第13話
前回最大のミスを犯し、美しく可憐な乙女のイメージが大変不服にもついてしまっていたアメリアは、迎えた次の春の5歳の誕生日にそのイメージを破壊することに成功していた。
彼女が決意していた通りにドレス、化粧、装飾品に至るまで、アメリアが自分で選びぬき、会場で悪印象をつける振る舞いをここぞとばかりにやり遂げていた。
婚約者となってしまったジークライドは婚約しているのだからと王妃に背中を押され、何度か渋々公爵家に訪れていた。彼は彼なりに一応アメリアに歩み寄ろうと努力していたのだが、会うたびに酷くなっていく婚約者に対し、あの時の感情はやはり気の迷いだと未だ燻る想いを悲し気に心の奥に大事に隠した。
それよりも彼女の兄のダレンや弟のマイク、それに生まれてきたばかりのユリに対しての方が印象が良いと思う程、ジークライドはアメリアの思惑にハマっていた。
(私の愛を先に裏切ったのは殿下です!昔の私の気持ちを少しは分かってくれましたか!)
最初の頃のアメリアは本当にジークライドに恋していた。
それが自分の行いで儚く散ってしまったとしても、婚約者になりたいと自分から願うほどに彼を好きだった。
わがままな自分に歩み寄り理解する為に彼も彼なりに頑張ってくれていたと、何度か周回している内にやっと気づけたもの。
それでも彼は必ず自分を捨てるとアメリアは分かっている。
それ故の99回の周回を得た鋼鉄の精神と魂のアメリアが行う少しばかりの仕返しは、思ったよりもジークライドにダメージを与える形となってしまった。
一瞬虚空を見つめるが誰もそれに気づけない。
周りに悪いイメージをつけさせて、フラグも建てる、あくまでも彼のための“少しばかり”の仕返し。
何度も繰り返して強い心を持ったとしても、例え物語だからと我慢できたとしても、現在旗にしか見えないとしても…それでも彼女は女の子なのである。
◇◇
風が少し冷たく、木々の緑が色を変えてきた秋の時。
日課の体力作りの後、5歳になってからロイドにお願いをして雇ってもらった家庭教師の授業を終え、その日の午後。アメリアはライラを連れて屋敷の書斎へと向かっていた。
「ねえライラ。これからあなたが目にするものは現実よ」
アメリアは家庭教師がついた事により、言葉を少しずつ変えてきている。今までのように拙い喋り方ではなく、普通に話すようになった。それでも世間ではかなり早い成長速度と言えよう。
口調がはっきりした事に対する疑問はこの屋敷にいる使用人含め特に気に留める事はない。
それだけ、アメリアは頭一つ抜き出た才能を良くも悪くも様々な所で発揮しているからだ。
とことことライラを連れて廊下を進みながらアメリアは言葉を投げる。
一瞬投げられた言葉に首を捻るが、主がそういうのであればと納得し頷く。
「了解いたしました」
「この書斎には、お母様が残した秘密があるの」
書斎の扉を開き中へと進む。
掃除は毎日行われていても差し込んでくる光にキラキラと埃が光る。インクと紙の匂いが室内を包むが、アメリアはこの匂いが嫌いではない。むしろ好きだ。
書斎の中はありとあらゆる本で犇めき合っていた。領管理の方法や、魔法に関するもの、料理の本、礼儀作法の本。王国上位に入る程の量をこのスターチス家は所有している。
ライラが動揺し足を止めてしまっていたが、アメリアは真っすぐと目的の棚のところへと進む。アメリアの姿が奥へ消えてしまった事に気づき、少し遅れてライラもその場所へ。
奥へ進むにつれて隣国の物と思われる書物が数多くなってくる。
その隣国の本達は亡きアスターがこの屋敷にやってくる際に持ってきたものだと、その一冊一冊を懐かしむようにライラは目を細める。
――秘密とはこれの事だろうか?そうであればお嬢様はやはり可愛らしい発想の持ち主ですね。
最奥の棚で足を止めてこちらを見ている自分の主に優しい気持ちになるライラ。
アメリアはライラがちゃんとついてきた事を確認すると、目の前の棚に視線を移し一冊一冊上から順に何かを探すように眺める。そして自分より少し高い位置の一冊に目が止まった。
「これね…。ライラ、わたくしを持ちあげてちょうだい」
「何か必要でしたら私がお取りしますが…?」
両手を広げ持ち上げるように指示されるが、アメリアより高いところのものであれば自分がと提案する。それに対しゆるりと首を振り、少し困った表情を見せる。
アメリアの表情が変わる事はライラの前では良くあることだが、この表情は珍しいとライラは思う。
「いいえ。これはわたくし、“ド・グロリア”であるわたくし以外には開けない仕掛けなの」
「っ…構築者は…アスター様ですか…」
「ええ。それをライラにも今から見せてあげる」
アメリアの言葉にライラは目を見開いた。
ド・グロリアの名を持つ者は現在、目の前で両手を広げているアメリア以外にはこの世に存在しない。亡きアスターが継承したその名は彼女が残した遺産の一つ。
継承されてから特にライラもその事についてアメリアから質問を受けた事はなかったというのに、アメリアはあまり入った事もない書斎の中をさも当然のようにこの場所にやってきて、自分の知らない何かを知っている。それも、ド・グロリアではなければ分からないような何かを。
ライラは言葉に従い、アメリアを持ちあげる。
歳を重ね抱き上げる事が少なくなったその体は、以前より軽く感じた。
「お嬢様、ちゃんと食べておいでですか?」
「え?!どうしたの?食べてるわよ?」
鋭くなったライラの言葉に驚くが、アメリアはちゃんと食事を摂っている。その事はライラも知っている筈だ。自然とアメリアの眉間に皺がよってしまうのは仕方がない事。
「しかしお嬢様、軽すぎます」
「うっ…それは……貧相って言いたいの?」
「そういう事ではなく!」
「はいはい!小言は後でいやってほど聞くから、今はあの本のところに行ってちょうだい」
5歳児に貧相も何もないが、アメリアの体を持ち上げたライラだから気づいたのだ。
彼女は普段から本来ならあり得ない事に、湯浴みを一人で行う。何度言っても誕生日や祭事等重要な日以外は一人で入ってしまうのだ。小さい体で入る事の危険性をライラや他の使用人達が伝えても断固として譲らなかった。そして、彼女は器用に着替えも自分で行ってしまう。
公爵令嬢としての振る舞いは分かっているのか、必要とあれば他人に支度をさせる。手伝おうとした使用人が「基本的に自分の事は自分でやるので邪魔をするなら屋敷から出て行け」と言われてしまえは手を出す事は難しい。その為、彼女の体の変化に気づくのがこの日まで遅れてしまったのは致し方がない。
アメリアの体は子供にしてはあまりに細かった。
ライラの無表情ながら不機嫌そうに目を細め、その事を追求したいが腕の中のアメリアは目的の所へと指を指している。
己の追求心と小さい主のお願いであれば、ライラはお願いを優先した。
アメリアが指し示していた所には周りの物と似たような赤い背表紙の本が一冊収まっていた。周りに並ぶ物と大差ない書物の一冊の筈だが、小さき主はその前に行くように言われている。一つ違和感があるとするならば、他の本と違いその本にはタイトルがない事だろう。
ライラは歩みを進め、その目的の場所の前につくとアメリアをその本の高さに合わせる。
アメリアは一つ深呼吸をし、ゆっくりとその本を引き出した。
「っ!!」
「ライラ!わたくしから手を離さないでね!」
突如その本が光り出した。
あまりの眩しさにライラは目を瞑る。衝撃のあまりアメリアから手を離しそうになったが、アメリアの言葉に持ち直す事が出来た。
アメリアはゆっくりとその光り輝く本を開く。
ライラを見上げ、少し申し訳なさそうにしているその表情は目を閉じているライラには気付けなかった。
開かれた本は“ド・グロリア”の紋を刻み、魔法を自動的に構築し、光が二人を包み込み、飲み込んだ。
ぼすんとその書斎に似つかわしくない何かが落ちる音が響き、書斎から二人の姿が消えた。
残されたのは一冊の何も中身が書かれていない赤い本。
◇◇
「ライラ、ライラ!大丈夫?」
上空から聞こえるアメリアの声にふるふると長い睫毛を揺らし、ゆっくりと瞼を開く。
ライラが瞼を開けば、目の前には先程まで腕に抱いていた筈のアメリアの顔が。
「おっ!嬢様っ!?」
「びっくりさせてごめんなさいライラ…大丈夫?頭ぶつけた?痛いところない?」
「!!??」
――目の前の少女は誰だ!
アメリアではあるが、その現実をライラは受け入れられていない。
どこかは分からないが自分は横になっているという事だけはライラはわかった。
しかしこの状況は全く理解できていなかった。
ライラはこの状況に混乱していた。
普段のアメリアはライラ以外に高圧的かつ非道なまで冷酷に、高飛車であり権力を簡単に振りかざすような性格をしている。一部の5歳にして尻軽などの噂はアメリア自身で流している事を一番近くにいるライラは知っている。
一番近くで見てきたライラだったが、前半の部分のアメリアはそのままであり、事実だった。彼女は良くも悪くも頭が良く回り、表情も上に立つ者の顔をしている。
それが今はどうだろうか?
ライラを心配するその表情は普段自分に見せるような顔でも、自分以外に見せる高圧的な顔でもなく、ただの子供のような幼きアスターのような表情。
心配そうに見つめる瞳は桃色。アメリアの普段きりりと上がっている眉はハの時に下がっており、胸の前で手を握っているではないか。
――この子は誰だ!
ライラは混乱を極めた。
そして混乱のまま再び意識を手放した。