◆第八話『美味しそうな人』
おのれレックス。そんな心の叫びが作戦開始の合図となった。私はシアの手を引いて立ち上がると、レックスの背中を追って走り出す。
ゾンビたちはいまも損壊した荷車の破片に群がり、「うぼうぼ」言いながら体をぶつけ合っている。十体ぐらいのゾンビが私たちの気配を察知していたけど、すでに門から離れているので追いつかれることはなかった。
無事に門を抜けると、城下町が視界に映り込んだ。お城まで真っ直ぐに伸びる幅広の大通り。そこに沿うよう木造の建物がぎっしりと並んでいる。ボロボロ状態のものが大半とはいえ、壮観さは失われていない。
「って、あれ? ゾンビいない!?」
てっきり城壁内もゾンビだらけと思っていた。拍子抜けしてしまったけど、いないに越したことはない。
「このまま正面突破で! ……は無理そうですね」
レックスが指示を出そうとしたとき、うぼぁ~とお馴染みの声とともに物陰からゾンビがぞろぞろ現れた。五体、十体、二十体……と途切れることなく大通りに顔を出してくる。
「やっぱりいたーっ!」
「お二人とも、こちらへ!」
大通りの手前から城壁に沿う形で道が左右に続いていた。その右側を駆け出したレックスを私はシアと一緒に追いかける。大通りほど広くないうえ、そばに高い城壁があるせいで少し薄暗い。霧もかかってますますホラーな雰囲気だ。
お化けが出そうなんて思っていると、視界の上から下へと黒い影が通りすぎた。直後、ぐきゃっとなにか骨が折れたような音が鳴る。私はシアと揃って立ち止まり、足もとを恐る恐る見やる。と、四つんばいになったゾンビと目が合った。
「ぼぁ~~っ」
「いやぁああああっ!」
ゾンビが降ってきた! お化け出ない代わりにゾンビ降ってきた! 私たちが悲鳴をあげる最中、レックスが近くの家屋に立てかけられた箒をすばやく掴み取り、それを使ってゾンビを城壁側へ押しやった。
「助かりました、レックス」
「あ、ありがとう」
「いえ、お護りすると誓いましたから」
なんとも頼もしい台詞だ。凛々しい顔と相まって格好よく決まっている。ただ、その背景は城壁からボトボト落ちてくるゾンビで埋められていて絵的に台無しだった。私は思わず「ひぃっ」と悲鳴を漏らしてしまう。
「どうやら城壁上にもゾンビが溜まっていたようです――ねッ!」
頭上に降ってきたゾンビをレックスが箒で弾き飛ばした。だが、安堵する暇を与えないとばかりにあちこちから「うぼうぼ」と呻き声が聞こえてくる。すでに前も後ろもゾンビだらけ。レックスが必死に箒で迎撃してくれているけど、このままではジリ貧だ。
時間をかければ大通りにいたゾンビたちもやってくるに違いない。なんとか逃げる方法はないかと私は頭を振って辺りに視線を巡らせる。と、多くの建物が平たい屋根であることに気づいた。私は近くにある二階建て家屋の外階段を指差す。
「ねえ、あそこから屋根に上がるのはどう? 建物も密集してるし、お城に近いとこまで行けるんじゃない!?」
「そ、それですお姉様! レックス!」
「承知いたしましたっ!」
レックスが箒を力強く振り回し、周囲のゾンビをなぎ払った。生まれた隙を使って私たちは急いで階段を上がる。
「私を足場に!」
「ごめん!」
躊躇している暇なんてない。私はレックスの膝、肩を踏んで屋根に上がった。すぐに振り返り、シアを引き上げる。なんて軽さだ。シアと比べて「あいつ重いな」なんてレックスに思われたらどうしよう。そんなことを一瞬思ってしまったけど、すぐ近くまで迫ったゾンビを見て我に返った。腐った手がレックスの足に伸びる。
「レックス!」
私が叫んだ直後、レックスは跳び上がった。そのまま階段の手すりを蹴ると、軽やかに宙を舞い、屋根に着地する。
「行きましょう」
平然とした様子で先を急ぐレックスを見て、私は唖然としながら思う。
なんだこの超人。
◆◆◆◆◆
「シア、ここちょっと広いから気をつけて」
「は、はいっ」
建物の屋根を伝ってお城との距離を詰めていく。時折、屋根間の幅が広いところがあったけど、それでもジャンプをすれば飛び越えられる程度。大きな障害にはならなかった。
私はちらりと下の様子を窺う。大量のゾンビたちが私たちを追って壁に張り付いているけど、よじ登ろうとはしていない。ただただ手を伸ばしながら呻いているだけだ。
「ゾンビたち、上がってこれないみたいだね」
「ですね。いまのうちに一気に城まで近づきましょう」
その後も私たちは順調に進んでいく。途中、諦めずに追いかけてくるゾンビたちを見てアイドルってこんな気持ちなのかなと思ったけど、それはファンの人たちに失礼だと思い直した。なにしろこっちの声援は「うぼうぼ」だけ。時々「ぐがが!」とか「ぼぅあ~!」とかとか変化球を投げてくるけども。あとなにより臭い。それに尽きる。
「あそこで下ります!」
ついに城下町の端っこまでやってきた。城まで屋根が続いていたらと思うけど、そんなことあるわけがない。私とシアはレックスの手を借りて危なげなく屋根から下りると、またも駆ける。
屋根に上がる前に大量のゾンビを引きつけたからか、城前のゾンビはあまり多くなかった。それでもすべてを避けて通れるほど余裕はなく、レックスがゾンビたちを押しのけて生まれた道を進んでいく。
お城の前には堀があり、橋がかけられていた。そこを渡って城門に辿りつく。そのままくぐり抜けるかと思いきや、レックスは途中の右手側にあった階段を上がっていく。
「え、どこ行くの!?」
「落とし格子で外から隔離します!」
落とし格子。たしか、その名の通り格子を落として外からの浸入を阻むものだったはずだ。いまも門の上部に目を向ければ、尖った格子の下部をわずかに見ることができた。
「ちょ、ちょっと待って。いまそんなの落としたらゾンビ潰れちゃうじゃん!」
落下先には私たちを追って浸入してきたゾンビたちがいる。行列に近いのでタイミングを見計らったところで誰かしら直撃するのは間違いない。
「ですが、いまは急がなければ!」
「ダメだって!」
いまでこそゾンビ状態だけど、浄化で人間に戻せるのだ。つまりゾンビを殺すのは人を殺すのと同じ。そんなこと、レックスにさせるわけにはいかない。
「なにか、なにか音で釣れるものは……!」
手をこまねいている間にもゾンビたちは近づいてくる。城内からも流れてきたせいで逃げ場は階段のみとなった。
「お姉様、これはどうですか!?」
階段の踊り場に避難した矢先、シアが錆びた兜を差し出してきた。見れば、近くに騎士の鎧一式が転がっている。そこから持ってきたのだろう。
「ナイス、シア! これなら!」
私は考えるよりも早く兜を受け取ると、階段の手すりから外へと上半身を投げ出した。そのまま城門の外へ向かってサイドスローで思い切り放り投げる。
「あっち行けー!」
ゾンビの頭にカコンと一回当たったのち、橋に落ちた。木造とあって大きく響かなかったけど、それでも充分だった。ゾンビたちが一斉に兜に群がりはじめると、間もなく落とし格子の下からゾンビがいなくなった。
「レックス!」
私の合図を機に格子が落とされる。尖った先が地面に開けられた穴にすっぽり収まると、地鳴りのような音が響いた。その音に釣られた外のゾンビたちが再度転身して城内へ向かってくるけど、落とし格子によって見事に阻まれていた。
無事に隔離できたようだ。これで一息つける……なんてことはなかった。城内から流れてきたゾンビたちがすでに階段を上がりはじめていたのだ。よく見れば大半が鎧姿で体つきもがっちりしている。レックスが言っていた通り騎士団の人たちに違いない。
「シア、上に逃げて! こんの、あっち行け!」
シアを先に逃がしつつ、私は近くに転がっていた鎧のチェストやレギンス、ガントレットをゾンビの群れへと次々に放り投げる。けど、騎士ゾンビたちはまったく怯んでくれない。それどころか呻き声がより大きくなり、勢いも増したぐらいだ。わ、私も早く逃げないと――。
「おぉおおお!」
レックスが私のそばを通りすぎていった。どこから拾ってきたのか、人一人を覆うほどの大盾を前面に押し出しながら突っ込んでいく。騎士ゾンビの群れを階段下へと一気に追いやり、その先の壁へと押しつけた。
「レックス!」
「外との隔離は終わりました! ミズハ様、浄化をお願いします!」
肩越しに見えたレックスの必死な横顔。それに突き動かされるようにして、私は半ば反射的に動き出した。倒れたゾンビ――五体に右手で触れていく。
ゾンビたちの浄化が始まり、辺りに光が満ちる。肌も人のそれへと変化しはじめていたけど、すべてを見守る暇なんてなかった。辺りにはざっと数えただけでも二、三十のゾンビがいるのだ。城内にだってきっとまだ残っている。
「介抱は後回しにしましょう!」
「りょーかい! シア、離れずについてきて!」
「は、はいっ!」
レックスによって無力化されたゾンビから順に浄化していく。無茶をすれば浄化できそうなときはあったけど、ぐっと堪えた。レックスが私やシアの場所を窺いながら戦っているみたいだったので勝手に動いたらきっと負担をかけてしまうと思ったのだ。
「うぅ……シア、私の手が臭くなっても嫌わないでね……」
「だ、大丈夫です! わたくし、お姉様の手ならどんな臭いでも嗅いでみせます!」
「いや嗅ぐ必要ないから!」
そんな会話を交わしつつ、私は浄化を終えた人たちの様子をちらりと見やる。全員が「どうして元に戻ったんだ?」とでも言い出しそうな顔で挙動不審に自分の体を確認していた。説明したい気持ちはやまやまだけど、いまはそんな余裕なんてない。
「くっ……!」
「レックス!?」
三体のゾンビを相手にして気づかなかったのか、レックスが這いずりゾンビに足首を触られていた。レックスの体が足から頭へ向かってみるみるうちにゾンビ化していく。数瞬後には顔色が青紫に染まった。
「う、う――ッ」
「言わせるかっ」
私はすぐさまレックスに右手でタッチ、なんとかうぼキャンに成功した。レックスが足に張り付いたゾンビを引き剥がし、さらに眼前のゾンビたちも大盾で勢いよく突き飛ばす。
「助かりました……!」
「こっちは触るだけだし、気にしないで。それよりも……思った以上に多いね」
前庭、その先の内城門のほうから追加でゾンビが押し寄せてきていた。数は見える範囲で五十体ぐらい。その後ろからも続いていて途切れる気配がない。
「申し訳ありません……完全に私の読み違いです」
「ま、いまさら後悔したって仕方ないし、もうやるしかないよ」
「です、ねッ!」
レックスが返答しながら大盾でゾンビを弾き飛ばした、直後。「きゃあっ!」とシアの悲鳴が聞こえてきた。慌てて振り向いた先、尻餅をついたシアにゾンビが襲いかかろうとしていた。いったいどこから!? と思ったけど、答えはすぐにわかった。城門の上――城壁上からゾンビがボトボトと落ちてきている。
「シアッ!」
すぐに動いたけど間に合いそうにない。ゾンビの臭くて汚い手が、ついにシアに触れようとした、その瞬間。突如として現れた鎧姿の男がゾンビに盾タックルをかまし、勢いよく突き飛ばした。
いきなりのことに私は思わずぽかんとしてしまう。シアを助けた男の人はレックスより一回り大きくて鎧の上からでもわかるほど筋骨隆々。白い髪や髭が特徴的な初老の渋いおじさんだ。きっと先ほど浄化した人たちの中にいたんだろううけど……風格が只者じゃない。私はごくりと息を呑みながら問いかける。
「あなたは……?」
「私はグランツ王国近衛騎士団長。オデン・ジャクソールだ」
お、美味しそうな名前の人きたー!