第41話
その日の午後、アメリアは魔法老師事おじいちゃん先生と共に、訓練場の休憩スペースにいた。
ダレンはロイド、アグリアと共に国王に急遽呼び出され王城に向かっている。眠っていた三日間の間で、ダレンはアークに口止めなどの約束をキチンと果たしていた事をアメリアは早朝部屋に戻るまでに知ることが出来た。一先ずは一安心と言った所である。
アークの反応を聞くに、感情を爆発させかけアメリアを殺害しかけた事もあり、大人しく従ったそうだ。彼が実際何を考え、アメリアに対し思っているのか等、本人のアメリアは知る事が出来ない。しかし、今朝の出来事でアークは少なからず、皆の前ではちゃんと職務を果たしていると言えよう。自分や彼を深く知るライラにだけ分かる憎悪であればそれならばいいと。
思いにふけていたアメリアを老師はくすりと笑いかける。
「おやおや、今日はいつになく考えこんどるようじゃのう?お嬢様?」
「え、ええ。ここ数日色々ありましたからね。老師様とも久しぶりな感じが致します」
アメリアは老師の事はかなり好きである。
繰り返す周回の中で彼は毎度面白く色々と教えてくれる。いつしか、彼女も魔法老師に対しては作り上げた自分ではなく、自然と接する形を取っていた。
多くの目がある場所ではいつものように威厳のある威圧的かつ、噂に信憑性を持たせる為に彼にも一役買ってもらっている。
現在訓練場には普段訓練している騎士たちは居らず、アグリアの護衛の為付いて行った者や屋敷の警備を増やしていたりして、アメリア、魔法老師そしてライラの三人だけしか存在していない。
ライラにはここに誰かくれば教えるように気を張ってもらっている為、アメリアはごく自然体のまま過ごしている。
「老師様…禁忌魔法で他人の魔力を体内に取り込んだ者の末路は一体どうなりますか?」
「ほう?また面白い事を聞くのう。その答えは簡単な物じゃ」
老師は鞄の中から一冊の古めかしい本を取り出すとぱらぱらと頁を捲る。そして目的の頁に辿り着くと捲る手を止めて、枝のような細い皺の多い指で一つの項目を指差す。
「己の魔力が足りなければ、体内で取り込んだ魔力によって自分の魔力が消滅し最後には暴走。継承したわけでもない魔力を扱える筈もない。その者の命は長くはもたんじゃろうなぁ…」
項目を読み進めながら老師の話を聞くアメリア。何とかしてマイクを助けたい。しかし、彼女が下手に手を出せばマイクのルートが消え、ユリの幸せもマイクの幸せも無くなってしまうかもしれない。
アメリアは考える。
「…どうにか助ける事は…」
魔法老師の周りの空気が止まったように感じる。
アメリアは本から視線を上げて、老師を見る。そこには真剣に普段のような柔らかい表情を浮かべているおじいちゃん先生ではなく、魔法老師の名を持つ威厳を持った御仁。
ライラとアメリアは息を飲む。このような魔法老師は初めて見るのだ。
「禁忌と呼ばれとるんじゃよ、お嬢様。その禁忌を犯した者を誰が助けると言うのじゃ。周りに被害を及ぼすかもしれないそれを行った者を野放しにする程、この国は落ちぶれておらんぞ?見つけ次第、ワシが殺す」
彼が発する言葉には覇気があり、そして怒りと憎しみが垣間見えた。アメリアの表情が固まる。自分に向けられている訳でもないその感情。しかしそれは間違いなく負の感情。
そこでアメリアは疑問を持つ。
「そこまで禁忌魔法に怒りを感じていらっしゃるなら、何故わたくしに禁止された筈の合魔獣の事を教えて下さったのですか?あれは禁忌魔法ではないのですか?」
そう、紛れもない合魔獣を生み出そうとしているその場所を教えたのは魔法老師本人。
禁忌魔法に対してここまでの感情を持つのならば、同じような合魔獣と呼ばれるものに対しても、自分で調べれば良かったのではないかとアメリアは問う。
老師は息を大きく吸い、吐き出して気持ちを落ち着かせると普段の彼に戻った。
長いひげを触りながら、目を瞑る。
「そうじゃのぅ…あれは禁止されているだけで、禁忌魔法ではない。しかし禁忌に近い。…ワシは教える相手を間違ったのかもしれん」
「間違った…?」
「お嬢様ならきっとあの魔法が構築される前に止めてくれるだろうと考えた。ワシが出向けばその場に居る者は全て死ぬじゃろう。しかし止めてくれると思っていたお嬢様は確認するだけで止めなかった…」
「どのようなものかも分からないのですし、手出しは必要ないと判断しました。禁止されているだけで…禁忌魔法ではないようですし…」
アメリアの返答は当然の事。禁止されていると分かってはいるが、成功するかも怪しい。
失敗しているわけではなく周りにも影響が今のところ見当たらない。
禁忌魔法であれば失敗すれば術者含め周りへの被害が出ている筈である。
しかし魔法老師は禁忌魔法に近いという。
「のう…お嬢様…。お嬢様はワシの名前を知っとるか?」
老師の言葉にアメリアは首を傾げる。
おかしな事を聞く人だと思いながら、彼の名前を口にする。
「魔法学に特化しているわたくしの先生、魔法老師ブラック様でしたよね?それ以外にはないと自分で教えて下さったではないですか」
そうだと老師は頷き、ただ違うと首を横に振ってみせた。
壁に寄り添うように瞳を閉じて周囲の気配に集中し、その場では気配を消して立っていたライラが、只ならぬ空気を感じ取り、瞼を開く。
老師はカップの中身を口に含み、飲み干すと空になったカップの底を眺める。
「ラナンキュラス国特別魔法騎士団所属、魔法老師ブラック。またの名をブルームーン国特別貴族、ブラック・D・ヘムロック…それがワシの本当の名じゃよ。騙しとって悪かったのぅ…」
壁からアメリアの横へ一気に距離を詰め、ライラがアメリアを庇うように腕を広げた。
急な出来ごとにアメリアは、視線を魔法老師とライラの顔を行き来させる。
只ならぬライラの様子にアメリアは眉間に皺を寄せる。ライラの表情が無表情から真剣な表情へと変化しており、鋭い彼女の視線の先には魔法老師。
「D?!…ブラック・D・ヘムロック様!?ブルームーン国の特別貴族が何故ここに!一体何故お嬢様の元にやってきたのです!」
「え!?」
アメリアは理解しようと必死だった。
過去の周回でも彼は言わばモブの立ち位置。本来の彼のあり方など表立った設定は“魔法学を教える魔法老師”それだけだ。
それが今はどうか。ライラの言葉を信じるならば、彼は隣国の“特別貴族”。
アスターやアグリアと同じブルームーン国の人間。
そんな設定があったのかアメリアは必死に思い出す。既に99回繰り返し、彼と出会ってきたが、特に何も気にせず過ごしていただけで、特に思い当たる事は一切ない。
隣国ブルームーン国の特別貴族、そしてラナンキュラス国と違った印持ち。本来の彼は印持ちではない、それなのに名を持っている。一体どういう事なのかアメリアの中で疑問が増えていく。
ここにきてまたしても、イレギュラーなキャラクター。
ライラはアメリアを肩越しに振り返る。
「お嬢様お逃げください。彼は特別貴族ではありますが、父と同じ“聖霊”です!」
「なっ!!」
椅子から立ち上がりゆっくりと後ろに距離を取るアメリアを確認し、ライラは再び魔法老師ブラックを睨みつける。
「王城にやってきていたと知らせが入っていましたが、聖霊であるあなた様が何故この国の特別魔法騎士団に席を置いているのです!特別貴族が外の国に出る事は出来ない筈!」
「ほっほっほ。ライラはまだまだ若いのぅ。元々来た理由は我らが王の望みで、約束が無下にされないか監視しに来ただけじゃ。魔法騎士団についてはこの国の王からの頼みごとじゃわい。どっちの国の王も年寄りの使い方が荒い」
「約束と監視…!?お嬢様と若様のっ!アグリア様もだからここに!」
睨みつけられている魔法老師ブラックは髭を触りながら、小さい体を縦に揺らしながら笑っている。一見人間にしか見えない彼が聖霊だと言うではないか。
アメリアはただひたすらに受け入れられない真実を目の前に固まってしまった。
そして彼女の脳内には昨日のアグリアの言葉が蘇っていた。
「そうじゃよ。なんだライラや、少し平和ボケしとるようじゃな。色々と気づくのが遅い。アグリア様が参られるのはもっと後かと思っとったんじゃが、随分早かったのぅ」
「老師様…あなたまで…」
皺を寄せて笑っていたブラックの瞳がライラを射抜く。
ラナンキュラス国、ブルームーン国共に平和といっても可笑しくない筈なのに、まるで彼の言葉は戦場にいたかのような鋭さを持っている。
アメリアは信じられない現実を受け止める為、嘘だと言って貰いたくて激しく動揺する旨を抑えながら、唇から思いが漏れ出す。
99回の周回を得た彼女にとって、老師ブラックは紛れもない無害そのもの。どの周回でもアメリアに知識を与え、彼女が望む事を共に笑いながら共有してくれたサブのキャラクター。それが祖母アグリアと同じ隣国の刺客となっている。
ブラックはバッグの中から一本のタイを取り出し、机の上に置いた。
「のう、お嬢様。このタイはお嬢様の物じゃな?」
「っ!!それは!」
「くっ!」
それは間違いなくアメリアが無くした物。
教会の偵察で気を失った後にいつの間にか落とし、兄の情報で現在はジークライドの元にある筈のタイ。
それが今、魔法老師のバッグの中から現れ、目の前に存在している。
アメリアの中で線が繋がる。
ダレンは言っていた。
――王宮にたまたまやって来ていて、精霊魔法にかなり詳しい人物に見つかって大変だったって殿下が言ってたよ。
と。そのたまたまやって来ていた人物は椅子に座っている小さな長い髭を持った老人。
聖霊魔法にかなり詳しい人物であるのは当たり前の人物、特別貴族であり聖霊、ブラック・D・ヘムロック。
彼に見つかってしまったのであれば、その精霊力がライラの物であると気づかれてもおかしくはなかった。
ライラもアメリアも言葉を失う。
「王城で殿下が持っていたものじゃが、ライラの精霊力が練り込まれとると気づいた時は驚いたぞい。アスター様が亡くなって、しばらくしたら戻ってくると思っていた双子が帰って来ん。命令を受けて来てみれば、誰にも継承していないと報告されていたド・グロリアの名は継承され、アグリア様はそれを一人で黙っておった。7年も時が経ってから真実を知ったワシの気持ちが分かるか?」
「お婆様が…黙っていた…?」
ピクリとアメリアの肩が揺れる。
アスターが亡くなった事と名が継承された事をロイドは報告していたのに関わらず、自分や兄を連れて帰る命令を受けている筈の祖母アグリアが、その報告を精霊王達にしていなかった事実。
7年間もの間、アメリアとダレンは祖母に守られていたと知った。
「名が継承された時に直ぐにでもその名を持つ者と、アスター様の血を引くお嬢様やお坊ちゃまを回収する予定だったんじゃ。それがアグリア様は王にアスターは誰にも継承しとらんと仰っておってなぁ…。ワシらもそれを信じていたのじゃが…あれは契約違反じゃ。ライラ、アークと共に国へ帰るぞ」
「…っ!私の主人はアメリアお嬢様のみ!魂より忠誠を誓いました!」
ゆらりとアメリアの視界が揺れる。揺れているのは彼女ではない。
彼女が見つめる魔法老師だ。
彼の姿が小さい髭の長いおじいちゃん先生の姿から、短かった筈の足が伸び、脚が長くすらりとした少し垂れ目な長髪の男性へと姿を変えた。
回収とさらりと口にする良く知っている筈の魔法老師は、以前から自分に教えていた老人の姿をしていない。
その変身を遂げた魔法老師だった人から発せられる精霊力はアメリアの体から一気に体力等を奪い、純粋な精霊力が彼女を襲う。
アメリアの膝ががくがくと笑い、立っている事が精一杯だ。
アグリア自身の精霊力も凄まじいが、それ以上に純粋な高位精霊である彼はそれを凌駕していた。
ブラックから放たれる波動からライラは必死にアメリアを庇うように立つが、彼女とて人間と聖霊のハーフ。彼女の父と変わらない彼の放つものは、明らかに自分を屈服させんとばかりに放たれている。
「それがなんじゃ?ワシを誰だと思っておる。ワシは聖霊。主ら人間とは違う。ましてやワシの力は今お主らが味わっておろう?」
長い脚を組んで机に肘をついて両手を組んでその上に顎を乗せながら、ブラックは二人で遊んでいるように笑う。その瞳は一切笑っていなかった。
これが本当のブラックなのかとアメリアは思い通りに動かない自分の体に叱咤する。
そして鋼鉄の精神と魂を持って、彼女は彼の話を聞きながら考えた。
(何だか…話をずらされている?)
衝撃的な話が多かったが、本来話していた事はこの件ではない。
何故か目の前の男は“禁忌魔法”に対し強く怒りを感じているようだった。それについて話していた筈だ。
その事に気づくと緊張していた体から無駄な力が抜け、震えていた膝が止まる。
アメリアの瞳が動揺から、普段の彼に向ける事のなかった“普段のアメリア”の瞳へと変わりブラックに向けた。
コツコツと靴を鳴らし、ライラを避けて椅子に座る。
アメリアの行動にブラックのみならず、ライラまでもが驚愕した。
未だ彼からは膨大な精霊力が放たれているのにも関わらず、アメリアは平然と男の前に座って見せたのだ。
机の上を指先でトントンとアメリアが音を刻む。
「…老師様…ライラ達を連れていく行かないに関しては後でお願い出来ます?」
「ほ?良いのか?お嬢様や…」
トンっと一つ強い音を鳴らし、指が止まる。
アメリアはゆっくりと綺麗な笑顔を張り付けた。ライラはアメリアがかなり苛立っている事にそこでやっと気がついた。
「だからそれは後でと申しましたわ、老師様。何度も同じ事を繰り返させるおつもりなら、無能な魔法老師様に用は御座いませんの。あとその精霊力を治めてくださいません?不愉快です。合魔獣の場所を教えたのが間違いだったとか言って、止めてくれるかもとか仰ってましたが、話が逸れていますよね?」
彼女の言葉は尤もであった。
本来の話は合魔獣について、禁忌魔法についてだったはずが、いつの間にかライラやアークを連れて帰るなどといった別の会話へと変化していた。
元々老師ブラックは言葉が達者で、自分のやり方についてこれていた数少ない人物。他の教師達のように自分に臆する事無く接してくれていた。
言葉巧みに話をシフトされた事に気づいたアメリアは、ブラックにとって触れられたくない情報であり、本当に彼が口を滑らせたのだと確信を持ったのだ。
合魔獣に関して既に彼女は知ってしまった。未来が変わるかもしれない不確定要素の一つである新しいフラグ。その情報はどんな事をしても手に入れると決めているのである。
アメリアは現在普段の彼女だ。
言葉に棘があり、出会った頃のようなアメリアの鋭さがブラックに投げつけられている。
「…お嬢様…あの」
「ライラ、あなたは説明が終わるまで私用の事で口を開く事を禁じます。開いていい時は返事をする時だけ。帰る帰らないは後でも話せる事です。そうですね?このわたくしの命令を聞けないなら、今声を出しなさい」
「~~~~っ…」
そう言われてはアメリアの忠実な犬であるライラは口を閉ざす他ない。
――お嬢様…一体何を…
普段のアメリアの姿と素のアメリアの姿、両方を知っているライラだからこそ、今アメリアが何を考えているのか分からない。
ただ、話をブラックによって意図的に変えられていたという点に関して、彼女のお陰で気づく事が出来たのだった。
観察するようにアメリアを見つめていたブラックは組んでいた手を解き、にこりと笑うと美しい男性の姿から、良く知っている小さな魔法老師の姿へと戻す。
「ほっほっほ。ライラが言い負かされとるのは久々に見たのぅ!流石アスター様の娘といったところか!さて、何を話しとったかの?」
食えない笑みを浮かべる魔法老師。
アメリアの片眉がぴくりと反応し、明らかに苛立ちを見せる。
わざわざ姿を変え、すっとぼけて逃げるつもりなのかと。
(このおじいちゃん先生めえ!絶対吐かせてみせますよ!)
鋼鉄の精神と魂を持つアメリア 対 ブルームーン国特別貴族兼ラナンキュラス国特別魔法騎士団所属、魔法老師ブラック・D・ヘムロックの幕開けである。




