第54話
可能性から導き出される仮定
「…じじいは…ブラック様は優しい方です…」
「ライラ…」
「あの方は奥様やお子様を失っても、私達双子に優しく接して下さっていました。時には厳しく、時には阿呆のように振る舞いますが…ですが、私達に刃を向ける事も、返せともあの時の話しをするまで決して言いませんでした。真実を知ったのがあの時。それまであの方はずっと黙って優しく接して下さった方です…」
思い返してもブラックは自分たちを責める事はなかった。
自分たちの力が自分たちの物だと植え付けたのは彼の構築した魔法によるものだったが、記憶を正された今、その全ては間違いだった。自分の中にある記憶は今も魔法により改竄されたままだが、彼が語った事により真実も受け入れようとしている。後はアークが証を授ける事が出来れば、完全に記憶は戻る事だろうとライラは感じている。
優しさ故に自分達苛まれていた双子に構築された魔法は、ライラとアークを今の今まで守ってきていた。
責められても仕方のない自分達二人に対して、彼は叱る事はあっても傷つけるような事はしなかった。
ただ、ただ、優しさを与えてくれていた。
見守りたいと書かれたブラックが作った教材にライラは悲しげに視線を落とす。
自分の主であるアメリア、アスターの母であるアグリア両名を処分という文字を見て怒りを感じてしまったが、彼はそれを出来るだけ回避したいように冷静になれば感じ取ることが出来たのだ。
――昔から、自分の立場を捨てでも考えを貫きたい方ですね…。
ライラは懐かしいブラックの聖霊の姿を思い浮かべた。
こちらの国にやってきてから初めてみる彼は、以前と変わりない美しい姿であった。
アメリアに一体いくつかと聞かれた事もあったが、聖霊と人間のハーフの自分達ですら見た目が止まっているようなもの。聖霊のブラックはもっと遥か上の歳なのだろう。
――お嬢様の疑問は今なら分かるような気がしますね。あのじじいは一体いくつになったのでしょう?
年齢不詳のライラですら疑問に思う程に、ブラックの見た目に変化は見られないようだ。
甦る記憶、数々の思い出はライラの心を少しだけ暖かくした。
彼女の心が乱れる事といえば基本アメリア、もしくはアスターの事だけだった。
思い返すことで理解できる真実は、ライラの心に変化を齎した。
「お嬢様、あのじじいはやり手ですが、本に書かれている通り…きっと…お嬢様にもアグリア様にも、今のままで幸せでいて欲しいのだと思います」
少し話し出すまでに時間がかかっていたライラの表情は、どこか子供の様だとアメリアは見つめている。じじい呼びは変わらずだが、彼女が先程より老師に対し刺々しい言葉を発する事はなく、どこか懐かしむような話し方になった事を見抜いた。
(ライラにとっても、老師様は大切な方なのですね!)
『ゲーム盤』の設定上、負の感情を一心に受けるアメリアは、ライラに優しく微笑む。
彼女は優しさに触れては来なかった。優しさを、愛を、本当の意味で与えてくれる人はいなかった。設定で、そうであれと行動している世界の登場人物達。確かに生きている世界の住人達だが、設定を魂に刻み込まれているアメリアからしたら、どんなに愛情を注いで貰ってもそれは設定でしかなかった。
本当の愛情、優しさではないとアメリアは知らぬ間に壁を、溝を作っていた。
そうしなければ彼女の心が、鋼鉄になる事はなかっただろう。
彼女がこの世界で何度も周回をする為の処世術だ。
(愛情に溺れて、優しさに溺れて、結局命を落とすなら正直なところ、元々そういうものだと思っていた方が裏切られたと思う事もなかったですしね!今ではどのようにしたらフラグを建築出来るのかまで分かりましたし!過去の経験は無駄ではありません!)
鋼鉄の精神と魂のアメリアはこうして、自身を強く持ち、前向きに生きている。
設定と離れている神々だけが悪役令嬢のアメリア見つけ、罰を与え、自らの意思で成長した彼女自身を愛した。
それをアメリアも感じ取った。だからこそ彼女は、神々との約束を守る事に必死なのだ。
彼女の意地と我がまま、それは元々アメリアが持つ傲慢さも入り、最後の周回まで辿り着けている。
その最後の周回で新たな知識となる、ブラックとアグリアの情報を読み終えて、頭の中を整理し見極める。
二人が自分の死亡フラグとなるか、生存フラグとなるかどうかを。
(お婆様の話しを聞いてハラハラしましたが、お兄様はやっぱり保留ですか…攻略対象ですしね…。強制力というものでしょう。補正って凄い!……んー処分ねー…?)
アメリアは頭の中を整理しながら、先程まで子供のよな表情を浮かべていた侍女を見つめる。ライラは自分を見つめるアメリアに首を傾げた。
「聞いても良い?老師様はわたくしを殺すと思いますか?」
侍女はゆるりと首を横に振る。
「答えは否です。あの方は…じじいは処分しようと本当に思っているのであれば、このように自ら教材を作りはしません。そしてこのように相手に情報を与える事もありません」
「そう。ライラがそう言うのなら、そうなのですね。老師様は自分の置かれている状況をわたくしに理解しろと、この本から学べと仰っているのですかね…。相変わらずやる事が意地悪で可愛いおじいちゃんですね!」
確認を取ればライラから否との答え。
ブラック老師が書く祖母アグリアの行動というのは、きっと一年後の事だろうと目途を立てる。一年後の行動の後、監視から処分へ切り替わる可能性を何通りか頭の中で叩きだしていく。
アグリアは現状精霊王の監視下。精霊王の命令を絶対とし、その命令の際限はない。アグリア本人もそれを受け入れている。精霊王の命令撤回及びアグリア説得は難しいだろう。
一方ブラックは監視から処分撤回へと変わっていることが、記述から分かる。それは先日の双子とアメリアに語った時の条件が、変更点として追加されているようだった。重点が置かれているのが、双子、アグリア本人、そしてド・グロリアの名を継ぐ自分。ついでに自分の兄。
(攻略対象であるお兄様が物語から居なくなる事はない。いくら神さま方が介入していようとそれはあり得ないですね。なのでお兄様の事はついでです、ついで。保留にされている事を考えてもお兄様は放置しててもきっと本編に戻ってくるでしょう!)
鋼鉄の精神と魂のアメリアは現状の問題はフラグのみ。
設定を魂に刻まれ99回も繰り返し、世界の強制力を嫌という程味わった。攻略対象であるダレンが本編前に消えるわけがない。消えたとしても、本編には戻っているだろうと仮定を立てて切り捨てた。
これでも彼女は兄の事も一応考えてはいるものの、然程心配していない。本来の目的である死亡フラグの建築が可能かだけが心配なのだ。
むしろそっちの方が心配だ。
王から直々に命令されているのであれば、処分撤回など簡単に出来る筈はない。
だがブラックの頁の記述には撤回の文字。
アメリアは再度ブラックの項目を読みなおした。
(考えてる前提が違う?老師様が私の監視というのは、ライラとアークが失態を犯さないかどうかの監視の意味?そして老師様の項目にあるお婆様の行動というのは…もしかして命令を裏切らないかという心配……ですか?何故…心配なんて?お婆様は一年後、私とお兄様を………―――っ!!)
アメリアは一つの可能性に辿り着いた。
教材は本当の意味で教材であった。アメリアは辿り着いた可能性に、今確信を持てるわけではない。だが、彼女は自分で考え、文章を読み解き、老師と祖母、そして隣国のあり方を得て、確かに1つの答えに辿り着こうとしている。
混乱する頭の中で、ごく最近自分に話してくれた隣国の情報を思い出す。
―平和なのですが、下手をしたら死にます。
ライラが。
―死と隣り合わせでしょうか。
アークが。
二人が死と隣り合わせだと言葉にしたが、平和と言える国。特別な力を持つ者と、そうでない者との差は簡単に埋める事は不可能なのだろう。
そのブルームーン国で力をもつ特別貴族のアグリアが、現状裏切る素振りは見せていない。しかし、彼女はアメリアに、ダレンに言っていたのだ。
―構わずわしを討て。この国でそれが出来るのはアスターの子であるお前達二人だけ…
と。
そう。アグリアははっきりと口にしていた。
構わず討てと。
無敗を誇る女大公がそのような事を口にするものなのか。
連れ戻すように命じられているというのに、アグリアの言葉。
その一年間、連れ戻す予定の兄妹を鍛えると言う矛盾。
アメリアは自然と教材を持っていた手の爪が白くなる程に、強く握りしめていた。
(フラグとか言っている場合じゃない…。まさかお婆様………――わざと負ける気ですか!!!)
アメリアの周りがぶわりと空気を変える。
突然の彼女の変化にライラは驚くが、アメリアの瞳は深紅ではなく憂いを帯びたコバルトブルーに染まっていた。
真っすぐな青銀のアメリアの髪がふわりと魔力によって揺れる。
溢れ出る魔力を彼女が抑えられていないようだった。
「お嬢様!!」
「ごめんなさい…ごめんなさいライラ!今は耐えてください!お婆様の大馬鹿者に悲しくて仕方がないのです!!!」
光の加減で色の変わる彼女の瞳から涙がこぼれる事はなかったが、叫ぶアメリアの声は泣いているようだった。
ライラは一体どうしたのか分からない。魔力を溢れだす程に、悲しんでいる自分の主人を、ただ優しく抱きしめる事しか出来なかった。
びりびりと感じる魔力はライラを追い詰めていたが、ライラは自分の事よりもアメリアを支えたかった。
(私の答えが正しいのならお婆様は精霊王様の命令に背き、私とお兄様にわざと負け、私達二人をブルームーン国に連れていく事はない。無敗を誇る女大公を打ち破られたそれだけで問題になるというのに、わざと負ける事を決めていて、命令に従う気がなかったのであれば、それは…契約を無視したと考えられてもおかしくない!
老師様は自然とお婆様を処分しなくてはならなくなる!老師様はそれに薄々気づいている。そういう事ですか、お婆様っ!老師様っ!)
アメリアはライラの背中に手を回しギュッとすがる様に抱きついた。
ごちゃごちゃとしていた一つの可能性は、徐々にアメリアの中で一本の線となっていく。
(精霊王様との約束がアーク、ライラ、そしてお母様の為。お父様のため…。その為ならお婆様は自分の身を差し出しす事に決めた。大切な者の、家族の為なら…私達の為ならお婆様は負ける事を選ぶかもしれません。お婆様が処分される事を望んでいるのだとして…、契約に処分された時のライラもアークの事はどうなるのでしょう…)
奥歯を噛みしめて叫び出したい気持ちを抑える。
抱き締める指は白く、震えている。ライラはただそんなアメリアを黙って支えるだけだ。
(もしかしてお婆様が処分、というか亡くなった時、二人は契約や監視の任から解放される…?それとも…その場合の契約の柵がない…?お婆様が本当に私達兄妹を連れ戻す気がないのだとしたら。
家族の私たちの為にわざと負け、自分は処分…。処分後の契約が元々なかったとしたら……)
アメリアの考えた可能性は、仮定として頭の中で一本の線として繋がった。
(だとしたら!私やお兄様、ライラ、アーク全員を解放する為に!!そんな小さな小さな可能性にかけて、確証もないのに、私たちにわざと負けると言うのですか…お婆様……!)
涙を耐え、叫び出すのを堪える事しかアメリアには出来なかった。




