◆第五話『この気持ち、誰かに知ってもらいたい』
「見たところドラゴンはいません!」
「よかった! じゃあ鉱夫ゾンビに追いつかれる前に早くここから出よ!」
私たちは早速とばかりに洞窟から飛び出した。1時間ぐらいしか入っていなかったのに、すごく久しぶりに外に出た感覚だ。思いきり休みたいところだけど、まだ危険は去っていない。私たちは鉱夫ゾンビから逃れるため、またまた駆け出した。
「も、もう大丈夫じゃないっすかね……」
しばらく走り続けたあと、ロッソさんが疲れ果てたように転がった。制服が汚れなければ私も同じように寝ころびたい気分だ。ナディちゃんが隣に立って体を支えてくれる。
「ミズハちゃん、大丈夫?」
「うん、ありがと。ナディちゃんは……余裕そうだね」
「山とか森とか、よく走らされてたから……」
さすがのスパルタ教育だ。それがよかったかどうか私にはわからないけど、でもいまに限って言えばナディちゃんのためにはなっているみたいだ。
いずれにせよ、いまも私のことをじっと見ながら恍惚の笑みを浮かべるイーリスさんに、まるで疲れた様子のないレックス、と私の周りには体力的にすごい人たちばかりだ。
「目的地も近いみたいですし、ちょうどよかったです」
言いながら、レックスが遠くのほうに目を向けた。見る限り木々があるだけだ。いったいなにを見ているのかと思ったけど、水の流れる音が聞こえてきた。激しい呼吸音に紛れていたせいでわかりにくかったけど、どうやら湧き水地点が近いようだ。
あと少しだとわかったからか、不思議と足が軽くなった。進むにつれ、水音が大きくなっていく。まるで門のようになった木々の間を抜けた、瞬間。辺り一面に広がる湖が視界に映り込んだ。
左端に目を向ければ、ごつごつしたたくさんの岩の間から水が流れ出ていた。元の世界の日本でも1日に数トンと水が湧き出る場所があったけど、それに匹敵するぐらいの多さだ。まるであふれるように絶え間なく出てきている。
「すごい……でも、臭い……」
「すぐに女神様の唾液を垂らすべきだとイーリスは思うですっ」
「だからって私の下に両手を差し出さないでくれる? やるなら直接垂らすから」
私だったら他人の唾液なんて触りたくない。いや、たいていの人がそうだと思うけど。イーリスさんの変態さにドン引きしつつ、私はレックスに向かって問いかける。
「湧き水のほうは周辺の土地を浄化すればいけるんだよね?」
「はい。ピーノ殿と以前に実験した通りであれば、それでいけるはずです」
どれだけ貯まった水を浄化しても湧いてくる水が腐っていたら意味がない。でも、それに関してはピーノくんと実験を繰り返して解決していた。いまレックスと打ち合わせた通り周辺の土地を浄化すれば湧き水も浄化された状態で出てくるのだ。
「ただ、浄化された状態は聖花がある限り維持されるようですが、聖水としての効果は徐々に薄れるようなので注意が必要ですね」
「つまり時間との勝負ってわけだね。とりあえず皆、あっち向いてて。いい? 絶対見ないでよ?」
「存じております。安心してください」
レックスに続いて皆が頷いてくれた。それを機に私は早速浄化に取りかかる。地面に垂らして周辺を浄化してから、湖に唾液を垂らした。ぽとりと音が鳴る。波紋が広がるにつれ、毒々しかった色が澄んだ青へと一気に変化していく。
瞬きひとつする間にすっかり湖の浄化は終わった。湧き水のほうも問題なく綺麗なものが出てきている。
「もういいよー! ……って」
私は振り返った瞬間、思わず硬直してしまった。ほかの皆が揃って浄化後の水を汲んでは口に含んでいたのだ。
「やはり出来たての聖水は格別ですね」
「生き返るぜ! ずっと喉乾いてたんすよねっ」
「すごい。こんな風に浄化されるんだ。……それに美味しい」
「女神様っ、女神様っ、ぶくぶくぶくぶくっ!」
全員、さっきまでの疲れが嘘のように清々しい顔をしている。皆の疲れがとれたならなによりだ。ただ、自分の唾液を垂らしたばかりの水を目の前で飲まれている身にもなってほしい。ひとまず顔を突っ込んでいるイーリスさんを引き上げてから、私は考えるのをやめた。
「あとは周囲の土地に聖花を植えれば完了だね」
「はい。それで周辺の腐食化は防げるはずです。」
「じゃ、早速はじめよっか。皆も手伝って~!」
皆の荷物に分けて入れておいた聖花を取り出し、あちこちの地面に植えていく。大して難しい作業でもないので聖花植えは無事に完了した。
「あとは水門だけだね」
「あちら側がベベトール山脈を緩やかに下るノール川へと繋がる水門。そして、こちら側がクラドルカの水路へと繋がる水門です」
レックスの説明を受けながら、私は湖の端に設けられた2か所の水門を見やった。どちらにも壁が上下する機構が設けられているようだ。クラドルカの水路側は少しだけ下がっていて、川側は半分近くまで下がっている。
「普段はこの状態で生活水が安定してたのかな」
「ピーノ殿の話では、最小限でも充分すぎるほどの量だと聞いています」
自分たちに可能な技術でどうやって快適に暮らすかを必死に考えた結果なのだろう。元いた世界のほうが技術面では進んでいるけど、実際に私自身は仕組みなんてほとんど知らない。知れば簡単な仕組みだけど、素直に感心するばかりだ。
「それをいまから溢れさせるんだよね」
「はい、クラドルカの水路側を全開にし、川側を閉め切ります」
一体どんな風になるのかまるで想像がつかない。浄化のためとはいえ、都市に災害をもたらしている気がしてなんだか複雑な気分だ。でも、ここでやめるわけにはいかない。
「さて、ここからは力仕事です。ロッソ殿、お手伝いをお願いできますか?」
「了解っす。もうひと踏ん張りっすね」
これから水門を動かす作業に移るみたいだ。私も「よーし!」と気合を入れて腕をまくろうとしたところでレックスから待ったをかけられた。
「ミズハ様は休んでいてください」
「え、どうして? そりゃ私の力なんて大したことないけど、少しでも多いほうが──」
「馬を置いてきてしまいましたから。この後は全力で山を下りることになります。可能な限り体力を温存したほうがよろしいかと」
「う……それはたしかに。じゃ、じゃあ甘えさせて頂きます」
ここで強がってあとで迷惑をかけていたら意味がない。申し訳ないけど、任せることにした。レックスは笑顔で応じてくれたのち、「ただ」と付け加える。
「私とロッソ殿だけでは少し厳しいかもしれないのでイーリス殿も手伝って頂けますか?」
「いやです。イーリスは女神様と一緒にいます」
即答するイーリスさん。きっとレックスはこのときのためにイーリスさんを同行させたのだと思うけど、どうやらアテが外れてしまったらしい。どうにか出来ないかと目線で訴えかけられてしまった。
「手伝ってくれたらナデナデ追加」
「行くです!」
こんな簡単な報酬で動いてもらって悪い気がするけど、本人も喜んでくれているしきっと問題ない。と、なにやらナディちゃんがレックスの前に歩み出てきた。
「あの、レックスさん。私も手伝います。力はそれなりにあると思うので」
「お気持ちは嬉しいのですが、ナディ殿は休んでいてください。あなたの腕はもしものときのためにとっておくべきです」
そう口にするレックスの視線はナディちゃんが背負った弓に向けられていた。ドラゴン討伐は本体のルコル族が担当することになっている。でも、坑道前に遭遇したときみたいにもしもの場合がある。レックスの発言は、そんなときを危惧してのことに違いない。
「……わかりました」
そう応じたナディちゃんにレックスが力強く頷くと、ロッソさんとイーリスさんを伴って水門そばに建てられた石造りの建物に入っていった。どうやらあの中に水門を動かす仕掛けがあるみたいだ。
「本当によかったのかな」
「レックスがいいって言ってくれたんだし、気にする必要ないんじゃないかな。っていうか私1人だけ休んでると悪いから、ナディちゃんがいてくれてよかったよ」
なんてことを言っているうちに、水路側の水門に動きが見えた。ゆっくりと水門が下がりはじめ、それにつれて水の流れる音が徐々に大きくなっていく。
「見て、ナディちゃん。水門が下がりはじめたよ」
その後も緩やかに下がり続け、門はついに完全に下りきった。せき止められていた水が勢いよく流れていく。さっきまでとは違って、轟くような音が鳴り響いている。
クラドルカと距離があるため、ここからじゃ無事に水が到達したかどうか見届けることはできない。でも、勢いからして水路から溢れ出るのは間違いない気がした。
「うわぁ、思ってた以上にすごい勢い」
「川のほうを閉めなくてもこれって、閉めたらどうなるんだろ……」
私もナディちゃんと同じ心配をしていたけど、予想通りの結果となった。レックスたちによって川側の門が完全に閉められると、より多くの水がクラドルカの水路側へと流れはじめた。まるで雷がずっと落ちているかのような激しい音が響いている。私は顔を引きつらせながらぼそりとこぼす。
「……これはたしかに冠水するね」
「う、うん。建物とか大丈夫かな……」
私のいた日本は海に囲まれた国だ。水がなにより恐ろしい脅威となることをよく知っている。強い勢いを伴った水なら建物ぐらい簡単に壊してしまうに違いない。
できればこんなことはしたくなかったけど、これもクラドルカ浄化のためだ。それに腐った建物ならいずれ建て直しが必要になる。ちょっと早めの解体作業をしただけだ。……うん、そう思うことにしよう。
ナディちゃんと息を呑みながら水の流れるさまを見ていると、後ろから足音が聞こえてきた。どうやらレックスたちが戻ってきたみたいだ。
「無事に上手くいったようですね」
「うん、少し怖いぐらいにね」
そう答えながら振り向いた瞬間、私は思わずぎょっとしてしまった。ロッソさんは倒れる寸前。イーリスさんが白目を剥きかけていたのだ。
「あんなに重いとは思ってなかったっす……」
「女神様のナデナデ……ナデナデ……」
「お、お疲れ様です」
あんなに大きなうえに水圧のかかった門だ。きっと本来は3人で動かすものじゃない。だから疲れ切ったロッソさんたちの反応は正常。いまもけろっとしているレックスが超人なだけだ。
当のレックスはなにやら遠くの空を見つめていた。
視線の先を追うと、すでに下がりはじめた陽を見つけることができた。
「あまり時間がありません。ロッソ殿やイーリス殿には申し訳ないですが……急いで山を下りて本隊に合流しましょう」




