第44話
老師は長い髭を弄りながら、膝の上で手を握り込んで顔を俯かせている目の前の少女に眉を下げて微笑む。
「さてお嬢様。ワシが何故、禁忌魔法に対して憎く思っているのか、これで分かってもらえたかの?」
「…はい。ラナンキュラスの…その騎士は何て愚かなの…」
アメリアはその光景を、夢で見ていた。アークが叫び出してからの出来事だったが、ブラックが明かした真実と一致する。
ラナンキュラス第五師団。
彼らは己の欲の為に、二人の聖霊を殺め、使い、幼い双子を追い込んだ。
握る掌に爪が食い込んでいく。
優しい彼女の辛そうな表情にブラックは優しく声を出して笑う。
自分は彼女を騙してここに居た者だ。こんな思い出話をされてもつまらないだけだろうに。
目の前の心優しき少女は自分の事の様に、双子の為、そして自分の為に悲しみ、怒っている。
「ほっほっほ。あやつがどこの師団にいたのか、どうしても知りたかったワシは、精霊王に証を授け、契約し人間になりすましこの国の特別魔法師団に入ったという訳じゃよ」
「禁忌魔法を使ったとなれば、ラナンキュラスの国王も無下に出来ない。精霊王さまはそれを武器にこの国に老師様を入れたのですね…。それにしても精霊王様が下した罰が重い気がするのです…」
老師はカップを手に取り、髭につかないように器用に飲む。
「そうかのぅ?まぁワシらは特別貴族で聖霊じゃ。ワシと妻はそれなりに生きとるし、聖霊としてのあり方を子供に教える義務があった。力が特化しとるのも理由に上がるじゃろう。それにいくら子供のしたことだとしても、隣国の貴族の子息を殺めたんじゃ。冷静になってみれば戦争にならんように王も頭を悩ませたんじゃろうて。悪いことしたのぅ」
アメリアは特別貴族の詳しいことを知りはしない。だがこの国ならどうだろうと置き換えることはできる。
隣国の貴族の子供を仕返しといって、誤って命を奪ってしまったら大変なことになる事だけは想像できた。戦争にならないようにという意味も分からなくはなかった。
特別貴族はまるで精霊王に監視されている存在のようだとも思った。
「同じ国の中だけならここまで重くはならんかったかもしれん。この事件があってから、王も同じことが二度と起こらないように見直しする事にしたらしいしのぅ。国はその時その時で変わるもんじゃよ」
「そうですね…二度と起こって良いことではないです」
秋の少し冷たい風にカップ中身が冷えているが、彼女の優しさにブラックの心は暖かくなる。
ブラックは思い出す様に少し上を向きながら話す。
「まぁワシがこっちに入ったのも先々代の国王の時代からじゃがな…。それまでワシは失った物が多すぎて、自分の心を整理する時間を取っていたしのぅ」
複雑そうにアメリアは表情を暗くした。
彼が受けた悲しみは計り知れない。黙っていた無表情の二人も表情が暗くなる。
アークは生唾を飲み込み、震える唇を無理やりに動かし、老師に口を開く。
「ブラック様…私は…私たちの力は…ブラック様の…」
「アーク、ライラ。お主達はハーフであり、異端の双子である。ワシはお主達を恨んではおらんし、返してほしいとも今は思わん。ただな…」
老師は優しく微笑んでいた表情を変え、精霊力を溢れさせながら真剣に二人を射抜く。
びりびりと感じる彼の威圧は、二人を圧し潰さんとばかりに放たれている。
息をする事すら困難に感じる二人なのだが、周りを包んでいる空気は変わらない。現にアメリアは真っすぐと老師とライラとアークを見つめている。二人だけがそう感じているだけなのだ。
「アーク、ライラよ。ワシはお主達が復讐の為に、己の欲の為に扉を開こうとするのであれば、お主達を殺してでも返してもらう。怒りによって出現する事は仕方ないにせよ、その力はワシの妻と娘じゃ。感情に流されたり、欲に溺れる事があれば直ぐにでも返せ」
ライラ、アークは共に思い当たる事があった。
一人は己の欲の為、一人は感情に流され。自分達の為に使いかけた。
その力は自分達が元々持っていた物ではなく、二人の聖霊の命。
己の愚かさに自然と手が強く握られる。
アメリアはただ二人を静かに見つめる。彼女が今口を挟む事はない。これは二人にとってとても大切な事だからだ。
老師は精霊力を少し抑え、奥歯を噛みしめているアークに声をかける。
「してアーク。お主は今も感情が制御できない。正確には断言出来んが、それはワシが二人の記憶を改竄したからかもしれん…。度重なるストレスがお主にあったところに、ライラが目の前で刺され、その時に心が壊れかけておった。それを修復する為にワシが改竄した…」
自然と持ち上がるアメリアの視線。
アークが制御出来ない理由は彼の魔法の可能性を知った。『ゲーム盤』のアークの設定、あり方を知っているアメリアは記憶を掘り起こしている。
老師が言うような設定は無かった。感情が制御出来ないとだけの設定のはずだった。
だが目の前で語られる事に偽りは見つからない。真実であると。
「ハーフで双子であるが故に人間の脆さ、不安定さがお主達にはある。その不安定な状態はワシらと違い、証を授ける事によって落ち着く。感情はどうにもならんかもしれん…しかし、恐らく今のお主なら証を授ける事によって落ち着く筈じゃ。…授けられる主が早く現れる事をワシは祈っておる…」
老師の願いは残酷だった。
ライラは何も言えないアークの代わりに口を開く。
「…今のブラック様の話を聞いて…改竄された記憶は修復されたのでは…」
「あり得んな。ワシはお主達より上じゃぞ?記憶がうっすらと戻ってきたとしても、ワシの呪いは剥がされん。呪いは二人が証を授けた時に解除されるようにしてある。片方が授けたとしても解除はされんようにしておいたんじゃ!急に記憶が戻って混乱して暴走されてもたまったものじゃないからの!」
片方の証が授けられた時、老師のかけた呪い、魔法が解除されてしまっていれば、アークは今頃感情を抑えられず暴走していたかもしれない。
老師の判断は正しいとアメリアは思う。
アークが証を授けたかった人物はもうこの世に存在していない。
素手であれば爪が、食い込み血が流れていたかもしれない程に、握り込まれているアークの両手。
残酷な老師の願いは、今の彼を追いこんでいる。
「私は…授けようとしていた主人を亡くしました…。監視という名目でついてきましたが、私はアスターに…授ける約束をしていたのに…授けられなかった…。もし授けていれば、感情が制御出来ていたのかもしれないなんて…っ」
早く授けていれば。そんな思いが駆け巡る。
誰もがアークの言葉に視線を下げた時だった。
一人の少女だけは呆れたようにカップを指先で弄りながら言葉を発した。
「愚かね」
視線を下げていた老師、アーク、そしてライラはアメリアの言葉に驚愕する。
一人は何故そんな事をと。一人は自分の愚かさを。
そして、彼女と時間を多く共にしている者は、一体何をと。
アメリアは至極当たり前の様に話す。
彼女の表情は真剣で、“普段のアメリア”の表情ではない。
自分と二人の時のような“素のアメリア”である事にライラは気づいた。
「…っ」
「今更どう足掻いてもお母様は戻ってこないわ。過去の事を悔むのであれば今の己を磨きなさい。愚かな執事長はこの屋敷に必要ないわ。お父様のランド・スチュワードならば、その技量スターチス公爵家の為、生かしてみせなさい。そしてライラの記憶の為にさっさと証を渡す相手を見定める事ね!」
彼女の言葉は棘があるものの、優しさがあり真っすぐと双子に届いた。励ます事はしない。
そんな事をしても誰の為にもならない。アメリアだって悲しいのだ。
この周回で初めて母を見て、母に触れた。それがたった一瞬だとしても彼女にとって大きなものだった。
後悔で終わらせたいのであれば止まれと、過ごしてきた思い出を無かった事にするくらいなら必要無いと、言葉の裏に乗せて投げかけた。
進むも止まるも本人達次第なのだと、アメリアはアークへ、そしてライラへ投げかける。
「お嬢様…っ」
「…御意。本当にお嬢様の言う通り私は愚かです。…力の無い、哀れな俺ではありません」
「そう。ならば頑張ってみなさい。わたくしは必要ないと思ったらお前を老師様に差し出す事にするから」
アークは握っていた手を解き、アメリアへ頭を下げる。
今これが彼に出来る精一杯。直ぐに証を授ける者を見つける事は出来ない。
だが、自分を姉から離す魔法を構築した少女は、何度も愚かな自分にチャンスを与えてくれていた事を今この時、思い知った。
職務中に感情に任せ殺めかけた、他の者に気づかれていなくとも、アメリアを睨みつけていた。自分の起こしていた行動はどれもあってはならない事だ。
それすらも目の前で真っすぐと見つめる少女は自分を追い出さなかった。ただ姉と距離を置かせる為だけの魔法を構築しただけで、実際は実害が殆どないものを使っただけだ。
アークはやっと、自分の愚かさを心から認める事が出来たのだ。
老師は彼の成長を見つめ長い髭を楽しそうに弄りながら上下に揺れ笑う。
「ほっほっほ!それはいい!ついでにライラも寄こしてくれ!二人纏めてではないとワシがどやされる!」
「あら、老師様。ライラはわたくしの犬ですよ?そう簡単には差し上げませんわ」
感激していたライラ、頭を下げていたアークは不穏な会話に固まった。
「ならばどちらかが失態を犯すのを、ワシは待つことにしようかのぅ!お嬢様に見捨てられたら即刻お主達は国に戻る事を旦那様と精霊王に伝えておこう!王の命令ならお嬢様といえど何も言えまい?」
「流石は老師様ですこと!」
アメリアが楽しそうに笑っているが、条件内容が自分達だと理解する事が出来、再起動したライラが主人に食い下がる。
「お待ちください!私はお嬢様と!」
「駄目よライラ。あなたは元々お母様についてきた。そしてその為にお婆様を犠牲にした。失態を犯した時あなたとアークは帰りなさい」
「…アグリア様を…?」
食い下がる彼女の言葉を許す事はアメリアには出来ない。
ゆるりと首を振り、本来の彼女達がどうしてこの国に来られたか思い出させる為に、そして祖母から教わった真実を告げる。
「…お婆様はお前達二人、そしてお母様をこの国に来させるために、人間でありながら膨大な精霊力を持つその身を精霊王、ブルームーン国に差し出し契約したのよ」
「なっ!」「嘘…だろ…」
言葉を失う二人にアメリアは尚も続ける。
「お婆様は精霊王の命のもとに今この屋敷にいる。それについては知っているのよね?わたくしとお兄様は、この国から連れ出されるかもしれない。しかしわたくし達は負けるつもりなんて微塵もないわ」
カップを触っていた指をはじめはアークへ、次にライラへと向ける。
「アーク、お前はお兄様を。ライラ、あなたはわたくしを守りなさい。その身を持って盾になりなさい。何故かは分からないけれど、お婆様は魔力がきかないと仰っていたから、わたくしとお兄様はこれから一年お婆様に鍛えられる。一年後が勝負です」
真っすぐと投げられる彼女の言葉に、二人はそれぞれ考える。
――お嬢様の盾としてアグリア様に…。
ライラはアグリアの事になると体が竦む様に恐縮してしまっている。だが自分の主人は盾となれと言われている。後一年の間に自分はどれだけ克服できるかを考えている。
――アグリア様がわざわざ鍛える意味は一体…?
アークは別の方向で考えている。連れ去る事を話してしまったのはアグリアの性格上仕方のない事なのだろうが、では何故それに障害になるような事をわざわざ起こすのかが不可解で仕方がなかった。アメリアの魔法を一度その身に味わっている彼だからこそ思うのだ。
彼女の力を底上げして、何を考えているんだと。
眼鏡を押さえ頭を回転させたが答えに辿り着く事が出来なかった。
考え、悩み落ち着いた時、シルバーグレイの瞳を持つ双子はアメリアにゆっくりと異論はないと頭を同時に下げた。
老師はアメリアの言葉に首を傾げてトントンと机を鳴らして、三人の注意を引く。
「魔力がきかんのはワシもじゃぞい?ライラとアークは聖霊と変わらない精霊力を持っているが人間とのハーフだからあれじゃが、ワシや聖霊達はある程度の魔力なぞ撥ね退けられる」
痛む頭を押さえるが、頭痛は増していく一方。ぴくぴくと持ちあがる口の端。
表情を作っている余裕はアメリアにもう殆どない。
「はぁ…一体どれだけ不思議生命体なのですか…」
「魔力だの精霊力だのは人間に関係するだけであって、自然と一体のワシらに関係する事ではないからのぅ。下位の精霊は分からんが、アグリア様の精霊なら分からんでもない。あの方は規格外の御仁じゃからな!」
髭を弄りながら胸を張っている目の前に座る老人は聖霊である。彼の言う事であればそうなのだろうとアメリアは半場無理やりに納得した。
「あー…なるほど。何となくですが分かった気がしますわ」
とうとうアメリアは机に突っ伏してしまった。
淑女として有るまじき行為なのだが、もう彼女は気にしている余裕はない。
どっと疲れがやってきてしまったのだ。
初めて見るアメリアの行動にアークのみならず、ライラまでも驚いた。
驚く二人に目もくれず、ふと一つの疑問を普段の授業の時の様に老師に質問するアメリア。
「…ついでに教えて下さい。老師様はどうしてライラとアークを呼び捨てにするのに、お母様やお婆様には敬称を付けて話されるのです?」
その質問にぽんと枝のような手をぽんと叩いて、人差し指を立てる。
「ほ?教えとらんかったか!そいつは申し訳ない!ワシはDであり、ライラ達の父はEじゃ。またアグリア様はBじゃ!」
「……………………………はい?」




