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第4章 逆転の法則 4-1. マリエル・アレキサンドラ・リッシュモンド


あの日から私は、ずっと、エレミエル様のことを考えています。

彼女が法廷で有罪を言い渡された日から。


侯爵家令嬢であったがために貴族の権力闘争に巻き込まれ、学友にさえ裏切られた可哀想な方、そう思っていました。


でも実際は、刑が執行される直前に牢を抜け出され ・・・・ だけど、その後のことは誰も知りません。

あの方は、いまも無事なのでしょうか?


同じ牢に入っていた囚人と共謀して、その牢から脱獄されたと聞いた時には、エレミエル様ではなく、誰か他の人の話だと思いました。

それと同時に、あの方が極刑に処されなかったことにホッと胸を撫でおろしたのも事実です。


でも、それ以降、彼女の消息に就いて、何の情報も入ってきません。

クリストフ殿下は、オルセー監獄を囲む森の中で、魔獣に襲われたか野垂れ死にしたのだろうと仰っていました。


実家のリッシュモン伯爵家にも調べさせましたが、ブラウンズウィック侯爵に動きはなく、脱獄に手を貸したと思わせる事象は何一つ確認されていません。


それに、凶悪な他の囚人とあの方が行動を共にされているなど、想像したくもありませんでした。


彼女は、セント・グロリアーナ学院に入学してからずっと、気になる存在でした。

豊かな栗色の髪をなびかせ、常に皆の先頭を立っていらっしゃる姿は、思い出すだけでも惚れぼれとします。

しかも彼女は、他人の頭を押さえつけるのではなく、誰に対しても平等に優しい笑顔を向けてくれましたから、それは、皆から愛されていたものです。


でも、それは初等科までの御話。


中等科に上がった頃から、私たちを取り巻く状況は変わっていきます。

私にも、エレミエル様にも、取り巻きという寄生虫が集り始めました。

いつも、私は、あの方と親友と呼べる間柄になりたかった。でも、周りが、それ以上あの方に近づくことを許してくれなかったのです。


あの日、エレミエル様が罪に問われた時も、あの方の弁護をしてさしあげたかった。

だけど、私にはその勇気がありませんでした。

クリストフ殿下に逆らってまでエレミエル様の弁護をする勇気が。


彼女が有罪となり王都を去った後、私は、同じ学院で1学年上のヴィスコンティ公爵令嬢ルクレジア様の御側にはべるようになります。

彼女は、つい最近、第三王子のクリストフ殿下の許嫁となられた方。

高い教養と洗練された礼儀作法を身につけられていらっしゃいますが、その表情は何時も乏しい。

エレミエル様の側に侍ることができた方が、どんなに良かったでしょう?


私の取り巻きの方々は、ルクレジア様の側近になる私のことを、とても喜んで下さいました。

彼女たちは、私を介してでも、公爵令嬢であるルクレジア様にお近づきになれたことが殊の外、嬉しかったようです。

本当に、何時もいつも自分のことしか考えない寄生虫たち!

私にもっと力があれば、決闘を申し込むところです。


いま、そんなことを言ってみても、負け犬の遠吠えなんですけどね。


私の派閥、いえ、既に、ルクレジア様の派閥に取り込まれた方々と別れて学生寮に戻る帰り路、春霞に沈んでいく夕日を眺めていると、無性に寂しくなってきました。

これから、リッシュモン伯爵家の人間として、クリストフ殿下とヴィスコンティ公爵の道具として生きていかねばならないのだと思うと、とても虚しい。


花が綻び始めたヴァーモンドの木の下で、空しい想いに浸っていた時でした。


私は亡霊を見たのです。

冥府からの遣いは、悲しそうな眼差しで私を見つめ、何かを言いたそうにしています。

亡霊でもいい。また会えましたね、エレミエル様。


一陣の風が吹き、ヴァーモンドの花弁が私たちの間を舞い散ります。

その時、気づきました。それが、亡霊ではないと。

何故って?花弁は、彼女の髪に纏わりついているのですから!?


「 ・・・・ っ!エレミエル様 」


「 お久ぶりです。マリエル様 」

エレミエル様は、悲しそうな瞳はそのままに、微かに笑みを浮かべて私の名をお呼びになりました。


2人の影が伸びて、学生寮まで続く石畳に刻み込まれます。

夕暮れが迫る校舎に、私たち以外の生徒の姿は見当たりません。


彼女は、恨みごとを言いにきたのでしょうか?

これ以上、私を傷つけるのはやめて下さい。

貴女の、その悲しそうな瞳に見つめられると、私は、自分が惨めになります。


いっそのこと、私が憎いと言って下さい!?


彼女はやがて、哀愁を宿した眼差しを和らげました。

私の憧れていたあの頃と変わらぬ優しい眼差しに。

変わらぬ優しい笑顔。


突然、その天使ような笑みに、私は女神の慈悲というより、得体の知れぬ怪物を見た思いがしました。

あれだけのことがあったのに、どうして、私を憎まないのでしょうか?

貴女は、いったい、何者なのでしょうか!?


「 マリエル様、私は、貴女を恨んだりなんかしませんわ 」

私の心のうちを知っているかのような言葉を聞くと居た堪れない。


「 少しだけ、私の言葉に耳を傾けて下さい。

私は、初等科の頃から、貴女のことをもっと知りたかった。

覚えていませんか?

二人で観た春のお花畑を、夏の川縁を飛び交う蛍を。

子供の頃は、無邪気でいられました。

私たちは、いま思うより、ずっと近くに居たのですよ。


貴女は、今までで最も寂しい顔をしています。

貴女の心は、いったい何処を漂っているのですか? 」


私の心の在処を示す、核心を突いた言葉。

私は気づきました ・・・・ 彼女は、私の魂が彷徨っているのを見て、悲しそうな瞳をしたのだと。

いつも周りを気にして、周りに流されて、自分自身を忘れてしまった私を見て。


だけど、私たちは、あの頃には戻れないのです!

「 エレミエル様!私は、貴女を陥れた人間の一人です。

私は、貴女にとって赦されない人間なのです! 」

思わず叫んでました。


頬に伝う涙が、留まることを知りません。

どこで、どう、私たちは引き離されてしまったのでしょう。


私たちの未来を思うと、泣き崩れてしまいそうです。

そんな私をご覧になって、エレミエル様は貴族令嬢とは思えぬお言葉を吐かれました。


「 どの様な障害が私たちの前に立ちはだかろうとも、そんなもの糞喰らえですわ! もし許されるなら、もう一度、手を取り合いませんか?

同じ未来を見てはもらいないでしょうか?! 」


私たちは敵対関係です。

取引はありますが、お互いを尊重することも、その存在を認め合うこともありまえん。

そう、私たちは、単なる道具。

それ以上でもそれ以下でもありません。


・・・・・・ でも、あの方は、私という個人に手を差し伸べて下さっている。伯爵令嬢の私ではなく。

貴族の政治も、保身も私利私欲も関係なく、これまでのことも水に流して ・・・・・・。


私は ・・・ 私も ・・・ 糞喰らえですわ!王族が、公爵が、それがなんですの?!


そう思ったら、なんだか体が軽くなったような気がして、私は、エレミエル様の胸の中に飛び込んでいけたのでした。



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