◆第二話『ゾンビ以上の人』
「暗いので足元に気をつけてください」
「うわぁ、なんかいかにもお化けが出そうな感じ……」
私はレックスと一緒にお城の地下牢を訪れていた。さすがに牢屋とあって警戒は厳重だ。入口だけじゃなく長い階段を下った先にも兵士の人たちが配されている。
構造はシンプルで真っ直ぐの通路両脇に牢が幾つも並んだ形だ。どれも分厚い格子で区切られていて、とても人が抜けられる感じじゃない。安心できる造りではあるけど、どうにも不安な気持ちに襲われてしまう。それもこれも最低限の灯しかないからだ。
いっさいの躊躇なく奥へ向かうレックスから極力離れないように私はついていく。
「ピーノくんがゾンビの検証してたのもここだよね。ってことはもしかして……」
「ゾンビはもういませんから安心してください」
「よかった~。いるなら心の準備しとかないと心臓止まるかもだし」
ほっと息をついた、そのとき。
右隣の牢からガンッと音が鳴った。
「キシャアアアアアアアアッ!」
「うぁあっ、いるじゃんゾンビ!」
あまりの衝撃に私は思わず悲鳴をあげてしまった。青白い肌に飛び出そうな眼球。ぼさぼさで長い黒髪を揺らしながら、ソレは少しでも私のほうに近づこうと格子の間に顔を埋めている。
「落ちついてよく見てください、ミズハ様。彼女がジェラ殿です」
「誰がゾンビよ! この世界一の美貌を持つジェラ様とゾンビを見間違えるなんてアンタ目腐ってんじゃないのっ!?」
ガンガンと格子に顔をぶつけ続けるゾンビ、もといジェラさん。ゾンビなんかより何倍も怖いんですけど! 狂暴なんですけど!
「ブァアッ、ブァアアアアアッ!」
「ひぃいいいいっ!」
「ミズハ様を脅かすのはそこまでにしてもらおうか」
レックスが剣を抜いて突きつけた。ジェラさんに怯えた様子はなかったけど、さすがに傷つけられるのは嫌だったのか、渋々と格子から離れた。奥の簡素なベッドに腰かけたのち、私たちを睨んでくる。
「なにしにきたのよ」
ジェラさんには邪神の力はもうない。そうわかっていても凄まれると竦みあがってしまいそうな迫力だ。私は拳を作ってなんとか勇気を振り絞った。
「えっと私たち、昨日トルシュターナ王国領の商業都市クラドルカに行ってきたんですけど、そこでドラゴンのゾンビに襲われて」
「ふーん。で、それがなに?」
「その、ジェラさんって邪神を呼び出した人だし、ゾンビを作ったりもしてたじゃないですか。だから、ドラゴンの弱点とか知ってるかなって」
「知ってたとして教えると思うの? バカなの? 頭腐ってるの?」
ことこの件に関しては上手い反論ができなかった。ジェラさんにしてみれば、私は彼女の〝王様との幸せな生活〟を壊した邪魔者だ。素直に協力してくれるはずがなかった。
「じゃ、じゃあどうすれば協力してくれますか?」
「簡単よ。私をここから出せば話してやるわ」
「それはできない相談です」
レックスが私の代わりにすかさず答えた。ジェラさんも無理なことはわかっていたみたいだ。さして落胆することなく、ふんっと鼻を鳴らした。
「なら交渉決裂ね。さっさとどこかへ行きなさい」
「お願いします、ジェラさん」
「私に情で訴えても無駄よ」
どうやら簡単にはいかないみたいだ。無策で来てしまった自分が悪いんだけど、これはお手上げだ。出直すしかない。なんて思っていたときだった。
「仕方ありません。これはとっておきだったのですが……」
言いながら、レックスが肩にかけていた鞄に手を伸ばした。地下牢に来る前、準備があると言って戻ってきたときにかけていたものだ。とくに気にしていなかったけど、中にとんでもないものが入っているのだろうか。
まさか拷問器具なんて入ってたりしないよね? レックスに限ってそんなひどいことはしないと思うけど……。
そんな私の緊張とは裏腹に、鞄から取り出されたのは拍子抜けというか意外なものだった。上半身用の肌着だ。とても滑らかなで上質な生地に見える。ただ、ジェラさんに贈るにしては大きい。
レックスはいったいなにを考えているのか。ジェラさんも訝しがって目つきが鋭くなっている。
「そんな服がどうしたっていうのよ。まさか着替えにでも使えって言うんじゃないでしょうね。バカにしないでちょうだい。こんなところに入れられはしたけど、そこまで落ちぶれ──って、このニオイ……まさか」
「はい。陛下が身につけていらしたものです」
ガコンと物凄い音が鳴った。ジェラさんが格子に顔面をぶつけた音だ。うっ血するのもいとわずに鼻をスンスンしている。
「渡しなさい! いますぐそれを私にっ! 早く!」
「ドラゴンについて話すのが先です」
レックスが肌着を引いて、伸ばされたジェラさんの手から離した。ジェラさんの青白い肌にみるみるうちに赤味が出てくる。とてつもなく怒っているのがありありと伝わってくる。というか王様の物とわかった途端の食いつきっぷりが凄まじ過ぎてちょっとというかかなりドン引きだ。
「……言っとくけど、私も大したことは知らないわよ。ドラゴンだって私が造ったものじゃないし、予想するぐらいしかできないわ」
「それで構いません」
レックスがそう返答すると、ジェラさんがまたベッドのほうに戻った。どすんと荒々しく腰かけたのち、ひどく億劫そうに話しはじめる。
「私はたしかにあの巨人とか土のゾンビを意図的に造れてはいたけど、別にあいつらが特別だったわけじゃないのよ」
「つまり、どういうことなんだろ……」
「自然に発生する特異なゾンビもいるということですね」
私が首を傾げていると、レックスがそう見解を述べた。どうやら正しかったみたいで、ジェラさんが否定することなく話を続ける。
「世界の腐食が始まってからもう長いし、私の知らないところでああいう奴らが生まれてたっておかしくないわ。そのドラゴンも勝手に生まれたんでしょ」
「じゃあ、あんなのがまだうじゃうじゃいるってこと? うげぇ」
人型ゾンビ以外はジェラさんが造ったものが散らばっているだけかと思っていたけど、まさか自然発生とは。ボンレスハムだけでも脅威なのに……最悪の事態だ。
「私からあの人を奪った報いよ。せいぜい苦しむといいわ」
「いや、奪ったのはジェラさんのほうじゃ……」
「奪った!? ふざけんじゃないわよ! あの人は最初から私のモノだったの! いい!? あいつが、あのリアとかいう女が私からあの人を奪ったのよ! ブァアアアッ!」
「ひぃいいっ」
またもや格子に体当たりをかましてきたジェラさん。私は悲鳴をあげながらレックスの背後に避難した。やっぱりこの人ゾンビより怖い!
「そこの騎士! 話したんだから早くそれを寄こしなさい!」
「ほかにもなにかありませんか」
「だから言ったでしょ! 私が知ってることなんてほとんどないって! さあ、早く! 早く! キシャアアアアッ!」
「わ、わかりました。どうぞ」
レックスが格子越しに王様の肌着を差し出すと、ジェラさんが荒々しくぶんどった。まるで猛獣だ。いや、猛獣よりももっと怖いというかひどい。
「あぁ……愛しいあの人のニオイ!」
ジェラさんは涙を流しながら受け取った肌着を抱きしめていた。顔面に押しつけたり、口でハムハムしたりと変態的な行為もしている。このまま放っておくと色々まずそうな気がしてならない。
「ねえ、レックス。いいのあれ」
「捨てる予定だったものを頂いただけですから」
だったらいいんだけど。知らずにこんなことに利用されていると知ったら王様はなんて思うだろうか。……いや、考えるのはやめた。これも世界浄化のためだ。
「結局、弱点はわからなかったねー」
私たちは地下牢をあとにしてお城の一階に戻ってきた。あてもなく並んで廊下を歩く。
「力になれず申し訳ありません」
「レックスのせいじゃないよ。っていうか、ゾンビ化についてちょっとだけど聞けたし、これはこれで収穫だったんじゃないかな」
いまは気持ちを切り替えて、ほかの道を探るしかない。なんてことを考えていたとき、曲がり角から見知った少年が出てきた。ふわっとした帽子を被り、緑基調の衣服をまとっている。彼はグランツ王国お抱えの学者さん、ピーノくんだ。
「「あっ」」
私はレックスと揃って思わずそんな間抜けな声をあげてしまった。きっとレックスも同じ考えに至ったんだと思う。というよりどうしていままで思いつかなかったのか。当のピーノくんは事情がわからず怪訝な顔をするばかりだ。
「な、なんだ。人を見るなり揃って口をぽかんと開けて」
「いた! 一番いい相談相手!」