◆第七話『聖女としての私』
「ミズハ様、緊張していますか?」
「う、うん。そりゃあね……」
私は謁見の間前でレックスと一緒に待機していた。
「シアが王様との話し合いの場を作ってくれるって言ってたけど、まさか昨日の今日だとは思ってなくて。しかもこんなちゃんとした謁見なんて……」
「では、ここで引き返しますか?」
「……ううん。それはいやだ。もう決めたからね」
優柔不断だったり臆病だったり自分の悪いところは自覚している。でも、決めたことにはしっかりと向き合いたい。それが私の理想とする大人の姿だ。
「お時間です。聖女ミズハ様」
「は、はいっ!」
門番の人の呼びかけに上ずった声で返事をしてしまう。ダメだ。どうやら自分が思っている以上に緊張しているらしい。深呼吸をしてみても一歩目を踏み出せない。なかなか私が動かないからか、門番の人が怪訝な顔をしはじめた。それが余計に焦りを強くする。
気づけば目の前が真っ白になりかけた。ただ、それはすぐに収まった。右肩にそっと置かれた大きな手のおかげだ。見れば、レックスが微笑で迎えてくれた。
「ミズハ様はご自分の気持ちをそのまま伝えるだけで構いません」
「で、でも無礼とか働いちゃったらどうしようって考えちゃって……」
「私が隣についています。なにがあってもこのレックス・アーヴァインがミズハ様をお守りします」
こういうときに限って欲しい言葉をくれるのがレックスだ。ぽんこつなのに。本当にずるい。でもおかげで不思議なぐらい体と心が軽くなった。
「ありがと、レックス。もう大丈夫だから」
まるで私がすぐに気持ちを切り替えるのがわかっていたかのように、レックスが穏やかな笑みとともに頷いてくれた。
門番の人たちが私の歩みに合わせて門を開けてくれた。途端、私は思わず息を呑んでしまう。謁見の間には何度か来ているけど、王様が玉座に戻ってからは訪れるたびに抱く印象が変わる。どんどん華やかになっている。最近は全然訪れていなかったこともあり、その変化の違いが大きすぎて圧倒されてしまった格好だ。
「お邪魔──し、失礼しま~す……」
私はおっかなびっくりで謁見の間に入った。玉座には当然だけど王様が座っている。隣にはリア王妃の姿も見えた。シアのお母さんとあってさすがの美人さんだ。ほかにはシアと、それからオデンさんもいる。もちろん衛兵も少なくない数が配されている。
いままでにないほど仰々しい雰囲気だ。私は目だけを動かして周囲を窺いながら、玉座近くまできた。当然だけど、私はこういうときの作法を知らない。いつも通り隣のレックスに倣って片膝をついて頭を下げた。
「どうか楽にして頂きたい。救国の聖女殿」
いつもならそんな大層なものじゃないとすぐさま修正にかかるけど、いまはその肩書が体を支えてくれている気がした。私は王様に言われるがまま立ち上がり、顔を上げる。
「本日はお時間を作って頂きありがとうございます」
「先日の話の続きをしたいとシアから聞いているが、間違いないかな」
王様の問いかけに私は「はい」と頷いた。ここからが正念場だ。静かに深呼吸をしたのち、話を始める。
「私は商業都市クラドルカを浄化したいと考えています。でも、私の力だけではとうてい叶いません。ですからどうかグランツ王国に協力していただけないでしょうか」
「その件については先日話した通りだ。クラドルカを浄化すればトルシュターナ王国全土の浄化も迫られることになるだろう。そうなれば我が国は多くの危険に曝されることになる」
予想はできたことだけど王様の考えは変わっていないようだった。むしろ以前よりも言葉に厳しさがこもっている。
「聞けば、クラドルカには大量のゾンビだけでなくドラゴンなる空飛ぶ生物がいるそうではないか。仮に我が国の兵を出したとしても浄化は難しいのでは?」
「それについてはすでにピーノく──ピーノさんに相談して解決できる算段がついています。クラドルカ周辺に跋扈するゾンビたちの対応も同じです」
「仮にその算段とやらが上手くいったとしよう。では、浄化されたトルシュターナ王国の対応についてはどうする。あそこの王であれば周囲に敵がいないことを好機とみて我が国を攻める可能性もある。ゾンビのみとなったラダンの者たちを虐殺することも大いに考えられる」
普段の王様はもっと柔らかい。でも、いまは一国の王としての顔をふんだんに見せていた。責めるような言葉を受けて私は思わず体が竦んでしまう。
「そうならないように説得……します。私も微力ながら手伝わせて頂きます」
「残念ながら聖女だからという理由で素直に話を聞く相手ではない」
ばっさりと切り捨てられてしまった。気づけば論戦みたいな流れになってしまっている。私はそんなことをしたくて王様に会いにきたわけじゃない。私は人知れず拳をぎゅっと握りしめて改めて王様の目を見据える。
「もともと世界にゾンビがあふれたのは2つの大国が争ったからだと女神様が言っていました。つまり人間の醜い心が引き起こしたことで。だとしたら、きっと私たちが見て見ぬふりをして大国を排除して、この国だけ平和にするって道を選ぶのも同じことが起こってしまうと思うんです」
この考えに至っているのはきっと王様も一緒だ。その証拠にわずかに苦々しい顔を見せている。
「そもそも浄化するしないを選ぶのって私たちがすることなのかなって思います。もし……もしそんなことがまかり通るのだとしたら、私たちも邪神と同じなんじゃないかって」
謁見の間がざわついた。衛兵さんたちも獲物を握る手に力がこもっているように思う。王様も含めて〝グランツ王国は邪神と一緒〟なんてことを言ったのだ。無理もなかった。
さすがに攻めすぎたかもしれない。でもこれぐらいの言葉じゃないときっと王様には届かない。私は体が怯えてしまうのをなんとか堪えて続きの言葉を紡ぐ。
「できればいつでも平和であってほしいけど、その道を進むのは人間自身で。結局、誰かに道を作ってもらったとしても、歩き方を知らなかったら簡単に道を踏み外しちゃうと思うんです」
こんな小娘がなに生意気なことを言っているんだと思われているかもしれない。でも、私自身が出した答えだ。最後まで堂々と胸を張って言い切った。
「えっと色々言いましたけど……結局、1番の理由は私がイヤだからです」
最後にそんな子供染みたことを言ったからか、皆を唖然とさせてしまった。自分でもこれはどうかと思ったけど、私だって1人の人間だ。聖女である前に個人的な感情を持っていることを知ってもらいたかった。
「陛下、どうか発言をお許しください」
皆がいまだ唖然とする中、オデンさんが声を出した。王様の許しを得て、オデンさんが改めて話を始める。
「仮に聖女殿のお話しを断った場合、我々は大きなものを失うことになります」
「なにか申してみよ」
「我が国最強の騎士、レックス・アーヴァインです」
「だ、団長! その件についてはどうか内密にとっ」
レックスが慌てた様子で声をあげた。いったいどういうことなのかとレックスに目で問いかけてみたけど、ばつが悪そうに顔をそらされてしまった。私は答えを知るためにオデンさんへと質問の相手を変える。
「それって、どういうことなんですか?」
「昨夜、レックスは私にこう言ってきたのだ。『たとえグランツ王国の協力が得られなかったとしても私はミズハ様のために動きます』、とな」
オデンさんが少しだけ意地の悪い笑みを浮かべながら言った。
以前にも同じようなことをレックスからは言ってもらっている。でも、まさかオデンさんにも言っていたとは思いもしなかった。私が嬉しさ半分、驚き半分でぽかんと口を開けてしまっていると、「はっはっはっ!」と王様の大きな笑い声が聞こえてきた。
「まったく困ったものだ。愛娘からだけでなく、我が国が誇る最強の騎士からも剣を突きつけられるとはな」
「へ、陛下。私は決して敵対するつもりはっ」
「よい、ただの例えだ」
例えにしては穏やかじゃない。それでも王様は随分と機嫌がいいようだった。これはいけるかも。なんて思ったけど、どうやら甘かった。王様の顔は一瞬で険しいものに戻ってしまった。
「だが、こたびの件は情で動かせる域を遥かに超えている」
「お、お父様っ」
「お前は黙っていなさい、シア」
シアが加勢に入ろうとしてくれたけど、即座に一蹴されてしまった。いつもはシアに甘々な王様だけど、公務の場ではさすがに立場を重んじているようだ。やっぱりこうなると、自分自身の言葉で切り開くしかない。
「もしトルシュターナ王国の件がすべて上手くいった場合、今後も同じようなことに直面すると思います。ですから、私はこれから〝グランツ王国に身を置く聖女として〟、すべきことをするつもりです」
いまの私には聖女という肩書がある。唯一ゾンビを浄化できる女神の力を持った人間だ。いまの腐食化した世界において、なにより重要な存在であると見られることは当然だと思う。
そんな私が特定の国に身を寄せるということは、その国にとって大きな切り札となることは間違いなかった。自分を担保に置いているようであまりいい気分ではないけど、いまはこれしか手はない。
「……まったく我が国には優秀な人材が多くて困るな」
王様はふっと笑った。この言い回し、きっとピーノくんの入れ知恵だってことがバレてる。でも、それが王様には嬉しくて仕方なかったようだ。目元が笑っていた。
「いいだろう。我がグランツ王国は聖女殿のクラドルカ浄化作戦に協力することを約束しよう」
ついに待望していた言葉を聞くことができた。一瞬聞き間違えじゃないかと疑心暗鬼になりかけたけど、向けられたシアの笑顔で本当のことなんだと実感が湧いた。ずっと物凄い重圧を感じていたこともあってか、心の底から安堵してしまう。
「ただし、万全の準備をして臨んでもらいたい」
「もちろんです! 絶対にみんなを無事なまま帰れるようにします!」
相手にはボンレスハムとは比べ物にならないほど危険なあのドラゴンがいるのだ。絶対になんて言葉を使うべきじゃないかもしれない。でも、私はそう約束したかった。
「よかったですね、ミズハ様」
レックスがまるで自分のことのように喜んでくれていた。私のために裏で動いてくれていたこともそうだけど、約束通り私の隣に味方として居続けてくれたことがなにより嬉しかった。
「うんっ、レックスのおかげだよ。ありがとっ」
一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなった。でも、問題はここからだ。私は、私の我儘を聞いてくれた人たちに報いるため、誰よりも頑張らなくちゃならない。
よーし、気合入れていくぞ……!