◆第八話『この展開、私知ってる』
朝陽が昇ってから間もなく、私は前庭に出るなり胸一杯に息を吸い込んだ。冷たい空気が体中に染み渡っていくような、この感覚。何度味わってもやっぱり心地いい。
「聖女様、おはようございます」
そう挨拶をしてくれたのは外城門付近で見張りをしている兵士さんだ。城壁上の2人の兵士さんたちも同じように声をかけてくれた。みんな見慣れた顔だ。
「おはよ~ございま~す」
「今日はいつもよりお早いですね」
「はい、なんだか眠りが浅くって」
よく眠れなかった理由はひとつ。昨日、ナディちゃんを傷つけてしまったことだ。あのあと訓練場を去ってしまったナディちゃんを追いかけたけど、結局見つからなくて謝れずにいる状態だった。
「それはいけませんね。無理なさらずもう少し休まれては」
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。目もぱっちり開いちゃってますし、このまま今日は頑張りますっ」
ナディちゃんを捜してちゃんと謝らないといけないし。そう決意しながら私は両手に拳を作った。
「我々も聖女様とお話しできてすっかり元気を取り戻しました」
「だな。このまま明日までって言われても余裕だ」
「俺なんてあと3日ぐらいはいけるぞ」
「お願いですからちゃんと寝てください」
さすがに冗談だとは思うけど、グランツ王国の人たちは頭のネジが外れている人が多いから本当にやりそうな気がして怖い。
その後も見張りの兵士さんたちとほぼ日課となった雑談を交わしていたときだった。いつの間にか城壁上の兵士さん1人の姿が消えていた。見上げる格好だから死角に入って見えないだけかもと思っているうちに、城壁上にいたもう1人の姿も消えていた。
「え、なに? なにが起こって……」
「聖女様、お逃げ──」
その声が最後まで言い切られることはなかった。
視線を戻すと、門のそばに立っていた兵士さんが倒れていた。そばには黒い衣装に身を包んだ人が立っている。見るからに暗殺者っぽい感じだ。どう見ても私1人で対応できる事態じゃない。すかさず叫ぼうとしたけど、なにか冷たいものが首筋に当てられた。
「騒ぐな、気絶させただけだ」
後ろから声をかけられた。目の前にはさっきの黒服もいるし、どうやら仲間がいたみたいだ。ていうかすごい既視感。イーリスさんに袋詰めされたときとは状況が違うけど、たぶんこれって──。
「大人しくしていれば悪いようにはしない」
「えっと、つまり……?」
「俺たちについてこい」
やっぱりかーっ!
◆◆◆◆◆
後ろに回した両腕を拘束され、さらに目隠し状態でかなりの距離を歩かされた。階段を上り下りしたり、寒くて音が響く場所も通った。それからようやく外の空気を吸えたかと思えば、今度はなにかに乗せられる。馬のいななきに、小刻みな上下の揺れ。これは……。
「馬車、ですよねこれ。貴重なのに、どうやって」
「私が金品を対価に手に入れた。彼らも私が雇った用心棒だ」
さっき兵士さんたちを襲った人たちと違う声だ。威圧的じゃないし、少し声音が落ちついている。雇ったって言ってるし、この人が首謀者みたいだ。
「あの、そろそろ拘束を解いてくれませんか? あんな人たちを前にそもそも逃げられるとは思いませんし」
「……いいだろう」
少しの間を置いて両腕の拘束と目隠しが解かれた。なにより先に映り込んだのは中年のおじさんだ。目元のくまにコケた頬も相まって、すごく疲れているように見える。そばにはさっきの黒服が1人。御者にも1人。おじさんも含めれば、同行者は私を除いて合計で3人だ。
馬車は幌が掛かったものだ。ほとんどが覆われているけど、後部から外の様子を窺うことはできた。遠くにグランツ王国の王都っぽい城壁が言える。もうかなりの距離を進んだみたいだ。
「これってどこに向かってるんですか?」
「……商業都市クラドルカだ」
「トルシュターナ王国領ってことですよね。あっち側はまだゾンビだらけですよ」
「だからこそ、こうして聖女殿に同行してもらったのだ。浄化してもらうために」
「同行というかこれ拉致だと思うんですけど」
いずれにせよ、この人がどんな目的を持っているのかがはっきりした。いや、そもそも現状で私を拉致する理由なんてそれが濃厚なんだけど。女神として崇めるなんて人が異常なだけで。
「申し訳ないと思っている。だが、こうでもしなければクラドルカの浄化は叶わなかった」
「コドベンって名前の商人さんが王様にお願いしたって聞いたけど、もしかして」
「私のことだ。そして結果は知ってのとおりだ」
事情が呑み込めてきた。ただ、だからといってこれが正常な判断によって選択されたこととはとうてい思えなかった。
「あの、ここまでするぐらいですし、なにかワケありだったりするんですか?」
「特別な理由じゃない。私はただ家族を救いたいだけだ。クラドルカにいる、妻と息子を……っ!」
言いながら、コドベンさんが合わせた両手をぐっと握りしめた。言葉の端々からもすごく強い想いが伝わってくる。家族を助けたい。たしかに特別じゃないし、ありふれた理由だ。でも、そこにはどんな理由よりも強い説得力があった。
トルシュターナ王国がどれだけ戦争をしていたって、そこにいるのは私たちと同じ人間だ。その数だけ生活があって異なる考えを持つ人たちがいる。だから、王国の誰もが戦争を望んでいるわけじゃないはずだ。色々胸の中でもやもやがあったけど、コドベンさんと話をしたおかげで少し整理できた気がする。
「実は私もトルシュターナ王国を浄化できればって思ってて。だから、できればコドベンさんに協力したい気持ちはあります」
「ほ、本当かっ!?」
よっぽど意外なうえに嬉しかったのか、コドベンさんが前のめりになった。その必死さに気圧されそうになるけど、すべてに対して肯定するつもりはない。
「でも、一度引き返しませんか? この人数で浄化するのはちょっと難しい気が……」
「聞けば、グランツの王都を浄化したときは3人だったそうじゃないか」
「あれはかなり無茶をしましたし、超人がいたからなんとかなったっていうか、思い返してみれば奇跡だったとしか言いようがないんですよね」
「それでも、いまの私にはこれしか手がない」
コドベンさんの目は完全に据わっていた。知ってるこれ。なにを言ってもダメなやつだ。
「今頃、グランツ王国軍がいなくなったあなたを捜して大騒ぎになっているはずだ。きっと多くの追手も放たれているだろう。いまさら引き返すことはできない」
わずかとはいえ心を開いてくれていたようだし、私の話を聞き入れてくれるかもなんて淡い期待を抱いたけど、どうやらそれも無意味だったみたいだ。
あ~……誰か……レックス早く助けにきてー!




