第37話
何とか頬の火照りを冷ましながら、冷静に頭を回しながら着替えを進めていく。
(お婆様との特訓が一年。この期間中はお婆様が滞在されると言う事。私が噂や悪事をしようとすれば、お婆様は全力で止めてきそうな性格でもあります。どう頑張っても一年間身動きが取れない…調べたい事が山積みなのに!なんでこうなるんです!?)
三度話したアグリアの性格を冷静に分析しながら、今後の対策をアメリアは考えるが、アグリアが滞在している事によって生じる計画停滞。
アンスリウム男爵の件。それに合わせた合魔獣の件。二人に酷い行いをした第五師団の件。…そして、物語に関わっていなかった筈のアグリア本人の情報。それらを調べるには明らかなる障害。
(お兄様に任せたのが悪かったのですか!?私お肉はつけないと決めたのにぃ…)
筋肉がつけば自然とそれなりに体には肉がついてくる。ダレンの好みに近付いてしまうとアメリアは怯えているのである。
冗談だと言ってはいたが、ダレンの好みは嘘ではないのだろうとアメリアは思っている。
口から無意識的に吐き出される溜息。ふわりと監視の為についてきたであろう精霊達が心配そうにアメリアの周りに集まってきた。
「なんですか…さっさと着替えろと言いたいの?」
『なんだか困ってそー』
『そー』『ねー』
三匹の精霊達がなんだか精霊語で話しているが、精霊語の分からないアメリアには何を言っているのか理解できない。
一応祖母が気を使ってくれたのかここにいる子達は、見る感じ女の子であろう事は何となく分かる。ころころと表情を変えふわふわと自分の周りを回っている精霊達に、浮かべている表情とは裏腹にアメリアは内心悶えてしまいそうだった。
(何を言っているか分からないですけど!何ですかこの可愛い子たちは!!)
心配してくれている事は精霊達の表情から分かるのだが、何と言っているのか本当に分からないアメリアは精霊語一刻も早くマスターするべきだと思った。
鍛えると言うのだからアグリアとこれから何度も会うのだ、彼女からついでに教わればいいと考えた。
鬱陶しそうな表情を浮かべながらアメリアは着々と着替えていく。
彼女の瞳は、現在はマリーゴールドの色を宿している。
動きやすいドレスを持ってきてはくれたのだろうが、訓練をするにあたってこの格好は聊か動きにくいのではないかと、着替え終わった後にアメリアは思った。
背中の傷を精霊達に見せないように魔法を構築し着替えたが、着替えている最中精霊達は目元を両手で隠して後ろを向いていたので気にする事もなかった。
着替え終わったので祖母の元に戻ろうと後ろを向いている精霊達の間を通ろうとした。
『あっだめ!』『だめー!』
『わたしたちに触れちゃだめー』
「何を言っているのかわからな…っ!?」
肩越しが一匹の精霊に触れた、するとぐらりと体から力が抜ける。気分が悪い。
アメリアはその場に倒れこみそうになるのを扉に両手をつき必死に耐えた。
「なん…ですか…これは…」
『わたしたち純粋!』『まっさら!』『不純物なし!』
「だから何を言っているか…」
両手がそのまま支えを失い前に倒れていく。
扉が開かれ、アメリアは開いたアグリアに抱き止められた。
「おー、やっぱ当てられちったか!こいつらは下位だが“精霊”だぞおちびちゃん」
「お婆様…どういう…」
「言ったろ?純粋な精霊力に当てられたら気分悪くなるって」
アメリアは高い魔力と精霊力を持っているが、その分純粋な精霊力と純粋な魔力に当てられると体調を崩す。アグリアに今朝方そう教わっていた筈だが、触れたのは魔法ではなく“精霊”だ。
何故それで気分が悪くなるのかアメリアは分からず、眉間に皺を寄せながら自分を片手で支えている祖母を見上げる。
アメリアの表情にアグリアは片眉を上げて、なんで分からないんだといった表情を浮かべ、周りの精霊達はあわあわと周りを飛び回りアメリアを心配している。
「だから、“精霊”は精霊力の塊だろうに。その塊にぶつかったんだから分かるだろ?」
「精霊力の塊…なんですか…?」
「おい、おちび。まさかそんなんも知らんかったのか?…この国は魔力に関してしか知識を与えんのか…」
初めて詳しく聞く“精霊”の存在。ラナンキュラス国でしか生きて来なかった、触れる事もなかった精霊に関しての知識。
アグリアが言うには精霊は精霊力の塊だと言う。それならば高い精霊力を持ち合わせている祖母が死後、精霊になると言うのも頷ける。
多少気分が落ち着いてきたアメリアは一つ未だ嘆かわしい表情を浮かべている祖母に尋ねた。
「お婆様、わたくしに精霊についての知識を教えてください。高い精霊力があったとしても使えなければ無駄です!わたくしのような素晴らしい存在が更に素晴らしくあるために必要なのです!」
「あ?鍛えながらそれを教えたろうと思っとったから頼まれんでもするぞ?どっちかっつーと、おちびちゃんは筋力と体力面を鍛えながら、その子たちに触れても問題ない状態まで慣れさせていくつもり。そのついでに教える感じだし」
あえて普段通りの自信過剰なアメリアで立ち向かうが、アグリアは気にする様子もなくこれからの予定を話してくれた。
その内容にアメリアは冷や汗が止まらない。
祖母の行動を思い出しても、彼女の言う“遊ぶ”は普通に遊ぶではない。彼女自身や精霊達は本当に遊んでいるだけなのだろうが、周りはそうではない。“慣れさせる”もその同義なのではないかと。
(あのー?お婆様?それはかなり脳筋なやり方ではないですよね…?)
内心冷や汗が止まらないが、アメリアはなるほどといった表情を浮かべて満足そうに頷き、ダレンの待つ訓練場へと二人で移動する。
移動の間に精一杯頭を動かしアグリアの対処方法を考えるが、全く彼女に対し知識の無いアメリアは流されないように気をつける事だけを今のところ重点に置いた。
訓練場につくといつの間に到着していたのかマイクとダレンは、アグリアから指示を出されていたのか素ぶりを開始している。
回数は30を超えていないのに二人ともかなりの汗をかいており、着替えている短時間だと言うのに息も上がっている。
見上げる空はまだ暗く、朝日が昇るまで時間がかなりある。
アメリアは眉を寄せ二人を観察する事にした。
横で腕を組みダレンとマイクの二人を、真剣に見つめているアグリアは特に自分に指示をだしていない、その為アメリアには時間があるのだ。
多少朝は冷えてきているこの時期。数を数えながら素振りを続けている二人のように大量に汗をかく事の方が珍しい。アメリアはしばらく見ていなかったマイクへと視線を動かす。
細かった体にはある程度の筋肉、然程変わらなかった身長も伸びておりアメリアより高い。最近物語のような性格になっており、自室に引きこもりがちの為、肌の色は白いが比較的健康的ではあるマイク。
久しぶりに元気そうな弟を目にして、表情とは裏腹にアメリアは内心嬉しく思っている。
現在のマイクの性格ならば本編が始まる前に、ユリに癒されダレンに支えられ心を開いていけるはずだとアメリアは確信している。
公爵家の兄弟の中でたった一人だけ印持ちではないマイクは、生まれながらに印持ちのユリに対し劣等感を覚えしまうのだが、その部分にアメリアという“悪役”が入る事によってユリに対する負の感情がアメリアに移行する。
現在は移行後の段階である。
(マイクを苛めるのはどの周回も可哀想だと思うのですが、二人の未来の為!私の未来の為!頑張りましたね~♪)
鋼鉄の精神と魂のアメリアは染み染みと自分の弟の成長を眺めている。
すると、集中して振っていたマイクの腕が振り上げた格好で止まり、どうしたのかと彼の顔に視線を向ければ、目が合った。
マイクの元々大きいスカイブルーの瞳は最大限にまで見開かれ、ぐっと奥歯を噛みしめると上段で止めていた腕をそのまま振り下ろした。
「なっ!」
彼の手に握られた木刀は振り下ろされる途中で放たれ、アメリアの方へと回転しながら速度を上げて向かってくる。アメリアはマイクの行動に驚愕し一瞬動きを止めてしまい、回避する時間を失わせてしまった。
これからやってくるであろう衝撃に瞳を閉じて、せめて顔だけは守ろうと腕で頭を守る。
・・・
・・・・
いくら待っても思っていた衝撃はやってこない。
アメリアは片眼をうっすらと開き何が起こったのか、腕の間から確認を取る。
隙間から見えたのはアグリアの片腕に捕らえられた向かってきていた筈の木刀。
その木刀をアグリアは筋を浮かばせて握り込むと、鈍い音を立てて二つに折って見せた。
「おい病みっ子。一回目だからわざとじゃないっつーことにしといたる。次は許さんぞ!」
「ひっ!!」
「二人に何があったかは知らんし聞きたくもない。だがな、口で戦わずこんな姑息な下らん手しか使えんのなら、何をしてもお前の負けじゃ!」
投げ捨てられるアグリアの言葉と折れた木刀。
マイクの表情からどんどんと色が失われ、膝が笑っている。精霊力が分からないマイクだが、アグリアの放つ威圧はそれでも異常な物だと感じ取れている。
立っている事すら難しい彼女が放つ威圧は覇気に近い。
一番近くに立っているアメリアは、それを十分に身に味わっているのである。
(おばあさまーーーーー!私もきついですっっ!)
内心かなり涙目である。
周りに飛び交う精霊達はけらけらと何かを言いながら笑っているので、アグリアの放つ覇気は普段近くにいる精霊達にとっては当たり前のことなのだろう。
ダレンはというと、いつの間にか安全圏まで距離を取っており、素振りを続けながらアメリア達の様子を伺っている。
(ちゃっかり者のお兄様!!流石はお父様の息子です!私もそっちに行きたい!)
一番の当事者であり巻き込まれているアメリアなのだが、マイクの行動は彼女が彼に起こしてきた事への小さな仕返しに過ぎない。それを分かっているアメリアは不機嫌そうな表情を浮かべながら、その場から離れずマイクとアグリアの様子を見つめ立っている。
本心はとってもダレンの所へ避難してしまいたいのである。




