第3章 反撃 3-3. ロザンナ・クロス
裁判が閉廷し、囚人であったロザンナ・クロスは、一時的に裁判所に拘置されている。
まさか、真実の鐘などという魔道具があるとは思わず、何の対策も施されていなかった。
これで、何もかも終わりだ。
彼女は、自分が犠牲になることで家族が救われるならと思い、最後の望みにかけて、今日の裁判の審理では黙秘を貫いた。
しかし、クリストフの逃げっぷりを見る限り、どうにかなるとは思えない。
これまで、自分が被ってきた泥は何だったんだろう?
そんな想いが心を過る。
「 ロザンナ・クロス、面会だ! 」
悔悟の念に苛まれる彼女に、看守の声が聞こえた。
( 面会?誰が?考えられるのは、クリストフの遣わした刺客か? )
どうせ、もう、先はない。どうだっていいや。
そう考える彼女の許に訪れたのは、死の臭いを振りまく刺客とは全く違う、高貴な身分を感じさせる男だった。
「 君が、ロザンナ・クロスだね 」
男は、優しく訊ねてくる。
声たりとも証拠として残さない、刺客なら無言のはず。
「 だ ・・・ 誰ですか? 」
ロザンナは、かろうじてそれだけ訊ねた。
既に自分は詰んでいる。
だから、家族に掛かる迷惑は、また、別の話だ。
彼女は男を視た。
人の質は靴で決まるというが、彼が履いているのは、彼女でさえ判る上等なもので磨き抜かれてピカピカだ。
それだけでも、その男が上流階級でもかなりの上位にいると解るのに、洒落た衣装や、洗練された立ち振る舞いのどれをとっても、只者でないと思わせるものばかりだった。
そんな上位貴族が、私に何のようなのだろうか?
もしかしたら、ブランズウィック侯爵家の誰かが、自分に恨みごとを言いに来たのだろうか?
ロザンナはそう思わざるを得なかった。
高等科からセント・グロリアーナ学院に通い始めた彼女にとって、エレミエルは憧れの存在だった。
エレミエルだけではない。マリエルも、自分にとっては、眩しく、彼女は、エレミエルたちを眺めているだけで幸せだったのだ。
そんな彼女に、マリエルの取り巻きが仲間にならないかと声をかけてきた。
これが間違いの始まりだ。
憧れの人の近くに居ることができる、そんな彼女の夢物語は一瞬で霧散してしまう。
取り巻きの連中はマリエルを利用することしか考えていなくて、エレミエルとマリエルを競わせることでしか、自分たちの存在価値を見出せない俗物ばかりだった。
やがて、とある高位貴族の遣いが、話を持って来る。
学園祭でマリエルを刺せと、そして、その罪をエレミエルに擦り付けろと。
彼女の憧れを2人とも裏切れという、自分には到底受け入れない卑劣なものだった。
彼女は勿論、にべもなくそれを断った。
すると、使いの男は、今度は自らの雇い主に彼女を引き合わせた。
雇い主という男が彼女に囁く。
「 リッシュモンの娘を刺せ、別に殺さなくともいい、怪我を負わせるだけだ。
そして、それは、ブランズウィックの娘から強要されたと証言するのだ。
なに、上手くいった暁には、お前を赦免した上で、実家の男爵家を我が派閥の上位貴族として遇してやろう。
だが、失敗したり、このことを他言すれば、家族がどうなるか判っているだろうな?! 」
安っぽい脅しだ。本当にこれで公爵なのだろうか?
場末のチンピラの言いざまではないか!?
だけど、両親と、幼い弟と妹の姿が脳裏を過る。
ロザンナの実家クロス男爵家は、地方の弱小貴族だった。
父は、将来、娘が貴族社会で惨めな思いをしないで済むよう、箔をつけるために自分をセント・グロリアーナ学院に入れてくれた。
そんな心根の優しい家族に迷惑をかけないため、憧憬は胸にしまい、言われるがままに行動してきた。
それが、この様な結末になってしまうとは。
エレミエルが極刑に処されたことは聞いている。
最初、それを耳にした時には、正気を保てず、気を失ってしまった。
自分の犯した罪を、改めて怖ろしいものだと感じた。
自分には、もう、何も残されていない。
そんな自分に、この上位貴族は何の用があるというのだろう?
「 私の名は、テルシウス・マムルークという 」
どうして、そんな高貴な方が、私のような囚人に会いに ・・・・・・!
「 第二王子さま ・・・・・・ 」
「 そうだ。私は、この国の第二王子だよ 」
「 どうして、王子様が私なんかに会いに ・・・・・? 」
テルシウス王子は、彼女の眼を見ながら澱むことなく応えてくれる。
「 エレミエル嬢の件で、私は以前から疑念を抱いていた。
その中で、偽証しているだろう君が、とても苦しそうに見えたんだ。
事情を話してくれないか?もしかしたら、助けてあげられるかも知れない 」
何を言っているんだろう。この国の王子が、こんなこと言うはずがないではないか?
今にも壊れそうな自分の心が見せた幻影なのだろう。
彼女はそう思った。
それと同時に、これが夢なら覚めないで欲しいとも思う。
彼が言うように、ずっと苦しかった。
逃げようにも逃げられない地獄の苦しみを、ずっと味わってきたのだ。
せめて、このひと時をもう少し続かせて欲しい、彼女はそう願う。
「 頼む。君を苦しめているものはなんなんだい? 」
突然、現実が蘇ってくる。
「 こ、この私が、苦しみから解放してもらえるというのですか? 」
「 勿論だとも。王子として約束しよう。君を救ってみせると 」
幾分、皮肉めいて問いかけた彼女の言葉に、国の王子とあろうう人が真摯に応えてくれる。
いつの間にか、彼女の瞳から大粒の涙が零れていた。
抑圧されたいたものが一挙に弾け、溢れ出すように。
「 大丈夫かい? 」
彼の優しいい言葉が、彼女の涙に拍車をかける。
涙が枯れるまで泣いた彼女は、幾分、落ち着いて彼の方を見た。
噂に聞く、将来を有望視される王子が、たかがこんな小娘のために長い時間、寄り添ってくれた。
彼女にとって、それだけでも自分の命を懸けるに値するものだ。
「 ・・・ わ、私に、マリエル様を刺し、その罪をエレミエル様に擦り付けるよう仰ったのは、ヴィスコンティ公爵です 」
「 クロス男爵家を人質にされ、君は逃げようがなかったんだね? 」
「 は、はい ・・・・ 」
テルシウス王子は、自分のことを解ってくれる。
人生の最後に、この様な方と出会えて本当に良かった、彼女は心からそう思った。
「 お、王子 ・・・ さ、最後に貴方と会えてて、私は幸せでした 」
ロザンナは最後の力を振り絞って、テルシウスに自分の気持ちを伝えた。これで、自分は死んでもいいと。
「 何を言っているんだい?これが最後じゃないよ。君はこれから幸せにならなきゃいけないんだ 」
テルシウスの優しい言葉が、彼女のボロボロになった身や心に染み渡っていく。
だが、自分はそのような言葉を向けられる人間ではないのだ、そう叫びたかった。
「 私は、エレミエル様を死に追いやってしまった屑です。
殿下の御心遣いは恐れ多いばかり。どうか、死を賜って下さい 」
彼女の心の叫びに応えたのは、テルシウスではなかった。
「 ロザンナ様、そう思いになるなら、共に戦いませんか? 」
顔を上げた彼女が見た先には、ツバ広帽をかぶった女性が立っている。
そして、ロザンナは、帽子を上げた彼女の顔を見て、息が止まった。
「 ・・・・・ エ、エレミエル様 ・・・・・ 」
幻想を見ているのだろうか?
それとも、先に冥府に行ったエレミエルが自分を迎えにきたのだろうか?
「 ヴィスコンティ公爵の悪事を暴くのです。泣いている暇などありませんよ! 」
恨み言の一つぐらい言いたいだろうに。
でも、そのような素振りさえ見せず、自分を励ますエレミエルに、ロザンナは応えていた。
「 身命を賭して、エレミエル様の御役に立つと誓います 」
テルシウスとエレミエルも、顔を見合わせて頷き合う。
その光景を側でずっと見ていた男が、おもむろに呟いた。
「 テオとエレミエルのコンビって最強だよねえ、これなら、どんな悪人だって改心しちゃうよ 」
「「 お前!不謹慎だろ! 」」
その男が、二人からこっぴどく叱られたのは言うまでもない。




