第77話-2
ダリアのクリスタル
時同じくしてアメリアは夢の中へと潜っていた。
ふわふわ
ふわりふわり
(結構連続ですね~)
のんきにそんな事を口にしながらも漆黒の世界をふわりふわりと飛ぶ。
ジークライドのクリスタルに触れてから、かなりの時間眠っていた事を踏まえるとのんきにしてもいられないのは事実ではある。
それでもこの世界に囚われてしまったのもまた事実。
現状を打破するためにはクリスタルの記憶を覗き見るしかアメリアには方法がなかった。
盛大に溜息を吐くと目的の物を探す。
今回は一体誰の物だろうと思考を巡らせてみるも、思い当たる節がない。
今までは攻略対象や関係者だった。
目覚めてから自分が関わったのはごく一部の人間たちだ。
その中に攻略対象は確かに存在したが、過去にその者達のクリスタルには触れた。だからこれ以上見る事はないと、感覚だけではあるものの確信に近い何かがアメリアの中にはあった。
では一体誰の?
暫く飛び回り探していたが、今回のクリスタルは中々見つからない。
今まで美しく輝いて自己主張していたのにも関わらず今回はそれすらもない。
足をつけば地面に波紋が広がる。
(えぇ……見つけないと出られないのに、見つからないとはこれは如何に?)
肉体的疲労感はないが、焦りからか精神的疲労がアメリアを襲う。
眠り続けて死ねるのなら万歳ではある。大いに喜ばしい限りだ。
しかし【本編前】と考えれば、眠ったまま生かされる未来しか想像がつかない。
何という生き殺し。
死ねるタイミングですら生かされてしまう可能性があるとアメリアは危惧している。
それだけは絶対に阻止しなくてはいけない一心。
歩けば増える波紋。
飛んで探して駄目なら歩くしかない。
波紋の行く末をぼんやりと眺めていれば、一か所だけ波紋が返ってくる箇所を見つける事が出来た。
恐る恐るという言葉はアメリアにはない。
変化のある場所へと飛べば、それは見つかった。
(中々見つからないわけですねぇ……お義母様)
漆黒の闇の中で辺りの影をドレスのように表面に球体を作り上げて纏っているそれは、中の光を閉ざしてしまっている。
膜に触れれば風船が割れたように弾け、クリスタルが姿を現した。そこにあったクリスタルはダリアの瞳の撫子色したクリスタルだった。
自分を拒絶するようにまた膜を張ろうとするクリスタルにアメリアは苦笑する。
(そんなに嫌いですか? 私は好きですよ、ダリアお義母様の性格。とても参考になりますから!)
何の慰めなのだろう。他の者がこの空間に存在していればそう突っ込んだに違いない。
鋼の精神と魂のアメリアは手を伸ばし、拒絶を未だ見せるクリスタルに触れた。
(いざ行かん! ダリアお義母様の記憶へ!)
時間を取られる心配をしていたアメリアだったが、ダリアが相手なら話が変わると言った様子で意気揚々と世界が変わる瞬間を待った。
漆黒の世界は歪み、アメリアを夢の奥へと引き摺り込む。
ゆっくり目を開けば義母の過去だろうか。未来だろうかとアメリアは辺りを見渡し状況確認を行った。
もう何度もクリスタル投影を見て来たのだ。この辺は慣れたものだ。
毎度毎度自分に対し、精神に打撃を与えてくる好敵手としてもアメリアはこのクリスタル投影を称賛していたりもする。
感謝こそすれど、恨むという事は一切ない。
あるかもしれない未来。その可能性をクリスタルはアメリアに示してきたのだ。
彼女が願う〝この世界の関わった人達の幸せ〟を後押しするように。アメリアが後悔しないようにと寄り添うように投影してくれる。
だからアメリアは好敵手であり、先生のようにも思えている。
(さて、ここどこで……)
『一体どうしてですか!!』
涙声混じりの悲痛な叫び声に振り返る。
今より少し若いくらいか、アメリアは目的の人をそこで見つけた。
しかし、同時に顔を歪めるほどに嫌な人も見つけてしまった。
男に縋りつきいやいやと首を振る彼女は今のような女主人の威厳は見つからない。
男に捨てられかけている女そのもの。
ここはどうやらアンスリウムが男爵だったころの屋敷だと理解すると、アメリアは言い争っている二人の傍へと飛ぶ。まぁ、一方的に叫んでいるだけで、男爵側は至って表情も変えていないので言い争いというレベルではない。本当に捨てられそうになっているのを嫌がっているように見えている。
アメリアは近くにあったデスクに腰掛けた。夢の世界だ。多少淑女らしからぬ行動も許されるだろうと思っている。
膝に肘をつき、両手で顔を支え眺める。
『どうしてですか! アンスリウム様!』
『君は私が好きかい? ダリア』
『勿論です! どうして身ごもったと分かった途端に……』
(……おや? マイクがお腹にいる感じですか?)
その頃と言ったら、とアメリアは母の日記を思い出す。
――R.D.898 秋。愛人の方のお腹に旦那様のお子様が宿ったらしい。あらあらまぁ、旦那様が言うにはそういう行為をした記憶はないというけれど、どうなのでしょう?生まれてくる子供に非はありませんし、私も元々愛人の方を認めているのに旦那様はおかしな人です。
そんなところも愛おしいんですけどね。不器用で強い私の旦那様、どうか生まれてくる子供達にたくさんの愛情をそそいでくださいね。――
思えば本当に母は優しかった。
クリスタル投影は過去に対し今まで嘘をアメリアに見せた事は無かった。
自分が死んだ未来の事は定かではないが、過去に起こった事柄は事実だったのだろうとアメリアは結論付けている。
信用に足るものが投影にはあった。
証拠も探せばいくらでも出てくるのだろう。
だからこの投影も真実である。
(だとしても……ダリアお義母様が何故アンスリウム男爵と?)
二人に接点があったなど記憶には無い。首を傾げ二人の会話の続きに耳を澄ます。
『貴方の仰った通り、あの人の愛人にはなりました! それでも私は貴方様を……』
愛に疎いアメリアでも直ぐに察した。
(はは~ん? お義母様はお父様を愛していた訳ではなく、男爵に頼まれてその枠に収まったって事でしたか!)
流石は悪役側。ふむふむと納得しながら自分が知らなかった舞台裏のような現状を徐々に楽しみ出したアメリア。
ダリアは涙を流しアンスリウムの手を握り、なおも食い下がる。
『私を捨てるのですか?』
『はは、それは有り得ない。安心しなさいダリア。君は良くやってくれている。拾った時から今の今まで。そしてこれからもだ。私の子を公爵の子供として生み落とせ』
ダリアの髪を優しく撫で、男爵は彼女を抱き締めた。
「……は?」
今この男は何と言ったのか。
中々に面白いやり口だとアメリアは感心さえしていた。しかし続いた会話はどうだ。
マイクが、自分の弟が。
父と……血が繋がっていないというではないか。
母は知っていたのだろうか? 父の色を多少持っていたマイクに一ミリも父の血が混じっていない。それよりも、別の男の血と、愛人の子を……。
アメリアは放心し、二人の会話を聞いていた。
可愛がっていた弟。守ろうと決めていた弟。兄を慕っている弟。前提が全て崩れる。
自分には……――
「――弟はいない?」
設定にそんなものはなかった。
それなのに。
投影は理解の追い付かないアメリアを置いて、なおも続ける。
『そして君が公爵夫人になるんだ、ダリア。アスター様はもうすぐ――死ぬ』
「っは!?」
この男は本当に爆弾ばかり落とす。
淑女らしからぬ大声をアメリアは出した。
『それはどういう事でしょうか? 確かに……体の弱い方ですが』
『私が少し〝手を下した〟からね。君も彼女に食べさせたのだろう? それで術式は完成している。構築されるキーが……彼女がもし子供をもう一人産む時。実に良いシナリオだと思わないかい? なぁ、ダリア。
美しい彼女が子を命がけで産み、命を落とす。実に出来た悲劇であり、喜劇だ!』
嬉々とし熱が籠った語りにダリアは嫉妬からか、顔を赤くしアンスリウムに対し言葉を投げかけているが、アメリアからすればそれどころではない。
この男は本当に何だ。
ダリアを仕掛けたまでは良い。それはこの世界の設定上仕方ないとしよう。
マイクの出生。そしてアスターの死をもこの男の掌の上だっただと?
(嘘……を投影すれば良いものを! どうして真実しか投影してくれなかったのですか!?)
自分が生まれる事により、母が亡くなった。今までそうだった。しかしその裏には彼が、アンスリウム男爵とダリアが関わっていた。
公爵夫人の殺害は許される筈はない。重罪だ。貴族の者を殺めるという事はそれだけに罪深い。
だが、彼も言っていた。これは――悲劇だと。
そう、事故に見せかけられた故意。証明する術は既に失っている。
禁忌魔法を既に使用できる彼だからこそ出来る芸当。
手を握る。爪が食い込み、血が滲んでいる。夢の中で痛みはない。しかし、心が、何よりも痛かった。
『素晴らしいだろう? 他人の手に渡ってしまった愛する女を取り戻せるんだ。私の子供を産んでという結末に落とせなかったのは残念ではあるけどねぇ……。あの男から取り返せる』
『私は……私を愛しているんじゃ……』
『愛しているよ……二番目にね』
アメリアをあざ笑うかのように男は投影の中、笑い、欲に浸っている。
過ぎた時間は戻らない。アメリアに非情にも現実を突きつけ、それでも世界はまた転回する。
(今度は一体何を見せようというの……)
鋼の魂と精神を持つアメリアの心は悲鳴を上げている。
これ以上にまだ何があるのだと、滲む視界の中色づいた人物を探した。
視界の先、子供を抱きながら椅子に腰かけ微笑む義母の姿。
抱いている子供の髪色から妹だと分かるとアメリアはそっと近づき、二人きりの部屋を眺めた。
愛おしいと見つめるその瞳は子を愛する母の顔……にも見えた。
だがそれだけではない事をアメリアは判ってしまったのだ。
どうか、杞憂であって欲しいと願いながらも、投影は語る。
『ふふ、可愛い私の子。私とあの方の子供』
「あぁ……」
落胆にも似た声が漏れる。
アンスリウム男爵と対峙した時に語られた言葉。
――今は、あの二人は公爵家です。でも……――本当は私の子なのですよ。
あの男はあの時そう囁いた。
ただの戯言だと流したが、真実だった。
アンスリウム男爵は何年もかけて準備してきたのだろう。それほどまでに彼は良くも悪くも〝上手〟に動き回った。
誰も気付く事のないやり方で。誰も想像すら出来ない方法で。
四大公爵の懐に自らの血を紛れ込ませ、信じさせ、陥落させようとした。
本当に天才だとアメリアは思った。
ユリもマイクもアメリアと血が繋がっていなかった。
ダリアはユリを通して他の人を見つめている。
『お婆様の印を受け継ぐ良い子。あの方も喜んでいたわ……ミーシャ。それは誰をも魅了してしまう印。お婆様のように愛される、魔女の印』
子守歌を歌う様に眠るユリを見つめ話すダリアにアメリアは瞼を伏せた。
神は残酷までに設定を残していた。
全てを教え込まれていたのに、イレギュラーにイレギュラーを重ね、捻じ曲がり過ぎてしまった世界の根本の一端をアメリアに投影して見せている。
心情穏やかでいられないアメリアは耳すらも塞いでしまいたかった。
ダリアは語る。
魔女とは何なのか。ミーシャの印の意味を。子守歌のように、囁き、同時にアンスリウムへの愛を謳う。
狂愛じみた彼女の言葉を聞く者はこの部屋にアメリアしかいない。
灰色の世界で、色づいた彼女とアメリア以外いないのだ。
ダリアは魔女の末裔だった。
しかし魔女の証であるミーシャの印はダリアには現れなかった。それでも彼女の祖母は彼女を愛し、いずれ生まれてくる子供に現れる事を予知しこの世を去ったそうだ。
魔女である祖母が彼女を守っていたからこそ、ダリアはそれまで健やかに育って来る事が出来た。彼女の両親は彼女を愛さなかった。魔女の力の無き者は必要としなかったのだ。それ以上に祖母を両親は愛していた。ダリアの祖母はミーシャの印を持っていたのだ。
祖母が亡くなり、魅了が解けた両親は激しい吐き気と嫌悪をダリアに対し感じた。子を子だと思えなくなったのだ。副作用かは分からない。認識を強制的に変化させ続けた結果の反動ともいえる。禁忌魔法に近い何かではあったのかもしれない。
祖母はそれでも彼女の両親に彼女を愛して欲しかったのかもしれない。実際のところはダリア自身にも分からなかった。
今まで以上に彼女に対し両親は酷く当たり、仕舞いには彼女を売った。
そして彼女は若くして娼婦となった。
祖母を失ってから彼女の生きる意味は祖母が残した予知を現実にするために生きる事だった。誰かに愛して貰いたかった。
だからがむしゃらに男に媚びた。
そこへアンスリウムが現れ、こう言った。
「私の為に命を産み、私の為に駒となってくれ。さすれば君を愛そう」
愛に飢えていたダリアは彼の手を取ってしまった。
彼女はひた隠しにしていた自分に流れる魔女の血の話をした。祖母の予知の事も。
するとどうだろう。アンスリウムは一層彼女を愛したのだ。偽りかもしれないが。彼は彼女が欲しかったものを与えた。
ダリアは嬉しかった。だからこそもっと愛して貰いたいと駒となって公爵を騙し、行動を起こした。
子供を身ごもった時、ダリアは気付き始めてしまった。
公爵夫人と話す彼が、愛しさを含む声色で熱のこもった瞳を送っている事を。
そこからだった。
ダリアの心が壊れ始めてしまったのは。
アメリアはその時にダリアにもあの黒の本を使い何かしたのではないかと考えた。実際のところは投影されていない為、知る事が出来ない。当人たちを問いただしたところで何も情報は吐き出さないだろう。
それほどにダリアのアンスリウムに対する愛は重く、真っすぐであった。
アスターが亡くなった後、自分がミーシャの印を持つ子供を産めば、彼は自分を更に愛してくれると思った。
その矢先育っていくアメリアを見ているだけで反吐が出そうだった。
何せ、あのアスターにどんどん似てきているのだ。
また彼を奪われるかもしれないと彼女の心の平穏は崩されてしまった。
そして……――
「あの行動に至ったと……」
アンスリウムからの愛がアメリアに向くかもしれない。自分はまた二番だと。彼女は自分に自信が持てなくなってしまったから。心から消えて欲しかったのだろう。
『ユリ……私の可愛いユリ』
魅了されているのは誰だろう。
アメリアはぼんやりと思った。
ユリが生まれてからダリアは変わったと言えば変わった。変化はあっても気には留めていなかった。魅了の印となれば、ダリア自身も知らぬうちに魅了されていたかもしれない。
ユリは、彼女はそういう〝物語〟の元に生まれたのだ。
誰からも愛されるヒロインとして。
因果とは収束するものだとアメリアは苦笑する。
アンスリウムが手を下さなくともアスターは命を落とす運命だ。
それはきっと変わらない。今回の事かは分からないが、彼は少なからず、自分の母の命を誰にも気付かれない手で刈り取った。
狂愛を持つ男と駒となった女。
ダリアが夢から醒めれば変わったかもしれない。だが、変わらない〝運命〟だ。
アメリアは首を振り、「もう良いわ、十分よ」と夢に語る。
今まで彼女の問いかけにも一切応えて来なかった夢の世界は、初めて応えるように形を変えていく。
「わたくしはどうしたら良かったのでしょうね、お義母様」
彼女を救う事が出来るのはきっと自分ではない。アンスリウムだけだ。
その彼も今はいない。
恨まれるのは当然だった。
彼女からしてみれば、彼を誑かしたのだろうと彼女の心が結論付けてしまったのだろうから。
そして世界は転回していく。クリスタルが割れアメリアの体に吸い込まれるように入っていく。
突如項が熱を発する。
熱く焼けるような熱さにアメリアは静かに身を委ねる。
(疲れた……)
熱い。
(本当に疲れた)
悪いのはこの人だ! と決めてしまえば簡単だろう事は明白。楽にもなれる。
だが、自分が関わっていた。
忌み嫌われる理由も父に、兄に、弟に……愛していた者全てにあった。
自分はそれだけの事をした存在だと知った。
『ゲーム盤』の世界の設定を全部教えてくれた神々は、一体自分にこれを見せて何をこれ以上考えろと言うのだろう。
アメリアは疲れ切った顔で熱さを受け入れた。
熱い――――
◇撫子色のクリスタル(不明)
夢の世界で発見したもの。
触れると“ダリア”に関する夢を見る事が出来た。
投影し終わるとアメリアの体に入り、ド・グロリアの印が熱を持った。




