第11話
ジークライド戦
アメリアは今、公爵家が誇る温室にいた。
先程までは誕生日会場にいたアメリアだったが、彼女の父と兄が国王と王妃と話している最中、いつの間にか移動していたこの国の王子であるジークライドにあれよあれよと連れてこられてしまったのだ。
それは流れるような手際でとても良い笑顔でアメリアに話しかけ、さり気なく彼女をエスコートし、王妃に一度視線を送りその場から離れ更には彼女から温室の話を違和感なく聞き出し、気がつけばその場に二人でやってきていた。
狐の息子はやはり狐であった。
その手腕にアメリアは心の中で拍手喝采である。
(凄い…流れるように二人きりになってしまいました…っ!流石は一級!)
鋼鉄の精神故、彼女は褒め方が人と違う。
先程まで父と兄に守られていたはずの彼女は現在ジークライド王子と二人きりである。
過去と違うドレスを身に纏っているアメリアは、過去のように媚びる事が出来ないでいた。
普段なら喜んで猫撫で声をだし、相手に不快感を与えつつ、自分は貴方と結婚するのですっ!と啖呵を切れていたはずだった。しかし、彼女は現状それは出来ない。
したとしても見た目が小さいアスター基、美しく可憐な乙女なのだ。求めていた効果は得られない。寧ろ、逆効果の可能性の方が高い。
ドレス含め挨拶含め、彼女は過去と全く違う流れの中にいた。
(さてはて?これでは神さまが創った世界のあり方が変わってしまってますね…本気を出した神さま方は腐っても神ということですかね?)
酷い事をさらりと毒吐けるのはアメリアの美徳。
彼女の努力は約束の為にある。
アメリアはシナリオから外れ始めたこの状況を元の流れに戻すため、頭の中で色々なパターンをイメージし次の自分の行動を決めた。
彼女は努力を惜しまない。
「おうじでんか、わたくしのパーティーはおきにめしませんでしたか?」
少し先を歩き温室を見ていたジークライドに声をかけた。
アメリアの声に首だけで振り返り、彼女に年齢に見合った可愛らしい顔で微笑みかける。
「いや?私が君と二人で話したかったから、うーん…強引だった?」
流れるように連れてこられているので特に強引ではなかったのだが、彼女は本日の“主役”だ。
それを周りに一言もなしに連れ出したとなると、王族であっても問題視されかねない。
唯一救いだったのが、彼女の父と彼の父が従兄弟であり仲が良かった事だろう。彼らに口出しできる者は数少ない。
ジークライド・レイ・ラナンキュラス。
美しく整えられたオレンジがかった金色の髪。見つめられると優しく包まれるような感覚を覚えるブライト・ゴールドの瞳。国王と王妃の血を強く受け継いでいる性格をしている。
ダレンと同い年の現在の彼は可愛げな容姿をしているが近い未来、彼から可愛らしさが抜け王の風格をその身に宿しているかのような容姿端麗な姿へと変貌を遂げる。
近い未来、王太子となる。彼はアメリアの“一級死亡フラグ”。
アメリアの行いに目を瞑る事が出来なくなった時、裏を取り証拠を集め冤罪ではない状況で確実に追い込み断罪する。その流れは様々だが彼は高確率でアメリアを死へと誘ってくれている。冤罪の時もあったがアメリアは彼のお陰で周回回数を稼げていたので割と感謝しかない。
同時にアメリアの婚約者でありながら、アメリアの妹に恋に落ちてしまう攻略対象の内の一人。
そんな彼があざとくも、こてりと首を傾げて訪ねてくる辺り、何も知らない乙女ならば恋に落ちていただろう。
対するアメリアはその仕草に、視線を落とし扇で表情を隠す事で相手に勘違いを起こさせる作戦に出ていた。ジークライドはそのアメリアの動作に、笑みを深める。
見事なまでに簡単に策に落ちたのを確認したアメリアは表情を見せないまま、か細く綺麗な声を唇から零す。
「いえ。ただ…」
「ただ?」
にぃっとアメリアの唇はいやらしく弧を描く。
パチリと扇を閉じ、見えた彼女の表情は…冷笑。
彼女の瞳はジークライドにはパープルに映っている。
思っていた表情と違い、ジークライドの眉がひくりと動揺した。
綺麗に結んでいた彼女の唇がゆっくりと開かれる。
「でんかとふたりになど、いぬがさせてくれませんわ」
「犬…?」
アメリアは扇でジークライドの後ろを指し示す。
彼が顔を正面に戻すとそこには、漆黒の髪を前に流している騎士がいた。
「アメリアお嬢様、ジークライド殿下、公爵様が心配しておいでです。直ぐに会場にお戻りください」
騎士はまるで従者のように頭を下げる。
――いつの間に。
ジークライドは幼いころから命を狙われる事が多かった。温室にやってきても変わらず周りを常に警戒していた。それなのにも関わらず、目の前の騎士はどこからともなく現れ、そこに存在していた。
後ろのアメリアに目をくれれば、おもちゃを見つけた子供のように、しかし子供にしては鋭く楽しそうに笑っている。
「ええ、わかったわ。でんかがおんしつをごらんになりたいと、おっしゃったのでごあんないしただけですもの。すぐもどるわ」
「左様でございますか。では王子殿下会場へ…」
「貴様は何者だ。私は今アメリアと愛を交わしていた。たかが騎士が邪魔をする事は許さない」
ジークライドは声を張り上げるまではいかなかったが、アメリアとの時間を突如邪魔されたことに内心憤怒していた。
そして同時に、アメリアが言っていた犬とはこの者であると、また目の前にいる騎士は敵だとも理解した。
頭を下げてはいたが一瞬見えた自分を見る瞳には殺意はないが明らかなる敵意。
相手は自分の感知魔法であり警戒網に引っかからない以上、下手な事は出来ない。
ジークライドは騎士を正面に視界から外さず、後ろのアメリアの存在を感知魔法で確認してした。
(わーお…いつ私は殿下と愛を交わして?旗にしか見えない旗殿下なのに…。あれ?もしかして旗を求めてるから愛って勘違いされました?愛ってなんでしたっけ?はて、そして何故感知魔法が飛んできているんです?)
アメリアの一級死亡フラグ事、第一王子ジークライドはこの時をもって完全に旗扱いとなった。
愛のゲシュタルト崩壊を起こし気味で絶賛現実逃避中のアメリアは、迎えにやってきた騎士に目配せのみで近くに呼びつける。騎士もそれに反応し、アメリアの近くへ。王子も騎士を視界から外す事無く、優雅にアメリアの隣へ。
「らいら、おとーさまにはもうすこしでんかをごあんないしてから、もどりますとおつたえなさい」
「しかしお嬢様…」
「へんじは」
「御意。他の者を連れて参ります。殿下やお嬢様に何かあっては困りますので」
「わかったわ、それでよろしいですか?でんか?」
騎士は会場前で別れたはずの男装モードのライラであった。ライラは声を変えているのかまるで男性に近い中性的な声質になっていた。声で女性と気づかれる可能性はあったが、ジークライドには彼女が男性だと、騎士だと勘違いしているので、あえてそれはそのまま話を続けることにする。
女性騎士も存在しているのだ。
後に何故あの時嘘を吐いたのか、教えれば良かっただろう!と言われても、聞かれなかったので答えなかったで通すつもりである。
不敬万歳!
彼女は未来の為に嫌われることに余念はない。
ジークライドはあえてアメリアの言葉を無視し己の力で世界を作り上げる。
「我がままを言ってしまったようで申し訳ない、アメリア嬢。どうか許してくれないか?そして私に愛を語る事を許してほしい」
ジークライドはその場で片膝をつき、アメリアの手に優しく触れ、まるで絵本の王子様のように手の甲に一つ、更に指先に一つ口づけを落としていく。
(えーーーーー?!愛を語るって…この国の王子でしょう!?何を考えてらっしゃいます!愛か!!!愛を考えて!?愛ってなんだ!…まだ婚約者でもないのに、ましてや知り合ったばかりの男女なのに…この行為はよろしくない!ちゅっちゅしないでください!びっくりする!そして何より!隣のライラからの圧力がとても怖い!!!)
アメリアのどぎまぎとした混乱している内心とは裏腹に、表情は冷笑から不快に変化している。
明らかに拒絶を含むその表情を気にする事もなく、ジークライドは言葉を続ける。
繰り返すが、通常の乙女なら彼にこのような事をされれば瞬時に恋に落ちるほど、彼は完璧王子様という見た目である。
「4歳の君の挨拶も驚いた。そしてそんな君の隣には私が立っていたい…今日初めて君を見た瞬間、稲妻のようなものが体を駆け巡った。誰にも渡したくないそう思えたんだ」
(一体こいつは誰だ…旗のフリをした混合種か何かですか?!)
流石の鋼鉄精神を持ってもこの対処の方法をアメリアは知らない。
このように振る舞う彼をみたのは、相手が自分ではなく妹だった瞬間のみだ。
頬を染め、愛溢れる蕩ける様な眼差しを向ける王子。砂糖のように甘い砂を吐きそうな言葉を囁く相手は、自分ではなかったはずなのに。
アメリアの内心は戦々恐々。
ジークライドが作り上げた世界を一人の騎士がぶち壊す。
「殿下。距離が近すぎます。紳士たるもの不用意に婚約者でもない方との距離を測り間違いませんようお気を付けください」
彼女はひったくるかのようにアメリアの手を奪い取り、ハンカチでその甲を念入りに拭い清める。口ではあくまでも従者のように言葉をかけ、その言葉に多数の棘を織り交ぜた副音声を乗せるのは忘れない。伝わっているのは言葉をかけられた王子だけ。
含まれている大量の棘に気づき、立ちあがり笑顔を向ける。目は決して笑っていない。アメリアに向けていた愛溢れんばかりの蕩ける様な瞳ではなく、邪魔者をみるような瞳である。
「十分許容範囲内だろ。貴様はさっさと命令に従って下がったらどうだ」
「いいえ、お嬢様に限っては許容範囲外です。殿下がお嬢様から部屋の端まで離れて過ごされるのであれば、直ぐにでもそう致しましょう」
「話せないし聞こえないし、何より見えるのかも怪しい距離だ。さっさと下がれ」
笑顔 対 無表情。
しかし両者共に一歩も譲らず。
実際には目視出来ないが、不思議と戦う獅子と龍が二人の背後で睨みあっている様に見える。
睨みあう両者を間で見上げ、深いため息を漏らす。
「…らいら。しごとなさい」
「……他の者を連れてこれないなら、あと3歩は離れて過ごされる事が最低条件です…。お嬢様こればかりは譲れません」
妥協の妥協。ライラはこれ以上、たとえ証を授けたアメリアのお願いでも引くつもりはない。
この王子を野放しにはできないとライラの勘が囁いている。
ライラがこれ以上引かない事も、現状の王子への対処もままならない事もアメリアは理解している。
(ここは殿下に折れて頂きましょうか…。にしてもライラを男性と騎士と見られているのなら、上手い事ジークライド様に悪印象を残せるチャンスですかね!)
安定の鋼鉄の精神力を持って、アメリアは持ち直した。
「はぁ…。でんか、こうなったらいらはテコでもうごきません。すこしはなれてくださいませ」
「まぁ…アメリア嬢が言うのなら…」
不服そうにアメリアから3歩距離を置く。
おいた事を確認したアメリアはライラの腕にすり寄り、背伸びをし彼女の頬に指を添え、耳元でわざとジークライドに聞こえるように囁く。
「らいら、わるいこにはあとでおしおきよ」
「お嬢様…」
「あなたはわたしのいぬでしょう?」
アメリアの意思を汲み取ったライラは無表情を勝ち誇ったいやらしい笑みに変え、茫然と二人を見つめるジークライドに向けた。
「…ええ。このライラはお嬢様だけの犬です。ではお嬢様あまり遅くなりませんようお気を付けください」
「ええ。いってらっしゃい」
「では殿下。御前失礼いたします」
ライラが去った後、ジークライドは言葉を詰まらせていた。
先程までさらさらと口から流れ出てきていた言葉が喉に詰まったように音にならない。
アメリアはその様子に扇を開きその下で満足そうに笑みを零した。
先程の二人のやり取りを目にしたジークライドの頭に彼女の今までの悪評が過った。
過ってしまい思い出してしまったその噂の数々。それは今日初めて見た瞬間、胸の高鳴りを覚えたアメリアの姿を霞ませるには十分な効果だった。
二人のやり取りを目の前で目にしてしまった事で更に心が揺らいでいく。
―一瞬の気の迷い…か…この子の噂は本当だったのか…。
初恋のような燻ぶる気持ちをジークライドは確かにアメリアに味わっていたのだ。
悲しくもブライト・ゴールドの瞳が揺れた。
(噂通りの尻軽令嬢に見えましたでしょう?お帰りなさい私の旗殿下さま♪)
アメリアの思惑通りにジークライドは、アメリアに対し3歩以上の距離を無意識で取っていた。そして、それから数分もしない内に二人は両親が待つ会場へと戻っていったのだった。
後日。
ジークライドの考えさせてほしいという願いは認められず、王妃と国王によって
スターチス公爵令嬢アメリア・ド・グロリア・スターチスと第一王子ジークライド・レイ・ラナンキュラスの早い婚約が決定した。
婚約が決まった事は誕生日の日に両陛下に公爵が敗北した事を意味していた。
噂はアメリアが流した未来への布石だとジークライドはまだ知る事はない。
◇その後の二人の会話◇
これは男装からいつもの格好に戻っていたライラとのんびりとした昼下がりを過ごしていたアメリアの会話の一部である。
「お嬢様、あの時、私を誘惑して楽しかったですか?」
「えっと…?あのときってでんかとのこと?らいらはわたくしのいしをくみとったのでは…」
「汲み取りましたが、それよりもお嬢様の魅惑の方が強くてですね…」
じりじりと無表情に恍惚なオーラを背負いながら近づいてくるライラに、アメリアは明後日の方向を向き見なかった事にした。
「さぁ!らいら!おべんきょうのじかんです!!」
「…すぐに準備致します…」
無表情ながらしゅんとしょげた様子のライラなんて見えない。見えないったら見えない。
アメリアは迫りくる危機を脱していた。