第64話
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ざわざわと自然溢れる木々達がざわめく。
それと同様にアメリアの心もざわめいていた。
(どうして…マイクがここに…っ)
化粧のお陰もあり、アメリアの顔色が悪くなったとしても気づかれる事はないが、過去の周回とは違うこの状況は、彼女の焦りと動揺を引き起こしていた。
手袋をしているその小さな手は服を握りしめている。
子供の事と興味のない者たちは気にせず談笑しているが、一部の腹の底に黒いものを宿している者たちはアメリア達の動向を見守っている。
扇で笑い声を隠す淑女たち。
その一つ一つはほんの些細な言葉の数々でか細い、囀り。聞き取れたとすれば、どれもがアメリアという存在を愚弄する、嘲笑うような言葉だ。
普段のアメリアであればそれすら笑って受け入れ、しめしめと心の中で喜んでいただろう。だが、現状はそうではない。自分の評価に対する悪評や噂に関してはとても耳が良い筈の彼女は今、目の前の三人の事で頭を埋め尽くしていた。
奥歯が鈍い音を響かせる。
(…ユリだけでも予想外だというのに、マイクまでいるなんて…。折角のレオン様への初回フラグだというのに!!)
光の加減で色の変わるアメリアの瞳は拒絶の漆黒…そして怒りの深紅が混ざった色を宿している。彼女の目の前に立つマイク、レオンも同じ色を目にしていた。
―これが噂に聞く…我がまま令嬢のアメリア!
レオンは“アメリア”を正面から見るのは初となる。友である彼女の兄や婚約者から話は聞いていても、ダレンはアメリアに誓いを立てた事により、本質を伝える事はしていない。ジークライドも彼女の本質を見抜けていない。そして世間は彼女の汚点ばかりを。全ては第三者からの言葉だけでしかアメリアを知り得ない。だからこそ、噂でしか彼女の事を知らないのだ。
魔力の少ないレオンにとって、教会で出会った少年と現在目の前で自分たちを睨みつけている少女が同一人物だと見抜く事は出来なかった。
噂や第三者の意見だけでは判断しない筈のレオンが、どうしてか目の前にいるアメリアに対して激しい嫌悪を抱いている。それを本人は気づいていない。
ユリの後ろに立っていたマイクの体がびくりと震える。
睨みつけている姉は自分がここに居る事を望んでいない。そう受け止めてしまった。自分の方が姉より優れているというのに、姉ばかり、兄ばかりが優遇されている。今この時には関係のないもの出来事すら混ざり合い思考を埋めていく。安定していないマイクは震える腕を抱える。
―勝手に使っては駄目だ。約束したんだ。あの人は僕を認めてくれた。だからこの人なんかに使っては駄目。だけど…憎い!
嫉妬から来る憎しみを、溢れ出そうになる吸収した他者の魔力を解放しない様に、抑え込むために抱えた腕に爪が食い込む。
二人ともが、アメリアへ“負”の感情を激しく抱き、睨みつけている。
それも本人達は気づかず、彼女が何もしていない状況で。
(おや?)
流石のアメリアも二人の様子に気がついた。
瞳の色は変わらないが深紅が治まり、漆黒となった。
内心首を傾げる。一体全体どういう事だろうかと。これからレオンに挨拶という名の最悪な第一印象タイムだというのに、それをする事も無く既に目標は達成されているように思えるのだ。更におまけというわけではないが、マイクの中でも印象降下中だと判断できるほど。
(レオン様もマイクもなんだかとっても私大っきらいオーラ出てませんか?なんです?私まだ何もしてませんよ?見た目は結構…けっっっこうきっついかもしれませんが、そんな事ではレオン様のお顔崩れませんでしたよね?あれー??)
公爵や地位の高い親を持つ子供たちは表情豊かだとしても、社交界という世界を生きる上で仮面を被る事には慣れている。8歳というとしだが、レオンもまたその仮面を被る事が出来る人間である。
そのレオンが自分を睨みつけているではないか。
鋼鉄の精神と魂のアメリアは瞬時にプランを練り直す。
(今、好機では!?ユリも苛めていない、マイクにも何もしていない状態でこれってとっても素晴らしい状況なのではないですか!?なんですか!?神さま方、いきなり私にボーナスですか!!ありがとうございます!!)
白い空間からそうじゃない!そんなことしていないと涙声が聞こえた気がするが気のせいである。
内心ルンルン気分のアメリアの表情は、冷酷そのもので安定している。
彼女は持ち前の精神で持ち直したのだ。
(さて、この好機どのようにするべきですかね♪本編前ですけどユリもいますし、いっその事この場でレオン様がユリに落ちてくだされば楽なんですけど…流石に、ねぇ?)
アメリアがそんな事を考えているなど露知らず、レオンとマイクは彼女を睨む。
冷え切った視線だけが飛び交う中、ユリだけがアメリアの瞳の色が別の色に見えていた。
―おねーさま、なんだか楽しそうですね。とってもきれいな金色です!
アメリアの表情は冷酷そのもの。しかしユリは表情ではなく、姉の瞳を見つめている。漆黒に染まっている筈の瞳。ユリだけはアメリアが喜んでいるようにみえているのだ。
彼女はそんな姉を見つめ、にこにこと幸せそうに笑っている。
沈黙が場を包む中、木々が激しく揺れた。
「なんだ!!」
木々達の変化にいち早く気づいたレオンがユリを背に隠し、振り向くと同時にそれは、姿を現した。
「なっ!?」
(あれは!?)
この世のものとは思えない四足の獣。
体は毛で覆われているが頭を支えるには大きく、首からは頭部が二つ伸びており一つには角が何本も不規則に伸びている。木々を抉る程に伸びた鋭い爪はレオンの屋敷の木々を激しく傷つけている。角が生えている頭部には目が無いが、その分もう一つの頭部に三つ瞳がついていた。その三つの瞳はぎょろりとその場にいる四人を見つけ、口が裂ける。
「ゴギャアアアアアアアアアア」
耳を押さえ誰もがしゃがみ込む程に激しい咆哮が響く。
会場内までも響き、鼓膜を割く様に叫び震わせる四足の獣の声はびりびりとその場に居る者たちの体を硬直させた。
レオンも、ユリ、マイクですら耳を押さえ目を閉じて体を丸くしている。
その場でただ一人、アメリアだけは真っすぐと獣を見据え、二本の足で立っていた。
(これは…なんですか…)
知識が豊富のアメリアとしても形容しがたい四足の獣を見た事が無い。背中に嫌な汗が流れる。目の前で未だ咆哮を続ける獣から意識を外さず、会場内を見れば魔力の高い者は防壁魔法を構築しているのが横目に入った。その中に父ロイド、公爵達の姿もある。
それ程にこの咆哮は危険だと言う事だ。
鋼鉄の精神と魂のアメリアの口元が持ち上がる。
誰も彼女を気遣う余裕はない。だから表情を隠さず笑い、小さく口を開いた。
(死亡フラグですか?にしては陳腐ですね!本編までどうせ逝けないんですから!邪魔しないで貰えますかね?今とても大事なフラグ建築してるんですから!)
薄目を開いたユリが彼女の表情を見てしまった。
―おねーさま。笑ってる…?
その時、アメリアの髪が月明かりで薄く光を放ち咆哮の最中、開いた唇を動かせた。
「―――」
「え?」
ユリだけが見つめていたアメリアの口の動きは確かに四足の獣に向けられていた。
何と言ったのか聞こえなかったが、確かに姉の口は動いたのだ。
突如。咆哮が鳴り止んだ。
耳を押さえていた手を下ろし、獣を見れば姿形もなく、その場にはなにも存在していなかった。見えるのは屋敷の自然だけ。
レオンとマイクも確認するが、先程までいた四足の獣は姿を消していた。
「なんだったんだ…」
一瞬と言える状況であった。状況がつかめない三人は困惑した表情を浮かべている。アメリアは冷静に会場内からロイド達数名が走ってくるのを背中で感じとっていた。
(これはめんどくさい事になりそうですし、レオン様!私の挨拶はここで致しますね!周回とは違った御挨拶ですけどフラグとしては一級品をぶつけますね!)
状況の確認と報告などをさせられる事が目に見えるアメリアはそれを回避したい。
その為、周回中使っていた印象付けを諦め、違う方向からのアプローチをする事に決めた。臨機応変はお手の物である。
「アメリア!お前達、皆無事か!」
「えぇ、お父様。問題ありませんわ」
「レオン、何があった!先程の声は!」
「父上、申し訳ありません。自分にもあれが何だったのか…」
アメリアはレオンの言葉を遮るように口を開く。
「あら、レオン様の催しではなかったのですか?わたくしそうだとばかり…」
「は?」
その場にいたアメリア以外の全員が何を言っているんだと言った表情になる。アメリアは扇を広げ微笑む。そして、一瞬だけ虚空を見つめると、淡々と楽しそうにレオンを嘲笑うように見下した。
「騎士というものが何たるか、というお姿を見させて頂けたのだとばかり思っておりましたわ。まぁ、怯えて今もしゃがみ込んでいらっしゃるようですけど…」
くすくすと笑う。駆けつけたその場の護衛達の顔が歪み、嫌悪を露わにする。
尚もアメリアはロイドの制止する声をも遮り、続ける。
「アメリア!」
「あら、お父様失礼致しました。そうですね、挨拶致しませんと!御機嫌ようレオン様。わたくし、スターチス公爵が娘、アメリア・ド・グロリア・スターチスと申します。そこにいる妹と弟の姉になりますわ。この度はお誕生日おめでとうございます」
裾を持ち場に似つかわしくない淑女の礼を。
この状況で、アメリアはあえてレオンを祝ったのだ。誰もが理解が出来ないと表情に浮かべている。レオンは下を向き手を強く握っていた。覗き見える彼の表情は屈辱を受けたと読みとる事が出来るほどに唇を噛み締めている。それをアメリアは満足そうに見つめた。
会場内がざわつく。アメリアの声が聞こえない場所に立つ者達からすると、先程の獣、そして彼女の行動は不可解でしかないのだ。彼女が引き起こした様にも見えなくはない。混乱がその場を包んでいる。
会場内でその状況を見ていたアメリアの本性を知っているダレンは、口元を押さえて笑いを堪え、アークは頭を押さえていた。
―何やってるんだ。
二人とも抱いている想いは違うけれど言いたい事は一緒であった。
(決まりましたー!レオン様の騎士道を馬鹿にするつもりはなかったんですけど、そこはごめんなさいです!これでレオン様の中での私の印象最悪ですね!)
アメリアは満足そうにくすくすと大きめに笑うと、その場を去る為にくるりと身を翻した。
一陣の風が吹きぬける。
「きゃあ!!」
「え…?」
小さく響く幼い悲鳴と何かが倒れる音。
アメリアが振り向けば、レオン、駆けつけた筈の護衛達、ロイド、レオンの父…四大公爵の二人までもがその場に倒れていた。
その奥には背を向けるマイクと、悲鳴の持ち主のユリが空間に飲み込まれていく様を目にした。自分へ伸ばされるユリの小さい腕を掴むため、アメリアは駆ける。
「ユリ!!マイク!!」
「おねーさま―――っ!」
幼き少女の姉を呼ぶ声と助けを求められた姉の叫ぶ声だけが響き、ぐにゃりと歪んだ空間は二人を呑みこみ無情にも目の前で閉ざされた。ユリを救うべく伸ばされたアメリアの腕は、空を掴み、力無く下ろされた。
その日。
氷の公爵家の子が二人、姿を消した。
≫次回は7月5日の更新を予定しておりましたが、仕事の都合上少し遅くなるかもしれません。申し訳ありません。(7月中に2話更新が出来るように頑張ります(泣))




