第45話
秋風が入ってくるが冷たい筈の風はどこかとても優しい。
頭痛が増すばかりだとアメリアは突っ伏したまま、未だ驚いている双子にパンと手を叩いく。
「…アーク、ライラ説明」
二人は背筋を伸ばし、交互に説明を開始する。
「俺達の父は聖霊であり特別貴族です。特別貴族となった時、精霊王様より名を頂きました」
「それが私達の父は最下位のE。その上に立つはブラック様のD、アグリア様は上位から二番目のBの名を持っているのです」
息の合った説明を淡々とする双子。
「ライラも俺も父の爵位を受け継いではおりませんので、名前には入っておりません。ただ、特別貴族は個人に与えられたか、一族に与えられたかによって意味が異なり、俺達やブラック様の場合は一族に。アグリア様の場合は個人に授けられています。一族に与えられた場合はその一族の頭首が、名を名乗る事が許されているのです」
「それとは別に与えられているのが別枠最上位である、お嬢様が持つド・グロリアの名です」
説明が終わればアメリアはぐりぐりと頭を机に擦りつけていた。
聖霊は特に気まぐれが多いが、彼は擬態していても聖霊である。老師はとても楽しそうに髭を触りながら笑っている。
「なるほどねぇ…特に名を持つわたくしを、お婆様を投入してでも取り戻したいわけはそういう事ですか…」
「ワシはその約束が果たされるかどうか、また、アグリア様が裏切らないかどうかの監視役じゃ!いやぁ!外の世界は楽しいのぅ!」
とても楽しそうに笑われている事に若干の不服を感じながら、まずライラに視線を向ける。
「ライラからみてブルームーン国とは」
「はい…平和なのですが、下手をしたら死にます」
ぐりっと顔だけを動かし、次にアークへと。
「続いてアーク」
「そうですね…死と隣り合わせでしょうか」
こてりとそのまま力を抜く。
「頭が痛いのだけど…だから何故普通に生きていてそんな戦場のようなところなのですか!平和とはなんです!」
とてつもなく物騒なブルームーン国の平和とは一体とアメリアは嘆く。
淡々と話す内容ではないだろうと、内心大きくツッコミを入れているアメリアなど分かる筈もない双子は、至って真面目に答えている。
それでも彼女達は平和と断言しているのだ。自分の中にある平和とブルームーン国出身の二人の平和はかなり相違があるように感じている。
「俺達異端の双子はまぁいるだけで悪魔と言われますし、特別貴族の名を欲しいと奮起する精霊達や人間もおりますから、その者達からの刺客はよくある事です」
「そうですね。そんな中、生き残れた事に親に感謝したほどですから。何かに特化していなければ特別貴族の爵位は頂けないというのに、奪えると周りが勘違いを起こして早数百年ですし、もう民の考えを戻せないのではないかと思っております」
どちらの国も似たような所があるとすれば人間の性格だろう。
アメリアは突っ伏したまま眉間を押さえ、口を曲げる。
「最初にそのおバカな勘違いを起こしたのは…どうせ欲深い愚かな人間なのでしょうねぇ…。精霊の方々は楽しんで遊んでいるだけなのでしょうねぇ…何て国なの…」
嘆くアメリアに二人は一瞬顔を見合わせて眉を下げた。自分達に優しい小さい少女は、自分達の国の話を聞いても良く考えてくれている。
付け加える様に二人は言葉を紡ぐ。
「アグリア様に置かれましては、屋敷を抜け出しては良く街に出向き、貴族だけではなく平民達や様々な精霊達と交流し助けていた、とても心の広いお方でしたので、口調と性格を含めてもあちらの貴族の中では、かなりまともな方です」
「ただ色々と規格外なだけで」
どこを取ったらまともになるのかとても審議したい気分である。
規格外と言われているのはよく耳にしていたが、それを持っても他の貴族はこの国の貴族と少し違っているのかと思える。屋敷を抜け出して街に下りていた事はロイドとアグリアの会話で聞いていたが、分け隔てなく助けていたのかと考えた。それ故に彼女の言葉には若干の訛りが混ざり、言葉も荒いのかと。
そうしてそこまで考えたアメリアはとうとう。
「そう…分かったわ…」
深く考える事を放棄した。
鋼鉄の精神と魂を持っているアメリアではあるが、自分の持つキャパシティを完全に越えてしまったのだ。
自分がポットならばきっと湯気が出ているだろうとアメリアは斜め上に思っている。
一人は突っ伏しているものの、とても穏やかな空気が漂っている訓練場の一角。
ぴくりとライラが反応し、扉の方へと視線を向けた。
「お嬢様、アグリア様達の馬車の音が聞こえてきました」
「あら、まぁ」
ガタガタと音を立てながら勢いよく立ち上がった老師は、机に出していた教材を急いでバッグに詰め込み始めた。
アメリアはぼうっとそれを眺めながら、帰ってきた音まで拾えるとは凄いなと思っている。
「ワシはさっさと退散するに限る!お嬢様、これからの勉強に関しては魔道具を使って進めていく事になります。魔道具はアークにでも運ばせて置くのでアグリア様に気づかれないように受け取ってくだされ!」
「難易度高いですね…分かりましたわ…」
何やら反応の鈍いアメリアにアークが近付き、腰を視線の高さまで曲げる。
「…お嬢様、触れる事の許可を頂けますか?」
「あーく?いいけど」
手袋を外し、アメリアの額に触れようとした時、扉を警戒していたライラがアークの肩を掴み止める。
みしみしと骨が軋む音がするが、それどころではない。
「駄目よ!何をする気!」
「姉さんは少し黙っていて」
アークはライラの手首を掴み肩から外すと、大人しくしているアメリアの額に触れる。
彼女の最近の平熱は分からないが、明らかに熱い事が伝わってきた。
アメリアはこてりと首を傾げる。
「?どうかした?」
「お嬢様、失礼致します。熱があるようですので部屋へ戻りましょう」
「あら、まぁ…」
頭が痛むとは思っていたが熱があるとは思っていなかった。フラグ建築している相手の筈のアークに、本来ならばこの時点で引き離すべきだというのに、アメリアは、大人しくアークに横抱きにされた。
額に触れた彼の手はとても心地よく感じたのはその為かと、ぼんやりする頭で呑気に思っていたのだ。
アメリアを横抱きに立ちあがったアークを止めにかかるライラ。
そんな彼女を無視して二人は会話を続けている。
アメリアに至っては全く頭が回っていないだけなのだが。
「なら私が!私のお嬢様の事は…っ」
「あーくはちからもちですねー」
「…お嬢様が異常に軽いのですよ」
いつぞやの再現だなとアークは思う。
腕にかかる体重は7歳にしては軽く、そして細い。あの時の自分は本当に愚かだったと、再度反省する。そして今自分の服の冷たい箇所にすり寄っている、腕の中の少女の気づかれにくい優しさにやっと気づく事が出来たのだった。
片づけを急いでいる老師の方へと体を向けると、頭だけを下げあえて名前を呼ぶ。
今この屋敷にいる人物は聖霊であり特別貴族のブラック・D・ヘムロックではなく、ブラック魔法老師であると強調して。
「では、“ブラック魔法老師様”。お嬢様の体調が優れませんので、本日はここまでとさせて頂きます」
ブラックも彼の意思に答える様に彼の名を呼ぶ。
自分達は雇われてやってきた家庭教師と雇っている屋敷の執事長。それ以上の関係性はないといったように。
「ほっほっほ。了解いたしましたぞ、“アーク執事長殿”。お嬢様、少し精霊力に当たり過ぎましたな、申し訳ないのぅ…。良く眠って休んでくだされ」
「だいじょうぶですから、おきになさらずですよー」
片手を上げてアメリアは老師の言葉に答えると、ぽてりとそのまま力無く腕を垂らす。
一つの動作だけでも彼女はとてもゆっくりな事から、早めに休ませないとまずい事が良く分かる。
「アーク!」
ライラはアークの肩を再度掴み自分の方へと向ける。
自分の主人に彼が触れている事自体、彼女の中では許せないのだ。
「らいらはろうしさまをおくって、そのままおばあさまをむかえてきてください!」
「なっ!」
いつものように自分へ腕を伸ばして甘えてくると思っていたアメリアからのまさかの命令。
瞳を見開き、固まってしまった。
アメリアはぼんやりする頭で老師に言葉だけだが挨拶をきちんと行う。
「ではでは、ろうしさま、ごきげんよう」
「はい、御機嫌よう」
こくりと頷いて微笑んだブラックを確認すると、用が済んだと熱で潤んでいる瞳を持ちあげているアークへと向ける。
「姉さん、一瞬で運べば今のお嬢様は耐えきれない。お嬢様が誰かにこの状態を見られるのが嫌がる事は何となく分かっている。それに見つからないで辿り着くのは俺の方が得意だよ。お嬢様の命令通り魔法老師様を送ってください。部屋に運んだら俺がアグリア様達を迎えに行くから」
「…っ…だけど!」
今まで自分以外に甘えるような事はなかったアメリアが、アークの胸に擦りついている現状。ライラは表情を歪め、落ち着いてなどいられなかった。
アークとしては下心など一切なく、この屋敷の令嬢であるアメリアを一刻も早くベッドで休ませてあげたいだけなのだが、冷静さを失っている目の前に立ち塞がる姉に伝わってはくれない。少しばかりそんな姉に苛立ちを覚える。
――証を授けた主人の不調を気づけなかったのに、俺に嫉妬する余裕はあるのか!
怒りは正論なのだが、口には出さない。邪魔をしているつもりは姉のライラは微塵も思っていないのが分かっているからこそ、口には出さないのだ。彼女は彼女なりにアメリアを心配している。ただそれ以上に嫉妬しているだけという事。
ぼんやりアメリアはいつも通りのライラですねぇと、頭の片隅で的外れにも思いながら彼の胸元をくいくいと引っ張った。
「あーく、はこんでくださいー」
「御意。姉さんは少し頭を冷やして来た方がいいよ。主の不調に気づけないなんて、アスターの時ではあり得なかった…今の姉さんは落ち着いた方が良い」
本来アメリアが甘えるのはアークではなく、ライラだ。
それはアメリア自身でも断言できる事。だが今の彼女は全く頭が回っておらず、判断能力も低くなってしまっている。
それ故に自分を抱きあげているアークに甘えてしまった。
鋼鉄の精神と魂のアメリアならぬ行動ではあるが、熱を出している状態では仕方のない事なのかもしれない。
精神と魂がいくら鍛えられていたとしても、肉体年齢は7歳だ。
ライラは悔しそうに自分の弟を睨みつけ、冷静ではないと確かに思った為、最後は事務的に軽く頭を下げた。
何故事務的なのかと問われれば、個人的に頼むよりも彼女の精神的ダメージは低いのである。それを分かっている弟も仕方のない人だと眉を下げて、一つ頷く。
「……そう…ね…。お嬢様を宜しくお願いします。アーク執事長。アグリア様方はそのまま私が担当致します」
「分かりました。では老師様の見送り、旦那さま方の出迎えは任せました。侍女ライラ」
そして二人が訓練場から去ると一気にその場の温度が下がった。
扉が閉まった音だけが響く。
だが老師はとても楽しそうである。
「ほっほっほ。弟に負けてしまったのぅ?」
「老師様、是非ともお手合わせを今度付き合って下さい…その胡散臭い長い髭全部引っこ抜いてあげます」
とても良い笑顔で自分を見つめる侍女に老師の表情が固まると、バッグを抱え一気に距離を取る。
馬車の音は着々とこの屋敷へと近付いてきている。
ブラックの中に焦りはないが、目の前の八つ当たり機械と化しているライラにかなり焦っている。
本来であれば問題である彼女の行動だが、ブラックもライラを良く知っており、彼と彼女のこの行動は割と隣国では普通なのである。
そうでなければブラックが楽しそうな訳はない。
「ほっほっほ!お断りじゃわいっ!お主は昔と何も変わらんなっ!」
ひょいひょいと身軽に体を動かし、自分を嘲笑うかように逃げていく老師に、次々と技を繰り広げているライラであった。
◇◇
一方その頃のアメリアとアークは使用人達に見つからずに廊下を進んでいた。
流石は隠密を得意とする超人一族の双子の弟。人の気配を察知する能力は一流。
老師の言葉からアメリアに、これ以上精霊力をあてるとかなり不味い事になるであろうと察する事が出来たアークは、瞬間移動の魔法を使う事無く、精霊力を使う事無く慎重にかつ迅速に進む。
アークは腕の中に大人しく抱かれて運ばれているアメリアを見る。
頬は高揚し、少し額に汗が滲み出てきており、息も少し上がっている。抱きあげている体は徐々に熱を上げてきているようにも感じる。なるべく急がなくてはならないが、見つからずに辿り着かなくてはならないと理解しているからこそ、慎重に歩みを進めている。
「本当のお嬢様はこちらなのですね…」
「あーくにはひみつにしようとおもっていたんですよー」
子供の様にぷくーと頬を膨らませているアメリアに、アークは急がないといけないと察する。熱から来る退行であるなら、自分が思っているよりも彼女の熱が高い事になる。
少しだけ進む速度を上げる。
「はぁ…何故か聞いても宜しいですか?」
「んぅー…だめですー。でもでも!わたくしをきらいにはなっていてもらわないとこまります!いいですね!分かりました!?聞いてます!?」
捲し立てる様に騒ぎ始めた少女に、アークは足を止めた。
か細い声ではあるが彼女の声は通る。この状態を見られて困るのはアークではなくアメリアだ。
それが分かっているからこそ足を止め、片手に抱き直すと、手袋を外していた手をアメリアの顔を覆うように優しく当てる。
「…眠ってくださいお嬢様。起きたら聞きますので」
囁くように精霊語で詠唱する。
『包むものは安らぎへ。眠りへと乙女を誘え』
「あっまほー…あーく、わたくしの…じゃま、しちゃ…だめです…よ……」
「それを決めるのは俺です。今はゆっくりと体を休めてください。お休みなさいませ、お嬢様」
眠る為だけの魔法は構築され、夢の世界へと優しく誘っていった。
指の隙間から見えたアークの表情が普段の無表情ではなく、慈愛に満ちていたものだったとは、熱に浮かされているアメリアに判断は出来なかった。