◆第二話『それは予想してなかった』
「遠征は何度も経験してるけど、いまだに慣れないなぁ……お尻痛い……」
「出発からほとんど休みなく進んできましたからね。ロッソ殿が偵察に出てくれていますから、戻るまでゆっくりと休んでください」
王都を出発してから約4時間。さしてゾンビの脅威にさらされることなく進み続け、ようやく目的地のベベトール山脈を目前にしていた。
いまは麓付近で休憩しているところだ。見える範囲にゾンビはいないけど、兵士さんたちが辺りを警戒してくれている。おかげでゆっくりとくつろぐことができた。
「ね、ねえミズハちゃん。あの人、本当に連れてきて大丈夫だったのかな?」
怯えた様子で私の隣に座るナディちゃん。その目線の先を追うと、少し離れたところでイーリスさんの姿を見つけた。「ふふふ……綺麗綺麗するです」と不気味に笑いながら私の彫像を入念に磨いている。
急遽、同行することになったとはいえ、イーリスさんだけ歩いてもらうわけにもいかず、ナディちゃんの馬に乗せてもらっていたのだけど……早速やらかしていたらしい。
「ミズハちゃんの真後ろにつけてって言ってきたり、ずっとハァハァ言ってたりちょっと怖かったんだけど……」
「うん、大丈夫じゃないと思う」
「え、えぇ」
「でも根は悪い人じゃないんだよね。ちょっと行き過ぎちゃってるけど」
「あれはちょっとなのかな」
「ごめん、訂正する。かなりかな」
とはいえ、私のことを慕ってくれているのがすごく伝わってくるから、どうしても憎めないのが正直なところだ。これからもドン引きすることはあると思うけど、上手く付き合っていきたい。
「ミズハ様、ロッソ殿が戻ってきたようです」
レックスからそう報告が入ってから間もなく、山から駆け下りてくるロッソさんの姿を見つけた。相変わらず素早いうえに軽やかだ。あそこまで音をたてずに走れる人はそうそういない。
「ただいま戻りました、姉御」
「お疲れ様です、ロッソさん。ゾンビはどうだった?」
「それがほとんど見当たりませんでした。全然いないってわけじゃないっすけど、大きな音さえたてなけりゃ余裕で進める感じっす」
「クラドルカにあれだけいたのに、ほとんどいないってなんか不気味だなぁ……」
「本能的により労力のかかる坂道を避けてるかもっすね」
だとしたら好都合だ。実際はどうかわからないけど、ゾンビが少ないことには変わりない。私がレックスの判断を仰ぐと、首肯が返された。
「いずれにせよ、この機を逃す手はありません。いまのうちに可能な限り進んでしまいましょう」
ということで休憩もほどほどに進行再開。麓まで辿りついたのち、馬を引いて山の緩やかな坂を徒歩で上がっていく。中腹が近づいてきた辺りで周辺に木々が増えてきた。どれも枝葉が多いうえに、腐った葉を多くつけている。
「……腐ってるのに葉っぱ落ちないんだね」
「ねー。私が見たほとんどの木は大体葉っぱ落ちてたんだけど」
ナディちゃんと揃って私が樹冠を見上げていると、レックスがすぐ隣に並んだ。
「この辺りはクラドルカから離れていますし、ドラゴンに襲われる可能性は低いとは思いますが……仮に来たとしても、この天然の屋根が身を隠すには打ってつけだろうとピーノ殿が道を細かく設定してくれたのです」
この辺りの木々が葉をつけたままなこともきっと事前に調べていたんだろう。本当にピーノくんサマサマだ。なんて感心していると、視界の端で物騒な光景が映った。イーリスさんが私の彫像の入った袋で素振りをしていたのだ。ブンブンと風を切る鈍い音が鳴っている。
「もしドラゴンが来てもイーリスが女神様を守るです」
「ありがと。でも、さすがにドラゴン相手にそれは効かないと思うから投げないでね。というかできればもう持ち歩かないでね」
「それは出来ない相談です」
真顔で返された。果たして女神像もとい私の像が解放される日はやってくるのだろうか。
なにはともあれこんな会話ができる程度には余裕があった。坂道とあって多少は足が疲れてきたけど、ゾンビに追われる状況に比べればなんの苦にもならない。このままいけば想定よりも早く水門に辿りつけそうだ。──なんて思った、そのとき。
周辺の枝葉がざわざわと音を出して揺れ出した。そしてそれらを上回る形でバサバサと風を叩く音が聞こえてくる。自然に起こった風にしては突然過ぎるし、あまりに荒々しい。
「ねえ、レックス。すごく嫌な予感がするんだけど」
「偶然ですね。私もです……」
私はレックスと揃って恐る恐る空を見上げた。飛び回る巨大な影が樹冠の隙間から垣間見える。2度目とあって、それの存在を疑うことはない。以前、クラドルカで出会ったものと同じ。
ドラゴンだ。