第66話
荒々しく廊下に響く音。その音の持ち主はスターチス家のご令嬢なのだが、この屋敷の者たちは「あぁ、またお嬢様の癇癪か」などといった様子で気にすることはない。
アメリアは祖母アグリアがいる部屋の前まで来ると、ノックをせずに勢いよく扉を開けた。
「お婆様!今すぐ決闘致しましょう!」
「っ!?は、はぁ!?」
部屋には兄のダレンとアグリアがおり、突然のアメリアの登場に驚くも、それ以上に彼女の言葉に飲んでいた紅茶を危うく口から吹き出しそうになった二人。いや、実際は耐えていたのはダレンだけであり、アグリアは気にすることなく吹き出していた。
二人は一体どうしたのかと眉を潜めていたが、部屋に現れたアメリアの瞳の色を目にし、彼女が真剣に『決闘』を申し込んできているというが分かった。
怒りに震え、それを抑え込みながらも内心では激しくその炎を燃やしている真紅の瞳。
何故アメリアがこれほどまでに怒りを表面に出しているのかダレンにもアグリアにも見当がつかない。
アグリアは口を拭いながら足を組み替え、アメリアへ真剣に瞳を向け、慎重に口を開いた。
「一体どうしたと言うのか分かるように説明せい。わしと決闘するという事がどういう事を示しているか理解して口にしているんじゃろうな?」
祖母の言葉にダレンは自然と視線を下げた。
そうだ、アグリアと決闘をして負けてしまえば、二人とも亡き母が生まれた国へと連れていかれてしまう。どんな状況であれそれは避けなければならない。現在、弟と妹が二人も行方知れずになっているというのに、自分たちまでもここを去るわけにはいかない。とダレンは考える。
彼はスターチス公爵家の長男。公爵の位を継ぐ者だ。消えるわけにはいかない、その話は既にマイク、ユリが消えた後に話したはずなのだが、アメリアは忘れてしまったのだろうかとダレンの眉間に皺の山が出来た。
アメリアはダレンの言葉を忘れている訳では無い。目的が違うのだ。
訝し気に見つめる二人の様子に、少し首を傾け口角を持ち上げた。
「ええ、分かっております。だからこそわたくしは今ここにおります。全てが繋がり、行動を起こすためにはお婆様……女大公、アグリア・B・アーティチョーク様、貴方が邪魔なのです」
「アメリア…っ!」
アメリアの言葉に部屋の空気が変わった。
ダレンは焦る。祖母のフルネームを口にして、更には邪魔と彼女ははっきりと音にしたのだ。
咎めるような兄の声など露知らず、アメリアはアグリアだけを見据え、挑戦的に続ける。
「日付の指定は明日。時刻は魔法老師様がいらっしゃる時間で……」
淡々と告げる目の前の少女をアグリアは何も言わず、視線も動かさず、観察している。
ダレンには斜め横に座る祖母がそこにただ聳え立ち、力強く存在する山のように感じた。
アグリアはアメリアの真意を掴むため、虚勢でもない言葉の一つ一つをしっかりと受け止めて思考していた。傍らに座る孫は動揺していることが良くわかる。ダレンの妹は自分に向けて確実なる〝敵意〟と〝覚悟〟を向けている。
手首にはまっている腕輪がずしりと重みを増したような気がした。
――おちび……何を見つけた。昨日までのお前にはなかった覚悟が見える。一体…何を見つけたと言うんじゃ!
ブラック魔法老師が立ち合いとなれば、自分も手を抜くことは出来ない。彼が精霊王から任されているのは公になっていないが、恐らく自分を戻すことも含まれているだろう。
その時、アグリアの脳裏にライラとアーク、ブルームーン国で異端の双子と呼ばれている二人が過った。
――…っ!まさかおちび!二人とわしを国へ戻す気か!?
本人に確認しなくてはならない。アメリアの言葉の真意を悟ったアグリアは、拳を激しくテーブルに叩きつけた。
「おちび…ふざけるな…。わしを誰だと思っている……。ちび一人でどうにかなると思っているのか?あの二人共どもわしを国へ戻すつもりじゃろうが、そうはいかんぞ」
女性にしては低く、響く声が、覇気を纏い部屋を震わせた。
アメリアは祖母の勘の良さに目を細め、更に笑みを深める。
(流石は女大公。私の言葉からそこまで導き出したのですか…。でもダメです)
内心、表面共に笑顔を隠せない鋼鉄の精神と魂のアメリアは、言葉で負けるわけにはいかないと、口を開く。
「あら、ふざけてなどおりませんよ。本気も本気、お婆様は邪魔なのです。魔法老師様が居られれば、お婆様は〝ズル〟出来ませんよね?わざとわたくし達に負けようなど出来るわけがない」
「…ちび…お前さん、気づいておったんか」
「ええ。わたくし、ちゃんと分かっていましたよ?ですから、今も〝理解した上で〟お婆様に決闘を申し込んでいるのです」
この場に一人頭が追い付いていないダレンは、二人の会話を聞き持ち前の頭の回転の良さを生かし、何とか状況を理解しようと試みている。
――二人は何の話をしているんだ!
そんな彼を置いて二人の会話は続く。
「わたくしとお兄様が負ければわたくし達はお婆様に従います。しかし、わたくし達が勝利した時、お婆様……」
アメリアは言葉を区切り、目を伏せ深く息を吸う。
(ここが正念場です!お婆様、私は貴方の娘の血を継いでいる悪役令嬢!本来出てこないはずのお婆様!二人を連れて退場願います!)
アメリアは心優しき少女だ。ずれた歯車を修正しなくてはならない。それは自分が死ぬためでもあり、この世界の幸せを願うからこそ。
本編が始まれば自分で自分の命を落とすことも出来るだろう。しかし最後のこの周回。妨害が、干渉が多いからこそアメリアは密かに決めていたのだ。
今ならアーク……ライラを解放してあげられると。
アメリアが命を落とす時、必ず彼女を守って先に死ぬのはライラだった。彼女を生かしたいがそれも物語が許さない世界。
運命という名の強制力。
最後だからこそ、ずれにずれている今だからこそ。
アメリアはそのずれに生じて、二人を本編から離脱させる事を決心したのだった。
目の前にいるのは名を馳せている祖母であり女大公。
彼女に勝てば彼女ごと退場させることが出来ると踏んだ。
死ぬ予定の者を生かし。
元あるモブキャラクターへと祖母を戻すために。
(これは賭けです。神さま方が手出ししてくるようなら、私は負けてしまうかもしれない。しかしこの世界の強制力は生きている。それは間違いない。
それならば私は負けないで、この国に残る事になる。主要キャラクターであるお父様を退場させる事が出来たのなら、きっと、今なら。……生きてください、ライラ)
目の前の少女が纏う空気が変わったと、百戦錬磨のアグリアは察した。まるで戦場に向かう、自身の持つ兵達を思わせる信念を感じ取った。
――おちび…一体。
問い質そうと口を開こうとした瞬間、アメリアが伏せていた瞼を開き、強い瞳でその場に居る者を射貫いた。
ぶわりと鳥肌が立つ。背筋が震える。
これ以上アメリアの言葉を聞いてはいけない。アグリアの頭の中に過る長年の勘がそう告げている。口がいう事をきかない。
自分が自分の孫に〝圧されている〟事にアグリアは衝撃だった。
「――ッ!」
「わたくし達、いいえ…わたくしが勝利した暁には、二度とこの屋敷に足を踏み入れないで下さいませ。国にさっさとお帰り下さい。邪魔なんですよ、お婆様も
――ライラもアークも」
冷たく言い放たれたアメリアの言葉に反応するように、ガシャンと扉の後ろで陶器の割れる音が鳴った。
「お嬢様……どうして……」
普段の無表情は崩れ、傷付いた表情を浮かべるライラは、扉を開けアメリアに手を伸ばす。――遠い。こんな事は初めてだ。ライラは今一度同じ言葉を主人に投げかける。
――どうか、嘘だと言って下さいっ!お嬢様!
ライラの悲痛な叫びはダレン、アグリアにも届いた。しかしアメリアはアグリアに伝え終わると何も言わず、縋ろうと手を伸ばしている侍女の横をすり抜けて、部屋を出て行ってしまったのだった。
ライラの伸ばした手は虚しくも空を切り、糸が切れたように落ちた。
――どうして……。
お待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした。
次回アグリア戦。
彼女とのバトルが終わるととうとう合魔獣・第五師団編が佳境を迎え、その後『ゲーム盤』でいう本編が始まります。
……本編丸々を載せる予定は元々無い物語の為、恐らく80話前後には完結すると思います。仕事の関係で定期更新がまだ出来ませんが、次回はそこまでお待たせすることなく更新出来たらと思っております。
もうしばらくゆっくりと進むアメリアの物語にお付き合いくださると嬉しいです。




