幕間―とある執事長と氷の公爵の会話―
ロイドは長い脚を生かして自分の屋敷にある執務室へと足早に移動した。
少し乱暴に開くと、中にはこの屋敷の執事長のアークが書類などを整理している姿が。
「アークか、随分早い時間に動いているな」
「おはようございます、旦那様。お嬢様より少しお呼びがかかりまして、旦那様にお嬢様が目覚めた事をお知らせに……」
「アメリアに!?やっぱりあれは夢じゃなくアメリアだったのか!?そうか…目覚めたのか…」
「はい…何か御座いましたでしょうか?」
ロイドは疲れたようにソファーに腰をどっかりと落とした。
アークは報告の為この部屋にやってきたのだが、部屋を覗けば昨夜までいた筈の屋敷の主人の姿はなく、書類は床に散らばっていた。せめて掃除が入る前に拾っておかねばならない重要な書類も散らばっていたので、片付けていただけだ。
それだけだった筈が、そのロイドは部屋をいきなり開けたかと思えばアメリアの名を聞くと驚き、疲れたように座り込んだ。
――お嬢様…朝から何をしたのですか?
彼女の優しさに気づけたアークだが、アメリア自身の優しさは少し、いや、かなり分かりにくいもの。その事を考えれば彼女が彼に何かしたのではないかと思ったのだ。
失礼千万だが彼女の行動を考えると、そうアークが思っても仕方がない。
ソファーに座っているロイドは頭を抱え俯いている。
――夢であって欲しかった…。
しかしアークの報告を聞くにはアメリアは目覚めている。そしてあの子の事だ、既に動き出しているのだろう。普通ではない自分の娘。禁忌魔法を構築出来てしまう自分の娘に今頭が痛い。
彼女が何故アスターに見えるのか全く分からない。息を吐き出せば重たいものしか出て来ない。
アークはロイドに声をかける。
「旦那様、お疲れでしたら何かお持ちいたしましょうか?」
「いや、いい。それよりアーク…聞いてほしい事があるのだが…」
「なんでしょうか?」
部屋にやってきたロイドは明らかに疲労しているような、普段の「氷の公爵」ならざる姿の男性であった。せめて気分を変えて頂こうと提案したアークだが、この屋敷の主人は自分に聞いてほしい事があるという。
深い、深い溜息のあとロイドはぽつぽつと語り出した。
「アメリアが書斎にいたんだ…。だが、あの子を見た瞬間、アスターに見えたんだ。私は…私はな…アメリアに…」
そこでロイドの声が止まる。
自分を呼び出した後、姉と一緒に書斎に行ったのかとアークは話を聞いて思っていたが、変な所で話を切って俯いているロイドに見えないが軽く首を傾げた。
――アスターに見えたというのは幻覚か何かか?だが魔法の類は感知していない…。
幻覚ではないならば、目の前でどよどよとした雰囲気を漂わせている本人の夢だろうか。
疲れているのだから仕方ないだろうとアークは思った。
そのまましばらくロイドの言葉の続きを大人しく待っていると、とうとう続きが音になった。
「…私はアメリアに恋をしているんだ」
「はい?旦那様今一度仰って頂けますでしょうか?私の耳がおかしくなったようです」
「だから!アメリアに恋をしているんだ!」
「……はぁ…。それで何故そのように落ち込まれているのですか?」
アークはこの面倒な状況からさっさと解放されたかった。
姉といい、この屋敷の主人といい、自分の周りは一体何故あのお嬢様へ恋心を抱けるのかいまだ理解できない。確かに彼女は分かりにくくもあるが、優しい。そしてごてごての似合わない格好さえせず黙ってさえいれば、普段の彼女は可憐で美しいと言えよう。それは偏見ない目線から言っても断言できる。
だがと思う。
本当の彼女の魅力を完全にアメリア自身が隠そうとしている事をアークは先日知ったばかり。
悪評を連れ歩く彼女の評価は、周りからかなり低いし悪い。アメリアが表に貼りつけている性格は、それはそれは酷い。それを考えてもこの公爵が恋心を抱くなど考えられないのだ。
目をカッと開き自分を見つめる公爵が疲労で少しねじが外れているだけだとアークは思いたかった。
「あの子に恋をしている!それなのにだ!」
どうやら彼の思いと裏腹にまだ続くらしい。
「あの子がアスターに見えるんだ!今までそんな事はなかった!アスターを愛した時だって他の女に見える事なんてなかったのだ!」
「……疲れているからではないでしょうか?」
「それはない!いくら忙しくともアスターを他の誰かと間違える事などなかった!アスターは私の唯一無二だ!」
アークは思う。
――くそめんどくせぇ!
確かに自分達がブルームーン国にいた時に彼はアスターに一目惚れし、アプローチをかけていたのを目にした事がある。そして今の今まで彼は彼女一筋と言っても過言ではない。
ダリアの存在を思い出し、彼女がアスターに勝ち誇ったような笑みを向けていたのを思い出した。
――あの方は本当に表と裏を作るのが上手いな…。今の今まで忘れていたが、女主人としては良くやっているだろうが、あの人はお嬢様に手をあげていたな…。あの姉さんが気づいていないのか?
アークが何を考えているのかロイドには分からないが、彼も彼でアメリアの体の傷を知っている人物だ。二人ともアメリアによって封じられているある意味似た者同士だ。
互いが知っているなんて微塵も知ることが出来ない、共有できない同じ情報を知る者同士。
アークは無表情ながらに視線を横に向けている事に気づいたロイドは強めに声を出す。
「聞いているのかアーク!」
「はい、一言一句しっかりと。それで旦那様。一つ疑問がございます。ですが、これはあまりにも失礼にあたる事だと思われます…」
「なんだ、言ってみろ」
――これは俺の考えだけど、多分間違っていないだろう。
アークはしれっと眼鏡のブリッジを一回上げて、ロイドに淡々と自分の考えを述べる。
「では、遠慮なく。はっきり申し上げますと、旦那様は前奥様、アスター様に似ているからお嬢様に恋をなさっているのではないかと、私は聞いていて思いました。お嬢様に恋をしているというよりも、前奥様にまた恋をしているようにも…。でももう前奥様は居られません。旦那様は無意識でお嬢様を前奥様に置き換えて見られているのではないのですか?確かにお嬢様は幼き頃のアスター様に良く似ておいでです」
「っ!??!!!」
ロイドは絶句した。
――なっ…まさか…そんな…そんなわけは…。
彼の頭の中で否定と、そして肯定が。
自分が新たに恋をしたのがアメリアではなく、再びアスターだと。
思い返せばアスターに対して激しい愛情を抱いたのに、アメリアに恋をしたと自覚した時、そのときのような激しい感情は巻き起こらなかった。どちらかというと見守りたい暖かな愛情だ。
ロイドの頭はぐるぐると混乱が巻き起こった。
言葉を失ってしまったロイドに、アークは本日の予定を胸元から取り出した手帳を見ながら確認している。
ここしばらくこの屋敷の主人は仕事を疎かにしていたのだ、さっさと悩みを横に置いて仕事をして欲しい一心である。
「旦那様、湯浴みの準備をさせますので、気分を変えて仕事に戻りませんと色々と支障が出ます」
「……アーク…私は…これからアメリアにどんな風に接すればいいんだ…。きっとまたアスターに見える………」
「知りません。それは旦那様が決める事でしょう。再びお嬢様を通してアスター様に恋をしていようと、本当にお嬢様に恋をしていようとそれはそれ、仕事は仕事です。さっさと頭を切り替えて動いてください」
辛辣なのはアークの中で面倒ゲージがマックスになった事を意味した。
眼鏡を光らせ、手帳を閉じて自分の掌にパンと叩きつけた。
音にびくりとロイドが反応するが、子供の様に駄々を捏ねている。
「昔みたいに一緒に考えてくれよ、アーク!親友だろ!?他人みたいな言い方しなくたって良いだろう!!!」
「アスター以外に恋をした事がないからそうなっているのでしょう!?大人になったのですから、自分の心は自分で整理してください!俺は貴方が溜めている仕事の後始末が待っているのですよ!!良い歳した大の男に甘えられても嬉しくもない!!」
「氷の公爵」はアークにとって弟みたいな存在だ。
そして彼はブルームーン国でロイドから相談を受けていた兄のような立ち位置だった。最初はラナンキュラスの貴族とだけで吐き気を催したが、逃げるアスターに一心に自分の気持ちを真っすぐぶつけている彼に危険はないと判断できた。
その時にロイドが、アスターが初恋で一目惚れだと言われたのを思い出した。
にしても大きい弟は、その時の様に恋愛童貞のような事を言っている。
――この人…もしかして向けてる愛の違いも判らないのかよ…。
アークからしたら、一人称が崩れるほど、とってもどうでもいい。
彼が誰に恋をしようと愛人を作ろうと関係ない。これ以上仕事を溜めこまれたら、アメリアからのお願いをきけなくなってしまう事も考えると、さっさとこのぐたぐたもやもやぶつぶつ言っているロイドに仕事をしてもらいたいのである。
「アメリアには暖かい気持ちになる…だがそれはアスターに抱いてた激しい想いとは違うのだが…これは恋ではないのか?」
「さあ…それはお嬢様だけですか?」
「ダレンやマイク…ユリにも感じる…が!アメリアほどではない!」
「そうですか」
――うるせぇ!そんなだから奥様を妻にする事になったんだろうが!恋愛事になると本当に駄目な人だな!この人!アスターに似てるからお嬢様は特別になってるだけで、子供たちに向けてる愛情は一緒だろうが!!!!
といった心境である。
姉にするようなツッコミを心の中で炸裂させていても表情は無表情な辺り、アークはある意味感情の制御が上手くなっていると言えよう。
アメリアが自分に対してしてきた事に気づいたからなのかはさておき。
更には面倒だと思ってもちゃんとロイドの悩みに付き合ってあげるアークである。
――そう言えば、お嬢様は俺に嫌われなくてはならないと言っていたな…。あれはどういう意味だ?
気づいてならない部分にまでアークは気づきそうになっている事はアメリアは知らない。
彼女は今ここにおらず、そしてあの時自分を運んでいた人物をアークではなくライラだと思い込んでいるのだから。
彼は今やアメリアの中で難易度最上位に君臨しているのを覚えているだろうか。
恋にうつつを抜かしていない彼は、アメリアの中でかなり優秀な存在なのだ。
神々によって優しさと愛を増幅された“攻略対象”のアークはアメリアの発言を今は一旦横に置いた。
それよりも今は目の前で面倒くさい状態になってしまっているこの屋敷の主人をどうにかしなくてはならない。こっちは早く済ませる事を済ませないと、アグリアに捕まって身動きが取れなくなってしまうのだからさっさとして欲しい。
だが目の前のソファーに座るロイドはうむむむと唸っているだけで動く様子はない。
アークはとうとう、メイドを呼びつけて湯浴みの準備をさせた。
動かぬのなら、動かせばいいだけだ。
それで彼の威厳がなくなろうと知った事ではない。彼は彼で積み上げた功績、実績がある。多少この屋敷内で威厳がなくなっても落ちる事などない。
「お嬢様への対処は自分で考えてくださいね。私が手伝える事は仕事だけですよ」
「アークが冷たくなって寂しい…。アメリアにも言われたからちゃんと仕事する…」
「言われなくてもしてください」
この人一回威厳丸々地に落ちてくれないかなと、疲れたアークは頭の片隅で思うのだった。
思うだけでなのは彼の中でロイドはやはり大きな弟のような存在だと言えよう。
そんな事があったなど、アスターの秘密基地に移動しようとしていた侍女と少女は、知る由もなかったのである。




