくれる。
小一時間ほど、森の中を駆けた僕たちは、一旦、木にもたれかかりながら草地に腰を下ろして息を整えた。
僕たちが見つからなければ、直ぐに森中に捜索網が引かれるだろう。
だが、一方で、監獄から離れれば離れるほど捜査域は広くなっていくので、やがては、城兵だけではどうすることもできなくなるはずだ。
僕は、排水口に滑り込んだ時に剣を捨てていたが、幸い、エレミエルが執行官のものを握り締めていた。
その剣を使って彼女の囚人服の裾を切り裂き、既に傷だらけになっている二人の足に巻き付ける。
とりあえずこれで善しと。
さあ、追手が来るまでに、行ける所まで行かなくては。
森の中に逃げ込んでから、最初の一昼夜は歩き続けた。
漸く一息つけたのが、脱獄してから二日目の夜のことだ。
逃げている間に多少は乾いたとはいえ、未だ服は湿気っていて冷たい。
季節は春になっているが夜は未だ寒いので、焚火が必要だった。
石を拾ってきて竈を造り、周りを木の枝で覆って追手から焚火が見えないようにする。
こんな森の奥で焚火などしているのは僕たちぐらいしかいないから、隠しておかないと直ぐに見つけられてしまう。
生木を燃やすと煙が出るので、マツボックリのような針葉樹の種子を集めて燃やすことにする。
複雑な魔法は未だ覚えてないけれども、火をつける程度であれば難しい術式は必要ない。
炎をイメージすれば、神様からもらった能力で術式を設計すればいい。
ブッシュクラフトをやっている中で火を起こすところをイメージして、適当に思いついた点火の呪文を唱えてみる。
「 イグナイト 」
右手に持った小枝にボッと火が起こり、それを竈の中の種子の山に突っ込むと、良く乾燥して傘の開いた種子は、やがて炎を上げて燃え始める。
焚火にリラックス効果があるというのは本当のようだ。
極限まで疲れていた僕たちは、そのまま竈の側で眠ってしまったのだから ・・・・・・・・・。




