第15話
アメリアは日記を抱いたまま椅子から降り、再度眠っているライラの元へ。
日記を読んでいた事で時間が経っているからか、幾分かライラの顔色が良くなっている。
膝を曲げ、ライラを起こすように軽く頬を突く。
指先に触れる化粧を施していない年齢不詳なライラの頬はとても卵肌で、色々な年齢の女性から羨ましがられるしっとり肌。
「なんてしっとり…。ライラーしっとりライラさーん、そろそろ起きてくださーい」
「うぅ…おじょ…さま」
「そーですよー?ライラが大好きなあなたのアメリアお嬢様ですよー起きてくださーい」
アメリアの声にカッと目を見開き覚醒するライラ。
突如の事にぎょっとするも、頭を片手で押さえ何かを振り払うように首を振りながら起き上るライラに安心する。
いまだ少し茫然としている彼女の顔を横から覗き込む。
「ライラ?どこか痛いところはありますか?大丈夫?」
「お嬢様…ここはどこですか?確か私達はお屋敷の書斎にいたはずですが…」
「流石はライラですね!しっかりしてらっしゃる!」
ぱんと両手を胸の前で叩くアメリア。
その可愛らしい仕草は“アメリア”ではあり得ない。ライラはそっと遠い目をする。
「まだ夢を見ているのですね私は…お嬢様がお嬢様ではなく…」
「あのライラ?来る前も言ったけど現実よ?わたくしはわたくしですし、夢ではないです。確かにわたくし普段と違いますが、本来のわたくしはここでしか見せませんし…普段のわたくしはわたくしであり、わたくしではありません!」
「……はい?」
ライラは再び混乱した。
夢だと思っていたこの場所は夢ではないという。
そして本来の自分はこちらで、普段の自分は自分であり自分ではないという。
混乱は更に混乱を極めた。
ライラが混乱するような事を自覚しているアメリアは心底困った。
彼女に本来の自分を見せる予定はなかったが、ライラにだけは見せても良いかもしれないと、最後だからと、物語とは違う道を少しは寄り道をしてもいいだろうかと。
初めてのアメリアの甘えが出てしまったのだ。
ライラ・フリージア。
双子の弟のアークと良く似た黒く艶のある漆黒の髪を一つにまとめ後ろに流している。二重の切れ長のシルバーグレイの瞳。女性にしては背が高く、男装をすればアークと瓜二つの姿に変身する。男女の双子がそこまで似るのはとても珍しいが、二人は本当にとても良く似ている。
どの周回でもアメリアに付き、彼女を守る。唯一アメリアを裏切らず、忠誠は誓ったり誓わなかったり様々であったが最後まで共にあろうとしてくれた人物。
そしてアーク同様、隠密のような裏の仕事の方が得意とする超人、アメリアの為なら命を燃やすアメリア主義。
アスターの旦那という事と雇い主だからロイドに従っているのであって、そうでなければ特に従っていない主人とはなんだったのか…な性格をしている。建前上主人として扱っている。
アスターの遺産の一つ。その力は未知数。
異端の双子として育ち、アスターと共にこの国にやってきた隣国の特別貴族の娘。
常に無表情ではあるが、アメリアは表情を読む事が出来る。
ダレンの事を「若様」と呼び、アメリアの事を「お嬢様」と呼ぶ。他二人の子供達は名前に「様」付けな辺り徹底してダリアを新しい奥さんとして認めていないようだ。
「恋愛対象はお嬢様だけです」の発言はまだないが、これから来るのかとアメリアは日々ドキドキしている。
そんな彼女だからこそアメリアは甘えてしまったのだが、少しばかり後悔していた。
いつもアメリアの死亡に巻き込まれて彼女は命をアメリアより先に落とす。彼女を守ろうと必死に戦った。
これはどの周回でも揺るがなかった。
今回こそは生きてほしいと毎度思うのだが、ライラはアメリアから離れる事はなく、無表情ながら愛情をそそぎ守ろうとしてくれていた。
本当の意味で彼女はアメリアの第二の母であり、戦友なのだ。
「ライラ…あの…」
声をかけようとしたアメリアに、そっと頭を押さえていた右手を彼女に前に出し遮る。
「お嬢様御心配おかけしました。問題ありません。いえ、ありますが大丈夫です」
それを人は大丈夫じゃないと言うだろう。
アメリアは下がっていた眉を寄せ、心配そうに見つめる。
ふっくらとしていながら、丸みが強すぎない彼女の頬はうっすらと桃色に。
見つめる瞳は先程泣いていたからか少し睫毛に水滴が残っており、目の周りが赤い。
その表情をまともに見てしまったライラは勢いよく顔を背けた。
一瞬見えたライラの頬が赤く染まっていた気がするが、ここが穏やかだから血行が良くなったのだなと鋼鉄の精神と魂のアメリアは斜め上に思った。
「お嬢様!なりません!そのような可愛らしいお顔で私を見ては!」
「へ?」
少し興奮気味に背けていた顔を近づけたかと思えば、アメリアの両肩をぐわしっと音がなりそうな勢いで掴む。
何故ライラがこのように息を荒くしているのか全くアメリアには分からない。
アメリアは分かっていない。
彼女は過去の周回で「恋愛対象はお嬢様だけです」と言った言葉の意味を。
「お嬢様宜しいですか!?」
「はい!!」
「お嬢様は可愛い!天使、いえ女神です!いいですか!?そのような可愛らしい顔を向けては人が獣になり、とても危険です!男女関係なく!大人子供関係なく!わかりましたか!?」
「え…でもライラ以外にはみせてな…」
「わ か り ま し た か ?!」
鬼気迫るライラにアメリアは両目をぱちぱちさせて何度も頷く。
じっと真剣にみつめた後、納得したのか肩から手を離し、アメリアの目をハンカチで軽く拭う。
アメリアは茫然と目の前のライラの行動を見つめるが、ライラはその後ハンカチをしまい立ちあがっては辺りを見渡している。
(今のライラは…魔力による困惑か何かでしょうか?大丈夫ですかね?)
鋼鉄の精神と魂はいつになく鈍感である。
彼女とライラしかこの空間には存在してない事が彼女の気を緩めているのだろう。
辺りを見渡し、ライラは再度アメリアに向き直る。
「お嬢様やはりここは夢の世界ではないのですか?空もあり、草野原。お嬢様と私以外に存在しない夢のような世界など…」
確認するかのようにライラはアメリアに問う。最後の方の言葉はアメリアは聞き取れなかった。
アメリアはにっこりと微笑み答えを告げる。
「夢ではないですよ?ここはお母様、母アスターが作り上げた空間です」
「アスターが…」
茫然と空を見上げる。
アスターの事はライラは良く分かっていた。しかし、こんな空間を作っていたなど彼女は知らなかったのだ。
流れる雲はとても穏やかな風に乗っている。
とてもアスターが好みそうな場所だとライラは思う。
「ふふ…」
「何かおかしいでしょうか?」
「お母様の事、アスター様じゃなくて呼び捨てなんだなぁと。ライラとお母様の関係を知れて少し嬉しくて…」
子供のようにころころと笑うアメリアに自分の失態に気づいたライラ。
慌てて訂正しようとするが、アメリアは口を開く前に微笑みながらゆるりと首を振ってみせた。
「ここでは長年染みついた一人称は直りませんが、わたくしも本当の自分です。だからライラも気にしないでお母様の名前を呼んでください」
「…お嬢様…ありがとうございます…」
「いいえ、お互い様です」
彼女の瞳が今はラピスラズリの色に見えた。
優しく包み込むような海や空を思わせる静寂の宝石のようなその色は、よくアスターが宿していた色に良く似ている。
――あぁ…お嬢様はやはりアスターの娘なんですね…。
今までもアメリアにその傾向はあった。しかし、彼女の振る舞いはそれを打ち消すかのような豪快なものだった。それでもライラと二人の時は幾許か気を抜いているような仕草があった事から、目の前にいるアメリアが本当のアメリアだと受け入れる事が出来たのだった。
「それでお嬢様、アスターはここで何を?」
「えっと、ここはお母様の秘密基地なの」
「はい?アスターの?」
無表情のライラの眉間に皺が寄り口がへの字を結ぶ。
珍しいその表情にアメリアは受け入れてくれたのだと嬉しくなった。
しかしそれだけではなく、むしろそうではない。
ライラはアスターが秘密裏に自分には内緒でこんな空間を作っていた事に腹を立てているのである。
アメリアは機嫌良くここでアスターが何をしていたのかを答えた。
「そう!お母様はここで秘密の日記を書いていたみたい」
「ほう…」
その瞬間ライラの周りが突如温度が下がった。
魔力が低いライラが魔力を使う事はあり得ない。しかし、気分の問題だろうか、温度が下がったのだ。それも氷点下に近いほど。
そしてライラの背後には懐かしの混沌の扉が出現していた。
アメリアの頭のなかで警笛が鳴り響く。
アメリアは知らずの内にライラの地雷を二度も踏み抜いていた。
一つはアスターがライラに内緒で作ったこの空間。
もう一つは、ライラに内緒で日記を書いていたという事。
ライラの恋愛対象はアメリアであり、アスターも同じく恋愛対象だったなどと鋼鉄の精神と魂の少女は知らなかったのである。
「恋愛対象はお嬢様だけです」は「恋愛対象は今はお嬢様だけです」という意味だと言うことだったのである。
フリージア姉弟の愛は怖い事をアメリアはこの後、嫌でも思い出すこととなる。
アメリアによるほんの少しの初めてのシナリオブレイクタイム(寄り道)。
ライラの暴走開始