◆第三話『やっぱり頼りになる学者さん』
私たちは城内の一室に通された。なんでもピーノくん専用としてあてがわれた部屋らしい。さすがに王族であるシアの部屋と比べると広さも質も劣るけど、庶民の私には充分に豪華としか言いようがない部屋だ。
私とレックスは促されるがままソファに座った。対面のソファにピーノくんも腰を下ろすと、呆れたように息をつく。
「きみは僕を便利屋だとでも思っていないか?」
「まさかー、そんなことないって。頼れる学者さんだよ。ねー、レックス」
「はい、ミズハ様の仰るとおりピーノ殿ほど頼りになるお方はいません」
「レックス殿はともかく……なんとも胡散臭い」
細めた目で思いきり訝しがられた。私だけ信用がないのは納得いかないけれど、どうやら話は聞いてくれるみたいだ。
「それで相談だったか。まさかドラゴンをどうにかしろなんて言うんじゃないだろうな」
「え、なんでわかったの」
「……僕にも報告が入ってきている」
「さすが王国お抱えの学者さん」
私が手放しで称賛すると、ため息をつかれてしまった。
「話を聞くだけでも無敵に近いようだな。矢も効かないんだろう?」
「うん、すっごい硬い鱗で覆われてて、ルコル族の人たちがいくら矢を放っても1本も刺さらなかったんだよね」
「ですが、ミズハ様の聖水をかければ柔らかくなり、私の剣の刃が徹りました」
「さすがは聖女殿の聖水といったところか。効き目は抜群だな」
「毎回思うけど、聖水が褒められると貶められてる気がしてならないんだよね……」
「邪推のしすぎじゃないか? 少なくとも僕は心の底から褒めているとも」
「もちろん私もです、ミズハ様!」
レックスはともかく、ピーノくんは絶対に違う。わずかに口の端を吊り上げたあの悪い顔、わかってて言ってる。間違いない。
「予想はしていたが、その情報はドラゴンが邪神の力によって生まれたということを示している。つまり、対抗策として聖女殿の力はほかのゾンビと同様に有効ということだ」
「でも、レックスならまだしも私じゃあのドラゴンに近づいて触るのは難しいかも」
「そうですね。私も隙をついてなんとか接近できたという感じでした」
悔しげにそうこぼすレックス。思い返してみても、あのドラゴンはボンレスハム以上に狂暴だった。弱っているならともかく、あんな元気な状態で私が近づくなんてできるとは思えない。仮にそれだけの力があったとしても体が竦んで動かない自信がある。
そうして難しい顔をする私とレックスに相反して、ピーノくんに悲嘆した様子はいっさい見られなかった。それどころか余裕に満ちた顔をしている。
「ドラゴンが弱っているときに仕掛ければいいだけの話だろう」
「その弱らせるのが難しいって話じゃないの?」
「聖水をかけさえすれば敵に攻撃が徹ることがわかったんだ。わざわざ近距離で攻撃する必要はない」
「でも近づかずに聖水をかけるなんてどうするの?」
「刺されば聖水の効果が出るよう矢に細工をすればいい。先日、鳥型ゾンビが出現したという情報は僕のほうにも回ってきているからな。すでに対策としてそういった対空用の考えは頭の中で出来上がっている。それをドラゴン用に少し改良してやればいいだけの話だ」
「さっすがピーノくん、仕事が早い!」
偉ぶるわけでもなく、ふんっと鼻を鳴らすピーノくん。ゾンビ鳥が出現したことは厄介だったけど、まさかそのおかげでスムーズにドラゴンへの対抗策が出来るとは思いもしなかった。本当に運が良い。そうして呑気に喜ぶ私だったけど、隣ではレックスがなにやら難しい顔をしていた。
「ですが、空を飛び回る相手に上手く当てられるかどうか、ですね」
「その点に関して心配はいらないだろう? なにせ、その道の一流がいることだしな」
私はレックスと揃って「あっ」と声を出してしまう。ピーノくんと話すといつもこうだ。きっと〝その道の一流〟とはルコル族のことだ。
「ただ、問題はドラゴンだけではないだろう?」
「あ、やっぱり大量のゾンビのことも聞いてるんだ」
「聞かずとも予想はできたけどな。ともかく、聖女殿が1日に浄化できる数が限られている現状、そいつらとまともにやりあうのは得策じゃない」
そしてあれだけのゾンビがいれば介抱する余裕もない。長い時間をかけて少しずつ浄化するのが最善だ。レックスがまた難しい顔をしながら顎に手を当てる。
「ですが、あのゾンビたちに気を払いながらドラゴンと戦うのは至難の業ですね」
「だからといって、ゾンビたちを先に少しずつ浄化していくって手も難しいよね。前に出れば、またドラゴンに襲われる可能性があるし」
また私とレックスが問題点をあげて悩む時間になった。こうなると決まってピーノくんがやれやれとばかりに解決策を提示してくれるのだけど、今回に限っては真顔で様子を窺っている。
「あの~、ピーノくん? なにかいい考えがあったりしない?」
「なくもないが、教えればきみは行くというのだろう」
その瞬間、どうしてピーノくんがすぐに〝案〟をくれなかったのか理解した。私は居住まいを正して真剣な顔でピーノくんの目を見据える。
「うん。そのつもりで来たから」
「きみはこの世界にとって重要な存在だ。危険な場所にわざわざ赴かせる理由がない」
もっともな理由だ。そしてピーノくんがそう言ってくることは予想がついていた。とはいえ、ピーノくんを納得させるだけのもっともな話なんて私にはできない。かくなる上は──。
私はパチンと両手を合わせたまま頭を下げる。
「お願い。このとーりっ」
「またそれか」
「今度シアを連れてくるから」
「な、なぜそこで王女殿下が出てくる!?」
「そりゃもちろん、ねえ?」
私はちらりと目を開けてピーノくんの様子を窺う。と思った通りの反応が待っていた。いつも澄ましたあの顔が台無しとばかりに慌てふためいている。
「ミズハ様、いったいどういうことなのですか?」
「えっとね~、それはね~」
「ま、待て! わかった、協力する!」
多くのことでピーノくんには敵わないけど、ことこの件に至っては私のほうが上手だった。私は作戦通りに進んだことに満足感を覚えつつ、とびきりの笑顔をピーノくんに向ける。
「ありがと、ピーノくん」
「……僕はいまほどきみが本当に聖女かどうか疑ったことはない」
「だから何度も言ってるじゃん」
恨めし気な目を向けてくるピーノくんに私はこの一言を返した。
「私はどこにでもいる普通の女子高生だって」
◆◆◆◆◆
「クラドルカがなぜあんな場所に建てられたかわかるか?」
「グランツ王国との交易に適していたから?」
「仮に攻められた場合、守りやすいからではないでしょうか」
卑怯な──巧みな作戦勝ちによりピーノくんの協力を得られた私は、早速とばかりにクラドルカ浄化作戦についてご教授頂いていた。テーブル上に広げられた地図をもとにピーノくんが指さしながら説明してくれる。
「違う。いや、その一面もなくはないが、根本的な理由じゃない。注目すべきは、この背にしたベベトール山脈。クラドルカが建てられた近くに豊富な湧き水が出ていたからだ」
「あ、嫌な予感がしてきたんだけど」
「良かったな、聖女殿。きみの予想通りだ」
全然よくない展開だ。
「クラドルカはこの湧き水を生活に当てている。だが、先も言ったとおり湧き水は豊富で有り余るほどだ。すべてをクラドルカに流せば溢れるほどにな。ゆえに、クラドルカはこの湧き水を源泉近くに水門を建てることで調整している」
「……なるほど、そういうことですか。浄化した湧き水をすべてクラドルカへと流し、冠水させるのですね」
レックスが出した答えに、ピーノくんが「その通りだ」と頷いた。
「でも、湧き水ってずっと出てくるわけだよね。その間、もしかして私ずっと浄化する必要があったりするんじゃ……」
「そうだな。聖女殿には頑張って唾液を出しつづけてもらうほかないかもな」
「無理無理! 絶対無理! 干からびる以前に人としての尊厳が失われそうな気がするんだけど!」
「冗談だ。安心してくれ」
「……え、どういうこと?」
いや、冗談だったならそれでいいんだけど、まるで意味がわからない。
「もちろん多少は頑張ってもらう必要はあるが、これがあれば随分と軽減できるはずだ」
そう言いながらピーノくんが部屋の奥に置かれていた縦長の箱を持ってきた。テーブルに置いてその箱の蓋を開ける。中に入っていたのは硝子の花瓶に刺された四枚の白花弁を持つ花──。
「これって聖花だよね」
「先日、ミズハ様が見にいかれたものですね」
「これがどうかしたの?」
ピーノくんは箱の蓋を脇に置くと、ソファに座りなおした。
「出現時期から、これが聖女殿の力によって生まれたことはほぼ間違いない。そこでこの聖花にももしかすると浄化の力がそなわっているのではと僕は考えたわけだが──」
「もしかして、もしかしちゃうのっ!?」
「なかった」
「ないのっ」
ついに唾液の聖女卒業が訪れるかと思っただけにすっごく残念だ。
「期待しちゃったじゃん~」
「そう悲観することはない。代わりに腐食化の浸食を止めるといった面白い効果があることがわかったのだからな」
さらっとそんなことを口にするピーノくん。あまりにも抑揚がなかっただけに聞き逃してしまいそうだったけど──。
「え、それってすごいことなんじゃ」
「ああ、すごいことだ。聖水の効果をより強めるか、あるいは維持する力があるとみていい。さすがにゾンビに踏み込まれると抑えきれなかったが、自然による腐食化を止めることはできる」
「つまり源泉の周辺を浄化後、聖花で維持さえすれば……」
はっとなったレックスがそうこぼした言葉に、ピーノくんがにやりと微笑む。
「当初より随分と少ない唾液で済むだろう」
出来れば唾液すら出さない未来が最高だったけど、私の尊厳は少なくとも保てそうだ。私はレックスと笑顔を向きあわせ、喜びを分かち合った。
「まだまだ詰めないといけないところはあるが、大枠はこんなところだ」
「さすがピーノくんだよ! ほんとありがとっ!」
「私からもお礼を申し上げます、ピーノ殿!」
「喜ぶのはまだ早いぞ。言っておくが、この作戦は聖女殿とレックス殿だけでは絶対に成功しない。グランツ王国の協力が不可欠だ」
私とレックスが浮かれる中、ピーノくんが淡々と告げてきた。その問題は間違いなく、いまの私がもっとも直視しなければならないものだった。
「……うん、わかってる」
「どうするつもりだ? 陛下にはあのようなふざけた手段は通じないぞ」
「そっちは私自身でどうにかするよ。ううん、どうにかしないといけないと思うから」
私は目的があってこの世界に来たわけじゃない。でも、いまはもう違う。この世界でしたいことを見つけて、もとの世界に帰ることを先延ばしにしてもらったのだ。聖女としてじゃなくて私自身の意志で解決しなくちゃならない。
私の決意を感じ取ってか、ピーノくんがふっと笑った。
「余計なお世話だったみたいだな。なら僕も準備をしておこう」
「うん、期待しててね。シアのこと」
「な、そっちのことを言ってるんじゃない!」
顔を真っ赤にして目を泳がせるピーノくん。
傍らではレックスがやっぱり首を傾げて朴念仁っぷりを発揮していた。
とにもかくにもピーノくんのおかげで浄化作戦のほうはどうにかなりそうだった。いまは普段の仏頂面が嘘のようにあわてふためいているけど……ピーノくんの印象は初めて出会ったときから変わらない。頼れる学者さんだ。