第77話-1
献身的な治療のお陰か、アメリアは普段より少し長く眠った程度、半日ほどで目を覚ました。
目を覚ますと綺麗に整えられた衣類を身に纏っており、既に自分は診て貰った後なのだろう事は容易に理解出来た。
特に誰かを呼ぶ事はせず、自分の力で起き上がりふらつきながらも寝間着から着替え、髪を整える。誰かに頼る事をしないのは彼女自身がそれを必要としてきていないからだ。
動きにくい体に齷齪するも、ある程度済ませるとベッドに腰かけ一息つく。
ベルを鳴らし、瞬時にやってきたアークに発言の許可を与える前に「準備は」と一言。
目を伏せ出来ている事を知るとアメリアは執事長を連れて目的の場所へと向かった。
階段を下り、とある部屋へと。
いつどこでアメリアが目を覚ましたのを知ったのか、いや、既にそこには全員が集まっていた。ずっと話をしていたのだろうか。
扉を開けてまず目に入ったのはダリアだった。
美しかったあの頃の女主人はそこにはいない。恨みを口にし、化けの皮が剥がれ落ちてしまったかのように、数歳は半日で老けたのではないかと思わせる彼女にアメリアは優しく微笑んで声をかける。
「お義母様」
「アメリアァ……! 謀ったのね」
呪詛を吐き出しているのかと思う程にダリアの声はしゃがれ、低く部屋に響く。
変貌を遂げている女主人に、集められている使用人たちは動揺を隠せなかった。これが彼女の本性なのかと。また、同じく疑惑が浮かび上がった。彼女は〝謀った〟と言った。
アメリアに自然と視線が集まる。
打って変わってアメリアはと言うと、そんな視線はなんのその。
それはもう美しい笑顔を浮かべ……――
「はい、勿論」
肯定したのである。
アメリアが肯定した事によりダリアは〝加害者〟から〝被害者〟位置へとゆっくりとだが移動し始めた。
真実を知るユリやマイク、ダレン、ロイド、アークとライラはただ黙って状況を眺めている。
誰か一人でも否定すれば良いだけだというのに、誰もが二人の様子を窺っているのだ。
アークはライラを見つめた。
ライラはユリの傍に立ち、冷たくアメリアを睨み付けていた。
パンッ、と乾いた音が響く。
自然と全員の視線が音へと集まる。手を打ち鳴らしたアメリアは、笑顔そのままで話を続ける。
「流石にこの国の王太子の婚約者の体に傷をつけて良い筈がないでしょう? わたくしは良くても殿下や、他の方が見たらなんと言うかお分かりですか? いくらわたくしが悪いとしても、それはそれ。これはこれです」
それはそうだと誰もが思った。
医師が屋敷から去っていく瞬間は使用人数名、騎士数名が目にしている。それはもう疲労し、可哀想な程に悲痛な顔をしていたのは記憶に新しい。
アメリアに同情的な視線が向けられ始めた時、アメリアは指を立ていたずらに笑う。
「お義母様には王都から離れて頂き、公爵領の御屋敷でのびのびとお過ごしいただきたく存じます。幽閉に近いかもしれませんが、まぁ……そこはお義母様の力でその状況からなんとかしていただくとして」
「な、っそん……」
けらけらと笑いその場でステップを踏み、くるくるとダンスを踊るように回る少女はとても楽し気にその場にいる者達の目に映った。
同情的な視線は途端なくなり、アメリアとダリアの間を行き来する。
これもアメリアが作り出す、彼女なりのダリア退場のシナリオ。
ダリアの前で足を止め、後ろ手で手を組み、目を細めた。
異様な空気にダリアは背筋が震えた。
震え始めた体を抱き締め、アメリアを見つめる。
「わたくしの代わりに優しい優しいお義母様が罰を受ける。ほぉら、お義母様はなぁんにも社交界から悪い印象を受けない。まぁ、受けてもわたくしには関係ないのですけど」
「お前は最初からそのつもりで!」
まるで悪魔の囁きだった。
ダリアからしたら、輝かしい社交界から引き剥がされる事は、この上ない屈辱であった。
第二夫人だとしても、このスターチス公爵家の女主人としての彼女の評価を著しく下げてしまうからだ。
自分が築き上げてきたものを、目の前の少女はいとも簡単に破壊しようとしている。
アメリアはゆっくりと歩を進め、更にダリアとの距離を詰めた。
彼女の間近。
彼女にだけ聞こえる声で、目を細め、笑みを作った。ころころと笑うアメリアにダリアは声を上げようとした。
「ユリだけを可愛がり、マイクを疎かにした罰です」
「……ぇ」
口元は笑っている目の前の少女の瞳は怒りに燃えている。
ダリアは目を見開き言葉を飲み込んだ。
「貴女の子供でしょうに。どうして平等に愛せなかったの? わたくしやお兄様は構いませんが、マイクは違います」
今自分と対峙している少女は一体誰だ。
非力な少女だ。その筈なのだ。
今まで自分に歯向かう事のなかった子供の筈だ。
それなのにこの圧倒的な圧力は一体なんなのだ。
ダリアは言い知れぬ恐怖に震える唇を動かし、言葉を絞り出す。
「あれは、出来損ない」
「いいえ。マイクは優秀です」
途端アメリアの表情から笑みが消えた。
空気を飲み込む音がダリアの口から漏れる。視線を合わせていたくないのに外す事が出来ない。
真っすぐとアメリアはダリアの瞳を見つめ、また微笑んだ。
「わたくしがマイクを苛めているから、わたくしを仕置きするには都合が良かった? そう思っていましたか、お義母様」
「――っ! まさか、わざと」
「ふふふ、わたくしへの暴力の口実―八つ当たりの口実―って大事ですからねぇ? あぁ、わたくしの事は好きに吹聴なさって結構。どうぞ、退場を」
話し終えると嘲笑しながらダリアから距離を取ると、その場でドレスの裾を持ち怪我をしている事を忘れてしまう程に美しい一礼を。
「領でお休み下さい、お義母様」
子供のように微笑むこの子供は一体誰なんだ!
ダリアは震えて音がなりそうになる歯を噛み締める。使用人たちの前でこれ以上無様な姿は見せられない彼女の精いっぱいの虚勢。
冷たく見つめ使用人やその場にいる者達にも聞こえるように今度はアメリアが告げる。
「マイクは実にわたくしの都合のいい〝優秀〟な駒でしたわ」
誰もが異様なその言葉を聞き、また様々な憶測を胸に抱かせるには十分だった。
深くは語らず、アメリアはロイドに会釈し「わたくしからは以上です。後はお父様にお任せします」とその場を後にした。
「さようなら、優しいダリアお義母様」
扉と共に別れの挨拶がその場に落とされたのだった。
謎の緊張感が彼女が去った後、室内に残ったものの、そんな事など知った事ではないアメリアはと言うと、一仕事終わったと自室でぎしぎしと未だ痛む体を伸ばしていた。
(ふぃ~~~~~……。疲れました~~~)
引き攣る感覚は全然抜けていない。
マイクを駒だと思った事は周回初期時期以降からは考えた事はない。
嘘八百だ。
それを周りに聞こえるように言ったのも、また態と。
ダリアは周りから過度な罰を与えてしまった為に、領へと反省の為に移り住むと印象付けられただろう。
アメリアへの体罰はある種正当な理由でという感じだ。
自分の子供達の為、また王太子への攻撃。それらを考慮し渋々鞭を握ったのだと自分を嫌う使用人たちは思った筈だ。
しかし実際は違う事をアメリア含む数名は知ってしまっている。
だからこそのアメリアの嘘。
全員がいる前で、挑発しまた真実をほんの少し混ぜ、告げてしまえば信憑性が増し浸透する。
噂好きの使用人の一部から漏れ出た公爵夫人の噂は瞬く間に社交界へと根を伸ばし、アメリアの悪行の責任を取るべく、自ら領へと子供の代わりに謹慎した健気な夫人へと評価が変貌する筋書きだ。
元々の評価も社交界では悪くない表面良き夫人像のダリアだったからこその噂の広がり方をみせるだろう。
それと同時に、そんなダリア夫人を鞭打ち屋敷から追い出した令嬢として噂が捻じ曲がり、まるでダリアにアメリアが鞭を持ったように変貌を遂げる事だろう。
人から人へと説明する言葉が省略、捏造、妄想、憶測。それらを織り交ぜ繰り返す事で真実は捻じ曲がり出来上がってしまう。
しめしめとアメリアはほくそ笑む。
次に噂をアメリアが耳にした時、案の定。
彼女の予想していた通りに変貌を遂げていた。
アメリアは「中々良い噂ですね!」と自分に対する悪評に高評価である。
ユリがいくらアメリアを庇う為に、真実を使用人たちに話をしていたとしても、幼いお嬢様には衝撃が酷く、記憶が混濁しているのだろうと結論付けられる程に、悪役令嬢アメリアの悪役補正は強かった。
逆にそんな姉を心配し、庇っている心優しき子だとユリには印象が付いた。
悪役、ヒロイン。ともにこの世界の補正が働いた。
◇◇
アメリアとダリアの一件があったその日の深夜に差し掛かる前。
ロイドの寝室の扉が叩かれた。使用人であればこのような時間に緊急を知らせる以外に尋ねてはこない。主人の睡眠を邪魔するような愚かな行為をする勇気のある使用人はこの屋敷にはまず存在しない。
しかし、現状。扉の前に誰かが訪ねてきた。
ロイドは寝室にまで持ち込んだ書類をベッドサイドに置く。
「誰だ」
「夜更けに失礼します。ダレンです……少し宜しいでしょうか」
二、三度瞬き自分の息子だと分かると「入りなさい」と応じた。
こんな時間に一体どうしたのだとベッドから起き上がるとソファーへと移動する。
入ってきたダレンも挨拶軽く対面に腰掛けた。
「父上話があります」
「どうした」
普段表情も感情も読めない息子が真剣に自分を見つめてきている。
緊急事態という訳では無い。それほどの緊張感、緊迫感は、今は無い。ロイドも次に続く言葉を予想は出来ている様子で肩の力を抜いた。
「アメリアの事です」
「……」
予想はしていたが、ロイドはそれに対し何かを起こす事が出来ない。ロイド自身がアメリアから構築された魔法は〝傷〟に関してだ。
今それがこの公爵家内一部に知れ渡っていたとしても、アメリアが解除しなくては、氷はロイドの心臓を貫く。
納得できないと言った様子で目の前の息子は眉を寄せている。全てを答えてやりたいが、多くは語れないとロイドは口を閉じていた。
あの子に対し、ダリアがやってきた事は許されざる事だ。だが、それに対してもロイドは口を挟む事すら出来なくなっていた。
その原因は目の前に座る息子にダリア処分の権限を譲らざるを得なかったからだとしても。
ダレンは眉を寄せ視線を落とす。
指を組み口元に持ってくると拳の甲に見た事もない怪我がある。喧嘩でもしたのだろうと気を抜いていた所、ダレンの口から続いた言葉にロイドもまた眉を寄せる事となった。
「どうしても最近不可解なのです。どう不可解なのかは自分自身はっきりと口には出来ないのですが、ユリと話した後だと特に感じる事が多く、それに関して昼間……確信に近いものを得ました」
自分だけではなかった違和感。
ダレンが告げてきた事により、それは鮮明に自身を蝕む。
「あの子に言うつもりではなかった事を口にしている事か?」
「父上も感じて……?」
落としていた視線を反射的に父に向ける。
肯定を示す頷きに更にダレンの眉間に皺が増える。
「最近特に酷く自分の意識とは別の何かに支配されている感覚はある。だが、それを抑える事が私には出来ずにいる。それは……今もだ」
「ユリが何か関係しているのでしょうか……確証はありませんが……」
「そんなわけ――……くそ。正直分からないとしか答えられぬ。今ですら軽く引っ張られる感覚がある」
片手で顔を覆い俯く父に肩を竦めるダレン。
ユリの話題を出しただけでこれほどまでに苦しむ父は、自分よりも恐らく深いところまで何かに支配されているのではないだろうかと結論に至った。
洗脳と口にしてしまえばしっくりくるだろうそれは、明らかに自分達の感情を蝕みつつあった。
昼間呟いた独り言でダレンは確信に近いものを得ていたのだ。
納得したようにダレンはロイドを観察し頷く。
「なるほど、父上の方が重症のようですね。正常な意識の内に調べてみます」
「すまないな」
「家族なのですから、お気になさらず。それよりも義母上については」
「アメリアからの処分内容が届いた。昼間の通りだ。任せるとあの子は言っていたが、後処理の事だろう」
「そうですか。あまりにも軽い処分で、正直私は納得出来ません」
はっきりと言われても今度はロイドがダレンに対し肩を竦めるしかない。
「仕方なかろう。お前が最初にアメリアからの願いだと私から権限を奪っていったんだ。アメリアが決めた事だ、諦めなさい」
それもそうだ。
妹の願いを聞き届けたダレンは彼女の為に父親から権限を奪ってしまったのだ。
彼女の一存に全て任せると言う形で。アメリアが望む最大の条件で。
もう少しきつい罰を与えると思っていたダレンは自分にも権限を少しでも残しておくのだったと後悔したとして遅いのだ。
してやられたと拗ねるダレンにロイドは優しく窘める。
「アメリアはどうしてこうも優しいのでしょう。揉み消しますか?」
「アメリアはそれを望まないよ」
「でしょうね」
緩く子供の言葉に首を振れば、今度こそ諦めたように溜息を深く吐いた。
違和感は残っているものの、アメリアに上手く使われた二人は暫く親子談義を楽しみ就寝に就いた。




