絡まる腕
悪性異能のデメリットを解消するため、紅原凍花とパートナーになった。
その夜を越えて、次の日の朝。
俺たちはダンジョンの入り口前にある噴水広場で落ち合った。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
相変わらずの季節外れな格好は、周囲から浮いていてよく目立つ。
まぁ、凍花よりも変な格好をしている奴なんて、ここでは珍しくないけれど。
「調子はどうですか?」
「その辺にぬかりはないぜ、絶好調だ」
「それはよかったです」
体調管理も仕事のうちだ。
「……うまく、行くでしょうか?」
流石に不安なのか、そう言葉が漏れる。
その気持ちは、俺も同じだった。
けれど。
「さてな。でも、実際にやってみないことには、判断がつかないだろ」
今日この日が、二人ではじめて挑戦する日なんだ。
歯車がかみ合わないことだってあるだろう。
けれど、それを怖がっていたら、前には進めない。
「思い切って、飛び込んでみようぜ」
「そう、ですね。では、行きましょう。ダンジョンへ」
俺たちはうなずき合って、ダンジョンへと向かった。
「いつ通っても、これには慣れないな」
ダンジョンの入り口は、漆黒で塗り潰されている。
先の見えない暗闇色の膜のようなものが張られているからだ。
俺たちは、その膜を突き破るようにダンジョンへと足を踏み入れる。
その仮定で生じる触覚への刺激は、形容しがたい感触だ。
ゼリーのような、水のような、そんなものへと沈み込むような感覚がする。
その気味の悪さを我慢して突き抜ければ、そこはすでにダンジョン内の小世界。
第一界層。草原と空と森の世界である。
「どこのダンジョンも、繋がる世界は同じなんですね」
「同じって言うか、酷似した世界らしいけどな」
世界各地、日本各所に出現したダンジョン。
それに内包された小世界は、どのダンジョンでも酷似しているらしい。
第一界層には、草原が広がり。
第二界層には、密林と砂浜と海が続く。
正確には、酷似しているだけで別の世界らしい。
同じ世界なら、ダンジョンを介して外国へ、なんてことも出来たかも知れないのに。
残念なことだ。
「今日は、あの湖の辺りに行こうと思うんだけど」
入り口からすこし歩いた地点から、視界に見える湖を指さし、そう提案する。
あそこは比較的、魔物がすくない。
組んでまだ日の浅い今なら、あそこが最適だろう。
「あれですね。いいと思います、私も」
「よっし、じゃあ行こう」
目的地を設定し、そこへ向けて足を進める。
なだらかで開放的な地形を横断しつつ、周囲への警戒を怠らない。
魔物がすくないとはいえ、いつ現れるかわからないからだ。
「――綺麗な湖ですね」
魔物に遭遇することもなく、俺たちは湖へとたどり着く。
たゆたう水面は透明度が高く、澄んでいる。
目をこらせば浅い位置にいる魚型の魔物も見えるほどだ。
「水質調査の結果じゃ、泳いでも問題ないらしいぜ」
「そうなんですか? 詳しいんですね」
「まぁな。クールダウンの手段は多い方がいいから、色々と調べてあるんだよ」
「クールダウン……まさか、ここで?」
「そう。近くでオーバーヒートしたときは、よくここに飛び込んでたんだ」
なるべく薄着になって湖に飛び込み、上がった体温を冷やしていた。
体温のせいか冷たくて気持ちがいいし、全身から熱が効率的に抜ける。
まぁ、身体を乾かしたり、服を着たりで時間を取られて、本末転倒な感じはしたけれど。
「ということは、この湖には獰猛な魔物がいないんですね」
「あぁ、養殖にも使われるような大人しい魔物しか――」
瞬間、湖の中心から、巨大な魚の魔物が天に向かって跳ねた。
宙を舞う巨体の口には、別の魔物が咥えられていて。
それが水面に落ちるとともに、小雨のような飛沫が降り注いだ。
「いない、はずだったんだけどな」
いつの間にか、凶暴な奴が住み着いていたらしい。
「今度からもう飛び込めませんね」
「みたいだな」
格好がつかないな、ほんと。
「ふふふっ」
凍花は、ここに来てはじめて笑顔を見せた。
それがすこし印象的で、目が離せなかった。
「どうかしましたか?」
「――あ、いや、なんでも」
知らぬ間に見とれていたようで、顔を背けるように明後日の方向を向く。
そちらを向いたのは、たまたまで、偶然だった。
しかし、その視線の先で、動くなにかを見る。
それを認識してすぐ緩んでいた気が引き締まり、目をこらす。
小高い丘の上、その位置から見下ろしている一体の魔物がいる。
昔にいた狼のような姿をした、四足歩行の獣型だ。
「凍花」
名前を呼ぶと、凍花も察したように警戒心を強める。
「数は?」
「今のところ一。でも、油断は――」
俺の言葉を遮るように、丘の魔物が天に吼える。
それは一種の号令だった。
見つけた獲物を仕留めるための狩りを始める合図。
それに呼応するように、魔物たちは現れる。
俺たちの周囲を取り囲むように、地中から這い出してきた。
「――禁物だ」
腰に差した鞘から刀身を引き抜き、跳びかかる魔物を迎撃する。
獣爪も獣牙も斬り裂いて、この一刀は命まで届く。
散らした鮮血が地面の緑を赤く染めるまえに、魔物は絶命した。
「篝。半分、引き受けます」
「あぁ、頼んだ。もう半分は任せろ」
即座に受け持ちを決め、対処に移る。
迫りくる魔物の群れを、刀一本で捌いていく。
「このくらいなら……」
異能を使わずとも殲滅できるか?
わざわざ日本刀を装備しているのも、なるべく異能を使わないため。
異能を使わずに済むのなら、それに超したことはない。
「――いや」
今回は一人じゃない。
近くに凍花がいて、これが初めての共闘だ。
なら、出し惜しみはなしにしよう。
下手に渋ると、返って事態が悪化しかねない。
「一匹残らず――」
異能を発現。
異界鉱石を鍛えて造った刀身に焔が宿る。
「――燃え尽きろっ!」
振り抜いた一閃は焔を引いて馳せ、広範囲に拡散する。
焔は群れの半数を呑み、それに触れた者の命を瞬時に燃やし尽くした。
「あっつ」
魔物の焼死体が次々と横たわり、受け持ち分の魔物は殲滅する。
それを確認しつつ、噴き出した汗を手拭いで拭う。
これで体温が上がった。しかし、このくらいならまだ大丈夫。
オーバーヒートの二歩くらい手前だ。
「そっちは――」
凍花のほうはどうなったかと振り返る。
すると、そこには氷に呑まれた魔物の氷像がいくつも建っていた。
命までも凍てつかせる氷の異能。
その実力はたしかなようだった。
「終わったみたいだな」
「はい。そちらも終わったみたいですね」
互いにこの程度の魔物はすでに相手にならないみたいだ。
実力的には俺と同じで、第二階層に挑戦してもいいくらいだろう。
足踏みの原因は、本当に悪性異能のデメリットのみか。
「顔がすこし赤いようですが、やっぱり?」
「あぁ、まぁな。そういう凍花だって、顔が白いぞ」
「そうですか?」
ぺたぺたと凍花は自身の頬を触っている。
吐く息は、うっすらとだが白い。
「……どう、しますか? お互いに異能を使ったわけですけれど」
「そうだな……」
上がった体温は、また下がった体温は、速やかに平熱に戻すべきだ。
しかし、魔物を殲滅した今のところ、急を要するような場面でもない。
抱きしめ合う、のは、まだ早計だろう。
「じゃあ……腕でも組んでみるか?」
手を繋ぐところまでは行ったんだ。
あれは握手だったけれど。
なら、今度はそこから登って、腕はどうだろうか。
「腕……そう、ですね。それじゃあ」
ゆっくりとした動作で、恐る恐るといった風に。
俺たちは互いの腕を絡めた。
急速に近くなる距離と、肩と肩とで触れ合ったことで感じる互いの体温。
凍花の体温は、俺が思うよりもずっと低かった。
冬場に外に出て数時間ほど経ったあとのような、そんな心配になるほどの冷たさがある。
異能を使えば、これが更に悪化する。
第二界層への挑戦なんて、許可されないわけだ。
まぁ、それは俺も同じなんだろうけれど。
「……暖かいですね、とても」
「そいつはよかった」
こっちも冷たくて心地がいい。
ずっと、こうしていたいと思うほどに。
「――そろそろ、大丈夫そうか」
「そうですね。体温調節、成功です」
およそ五分ほど腕を組んで肩を寄せ合い、体温調節は完了した。
普段なら体温を下げるのに十分以上を費やしているところだが、今回は半減している。
黒井管理人の思惑は、正しかったわけだ。
「魔物も魔石になってるな。半分、氷の中だけど」
焼き殺した魔物の魔石は、地面に転がるだけだけれど。
凍死した魔物の魔石は、氷の中に閉じ込められている。
五分ほど経ってすこし融けてはいるものの、取り出すには氷をどうにかしないといけないな。
「焔でかるく炙ろうか?」
「大丈夫ですよ。こういう時のために――」
ごそごそと後ろ手になにかを掴み取る。
「持ち歩いていますから。アイスピック」
取り出したるは、先端の尖ったアイスピック。
あれで氷の中から魔石を取り出すらしい。
氷は魔物の体積分だけ空洞になっていることだし、脆い部分を壊せば取り出せるのか。
「準備がいいな」
それから俺たちはそれぞれの魔石を回収した。
総数は専用ポーチの底が充分に埋まるくらい。
一回の戦闘にしては、よく取れたほうだ。
この周辺は魔物がすくないはずだが、運が良いんだか悪いんだか。
「もうすぐ昼時か。一旦、都市に行って腹ごしらえでもしようか」
「都市。この近くにあるんですか?」
「あぁ、つく頃にはちょうど飯時だ」
「いいですね。場所も憶えておきたいですし、向かいましょう」
取れた魔石を引っさげて、俺たちは都市へと向かう。
都市はこの第一界層の各地にある、探求者の休息場所を差す言葉だ。
多種多様な露店が列をなし、宿屋や風呂やなどもある便利なところである。
「――見えた、あそこだ」
移動を開始してしばらく、都市の姿が見えてきた。
広い草原にそびえ建つ、人々を護るための円形城壁。
曲がりくねった川に寄り添うように、城郭都市は建っている。
俺たちは腹を減らしながらそこへと足を伸ばし、敷居を跨いだ。