第32話
ダレン来襲
アグリア女大公がやってきた次の日。
アメリアは昨日の出来事を早朝振り返り、ベッドの上で頭を抱えていた。
(お兄様放置しちゃいましたーーーーーーー!!!!)
そう。アメリアは父親との用事が済んだら部屋に来いと言っていた兄、ダレンの事をすっかりと頭から抜けていたのだ。
突然現れた物語に出てこない人物―アグリア―に頭がいっぱいだったのだ。
(あぁ…これは怒られますかね?でもあれだけの騒ぎを起こしているのですから、多少は許されます?昨日の夕食の時にお婆様がダリアお義母様をぼっこぼこに言い負かしたらしいですし、なんでかマイクにも厳しく言われていたらしいですし…ダレンお兄様に関してはお父様と二人で相手されていたみたいですし…)
何故アメリアがみたいや、らしいと言っているのかというと昨日あの後、アメリアは皆が集まる所で一緒に食事を摂っていないのである。
ライラのトラウマスイッチが完全に入ったのか懇願され、已む無く部屋で食事を摂るはめになった。
一体何をしたらあのライラをあんなにも怯えさせることが出来るのか、いまだ知りたがりのアメリアは教えてほしいとひっそりと思っていたりする。
そんなこんなで、アメリアはすっかり忘れてしまって放置したダレンをどうしたものかと身支度を整えながら考えていた。
アメリアの体も成長し体力作り用の服は以前より大きめの服になっているが、別段特に種類が変わったわけでもないので、慣れた様子で着替えていく。
(どうしましょうねぇ…私は放置でも良いんですけど…傷の事バレているとなるとかなり問題が…)
「うーん…」
ドレッサーの前で小さく俯いて唸り、髪を整えようと顔を上げたその時。
「おはよう」
「――――っ!!???!!!」
なんと鏡には自分とダレンの姿。
耳元で囁かれたダレンの声にアメリアは何とか声を上げる事は我慢できたが、飛び上がった。
飛び上がったことにより椅子が後ろに傾きアメリアも後ろに傾く、それを後ろに立っていたダレンが両手で受け止め元の位置に戻す。
鏡の中の彼はとてもにこやかである。
鏡から背後の様子を確認すれば窓が開いている。
(なんという…私と同じように侵入したというのです!?それとも部屋から!?流石はお兄様ですが流石にこれは…)
アメリアはすぐさま引き出しから紙とペン、インクを準備しすらすらと文字を書いていく。
『お兄様この部屋はライラの魔法がかけられていて声を出せば直ぐに彼女に伝わります。用件があるのでしたらあとで…』
まだ書き途中の彼女のペンを奪いダレンが書いていく。
『あとでって言って来なかったのはアメリアでしょう?だから僕が来たんだけど?』
(確かにーーーー!!!)
ダレンはにっこりと笑うと窓の方へと指を向けた。
首を傾げ彼を見上げるが、笑っているだけでどうやら教えてはくれないようだ。
アメリアは表情を聊か不安定ながら作り上げてバルコニーへと向かう。
後ろからにこやかについてくる兄が恐怖でしかない。
バルコニーへ出るとダレンは開いていた窓を閉じて口を開いた。
「流石のライラもここには魔法は張れない筈だよ」
「なるほど。それで、お兄様こんなに朝早くに何しに?昨日のお話でしたらお兄様の勘違いだと言いましたよね?」
鋼鉄の精神と魂のアメリアは持ち前の強さで持ち直す。
不機嫌そうに見上げるがダレンは楽しそうに笑っている。
「ん?それはさっき確認出来たからいいよ。昔のマイクからの報告を聞いたときに無理にでも確認しておくんだったって後悔しているよ…。あの時の僕はほとんど負けたようなものだったからね。悔しかったなぁ…。あっそうそう、父上に何か魔法かけたよね?多分僕にもかけられそうだから先に言っておくけど、僕はアメリアを邪魔する気も、あの人にも手を出す気もないよ」
(なんという観察眼!記憶力!天晴です!しかし、お兄様!妹だとしても、女性の肌を背中だけだとしても盗み見るのは如何なものですか!?)
アメリアは意味が分からないという表情を浮かべながら内心拍手と突っ込みを送っている。
いつの間にか見られていた自分の背中に多少なり羞恥心が出る。
秋の朝日は昇ったばかりで少しばかり外は冷える。
ふるりと肩を震わせるアメリアにダレンはふわりと毛布をかける。
「アメリアが何を思って何を考えているのか他の人と違って全く読めないから、その結末を僕は知りたいだけ」
「はぁ…」
「もちろん僕がアメリアを切り捨てなきゃいけない時は問答無用で切り捨てるつもりだしね」
さらっと当たり前のように言ってのける姿に、流石はダレンとアメリアは感心している。
毛布を頭からかぶり顔しか出していないアメリアはじっとダレンを見つめる。
「んー…余計な羽虫が殿下との婚約で付かないと思ったんだけどなぁ…。思った以上にやらかしてるよね?」
「なんのことです?」
「街に行ったでしょう」
アメリアはもう彼が何なのか分からない。
ダレンは未来を二転三転し見通している部分が昔からあったが、神々の介入でそれが強化されているようにアメリアは感じている。
自分とライラがお忍びで抜け出した事も視察に行っていた筈のダレンは知っているのだ。
ふとアメリアの中で答えが導き出される。
「それもアークですか…」
「ん。まぁそういう事だね。後は僕の友達」
「ともだち…?」
「殿下とアメリアと同い年のレオンだよ」
(そういえばお友達でしたね!!帰ってきてまだ一日なんですけど!?どこで聞いたのですか!)
アメリアは目の前の兄に更なる恐怖が芽生える。
秋の風のせいではない明らかなる背筋の寒さ。
ライラやロイドに感じる危機感とはまた別の危機感。
じりじりと離れていく妹にきょとんとした顔になるダレン。
「ん!?あぁ、アメリアは知らなかったんだね!僕と殿下とレオンは魔法具で離れてても会話が出来る物を持っているんだよ!」
「魔法具!!」
がばりとアメリアは頭までかぶっていた毛布から頭を出してダレンを見つめる。
「現金だなぁ…後で見せてあげるよ。それで夜に殿下とレオンから連絡があって、面白い少年がいた。そいつは壁を飛んで屋上に逃げた。みたいな事を言ってたんだよねぇ…」
「えっと?それのどこがわたくしなのです?」
「ん?気づいてないの?僕は服装の特徴も聞いているんだよ。今のアメリアみたいな服装だって」
彼女は早朝の走り込み用の男の子のような服装。
部屋に侵入されて隠す事も出来なくなったアメリアは服装を誤魔化す事もなく堂々としていたのだが、ダレンは彼女の胸元を指差して言う。
アメリアは毛布をぎゅっと掴み反論する。
「こんな服どこにでも!」
「ないよ」
「へ?」
きっぱりとした否定され、アメリアは一旦止まってしまう。
彼は何を言っているのだろう?と、こんな服どこにでもあるじゃないかとアメリアは複雑な表情を浮かべる。
しかしダレンは何て事ないかのように首を軽く横に振る。
「だからないんだって」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「それはライラが布を仕入れて作った一品物だよ?精霊力が練り込まれている一級品とも言えるかな?」
(なんですと!??ライラに取りに行かせていた筈がライラ自分で作っていたんです!??)
とてつもない爆弾がダレンの口から落とされた。
特に気にした事もなかったが改めて見てみれば、頼んだ物より質が良く、肌に張り付き動きが取りやすくしかし汗をかいても不快にならない生地。
所々に輝く練り込まれている精霊力を感じ、アメリアは開いた口が塞がらなくなった。
「なっ…らいら…まさか…あのおバカさん…っ」
「精霊力の無い人がみたらただの服だろうし、一般の物と変わらないかもね。僕たちは母上が精霊力高く持っていて、元々ブルームーン国の生まれだから分かるんだと思うよ?詳しくは知らないけど。因みになんで殿下達から聞いてアメリアかと思ったかは…そのタイ」
「タイ…ですか?これは普通のタイでは?あっ…これにも…。あれ?もしかして…」
アメリアの背中に嫌な汗が流れ、表情から血の気がざぁと引いていく感覚に襲われる。
きょろきょろと視線を彷徨わせながら言葉を考えるが、アメリアは諦めたように肩を落とした。
「ん。そうだねー、流石は僕の妹だ!答えに辿り着いたみたいじゃないか!」
「わたくし…先日一本なくしたんです…。探しているのですが…」
「赤いタイだよね?先の方が白い」
「あぁもうっ!…どっちが所持していますか!後で回収しなくては…!」
先日の教会偵察の時、彼女は痛恨のミスを犯していた。
それは落し物である。
ライラの精霊魔法である瞬間移動で酔っていたのもあるが、どこかに彼女はその身に着けていたタイを落としてしまっていたのだ。
ダレンの言い方だと恐らく、ジークライド、もしくはレオンのどちらかが所持している。
「後で僕が回収しておいてあげるけど、それもライラが作っていたから、王宮にたまたまやって来ていて、精霊魔法にかなり詳しい人物に見つかって大変だったって殿下が言ってたよ」
「よりにもよって殿下でしたかぁ…しかも王宮でそんな人に見つかっているなんて…」
「ん。そういう事。まぁその人物の名前を聞いたらもっとアメリア疲れるだろうなぁ」
出来れば聞きたくないアメリアである。
朝日がゆっくりと時間を教えてくれているが、まだライラが目覚めるには時間が早い事が分かる。しかしアメリアは出来る事なら今すぐ起きてほしいと思っている。
何故大人しくバルコニーで話を始めてしまったのか、数分前の自分の行動に後悔しているのである。
「お兄様…まるっとひっくるめて内緒ですよ…?もうアメリアはお兄様に自分を作るのが無駄だと分かり、勝てない事も分かったので…疲れました…」
「ん?なんだーもう少し頑張ってよ。僕はアメリアが僕を負かそうと頑張っている姿、割と普通に好きなんだよ?」
「お断りしますー!お兄様を楽しませる為にわたくしは頑張ってるんじゃないんですー!」
唇を尖らせ文句を言っている自分の妹にダレンは楽しそうに笑う。
こんなに兄と仲良くなった事などなかった。この周回でも自分を追い込んでいると思っていたというのに、目の前の兄は本当の“兄”として接してくれているようだ。
(お兄様…物語に戻らないと…お兄様は幸せになれないんですよ…)
この数日ぬるま湯に浸かっている気分だ。
自分自身が幸せを感じているのは染々分かっているが、それは神々が仕向けた彼女が生きる為の道。
楽しそうに笑顔を向けるダレンに背筋を伸ばし真剣な瞳を向ける。
空気が変わった事に気づいたダレンは笑顔のまま向き直る。
「お兄様。どうか約束して下さい。先程お兄様が言った事。必ず、何があっても守ってくださる事を…。ついでにアークに口止めしてください」
「それがアメリアの願い?アークは、まぁなんとかしてあげる。僕には報告してきたけど、言いふらすような奴じゃないけど一応ね。…まぁ父上みたいに魔法を構築されたくはないから、確実な約束が欲しいだろうから誓ってあげるよ。あんな物騒な物かけられたくない」
ダレンは誓うように自分の印のある胸に掌を乗せ紡ぐ。
彼の周りの気配が父にも似た水、氷、しかし冷えず漂う静寂な雫。
「僕、ダレン・フレッド・スターチスは“フレッド”の印にかけて誓う。アメリア・ド・グロリア・スターチスの邪魔立てはしない。彼女が望む事を優先に。ただ彼女が作る結末を見届ける事が僕の望み。僕が約束を反する事はない。“フレッド”に誓って」
空中に印の紋が浮かび描かれ、彼の前にいるアメリアの項へと集束されていった。
ダレンがした事がアメリアには信じられなかった。己の持つ印に彼は誓ったのだ。
アメリアを邪魔立てしないと、彼女が作る結末がみたいと。
じんわりとアメリアの項が熱を持つ。
「お兄様…首の後ろが熱いです…」
「ん!?アメリアもしかして自分の印の位置わかってないの?」
アメリアはダレンが驚いた声を出すので肩を一度びくりと震わせた。そして彼が驚いている理由をよくよく考えてみると、確かに驚くかもしれないと納得してしまった。
「えっと…位置ですか?確かに見た事無いかもしれません…」
そう。アメリアは自分自身の印の場所を一度も確認した事がないのだ。
一応隅々まで湯浴みの時に見渡した事があったが見つからなかった。
「んーそっか。アメリアの“ド・グロリア”は母上から継承されたものだから、分からなくて当然なのかな?普段は見えないみたいだし…」
「普段は見えない?」
「アメリアの瞳は光の加減で何色にでも見えるし、感情によっても変わる。そっちの印象が強いから皆、瞳に印があるって思いがちらしいよ。父上が仰ってた」
アメリアは納得する以外になかった。
普段確認できないのであれば全裸になって探しても見つからないわけだなと。アメリアも他の皆と同じく瞳にあるものだとばかり思っていたのだから。
瞳の事はまだ詳しく知らないアメリアは、ダレンが光の加減でころころと色を変えその人が思った色にもなり、アメリアの感情でも色が変わる瞳を見分けられたのもその為かと納得した。
ただそれは頭が良いだけでは決して見分けることが出来ない事を、この時のアメリアは理解していない。ダレンがアメリアを観察していたからこそ、分かったことなのである。
「ふむふむ。それで印はどこにあるとお父様は仰ってましたか?」
「うなじ」
「この首の後ろの熱さは印のせいだったんですね!?」
「ん。ちょっと見せてねー」
驚くアメリアをそのままにダレンは、アメリアの真っすぐな青銀の髪を優しく退けて項を近い距離で確認、観察する。
少しばかりダレンの息が首筋を掠め、アメリアはかなりくすぐったい。
しかし確認してもらっているので大人しくしている。
「なるほどー。こう言う印だったのか…あっ消えた。にしてもアメリア細いし白いね」
「ひぃっ!!?」
目の前で消えていった印の部分を指でなぞると、そのままふっと息を吹き掛けた。
ただの変態の集まりになりつつあるスターチス公爵家