第36話
アメリアはふわふわと羊に囲まれた夢を見ている真最中。
その夢を叩き壊すように、激しい破壊音が響き目を覚ました。
「何事ですっ!!」
勢いよく起き上がれば自分の部屋の扉の金具が一部破壊されている。
その犯人は扉を見ながら首を傾げているので、アメリアは片手で頭を押さえ溜息を吐く。
「お婆様…破壊するのはやめて下さいと言ってますでしょう!」
破壊した本人。隣国の女大公でありながら、アメリアとダレンの祖母、故人アスターの生みの親。アグリアであった。
アグリアは首の後ろをかきながら眉をハの字に下げて笑っている。
「すまん、すまん!本当に思った以上に壊れやすいのーこの国の建物は。…精霊が少ない事が原因なんか?ノックしようとしてこれじゃあ…ノックも出来ん」
(ノックとは…)
アメリアの中で本来のノックに関する知識をかき集めるが、扉を叩くなどといった簡単なものだ。そのノックだけで目の前のアグリアは扉を破壊してしまうと言う。
表情筋もそのように動いてしまっている事からして、これにはアメリアは乾いた笑いしか起こせない。
精霊が少ない国だからアグリアの力は抑えられると言う訳ではないのだなとも、アメリアは思っている。逆に破壊している本人から言わせると、精霊が少ないのが原因ではないかと言っているようだ。
精霊が居ても居なくてもアグリアには、関係無いのではないかとも頭の片隅で思う。
魔力に多く触れれば精霊力が衰える事はあるらしいのだが、魔力の国ラナンキュラスに来ているアグリアにその傾向は見当たらない。
(誤情報?でも…お母様がそんな事を残すとは思えませんし…うーん?)
「なんだ?わしの精霊力が落ちとらん事が気になるか?」
「え!?えぇ…まぁ…」
自分の祖母は心を読めるのかと一瞬アメリアはひやりとしたが、アグリアの反応からしてそうではないと気づく。
どうやら顔に出ていたようだ。アメリアは現在完全なる寝起き、時間を見れば自分が普段起きるよりも数時間ほど早い。まだ朝日すら昇っていない時間である。
アメリアはそんな状況で表情を作り出せないのも仕方ないと、今は良いかと考えるのをやめた。
繰り返すが彼女は先程まで幸せに羊の夢を堪能していた寝起きである。
「そんなんわしからしたら当たり前なんだがなぁ…。わしは死んだら精霊になれる程の精霊力を持っとる。そんな簡単に衰えんよ!アスターもちびちゃんもかなり高い方なんだが、気づいとらんのか?まぁ魔力も高い、精霊力も高いわで…両方持っとるちびちゃんだから、純粋な高い魔力や純粋な高い精霊力を浴び過ぎると、体調崩したり気分悪くなったりするぞ?知らんかったなら気ぃつけ」
(なんですと!?)
魔力が高い事は知っていたアメリアだが、アグリアが認める程に高いとなると相当だ。
挙句の果てに自分の魔力と精霊力は両方高く持っているという。
『ゲーム盤』では特に必要としていなかった精霊力。全属性という名の全ての構築が可能な能力者であり悪役。そこに精霊力も加わった。
アメリアは思う。
(これでは本当にチートキャラというやつではありませんか!私なんで最初の方、死ねていたのです!?頑張れば生き残れたのでは!?…凄い!生きたい時には死んで、死にたい時には生かされそうになっている!これは凄い事ですが、生きませんっ!)
断固拒否の姿勢は変わらないアメリア。
そこで全属性基、全ての構築が可能なアメリアは、同じ全属性能力者のユリはどうなのだろうと疑問に思った。
「お婆様。ユリには精霊力はないのですか?」
「ユリ?あのピンクっ子の事か?あれはすっからかん」
(すっからかん!?無いんです!?まさかの持っていないんですか?!)
アグリアの言葉にアメリアは自分だけがチートキャラ疑惑が強くなってきて、かなり焦っている。彼女の目標の為には万々歳の能力ではあるのだが、強すぎる能力は扱えなければ能力を殺し、また己を殺すとアメリアは考えている。
(これは精霊語覚えないと駄目ですかね…?むしろ魔力高くて精霊魔法使えるのでしょうか?…楽しそうなんですけど、失敗した時が怖いので、まずは勉強してから使うか決めましょう!)
鋼鉄の精神と魂のアメリアは寝起きでも冷静である。
ある程度既に勉強の類は終わってしまっているアメリアは、おじいちゃん先生基、魔法老師がやってくる日以外は暇を持て余している。
精霊語を学ぶ時間はかなりある。
アメリアはぐっと背筋を伸ばし、入口に立っているアグリアを見る。
何とか破壊してしまった扉を修復しようと精霊達を使っているようだ。
小さい下位の精霊達はアグリアの周りをころころと飛び回り、楽しそうにアグリアの為に働いている。
(愛されているんですね、お婆様)
その精霊達どれもが幸せそうに笑って、時には悪戯をしたりして手伝っている。
混沌の扉から現れた下位の精霊達とは違う一面をアメリアは目の当たりにしている。
この姿こそが本来の精霊達の姿なのだと。
じっと眺めていると、アメリアは一つの違和感を覚える。扉は着実に修復されていっている。
「お婆様。壊した事は許しますが一つ質問に答えてください」
「あぁ?なんだ?」
「言葉使いを直して下さい!大公様でしょう!お婆様!…こほんっ。何故そんなに大量の精霊たちがここにいるんですか?」
先日の執務室事件を思い出し、ついアメリアは指を指しアグリアに説教をしそうになるが、咳払い一つでなんとか抑え込み、周りの精霊の多さに対して質問を投げかける。
質問を受けたアグリアは怒られていた事は横に置いて、周りの精霊達と顔を見合わせると再度アメリアの方へと顔を戻し、精霊と一緒に首を傾げる。
「何故ってわしからしたらこの光景は当たり前の事なんだが…?」
(いやいやいや!?ここはブルームーン国ではなく!ラナンキュラス国なんですよ!?お婆様!?)
そうここはラナンキュラス国、四大公爵が一人、スターチス公爵の屋敷である。
魔力の国には精霊はほとんど存在していない筈なのに関わらず、アグリアの周りには大量に存在している。
これは明らかに可笑しいとアメリアでも分かる。
「こんなに沢山の精霊をどこに隠し持っていたのですか!」
アメリアは疑いの瞳をアグリアにぶつけるが、アグリアは目を見開いて逆に驚いている。
「はぁ?何いっとるん!?この子達が気分で隠れとっただけでずっと居ったぞ?」
「……お婆様ごめんなさい。わたくしの国ではまずそれが普通ではないのですよ…」
片手を前に出し、もう一つの手で自分の頭を押さえる。
祖母と話したのはこれで三回目だが、そのどれもがアメリアの常識から逸脱している。
若干痛む頭を押さえながらアメリアは、アグリアの言葉を聞く。
「精霊達と過ごせないのは勿体ないのぅ…この国は。まぁわしらの国には無い所が発展しとるんだから、それはそれで良いのかもしれんな…」
「それで、お婆様はこんなに朝早くから何しに?ライラはこの騒ぎです。そろそろ起きてきます…。誰も来ないなんておかしいのです…」
一人で納得している祖母に片眉を上げて早朝より夜中に近いこんな時間に、何しにやってきたのかを聞いた。
こんな騒ぎを起こしているのに、いくら自分が嫌われていたとしても、誰一人としてこの部屋にやってこない筈がないと。
扉が直った事を確認したアグリアはしれっとした表情を見せる。
「あー誰も来んぞ?さっきこの部屋のライラの魔法は打ち消しといたし、ノックする前に念の為に防音と無振動の適当な魔法使ったから誰も気づけん」
(なんという規格外!?)
「監視というか何つーか、ちびちゃんも苦労すんなぁ…。で、わしが何しに来たかって事な?坊主からの命令でちびちゃんと坊主両方を一年ほど鍛える事になった!」
「………はい?」
アメリアは自分の頬が引き攣るのを感じた。
規格外なのはライラの情報で知っていたが、これまでとは思っていなかった。
そしてさらっとダレンの命令でと、扉に寄り掛かりながら話しているアグリアは可愛らしく首を曲げながら繰り返す。
「だから鍛えるっつーとろう?」
「いえ…落ち着いてわたくし…お婆様、まず期間がおかしいですよね?」
「仕事の事、気にしとんのか?精霊に頼めば向こうの連絡事項なんぞ一瞬でわしの元に持って来れるんだから、何処に居たってなんも問題はないと思うが?じゃなかったら王命受けて簡単に他国に出て行けんよ」
深呼吸をし、自分を落ち着かせて一つ一つ確認することにしたアメリア。
その問いにもアグリアはさも当たり前のように答えていく。彼女の瞳からは一切の嘘は感じられず、真っすぐとアメリアを見つめている。
アメリアはまだベッドから一歩も動いてはいない。寝起きですっきりしていた筈だというのに、疲労感が占めている。謎の精神的疲労。
精霊とは凄いのだなとアメリアは遠い目をしながら知識不足を恨んだ。
期間についてはまだいいとしようと頭を切り替え、次に。
「では何故その鍛えると言う事に、わたくしも巻き込まれているのです!男であるマイクを鍛えてあげてください!」
「男女関係ないじゃろ。こっちの貴族は女が鍛えてはいかんのか?違うだろ。そんなに細いんは動かないからだ!だったら筋力付けて体力つけて!日に当たれば少しは健康になる!マイクって言うとあの病みっ子の事か?ついでだから巻き込んでやろう!」
鍛えてくれるのは大いに助かるのだが、規格外のこの御仁。アメリアは自分で理解している程に細い。この規格外の祖母に鍛えられたら、全治何週間なのだろうと恐怖している。
その事を表には一切出さず、あえて部屋に引きこもりがちで筋肉が薄いマイクを差し出す。
ユリの事は“ピンクっ子”、マイクの事は“病みっ子”、ダレンの事は“坊主”、アメリアの事は“ちびちゃん、もしくはおちびちゃん”とアグリアは呼んでいる。
見た目なのだろうか、意外と的を射ているなとアメリアは斜め上にその部分感心している。
そしてマイクは本人が知らない内に巻き込まれる事が決定した。
これで少しは回避できるだろうかと考えたがそうでもない。
「とっても余計なお世話です!淑女であるわたくしはやりません!」
「ぎゃあぎゃあうったしいのぅ…ちっこい頃のアスターそっくりじゃ。淑女淑女、そんなの建前さえ出るとこでちゃんと出来りゃあええんだ!どっこいしょっ」
「おっおばあさまぁ!?」
極論を投げつつずんずんと部屋に入ってきては、アメリアをかけ毛布と共に軽々と片手で持ちあげ肩に担ぐ。
そのままクローゼットを開けて、動きやすそうなドレスを何着か掴むと部屋を出ると、精霊達にお願いを一つしながらずんずんと長い廊下を歩く。
「ほーれ、外行って走って飛んで捻って沈んで鍛えんぞー!精霊達、病みっ子起こして連れてきておくれ。坊主は窓から外に出しといたから待たせてはいかんから早くな!」
「窓から!?お婆様!ちゃんとこの国のルール守ってって言ってますでしょう!?捻って沈むが怖いから嫌ですわ!」
アメリアは必死に足をばたつかせ抵抗するが、アグリアは何か騒いでるなーくらいの反応しかなく何の効力も発揮していない。
防音魔法が構築されたままなのがまだ救いだろう。
こんな姿を使用人達に見られては、アメリアは羞恥で部屋からしばらく出られそうにないと思っている。
アグリアの歩く速度はライラ程に早く、普通に歩いているのだが男性が歩く速度のように担がれながら感じている。
「へーへー、わーっとるよ!だからその辺りはお前さん達の父親のロイドに許可取ってやっとるから大丈夫!ロイドから国王に報告してもらってそん時に許可取れとるし、精霊王に関しては面白いので許可!って事になっとるしの!心配せんでも問題なーし!」
(問題しかない!!!お父様お婆様に負けたんですね!!!そうなんですね!!そして精霊王さま緩くありません?!)
自分の父がこの規格外の祖母に敗北したのだと分かったアメリアは、少しばかりの羞恥から八つ当たり気味に怒った。
同じ女性の筈なのに、歳の差があってもこの筋力は本当に規格外だと、アメリアは諦め気味に流れるように過ぎていく自分の家の廊下を見ながら思っている。
◇◇
そのまま担がれながら訓練場までやってきたアメリアは、下ろされた事により着いたのだと、そして目を回して伸びている自分の兄の姿を見つけ苦笑いしか出ない。
ダレンの近くにはけらけらと笑っている二匹の精霊。
アメリアはぎぎぎとアグリアを見上げて問いかける。
「お婆様、何をしたのです…」
「なんも?ちびちゃん迎えに行ってる間、精霊二匹くらいに坊主と遊んでていいぞーって」
アメリアはそれを聞くとダレンの元に走り寄る。幸い怪我をしている訳ではなく、本当に目を回して倒れているだけのようだ。
兄の無事を確認でき、ほっとしたアメリアはそのまま鋭く祖母を睨みつける。
彼女の周りがざわりと一瞬揺れ、けらけらと笑っていた二匹の精霊がびくりと反応すると瞬時にアグリアの背中に隠れた。
「駄目でしょう!?精霊達が遊んだだけで敵は撤退したのですよね!?」
「あー…そっか。お前さん達ならアスターの子供だし、わしの孫だしいけると思ったんだが…まだ駄目かい」
「お婆様規格外なんですから!普通に駄目です!」
流石に本当に怒っているのが分かったのか、アグリアは頬をかきながらすまんと謝ってきた。それに対してアメリアは謝る相手が違うと言い、本来謝られるべき相手の兄の頬を叩き起こしにかかる。
目が完全に回っているのかふらふらと、アメリアに支えられダレンは上半身を何とか起こした。
「んん…うぇ…」
「吐かないで下さいね!?わたくしの服が汚れます!」
「んー?アメリア?…いっそそんな無防備な姿なら汚れてしまって、着替えてきた方がいいと思うけど?」
「っ!!!」
口元を押さえて真っ青な顔のダレンはアメリアの存在を確認すると、彼女の現在の服装について指摘する。彼女は羊に囲まれている夢の最中に起こされ、ここに連れて来られ、兄の姿を確認するとそのまま起こしたのだ。よってアメリアの姿はナイトドレスのまま。
淑女精神アメリアの羞恥心はマックスである。
表情を隠す事もなく顔を真っ赤にし、アグリアが持ってきた服を奪うと足早に更衣室へと走った。更衣室へ移動するときも何匹かの精霊がついてきた事で、そのまま逃走する事は不可能だとアメリアは理解した。
鋼鉄の精神と魂のアメリアだが、それほどまでに恥ずかしかったのだ。
(お兄様に背中は見られるわ!こんな姿を見られるわ!何と言う事でしょう!お兄様ではなければ!お兄様でも恥ずかしくて死にたいですっ!自分で死ねませんけどね!!)
ラッキースケベではないが、普通の男性ならそれなりに良い思いをしているダレンはまだ兄だからと、アメリアは更衣室に入るとそのまま熱い顔を押えて蹲った。
齢7歳のアメリアは、魂的には立派な女性なのである。