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界層落ち


「これが痕跡か」


 風花から受け取った地図を頼りに、現場へとたどり着く。

 そこには界層落ちのものと思われる痕跡が無造作に散らばっていた。


「無数の黒い羽根……鳥類型の魔物ですね」

「あぁ、それにこの色合いの羽根は見たことがない」


 第一界層での経験が長い俺でも知らない羽根。

 なら、この世界にはいないはずの界層落ちのものである可能性が高い。


「羽根と一緒に小さな魔石が転がっていますね」

「食べ残しが魔石化したんだろうな。狩りをしたのなら、羽根の散らばり方にも納得がいくし」


 魔物は、獲物の死体が魔石になるまえに捕食しなければならない。

 捕らえた獲物にとどめを刺さず、生きたまま喰らうことだって珍しいことじゃあない。

 生きているということは、抵抗されるということで。

 だから、こんなにも羽根が散らばっている。


「でも、想像していたのより……」

「そうですね。この羽根の大きさからして、界層落ちはあまり大きくないようです」


 羽根のサイズは、手の平をすこし、はみ出す程度しかない。

 それから推測する全体像は、俺たちの予想を下回るもの。

 界層落ちは想像していたよりも、ずっと小さい可能性がある。

 しかし、それにしては、散った羽根の数が多すぎるような気もするが。


「それに合わせて、動きも変えていかなくてはいけませんね」

「相手は鳥だ。空に逃げられたら手が出せないし、常に上から攻撃を仕掛けられるな。こちらとしては、飛ばさないように立ち回りたいところだけど」


 そう界層落ちの対策会議をしていると、不意に周囲が暗くなる。

 太陽に雲でも掛かったのかと思ったが、それは一瞬のうちに過ぎていく。

 まるで巨大な何かが頭上を横切ったような。

 自然と上へと向かう視線。

 大空を背景にして、視界は一つの影を捕らえた。

 逆光で黒に染まる、怪鳥を。


「凍花っ!」


 名を叫ぶと共に、怪鳥はその嘴をこちらへと向ける。

 翼を折り畳み、急下降し、それは一本の矢であるかのように落ちた。

 魔物の襲撃。

 迎撃。

 焔。

 思考は巡り、異能が手の平に宿る。

 煌々と燃えさかる焔を灯し、上空の怪鳥へと放つ。

 あちらが矢であるならば、こちらは槍だ。

 突き放たれる槍であるかのように、怪鳥の落下軌道を遡る。

 そして、焔槍は怪鳥のすべてを呑む。

 しかし、次の瞬間、その鋭利な嘴によって突き破られた。


「――なっ!?」


 怪鳥は焔をものともせず、突き破って見せる。

 迎撃は失敗した。

 あの巨体が突っ込んでくる。


「篝っ! 私がっ!」


 状況を見て、即座に凍花が動く。

 異能を発現し、分厚い氷の壁が地面から迫り上がる。

 氷壁は怪鳥の進路を断ち、俺たちを護る盾と化した。

 いかに怪鳥が巨体でも、この氷壁は破れない。


「クアアアアアアァァァァアアアアアァアアアッ」


 奇怪な鳴き声を上げ、怪鳥は両翼を勢いよく広げた。

 流石に氷壁にぶつかることは避けたのか。

 それは緊急回避の予備動作のように見えた。

 けれど、それは半分正解で、半分不正解だった。

 怪鳥が緊急回避を試みたのはたしかだ。

 だが、その方法が俺たちの想像をはるかに超えていた。


「――な、に?」


 霧散する。

 怪鳥の巨体が、まるで霧のように散る。

 身体が、存在が、無数の小さなものへと変わっていく。

 そして、その小さなものは意思を持つように宙をうねる。


「まさか――これ、全部」


 小さなものの正体は、怪鳥自身だった。

 それこそ痕跡として散らばっていた羽根から想像する大きさ程度のもの。

 怪鳥は無数の小さな自分を生み出すように、分裂した。


「そんなのありかよっ!」


 生物として、そんな構造があっていいのか。

 それとも魔物に、人間の常識を当てはめることが間違いなのか。

 ともかく、これで一つはっきりしたことがある。

 奴は小さな怪鳥の集合体であり、一個の巨大な怪鳥でもあるということ。

 俺の焔は効いていなかったんじゃあない。

 怪鳥の表面だけを焼き落とし、その中身まで届かなかっただけ。


「どうしますか、篝っ」

「どうするもこうするも」


 無数の小さな怪鳥となった奴らは、俺たちを取り囲むように旋回している。

 一度定めた獲物を取り逃すつもりはないらしい。

 元々、抵抗されることに慣れている魔物は、俺たちを諦めはしないだろう。

 なら、やることは一つだ。


「片っ端から潰していくしかないだろ」


 腰から刀を抜き、左手に焔を灯す。

 体温は先の一回で上昇している。

 立て続けに使えば、その分、戦闘継続時間が縮む。

 しかし、だからと言って、出し惜しんでいる余裕はない。

 怪鳥は第二界層の住人だ。

 この第一界層のなによりも強い。


「それしかありませんか」


 凍花も腰の得物を抜き、左手に冷気を纏う。

 戦意を示し合わせ、背中を預け合い、焔と氷は怪鳥の群れへと放たれた。


「――チッ」


 焼き尽くさんと放った焔は、しかし躱されてしまう。

 ごく少数を焼くに止まり、成果はほとんど得られない。

 的が小さくなった分、機動力が増し、機敏に動くようになっている。

 焔を放っても気流でも読んでいるのか、紙一重で躱されてしまう。


「面倒な」


 加えて、無数にいる怪鳥が俺たちの死角から飛んでくる。

 いくら背中を預け合っているからと言っても、人間には死角がありすぎる。

 足下、頭上、側面、身体の構造だけでもこれだけあり、加えて意識の問題もある。

 あちらに気を取られれば、こちらが疎かになってしまう。

 それは意識的な死角となり、見えていても反応が一手遅れる。


「――くっ」


 怪鳥の鋭い鉤爪が、肩を掠めて斬り裂いていく。

 出来る限りの迎撃をしているが、追いつかない。

 この刀に捕らえられるのは、せいぜいが二羽、三羽。

 それ以上となると、躱すので精一杯。

 焔と冷気で近づけさせない立ち回りをしてはいるものの、どうしても抜けは出来る。

 そこを攻められると、こちらとしては対処のしようがない。


「凍花っ、あとどれくらい持つ」


 焔を放ち、迫る怪鳥たちを牽制しつつ問う。

 体温上昇は、すでに限界に届きそうだった。


「正直、厳しいですね」


 状況は凍花も同じらしい。

 俺はオーバーヒート寸前、凍花もオーバークール直前。

 多少は焼き払い、凍り付けたとは言え、怪鳥の数はまだまだいる。

 このまま戦っていてもジリ貧だ。

 勝機は、ないに等しい。


「――しようがない」


 刀身に焔を纏わせ、一息に薙ぎ払う。

 広範囲に向かう焔刀の焼けつく余波は、怪鳥の包囲を食い破る。


「篝っ!? そんなことをしたらっ」

「あぁ……わかってるよ」


 オーバーヒート。

 いまので体温上昇が深刻化した。

 過熱され、体内に熱が籠もる。

 汗腺から汗が噴き出し、細胞が茹だる。

 けれど、まだここからだ。


「離脱……する」

「え? ――きゃっ」


 凍花に手を伸ばして抱きかかえ、地面を蹴るように焔を吐く。

 靴底で破裂した焔は、跳び上がった俺たちを空中へと押し上げた。

 怪鳥の包囲はすでに破れている。

 俺たちはその隙間から跳びだし、緊急離脱はなんとか成功した。


「あぁ……キッツいな、これ」


 心臓が熱い。

 血液が沸騰する。

 熱湯を身体に流し込まれたみたいだ。

 意識が朦朧とする。

 けど、気を失っている場合じゃあない。


「篝っ! なんて無茶を――」

「とう、か……奴が……」


 追ってきている。

 視界の端にいま見えた。

 怪鳥は再び一つとなり、巨体となって俺たちを追っている。


「――わかりました」


 凍花は言いたいことのすべてを飲んでくれた。

 空中にあって背後を向いた凍花は、その手から大量の冷気を放つ。

 吹雪のような、凍てつく冷気。

 巨体となり機敏さを失った怪鳥を呑んだそれは、翼を凍てつかせて地に落とす。


「やった、のか?」

「いいえ。恐らく表面だけです」

「充分……着地するぞ」


 抱きかかえた凍花と、風を受けて、体温はすこしだけ下がる。

 この余裕をすべてを使って、今度は地面に焔を放つ。

 勢いよく爆ぜたそれは緩衝剤となり、俺たちの着地を手助けした。

 爆風の中、すこしよろけながらもなんとか着地。

 その足で近くにあった丘の裏手へと回り、身を隠した。


「はぁ……はぁ……あっついな、ほんとうに」


 膝に手を置いて、なんとか立ち続ける。

 座り込んだら、もう立てそうにない。

 息が熱い。肺が爆ぜそうだし、心臓が融けそうだ。

 ここまで体温が上昇したことが、過去にあっただろうか。

 あぁ、くそ。ダメだな。

 熱が脳にまで回って、思考がうまく回らない。


「篝……どうして、こんな」

「悪い、な……こうでもしないと、離脱できそうになかったんだ」


 無数の群れに囲まれた俺たちに退路はなかった。

 退路がないなら、無理矢理にでも血路を拓くしかない。

 そして、血路を拓くなら無茶をするのは一人でいい。


「同意を得なかったのは……悪かったと、思ってる。本当に……すまない」

「……それは……もう、いいです」


 また凍花は言葉を飲んだ。

 あの時の状況を考えて、選択肢がそれしかないとわかってくれたみたいだ。

 そう、俺たちはこうするしかなかった。

 まだ早かったんだ、俺たちには。

 第二界層はまだ遠い。

 悪性異能を持つ、俺たちには。


「……撤退、だな」


 自身の小指を見つめて、そう判断を下す。

 危機に陥ったなら、即座に、迷わず撤退を選ぶ。

 夢より命だ。


「篝……」

「また挑戦しよう。……人生は、長いんだ。まだまだ……機会はある」


 得物も鞘へと押し込んだ。

 挑戦の意思をなくしたことを示すように。


「でも、いいんですか? それで」

「あぁ、約束……だからな」


 互いの体温にも余裕はない。

 俺はすでにオーバーヒートで異能が使えない。

 凍花もオーバークールに近い体温をしている。

 すぐに撤退しないと、怪鳥に追いつかれてしまう。

 打つ手は、もうない。


「――まだ」


 凍花は、ゆっくりとこちらに近づいた。

 そして。


「打つ手はあります」


 そっと俺を抱きしめた。


「凍花?」

「体温を平熱にすぐ戻せばまだ戦えます。緊急事態ですから、しようなく、です」


 取り繕うように凍花は言葉を重ねた。

 俺と歳の変わらない少女が、自分から異性を抱きしめる。

 それがどれだけ恥ずかしいことか、想像することは難しくない。

 俺はそれをさせてしまった訳で、男としては情けない限りなのだろう。


「悪いな」

「いいえ」


 せめて、彼女の行動を無駄にしないように、俺も凍花を抱きしめた。

 そうして腕を回して初めてわかる、凍花の線の細さ。

 こんな小さな身体で、凍花は戦闘にも、そして過冷却にも堪えている。

 遠くから単身でこちらに移り住み、家族のために命を張っている。

 思えば思うほど、腕に力が入ってしまう。

 そして、だからこそ、強く思う。

 凍花を護りたいと。


「凍花」

「はい」

「必ず、第二界層に行こう。一緒に」

「もちろんです。絶対に、二人で」


 互いの体温が混ざり合い、急速に平熱へと近づいていく。

 過熱が過冷却を、過冷却が過熱を、相殺する。


「――クアアアアァァァァァァアアアァアァアァアァアアアアアアッ!」


 奇怪な鳴き声が響き、怪鳥は再び無数の群れとなって現れた。

 怪鳥は学習したのだ。

 こうしてこの二人を囲んでしまえば打つ手がないと。

 じわじわとなぶり殺しにすれば、大した痛手もなく肉が食えるのだと。

 しかし、その学習がこのたびは命取りになる。


「凍花。全力を出す、ついてこれるか?」

「当然です。私も手加減はしませんから」

「心強いな。じゃあ、やろう!」


 俺たちは互いを抱きしめ合ったまま、片手を怪鳥の群れへと向ける。

 灯すは焔。纏うは冷気。

 放つは最大出力の悪性異能。

 互いに密着したこの状況なら、体温のことは気にしなくていい。

 俺たちが持つ本来の異能の威力を、最大限に引き出せる。

 焔は周囲のすべてを焼き焦がし、冷気は触れるものすべてを凍てつかせた。

 焔と冷気は奔流となって怪鳥の群れを呑み、交わるように天へと舞い昇る。

 そして、無数にいた怪鳥のすべては、凍てつく火柱と化す。

 けれど、それも一瞬のこと。

 次の瞬間には砕け散り、粉々になったそれらは、融けて雨のように降り注いだ。


「――倒した……んですよね?」

「あぁ、俺たち二人で倒したんだ」


 雨はやみ、晴天が顔を覗かせる。

 その空は、まるで俺たちの勝利を祝福しているようだった。


「やった……やりましたよっ、私たちっ」

「あぁ、やった。やったんだっ、俺たちっ」


 こみ上げてくる実感に俺たちは年甲斐もなく、はしゃいだ。

 互いに喜びを分かち合い、凍花を持ち上げて振り回したりもした。

 そうして興奮冷めやらぬ中、怪鳥の死体は圧縮を受けて一つの魔石と化す。

 この小世界にとって怪鳥は、一個の魔物だと判断されたらしい。


「これが第二界層の魔石か」

「すこし色合いが違いますね。緑がかっているというか」

「わかりやすくていいじゃないか。疑われずに済む」


 昨日今日、組んだばかりの二人が、界層落ちを倒してきた。

 そんな話を聞いたら、普通は疑うのが筋というもの。

 しかし、こちらには確たる証拠である魔石がある。

 動かぬ証拠を突きつければ、黒井管理人も認めざるを得ないはずだ。


「よし、急いで戻ろう」

「はい。行きましょう。今すぐに」


 こうして俺たちは界層落ちの魔石を携えて帰還した。

 ようやく足踏みを止めて、前に進むときがきたのだ。

 俺たちはそれを噛み締めるように、草原を駆け抜けた。



「――え? 倒したの? マジで? 界層落ちを?」


 ダンジョン周辺施設、管理室にて。

 第一界層の管理人である黒井彰に、俺たちは緑がかった魔石を提出した。

 第二階層の魔物である界層落ち。その討伐の証として。


「どれどれ」


 咥え煙草を落としそうになりつつも、机上においた魔石を手に取る。

 光の透過度。質量。形。色合い。感触。

 それぞれを注意深く観察し、黒井管理人はことりと魔石をおく。


「たしかに本物みたいだな」


 鑑定の結果、魔石は本物だと断定された。


「じゃあ」

「んー……まぁ、蒼崎の素行は知っているし、紅原の評判も聞いてる。現状に焦りを覚えて魔が差した、ってこともないだろう。でも一応、聞いておくが」


 黒井管理人の目つきが鋭くなる。

 身に纏う雰囲気が一変し、周囲の空気が張り詰める。

 未だかつて見たことがないほど、黒井管理人は真剣だった。


「これ、誰かに譲ってもらった、って訳じゃあないだろうな?」


 稀に、そういうことが起こるらしい。

 ほかの探求者に他界層の魔石を譲ってもらい、自身の手柄だと言い張る者がいる。

 ダンジョンは広く、監視もつけられない。

 だから、疑いを持っても確かめようがない場合が多い。


「もちろんです」

「私たち二人が討伐したものに間違いありません」


 しかし、実際にそれを行うものはごく少数だったりする。

 なぜなら、自身の実力以上の界層に向かうことは、即ち自殺行為に等しいからだ。

 ゆえに、不正を行う者はよほど自惚れているか、功を焦っているか、自殺志願者のみ。

 出世と自分の命なら、誰もが迷わず自身の命を取る。

 だから、その問いに真実を持って答えた。

 俺たちは実力で、この魔石を手に入れたんだ、と。

 疚しいことなど、何一つとしてありはしない。


「……そうか、わかった」


 俺たちの意思が伝わったのか、黒井管理人はどっかりと背もたれに身を預ける。

 そして、咥えた煙草の煙を大きく吸い、大きく吐く。


「蒼崎篝、紅原凍花。本日付で二人に第二界層の立ち入りを許可する。話は俺のほうから、紫馬しば管理人に通しておく」

「――ありがとうございますっ」


 俺たちは声を揃えて、頭を下げた。

 ついに、やっと、ようやく、俺たちは第二界層に挑戦できる。

 俺たちは、たしかに前へと一歩を踏み出した。

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