◆第三話『水門に辿りつくだけの簡単なお仕事?』
上空を飛び回るドラゴンが咆哮をあげた。空気がびりびりと震える。私も含めて皆がびくりとする。恐怖から錯乱しそうになったけど、ナディちゃんの落ちついた声が平常を取り戻させてくれた。
「あのドラゴン、こっちを捕捉できてない気がする」
「え、でも、ずっと私たちの上を旋回してるけど……」
「たぶんだけど、正確な位置までは把握できてないんじゃないかな」
細めた目でドラゴンのことをじっと観察するナディちゃん。ドラゴンとの距離はかなりある。どこを見ているかなんてことは私にはまるでわからなかった。
「目いいんだね。さすが」
「そ、そんなことないよ。きっとルコルの人ならこれぐらいできると思う」
だとしても、いまこの場にいるのも、その力を発揮してくれたのもナディちゃんだ。
「にしても、あそこから離れる気なさそうっすよね」
「我々がこの辺りにいると確信するナニカがあるのかもしれません」
揃って上空を見ながら会話するロッソさんとレックス。たしかに確信できるような要素があれば、ドラゴンがずっと旋回していることにも納得がいく。でも、その要素がなにかまでは私には想像がつかなかった。
「きっと女神様のニオイです。そうに違いないです。イーリスも少しぐらいなら離れていてもどこにいるかわかっちゃうです」
「え、なにそれ。ニオイとか変なこと言わないでよ」
というかイーリスさんがおかしなことを言うから皆が私に注目してしまった。レックスが思案顔になるなり、私に真剣な目を向けてくる。
「たしかに」
「ちょっとレックスまでやめてよっ」
そんなに臭うだろうか。ゾンビと触れ合いすぎてついに臭いが染みついたとか。いや、遠征時は難しいけど、可能な限り体は綺麗にしている。たぶん、いや、絶対にないはずだ。というかそう思わないと生きていけない。
私が本気で狼狽していたからか、レックスが慌てていた。
「い、いえ女神様の力を宿した聖女としてのニオイということです。やはり邪神の力と対になる存在とあってなにか感じるものがあってもおかしくありませんから。以前、ドラゴンがミズハ様へと一直線に向かっていったのもおそらくそれが理由かとっ」
レックスの言い分は理解できるし、実際にそうなんだと思う。でも、〝ニオイが原因〟なんて1人の女として納得したくなかった。
「聖女だからとか言われても、これじゃ私が臭いみたいな扱いされてる感じ……」
「だ、大丈夫だよ! ミズハちゃん、いい匂いだからっ」
必死にフォローしてくれるナディちゃん。そばではイーリスさんが恍惚の笑みで同意し、ほかの兵士さんたちも同情からかわざとらしいぐらい高速で頷いてくれている。おかげで体裁は保てた気にはなれたけど、やっぱり複雑だ。
「いずれにせよ、このままではずっと釘付け状態ですね」
「でも、動いたらすぐに気づかれそうだよね……」
そうして私とレックスが対応に苦慮していたときだった。
「我々が囮になります」
兵士さんたちがそう発言した。
「ミズハ様の匂いに惹かれているとはいえ、音を立てながら動きを見せればきっと気を引けるはずです。そして我々がドラゴンを引きつけている間にミズハ様たちは先へと進んでください」
「でも、それじゃ皆さんが……」
「この場にドラゴンがいたままでは本来の目的である討伐もままならない状態です。いずれにせよ、誰かがドラゴンを本隊のほうへ連れていかなければなりません」
たしかにその通りだ。私たちが水門に行くのもドラゴンを討伐するためだ。そのドラゴンがこっちにいた状態では作戦もなにもあったものじゃない。でも、だからといって兵士さんたちを危険な目に遭わせていいものか。
上空からドラゴンの咆哮が聞こえてきた。まるで急かされているような気分に見舞われ、頭が痛くなる。そんな私の思い詰めた顔を見てか、兵士さんたちが揃って穏やかな笑みを向けてきた。
「どうか行かせてください。もとより我々はミズハ様のためにと今回の作戦参加に名乗りを挙げたのですから」
「私、誰かの犠牲で生き延びるとかそういうの、すごくイヤなんです」
「存じております。では、ひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか」
兵士さんたちの顔を見て、きっと止めても無駄だと悟った。だったら、私が返せる言葉は決まっている。
「……私にできることなら」
「ちょっとした願掛けのようなものです」
求められたのは握手だった。拍子抜けしつつも、それならばと私は10人の兵士さんたちと長めの握手を交わす。やがて最後の1人と握手が終わった。
「では、行ってまいります」
「……絶対に無事に帰ってきてくださいね」
「もちろんです。なにしろ我々にはミズハ様のご加護がありますから」
笑顔とともにそう残して兵士さんたちは馬に騎乗。一気に坂を駆け下りはじめた。
「こっちだドラゴン!」
まさに精鋭の名を体現した一糸乱れぬ隊列だ。彼らの決意が現れているような気がして思わず胸がきゅっとしまる。どうか無事でいてほしい、と。私が心からそう切に願ったときだった。
「羨ましいか! ミズハ様に握手してもらったんだぞ!」
「ミズハ様の匂いを嗅ぎたければ捕まえてみろ!」
「ミズハ様ッ! ミズハ様ーッ!」
兵士さんたちが散開するなりしきりに私の名前を叫びはじめた。最後の人なんてただ私の名前を呼んでいるだけだ。もうなにがなんだかわからないけど、私から言えることはただひとつ。
「私の感動を返してほしい」
「か、彼らなりの奮起するために必要なことだったと思うしか……おかげでドラゴンも釣られていますし。きっとミズハ様の名前を入れたから──」
「絶対関係ないよね」
「と、とにかく急ぎましょう!」
たとえ外面がどうだったとしても彼らが危険を顧みずにドラゴンを引いてくれているのは事実だ。彼らの覚悟を無駄にしないためにも急がないといけない。私はレックスに促されるがまま走りだした。
私のほかにはレックスとナディちゃん。ロッソさんとイーリスさんだけだ。別動隊の大半が兵士さんたちだったこともあり、随分と寂しくなった。でも、ここからはもうこの人数で行くしかない。
少し先行していたロッソさんが振り返りながら叫ぶ。
「兄貴、この先は道が平坦っす」
「皆、馬に騎乗して進みましょう!」
離れれば離れるほど捕捉されにくいことは間違いないはずだ。兵士さんたちがドラゴンを引きつけてくれている間に可能な限り進みたい。そうして全員が騎乗を終えて走り出した瞬間――。
耳をつんざくような音が聞こえてきた。もう何度も聞いたので間違いようがない。私は顔を引きつらせながら後方上空に目を向ける。と、こっちに向かってくるドラゴンの姿を捉えてしまった。
「嘘……どうしてこっちに」
「わかりません! ですが、ミズハ様を追いかけてきたのは間違いなさそうです!」
「やっぱり私なの!? 私のニオイのせいなのー!?」
囮になってくれた兵士さんたちが心配だけど、いまは自分の身をどうにかするのが先決だ。ドラゴンは低空飛行で私たちの後ろにつくなり、咆哮をあげて威嚇してきた。馬たちも恐怖を感じたのか、自然に速度を上げたようだ。
「レックスの兄貴! あそこならドラゴンも入ってこられないんじゃ!?」
ロッソさんが指さした先にあったのは洞窟だ。入口はドラゴンが通るには小さい。このまま逃げていても捕まるのは目に見えている。選択肢はなかった。
「皆さん、あそこに!」
そうレックスが指示を出した直後、私たちの目の前にドラゴンの黒いブレスが吐かれた。辛うじて当たりはしなかったけど、馬──ヴィアンタがたたらと踏んで速度を落としてしまった。レックスがすぐさまヴィアンタを走らせたけど、一度緩まった速度はそう簡単には上がらない。
ドラゴンに追いつかれてしまった。振り向けば、すぐそばにドラゴンの顔。まるで宝石のような青い目が私とレックスを捉えている。
私たちを食い殺そうと、その大きな口で迫ってくる。レックスが手綱を思いきり左に引っ張ってなんとか回避に成功したけど、私たちがさっきまでいた空間ごと木や土を呑み込んだドラゴンを間近にして生きた心地がしなかった。
さらに1回、2回とドラゴンによる噛みつきを紙一重で躱せたけど、もう余裕がない。
「姉御、兄貴! 急いで!」
すでに洞窟へと入ったロッソさんが叫んでいる。ナディちゃんが手綱を握る馬も飛び込もうとしている。あとは私たちのみだけど、もう本当に限界に近かった。あと1回でも噛みつき攻撃をされれば助かるかわからない。
なんて思っていたら、少しの間だけ余裕があった。もしかして諦めてくれたのだろうか。私は恐る恐る後ろを見てみる。と、最悪なものが映った。ドラゴンが口を開けて黒いブレスを放とうとしていたのだ。
「こ、ここでそれはナシでしょー!?」
「女神様はイーリスが守るですっ!」
ブンッと私のこめかみをナニカが通り過ぎた。イーリスさんが叫んだことからわかってはいたけど、私の彫像だ。それは一直線に虚空を突き進むと、ドラゴンの口に勢いよくダイブ。喉にまで入り込んだのか、ドラゴンがむせたように苦しみ悶えていた。
私の彫像が無残な最期を遂げたのは複雑だけど、それで命が助かったのでイーリスさんを怒るに怒れなかった。むしろ褒めるしかない。
「レックスの兄貴、いまのうちに!」
「ヴィアンタッ!」
レックスの声に呼応してヴィアンタが加速する。一気にドラゴンとの距離を離し、ついに洞窟へと飛び込んだ。先に逃げ込んでいたナディちゃんたちとともに洞窟の奥へと駆けこむ。後ろからドラゴンの咆哮が聞こえてくる。けど、それだけだ。驚異となる攻撃はしてこなかった。
「さすがにここまでは入ってこられないみたいですね」
「ほんと死ぬかと思った~……」
私は思いきり息をついて脱力した。とはいえ、心の底から安堵できたとはいえない。
「でも、ここからどうしよっか……」
なにしろ外にはドラゴン。
中には先の見えない暗闇が待っていたからだ。