◆第七話『グランツ王国』
「近くで見るとすごい迫力……」
グランツ王国の王都はいわゆる城郭都市で、見上げるほど高い城壁でぐるりと囲まれていた。私がいた世界でもこんな建物はあったけど、写真でしか見たことがない。実物を目の当たりにして、私はただただ圧倒されてしまう。
「ねえ、城郭都市ってことは……もしかして戦争とかしてたの?」
城壁の周囲に巡らされた幾つもの堀。その内の一つに私たちは身を潜めているのだけど……これほど外部からの侵入を阻むような造りだと、そういったことを警戒しているんじゃないかと疑ってしまう。
「いいえ、グランツ王国は一度も戦争をしていません。これは戦争をするためではなく、戦争に巻き込まれないためのものです。他に存在する二つの大国が長年に渡っていがみ合っていましたので……」
シアが悲しそうに語りながら繋いだ手をぐっと握りしめてきた。ちなみに右手のゾンビ臭は消えている。道中に手頃な毒沼があったので浄化、じゃぶじゃぶしてきたのだ。
「良かった。シアの国が争いなんかしてるとこじゃなくて。そういうとこだと浄化するのはちょっと……ってなるし」
「グランツは平和を象徴とする国ですから。安心してください」
「そして、その平和を守る者こそが我らグランツの騎士です」
シアの言葉にレックスが胸を張りながら続けた。
私はウンウンと頷く。
「本当にレックスはすごいね」
「いえ。騎士として当然のことです」
「尊敬するよ。うん。それじゃ私は帰るから頑張ってね」
「はい、それではお気をつけて……って、なぜそうなるのですか!? お待ちくださいミズハ様っ!」
回れ右をした私の前に、レックスが両手を広げながら立ちはだかった。私はため息をついたのち、肩越しに壁のほうへ視線を向ける。
「だっておかしいでしょ。なにあの数。さっきの団体さんとは段違いの多さじゃん……」
大量のゾンビが徘徊していた。見えるだけでも百は下らない。ほかの城壁周辺でもこんな様子なら千どころじゃ済まない数だ。
「やっぱり、まずは孤立したゾンビを浄化していくべきじゃないの? あんな大量のゾンビが相手じゃ浄化してる間に囲まれちゃうし、浄化できても介抱する時間なんてないし。それに、お城の中に入ったら逃げ場なくなっちゃうじゃん」
多くの人を浄化すればするほど得られる情報は増えるし、元の世界に帰る方法を見つけることにもきっと繋がる。けど、だからといってあんなゾンビが蔓延る場所に突っ込むのは無謀としか思えない。まさに飛んで火に入る夏の虫だ。
「言いたくないけど、正気じゃないと思う。ねえ、それともレックスにはなにか考えがあるの?」
「この先、ミズハ様のお力をお借りしてゾンビを人の姿に戻すにしても極力民を危険に曝したくありません。ですが、そのためには私一人では限界があります」
どうして私は良くて民はダメなのか。小一時間どころか永久に問いただしたい。
「騎士団の方々を浄化して手伝ってもらうつもりなのですね」
そう言ったのはシアだ。頷いたレックスが話を続ける。
「騎士団の任務は城の警備、城郭内の警邏が大半なので中にいる可能性が高いと私は踏んでいます」
「たしかに強い人がたくさんいたら頼もしいと思うけど……」
「騎士団の力を借りたいという考え以外にも、城は強固なので一時的な避難場所として最適という考えもあります」
「でもやっぱり危険過ぎるよ。城壁の向こう側にもっとゾンビいたらどうするの?」
「ゾンビたちは鈍足ですから。走ったらまず追いつかれません」
「そうかもしれないけど」
なんだか反対してばかりだな、と私は思った。改めて代替案を考えてみるけど、やっぱり孤立ゾンビを見つけてちまちま浄化という方法しか思いつかない。ただ、それで仲間を増やしたところで王都の解放が楽になるかと言われると首を傾げるしかない。
なにしろ現状、浄化できるのは私だけだからだ。仲間が感染する可能性を考慮すれば人を増やすことが一概に良いこととは言い切れない。そこまで考えると、城内で数を制限しつつ浄化、避難もとい隔離するというレックスの案は妥当なのかもしれない。
ただ心配なのは運動が苦手なシアだ。城壁向こう側のお城の尖塔をみるに結構な距離がある。果たして無事に城内へと駆け込めるのか。私はシアを窺うと、決意に満ちた瞳で迎えられた。
「わたくし頑張ります! もし足手まといになるようでしたら……途中で置いていってください」
「置いてくって、それじゃゾンビになっちゃうじゃんっ」
「そのときは……お城を取り戻してから浄化しにきてくださると嬉しいです」
冗談ではなく、本気でそう思っているようだ。こんな小さい子が覚悟を決めているのに私はまだうだうだしているなんて。シアには国のためという理由があることを抜いても、なんだか自分が情けなくなった。
なんで私がこんなことしなくちゃいけないんだろう。そんな気持ちはいまだにあるけど、逃げてばかりじゃなにも変わらない。私は息を吐いて気持ちを入れ替える。
「わかった。もう反対しない」
「……お姉様っ」
途端に顔を綻ばせたシアに向かって私は人差し指をピンと立てる。
「でも一つだけ約束して。私、見捨てるとか、そういうの嫌だから。もし危なくなっても最後まで諦めずに足掻くこと。いい、わかった?」
「はいっ!」
元気に返事をしたシアに私は頷いて応じた。とはいえ、仮にそんな場面――例えばシアがこけてゾンビに囲まれるなんて状況に直面したら私は迷わず助けに行くけども。なぜかって決まってる。こんな可愛い子のゾンビ姿なんてもう見たくないからだ。
「ってことだから、レックス。頼りにしてるからね」
「……お任せください。この身に代えても――」
「いや、代えられたらそのあと私たちどうするの」
「い、生きたままお護りいたします!」
「ん」
護ってもらうのが当然みたいな考えは悪いと思うけど、あいにくとこっちはただの女子高生。任せられるところは任せて、浄化と逃げることに専念するしかない。
「とりあえずあの城壁前のゾンビをどうするかだよね」
「先ほどの行列を相手にしてわかったのですが、どうやらゾンビは一定範囲内の音に反応し、その地点へ向かう習性があるようです。ですから、まずは大きな音を出して城壁周辺のゾンビを釣ろうかと」
「大きな音はどうやって……って、レックス?」
「これを使うのです」
近くに転がっていたボロボロの荷車。レックスがそれを堀まで手繰り寄せると、ハンマー投げのごとく振り回し、「フンッ!」と叫びながら放り投げた。空高く舞った荷車が遠くの地面に激突し、ガシャンっと大きな音を出して弾け飛ぶ。
「え、ちょっと! えっ!?」
行くとは言ったけど、いきなりすぎだ。心の準備がまだできていない。私が驚愕している間にもゾンビたちは音に釣られて大移動をはじめる。いくら足が遅いとはいえ早足に近い速度だ。そう待たずに門前からゾンビがいなくなった。レックスがいち早く堀から飛び出る。
「いまです! 私に続いてください!」