第28話
アメリアとライラはロイド達が帰宅するまでの三日間、アンスリウム男爵の周りを徹底的に洗い出していた。しかし出てきたものを引っ繰り返しても埃になり得ず、ただアンスリウム男爵の善人像が強くなっていくだけのものだった。
自分の部屋の机に広げていた資料をトントンと音をならしながら纏め、首を曲げて疲れが出ている目頭を押さえた。
「だめね…ライラの力を借りても、あっちも行き詰っていて成功するには程遠い…。魔力に当てられ過ぎるとライラの力が衰えてしまいますし…後も追えない…。歯痒いですね…」
「申し訳御座いません。衰える事はないと思いますが…気分が悪くなるのさえ耐えられれば…」
「いいえ。ライラは良くやってくれているわ。禁止された合魔獣を創り出そうとしているのだから、かなりの魔力が込められる筈です。わたくしですら創り出されたらどうなるか分かりませんもの。気にしないで」
「…はい。お嬢様、少し休憩に致しましょう」
根を詰めて調べているアメリアに、休憩を促しそうとお茶の準備に向かう為、扉を開けようとした。
その時、ライラが開くよりも先に突如開かれる扉。
「アメリア!!」
この部屋の扉はいきなり開かれる事が多いなとアメリアは思いながら、一体誰がそんな事をと、机に乗っている資料から入口へと顔を向ける。
「お父様?お帰りなさいませ?ノックもなしに突然扉を開くなど如何なものですか?」
ライラの肩越しから見えたのはアメリアの父親、ロイド・レイク・スターチスが息を切らせて立っていた。
アメリアは視察から帰宅した父親に一応お帰りと声をかけたが、思っていたよりも早く帰宅したロイドに違和感を覚える。彼が更に息を切らせて急いできたのだという事も彼女の違和感を強くしている。
ライラは突然開かれた事にも特に反応を起こさず、無表情のままその場を動かずロイドの前に立ち塞がっている。彼女は安定の鉄壁のガード状態である。
「お帰りなさいませ旦那様。可愛いお嬢様に直ぐにお会いしたかったのだとしても、少しは落ち着いていらして下さい。私のお嬢様が驚いていらっしゃいます」
「私の!?ライラいつの間にアスターのような呼び方をアメリアにしている!!」
「旦那様に報告する事項は別段御座いませんでしたので、いつと言われますと…」
ライラは肩越しにアメリアの表情を伺う。
アメリアはにっこりと微笑み首を振って内緒だと伝える。
心得たライラは再度ロイドに向き直り無表情に淡々と答えた。
「私とお嬢様との秘密に御座います。私の主のアメリアお嬢様がそのように願われているので、いくら旦那様でもお答えできません」
流れるように私のと告げているライラにロイドは瞳を鋭くする。
「アスターの時のようにアメリアと私の邪魔をする気か…?」
「邪魔立てはした覚えはさらさら御座いませんが…私のアスター様が旦那さまを選ばれた時 はかなりショックでした。ですからあの時は少しばかり八つ当たりをさせて頂きましたが…。お嬢様にもしも旦那様がどのような形であれ手を出される事がありましたら、全力でお相手するつもりではあります」
「お前は私の事を主人と思っていないだろ!」
ライラの首がごきりと鳴らされ、それを目の前にしたロイドが少しばかり言葉を砕けさせ声を荒げている。
一応守られているのだろうかとアメリアは思うのだが、父のロイドが自分に手出しする事とはなんだろうかと不思議に思っている。
彼女は自分に向けられる純粋な愛情を理解する能力が悉く欠けている。
ライラからの愛情には多少危機感も相まって敏感ではあるが、それ以外からの愛情にはかなり鈍感であり、彼女が封印した人に恋をするという恋心が関係しているのかもしれない。
鋼鉄の精神と魂のアメリアは負の感情を望み、善の感情に無意識のうちに拒否反応が起こり理解出来ない故に鈍感である。
「嫌ですね、旦那様。勘違いされていらっしゃいます。私の主人は現在アメリアお嬢様であり、昔はアスター様なだけです。旦那様は主人アスター様の旦那様という立ち位置で、雇い主というだけで今も昔も何も変わってはおりませんよ?」
「一応は良いのか…?」
良くない。雇い主に対して大変良くない。
首を傾げて納得し始めているロイドに、アメリアは盛大に突っ込みを入れたい。
しかし口に出さず、表情は何しに来たのだという不機嫌を張り付けているので、ここ最近不安定に揺れ動いていた彼女の鋼鉄精神は、今はとても安定している。
ロイドはライラの良く回る口には勝てないのだと、アメリアの中にある“口論最強ピラミッド”の順位が変わった。現在その頂点に立つのは過去の周回を見返してもダレンである。それは彼女の中で揺るがない。次に双子姉弟、その少し下に本気を出したロイド、その下にレオンである。通常ロイドは普通よりも少し低い辺りに位置している。マイクとジークライドは順調に物語通りに、アメリアの思惑通りに事が運んでいるのでこれには入る事はない。
そんな彼が一体息を荒げて何しにやってきたのか、アメリアは確認する為に口を表向き不機嫌そうに開いた。
「それで、お父様は一体何しにきたのです?私は忙しいのです!あっもしかして!お土産の名産品各種を持ってきて下さいましたの?」
「いや…全部はやはり無理だった…」
さり気なくロイドに頼んでいた彼女のわがまま。そのわがままで頼まれた土産の名産品各種は、一つ一つがかなり高級な物。いくら公爵の地位を持っている彼だとしても、それを娘の為に購入する事は渋るというもの。
しかし彼はアメリアを愛しているからこそ、彼女の願いを無下に出来ない。“やり過ぎている”行動の尻拭いと誤魔化しで少しずつだが、溜まっていく小さな不満。彼の内の罪が彼を苦しめている。それをちくちくと刺激していくのがアメリア流ロイド対策である。塵も積もれば山となるその不満は彼女の未来への布石。
アメリアは一瞬虚空を見つめ、直ぐに戻しロイドに呆れたような表情を浮かべる。
「お父様ってばわたくしのお願いは、聞いて下さるって言って下さったじゃないですか。どうして守って下さらないのですか…?ねぇライラ…後からこの屋敷にやってきたダリアお義母様には、お土産があるみたいなのだけど、わたくしはダリアお義母様に劣っているの?それとマイクや生まれて数年のユリにも劣るのかしら?」
あえてロイドが傷つく言葉を選んでは紡いでいく。
彼の後ろに見える視察に付き添ったマイクとダレン、そして彼の荷物を運んでいる最中に足を止めたであろうアーク、それぞれの腕には小さな小包。それは彼女が頼んだ物ではなく恐らく彼らが選んだ土産であろう事はアメリアには分かってしまった。
本当の母親ではないダリアの為に用意されたであろう土産。視察に自分を置いて半分しか血が繋がっていない弟を連れて行った。そして土産の一つには2歳の妹への物も入っている事だろう。それなのに自分にはないのかとアメリアはロイドが一番聞きたくない言葉をあえて選んだ。
(ちくちく!さぁお父様どうでます?私はお父様の胃をちくちくするのは、あまり好きではないのですよ!)
鋼鉄の精神と魂の斜め上の優しさであるが、少しばかり楽しんでいるのは気のせいではない。
ライラはアメリアに勢いよく振り返り、あり得ないと首を横に強く振って否定する。
「劣るなどあり得ません!ダリア様に対し旦那様が土産を買っていて、愛しいお嬢様に買っていないなどあり得ないかと!もしそうであれば…」
ライラの無表情の瞳から冷たい視線がロイドを射抜く。
彼は何も言わずただアメリアとライラを見つめている。
「旦那様はお嬢様を娘だと思われていないのではないでしょうか?あぁ…そうでした。若様は印持ちの高い魔力持ち。後継者でいらっしゃいますし、ちゃんと息子としてお育てになられていますと聞いたことが。お嬢様に関しては私に一任されているようなものですから…」
「それはっ違う!お前が邪魔を…っ」
「私という障害など乗り越えられないで何が父親でしょうか?」
無表情のライラはアメリアの言葉以上にロイドの心を抉った。
尚も彼女は続ける。アメリアは内心驚愕しており、思った以上の追撃をライラがしてしまっている。心の中で大きな応援団旗を振って応援する事が少しばかり出来ない。
ちくちくするのはアメリアの役目だと彼女はちょっと思っているのだ。
「公爵という地位がありがなら旦那様は…いえ、“ロイド”様は“アスター”と居た頃となにも変わっていない。成長していない。むしろ悪化している。私はあのダリア様を奥様として、お嬢様の新しい母君として認める事は今後何があってもあり得はしない。あの方がお嬢様に向ける瞳は…」
「もういいわライラ。それ以上は決して伝えては駄目。まぁ…お父様がどう思っているのであれ、急いでいらっしゃったのでしょう?それで、なんでしょうか?愛しい愛しいお父様?」
ライラが彼を完全に見限ったのだとアメリアと、言葉を投げられている本人のロイド、後ろに立ち止まっていたアークは彼女の言葉から察することが出来た。
これ以上の言葉を続ければ、ダリアがどのような瞳で彼女を見つめているのかに気づかれてしまう。
アメリアはライラの言葉を遮り、彼女に決して伝えない事を念押し、ロイドへと嫌味を乗せて本来の要件を聞き出す為に言葉を投げた。
ダレンはその言葉を発しているアメリアが一瞬虚空を見つめていたのを見逃しはしなかった。
――傷つけたくないなら何故わざわざ煽る…。アメリアは何を見つめているんだ…。
彼の中でアメリアの行動が蘇り、そして照らし合わせるように頭の中でパズルピースを組み立てていく。しかし、彼女の考えはダレンに直ぐ答えに辿り着ける程の簡単な行動を起こしていない。
アメリアの度重なる死亡経験則と鋼鉄の精神と魂による約束への行動が理解できるはずもない。
上手くはまらないパズルピースに少しばかり苛立つが、振り払うようにアメリアの観察に戻った。
彼はアメリアの中の神々サイド難易度上位、ダレン・フレッド・スターチスである。彼女が認める程に彼の頭は二転三転未来をみている。
ロイドはゆっくりと心を落ち着かせる為に瞳を閉じ、そのままアメリアの質問に答える。
「後で私の執務室に“一人”で来なさい。ここではライラが邪魔で話にならない」
「あら?彼女は私の乳母であり今は侍女ですよ?一緒にいっては駄目な理由がまったく分からないのですけど?」
「ロイド様、私のお嬢様と二人きりになど…っ」
開かれた青の瞳は鋭く「氷の公爵」気配を纏い、冷たい表情でアメリア、そして目の前に立ちはだかる無表情の侍女を射抜き、ライラは言葉を詰まらせた。
ライラは彼の表情に奥歯を噛みしめ、無表情ながら瞳に不満を抱きながら口を閉じそのまま頭を下げた。
今の彼は本当の意味で、この屋敷の主。
この国の四大公爵の一人、「氷の公爵」である。
「畏まりました…」
立ち塞がっているライラが頭を下げた事により、アメリアは正面からロイドの纏う気配と表情を受ける。
彼女の表情は一度驚愕し、悔しそうに歪んだ。
しかし内心はそんな事はなかったのは言うまでもない。
(お父様から私に本気が出ました!?ちくちくしなくてもいい感じです!?お父様の胃をもう苛めなくて済みますかね!良かった、良かった!ライラが巻き込まれてしまったので後でケアしませんと…嫌な予感しかしません)
鋼鉄の精神と魂のアメリアは喜んでおり、そしてロイドの胃も今後心配しなくて良いという安心を抱いていた。それと同時にライラに対して警笛がうっすらと鳴り始めている。
アメリアは彼女がこの後に起こすであろう事をなんとなくだが察しているのだ。
表裏一体にならない彼女の内心と表情は流石の域。
アメリアは椅子から降りて、淑女の礼をロイドに送った。
「何の話かは存じませんが、分かりました。お父様達の片付け等が落ち着いた頃に参ります」
顔をあげる事無くそのまま彼に告げる。
ダレンとアークはアメリアの行動に瞳を見開いた。そしてアークはそんなわけはないと首を横に振った。
ただマイクだけはアメリアに忌々しげな瞳を帰宅してからずっと投げており、彼女が礼をしている間にそっとその場から離れて行ったのだった。投げられていたアメリアはこっそり安心していたなど誰も知り得ない。
ライラもアメリアも頭を下げたまま制止している。
彼女たち二人に視線を送り、ロイドは纏った気配をそのままに部屋を後にしたのだった。
廊下にいた二人もそれに続き、誰の気配もしなくなった頃二人は頭を持ち上げ、ライラは開いたままだった扉を閉めた。
扉の近くに立ったまま何を思ったのか、ライラは精霊語で詠唱し始める。
『空間を閉ざせ。音は漏れぬ』
周回100回目のアメリアは精霊語をほとんど使用しないラナンキュラス国の生まれである。そして過去もその言葉を必要とする場面はなく、勉強していなかった。
しかし彼女の詠唱でこのアメリアの自室が閉ざされたのだと、空気が変わったのだと持ち前の感覚で理解出来た。
ライラはゆっくりとアメリアの方へと向きを変えるが、アメリアはそっと顔を背けた。
彼女の表情よりも彼女の背中に混沌の扉が、半分ほど禍々しく出現している。
うっすらと聞こえていた警笛はガンガンと頭の中で鳴り響く。
(やっぱり怒ってるー!!)
「勝手な事を致しましたがお許しください。お嬢様の部屋を閉ざしこの室内の音は外に漏れなくさせて頂きました。あの…ロイド様なのですが…」
「手を出したら駄目だからね?あれでもお父様です!そして混沌の扉をしまいなさい!」
アメリアは全力で彼女を止める。
アメリアがライラに感じる危機感は2種類だ。
一つは最近やっと感じ取れてきた彼女が自分に送る異常な愛情の時。通常のライラに対し流すことを覚え始めたアメリアなので、その部分は別段問題がなくなってきている。
鋼鉄の精神と魂のアメリアは雑草並みに成長が早い。
そして、もう一つは彼女が起こす可能性のある、未来の布石の破壊。
現在は布石の破壊に対する危機感が警笛を鳴らしている状態。
可能性という段階ではあるが、ライラが元々持っている力は未知数。その為、ライラが今後どのような行動を起こすのだとしても、手綱は常に握っていなければならないとアメリアは考えており、未来の為の布石が破壊される事はあってはならない。
自分の未来の為。約束の為に決して見逃しはしない。
しかしライラはアメリアの言葉を聞き流しぶつぶつと呟いている。
「この屋敷でまともなのがお嬢様しかいらっしゃらない気が致します…なら全員…」
「駄目だからね!?ライラが何をしようとしているかは分からないけど物騒な事な気がするので、絶対にそういう事は駄目ですからね!?」
(アークのスターチス一家暗殺エンディングみたいな発想は止しなさい!そのエンディングはライラが起こして良いエンディングじゃありません!!この双子の愛って本当に怖い!)
双子はやはり二人で一つなのだなとアメリアは遠い目をしながら思った。
駄目と何度も言われた事に、ライラは大変不服そうに唇を尖らせている。彼女はアメリアと二人きりだと随分と表情が豊かになっている。
特に先日の教会偵察もとい、アメリアとデートによってその箍が外れた。
この日までにライラに所々口説かれているアメリアだが、綺麗に流しているのは彼女のスキルの高さであった。
「お嬢様ー?私はお嬢様の為にこの屋敷を一度まっさらにする事が一番だと思う訳です」
「ライラの本気なら出来ると思いますよ?でも、ライラが血に汚れるとかそういうのわたくしは嫌です!」
「お嬢様…っ!畏まりました!今は愚弟と話し合う事で落ち着きたいと思います!」
「えと?アークとお話し合い?仕事中だと迷惑かかってしまうからほどほどにね?」
「あの愚弟にまで優しい私のお嬢様なんて可愛いのでしょうっ!!」
飛び込んでくるライラを慣れた様子でひょいと避けるアメリア。
勢いに任せて傾く重心で顔面から着地すると思われたが着地せず、抱き締められず伸ばされたその腕を床につき、腕の力をばねのように使い飛び上がりそのまま回転するように両足で華麗に着地した。
身の軽さにアメリアは、流石は隠密!と素直に表情に出し拍手喝采である。
いつか自分もやってみたいと思い、普段の体力作りに魔法で補えるからと疎かにしていた筋力作りを追加し強化する事に決めたアメリアだった。
「さてと、ライラとお話ししていて少しは時間経ちましたかね?そろそろお父様の所に向かうとしましょう」
「くっ…お気をつけてお嬢様…!何かあれば叫んでください!このライラ必ず助けに参ります!お嬢様の身に危険が及ぶ時!私ライラは参ります!」
「そんな事は起こらないと思うから大丈夫です!!」
一体彼女は何の心配をしているのだとアメリアは首を傾げながら、ライラに精霊魔法を解いてもらいそのまま部屋を出た。
いざ行かん!父親の執務室へ!