エピローグ
全員の視線が、狼刀に突き刺ささった。疑惑、戸惑い、そんな感情が込められた視線。
だが、もっとも戸惑っていたのは誰でもない、狼刀だ。
この世界に来て最初に倒した敵が、魔王。
そんな事実をすぐに納得しろというほうが無理だろう。
「あの、この絵の人物が本当に魔王なんですか?」
問いかけと言うよりは、自然と漏れた呟きだった。狼刀に向けられていた視線が、王へと移る。
王は傍らに立つ老人を見た。
それだけで意図を理解したのか、老人は狼刀の側へ進み、魔王の絵を確認する。その場にいる全員の視線を受け止めながら、老人は静かに頷いた。
「……間違い、ありません」
場が沈黙に包まれる。
老人を中心として、王やベリムト、兵士達の視線が狼刀へと戻った。狼刀の次の言葉を聞き逃さんと、誰もが固唾を呑んで見守る。
そんな中、口を開いたのは、
「え? どゆこと?」
ドルフィンだった。
誰一人としてその問には答えなかったが。
問題の狼刀は、歴戦の勇士が言っていた魔王の特徴を思い出していた。周りの視線には全く気がついていない。
というよりは、気にする余裕がなかった。
――魔王は様々な魔法に通じる存在だ。
魔王(仮)は杖を振り回しながら、呪文のようなものを呟いていた。
――大量の悪魔や魔物を使役している。
魔王(仮)は悪魔を従えていた。
――奪った城を根城としている。
魔王(仮)がいた場所は、廃城だった。
――難攻不落のアンデットに門番をさせている。
廃城の前には、あくまのきしがいた。
眉唾物と言っていた噂話以外は、条件を満たしている。姫を捕らえていたドラゴンが幹部なら、それだけは真実だが。
もはや、疑いようはなかった。
「魔王、倒してた……」
狼刀の呟きを聞き、老人が高らかに手を挙げる。
「勇者様の手により、魔王は打ち倒されました!」
会場が歓声に震えた。
◇
その後。すでに夜も更けてきたというのに、確認をしなければという流れになり、歴戦の勇士を中心とした調査隊が編成された。
老人――大臣などは確認の必要はないと言っていたし、魔王は消滅してしまっているから死体を確かめることは出来ないとは伝えた。それでも、魔王城に魔王がいないことさえ確認出来ればいいと言われれば、止めることは出来なかった。
狼刀は暫定勇者ということになり、監視をつけられた上で城の一室に閉じ込められていた。もっとも、王を初めとしてほとんどの人物は疑っていない。立派な部屋をあてがわれているし、欲しいものは何でも持ってきてもらえる。
狼刀の発言を疑っているのは、イアンと監視役になった少女くらいだ。
「で、どういうことなの?」
監視役――ドルフィンが憮然とした顔で尋ねる。
「どうって言われてもなぁ」
頬を掻きながら曖昧に答える狼刀。何故こうなったのかわかっている。彼はドルフィンを誘う時にこう言ったのだ。
「俺は結城狼刀だ。魔王討伐の旅をしてる。協力してほしい。魔物に支配された町を救うために秘宝の力が必要なんだ」
それが当然、魔王は倒していました、とか言い出した。
納得出来なくて当然だ。
道中で話をはぐらかされた――とドルフィンは思ってる――こともあり、雰囲気は険悪だ。トライデントをいつ振り回し出すか、わかったものではない。
城の人々は誰もその部屋に近づこうとしなかった。部屋から人が消えても気づかないくらいには。
◇
「ここは……?」
そう呟いたのは、ドルフィンだ。
白くて、何もなくて、天井も壁も境界さえわからない部屋。そんな謎に満ちた空間に突然移動したらそう呟いてしまうだろう。
狼刀にはその気持ちが十分過ぎるほどにわかっていた。この場所がどこなのかも、わかっていた。
「どういうつもりだ。マナティ」
狼刀は空間の主に声をかける。
「んー? 百聞は一見にしかずーみたいな?」
純白の天使はパタパタと羽ばたきながら、ドルフィンと向かい合う位置で止まった。まるで立体的な鏡を見ているかのような光景だ。マナティは満面の笑みを浮かべ、ドルフィンに抱きついた。
「えっ、あの、えっ?」
戸惑っているドルフィンに構わず、額をコツンと合わせる。
「真実を教えてあげる」
そう言いながら、マナティは語り始めた。異世界から転生させられた青年が、天使の啓示を受けて、魔王軍を倒す物語を。
「天使のことは誰にも言えない秘密。だから勇者は、孤独に戦った。それでも、一人だけでは手に負えない敵がいた。だから、助けを借りるため、魔王討伐の旅をしていると騙らざるを得なかった」
マナティは両手を動かし、大仰な語り口で言葉を紡ぐ。その姿は、天空民だと得意げに語るときとそっくりだ。
狼刀は知らず知らずのうちに、話に引き込まれていた。
「けれども、嘘はいつか明るみに出る。勇者は、魔王の絵を見たときに、真実を話さなくてはならないと気づくのだった。そうしなければ、人々は魔王の恐怖から開放されることはないのだと。
仲間を謀った事実は消せない。それは彼の罪だ。けれど、罪を背負ってでも世界は救わなければならない。苦渋の決断だったでしょう。その決断に対して、仲間はどうするべきだと思う?」
「それ、は……?」
「今は答えなくていいの」
うわ言のように呟くドルフィンをマナティが静かに静止した。聖母のような笑顔を浮かべて、ドルフィンを優しく包み込む。
「行動で示してあげて」
「うん」
ドルフィンの返事を聞いて、マナティは額を離した。その行動になんの意味があったのかはわからない。
けれど、穏やかな顔を浮かべるドルフィンを見ていたら、気にしなくてもいい事のような気がした。
「あとは頑張ってね」
「あぁ、わかった」
狼刀が力強く頷くと、世界は色を取り戻した。
「ドルフィン」
改めて向き合い名前を呼ぶ。
「なに、ロート」
ドルフィンは真剣な表情で答えた。
狼刀は深呼吸をして、気持ちを整える。全身からなけなしの勇気を掻き集め、その一言を絞り出す。
「悪かったな。色々と」
狼刀は視線を逸らした。
「色々じゃわかんない」
ドルフィンが口を尖らせる。今までになかったような表情だ。狼刀はしっかりとその顔を見つめ、口を開いた。
「魔王倒してたこと言わなかったり」
狼刀も知らなかったのだが。
「天使のこと隠してたり」
死んで戻っていたことは今も隠しているが。
「利用するような形なって、悪かった」
それでも心からの謝罪だった。
「許すわ」
深々と頭を下げる狼刀に、ドルフィンは笑顔で告げる。
「その代わり、一族の復興に力を貸しなさい。おーさまの協力を得られたからって、一人じゃどうにもならないわ」
「それって……」
狼刀の頬に朱が差した。だが、ドルフィンは無垢な表情で首を傾げる。言葉の認識を間違った。それを察した狼刀は慌てて首を振る。
「いや、何でもない」
「あー! また、隠し事!」
ドルフィンが頬をふくらませる。
「……と、時が来たら説明するよ」
そんな時が来るかはわからないが、狼刀はそう誤魔化した。同時に、ドルフィンのほうが子供なのだと本能的に理解した。
実年齢はドルフィンのほうが上なのだが、それを知るのはまだまだ先のこと。天空民という種族について、いまはまだ何も知らなかった。
◇
「確かに、魔王は討伐されておりました」
何をもってそう断言したのかはわからないが、イアンは言い切った。ドルフィンの疑いも前日のうちに晴れていたし、これで魔王討伐の件を疑う人はいなくなった。
「今宵は宴じゃ!」
王ではなく、大臣が高らかに宣言する。
兵士達が蜘蛛の子を散らすように解散した。宴の準備だろう。一部の兵士は大臣から指示をもらい、他の兵士達を動かしていた。
慌ただしく状況が動く中、狼刀はイアンに連れらて王の私室へと案内された。
太陽の部屋。王の私室へ初めて訪れたものは誰もがそう思うという。それは異世界人である狼刀も同じだった。
王は窓を背にするようにして、一番豪華な椅子に座った。隣の椅子に座ったのはあの姫だ。着ているものは助け出した時と同じだが、輝きが増しているように見える。汚れを落としたからなのか、場所がそう見せているのか、狼刀にはわからなかった。
王の横にはイアン、姫の横には側仕えとなったらしいベリムトが控えている。
狼刀はその向かいに用意されていた姫の次に豪華な椅子へと座った。横に座ったドルフィンも同じような椅子だ。来客用ということなのだろうが、居心地の悪さを覚えるくらいに高価な椅子だ。
「あの、内密の要件というのは?」
いたたまれなくなった狼刀は自分から話を切り出した。
「うむ」
王はニカッと太陽のような笑みを浮かべ、
「実は勇者殿をエレーナの婿にしたいと思ってな」
とんでもないことを口にした。
「え?」
「なぁ!」
「は!?」
「御父様!?」
すでに知っていたと思われるイアン以外が、思い思いに驚きの声を上げる。なお、一番驚いていたのは、ベリムトだった。
「御父様! 何を勝手に仰ってるのですか!」
姫が勢いよく立ち上がる。
「王家のために強き者を婿入りさせるはよくあることですぞ」
答えたのはイアンだ。何故か、腰に下げた大剣に手を添えて、一歩前に出る。
「あなたには言ってない!」
姫が地団駄を踏むと、部屋が揺れた。
「――ですが」
イアンは気にした風もなく、言い返す。王が何も言わないあたり、不遜という訳ではないのだろう。
「姫様が嫌だというのに、無理強いするのは良くないかもしれませんな」
イアンは不遜な笑みを浮かべた。
「勇者様。我が娘も姫様には劣りますが、美人でございます。王家としても、勇者様との繋がりは捨て難く――」
「だめよ!」
叫んだのはドルフィンだ。
「ロートには一族の復興を手伝ってもらうんだから!」
前日とほぼ同じ宣言。王とイアン、ベリムトは驚いたように目を見開き、姫は頬を赤く染めた。反応は三者三葉だったが、狼刀とほぼ同じように解釈したのだろう。そういう反応だった。
「お、御父様。二人の中を裂くのは無作法ではないでしょうか」
「うむ。しかし、勇者殿にはぜひ、次期王として」
「姫様の意思も尊重すべきだと具申させていただきたいのであります!」
「恐れながら、王族である我が娘との縁組でも、最低限の繋がりは残せるかと」
それぞれが思い思いに思いを述べる。
その中に狼刀の意思は全く入っていなかった。
一緒にいたいだけの少女。
婿入りしてほしくない姫。
勇者を婿入りさせたい王。
姫を嫁がせたくない神官。
娘に婿入りさせたい勇士。
狼刀の意思は――
「ロートが決めて! それなら文句はないでしょ!」
ドルフィンが話の矛先を狼刀に向けた。
「そうですわね」
「それなら……」
「ふん」
「いいでしょう」
全員がそれに納得する。
「俺は」
狼刀は息を呑んだ。選択を誤ったからと言って死にはしない。それでも、今後を大きく左右する選択だとわかっていた。
セーブポイントが欲しい。
そんなことを考えていても、現実にはない。
「俺は――」
「宴の準備が整いました」
外から聞こえた声が、狼刀の声をかき消した。
場が沈黙する。
皆が、狼刀の言葉を待っているのだ。
大臣は伝えることを伝えたからか、それ以上何かを言う気配ない。
次の声は、誰にも邪魔されることはないだろう。
狼刀は大きく深呼吸。
お腹の底から声を絞り出した。
「宴のあとで!」
そのまま、逃げるようにして扉を開ける。勇者とは思えないその態度に、五人は呆然としていた。
だが、勇者然としていなくても関係ない人もいる。
「待ちなさいよ、ロート」
ドルフィンは笑顔でその背中を追った。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
宴のあとで狼刀がどんな答えを出したのかは、読者の皆様の想像にお任せ致します。
また、前話の終わりから分岐したストーリーが、無双剣士の異世界魔王討伐の二章以降となっております。一章はこちらの本編と同じですので、もし、読んでいただける方がいればありがたいです。