◆第四話『そこから来るのはずるいと思います』
悲鳴からおおよその方角は掴んでいたし、なにより逃げる人々のおかげで騒ぎの場所を突き止めるのは簡単だった。幾つかの建物脇を走り抜けた先、小さな通りにソレはいた。
「ぼぁあああっ」
「やっぱりゾンビ……!」
いったいどこから入ってきたのか。なんて疑問を抱いたけど、そんなことよりも近くで尻もちをついた小さな男の子をどうにかするのが先だ。いまもゾンビは男の子のほうへ向かってのそりのそりと歩いている。
「レックス!」
「はぁあああっ!」
私が声をあげるよりも早く、レックスが飛び出していた。ゾンビを盾で弾き飛ばし、男の子を庇う形で立ちふさがる。私もすかさずあとに続いて、男の子のもとに向かった。
「もう大丈夫だよ」
「聖女様、お母さんが……僕のお母さんがっ!」
どうやら目の前のゾンビはこの子のお母さんらしい。たしかに髪が長いし、まさしく女の人って感じだ。ただ、例にもれずゾンビ化のせいで色々とグロイ見た目になっている。男の子の記憶にいやな思い出が刻まれないうちに、いますぐにでもお母さんを助けてあげないといけない。
「シア、ナディちゃんっ、この子をお願いっ!」
「お任せくださいっ」
「う、うん!」
私はあとからついてきていた2人に男の子を任せて、レックスのそばに向かった。それを機に攻勢に出るレックス。盾で小突いて、最小限の衝撃でこかしたゾンビを押さえつける。その隙に私は右手でタッチし終えた。
「お疲れ様です、ミズハ様」
「レックスも」
これまで数えきれないほどのゾンビを相手にしてきたこともあって、互いに慣れたものだ。私たちが一息ついている間に、ゾンビの体も元の姿へと完全に戻っていた。
妙齢の女性だ。さっき男の子が「お母さん」と言っていたからわかっていたけど、やっぱり親子のようだった。女性は自身の肉体が戻ったことを困惑しながら確認したあと、すぐさま男の子を抱きしめにいっていた。そして2人は互いの無事を噛みしめたのち、私に向かって涙まみれの笑みを向けてきた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「聖女様、お母さんを助けてくれてありがとう!」
別にお礼を言われたくてしているわけじゃない。でも、やっぱり笑顔でこうしてお礼を言われると心が温かくなる。これが私のしたいことであり、この世界に残った理由のひとつなんだなと改めて知ることができた。
「ミズハちゃん! そこから逃げて! 早く!」
「……え?」
私が感慨に耽っていたとき、ナディちゃんから切羽詰まった声が飛んできた。なんのことかわからず、きょとんとしてしまう。ゾンビはさっき浄化したし、周りに脅威はないはずだ。逃げるっていってもいったいなにから? なんて疑問が頭の中をよぎったそのとき──。
「ガァアアアアアアッ!」
後方上空から奇声が聞こえてきた。弾かれるように振り向いて視線を上げると、視界の中に1羽の黒い鳥が映り込んだ。カラスっぽい見た目だけど……片側の眼球が飛び出ているし、体中ぼろぼろ。間違いなくゾンビ化している。
ただ、その異様な姿よりもいまは気にしなくちゃいけないことがある。それは相手がいまも私に向かって勢いよく突っ込んできているということだ。
「うぁあっ!」
私はとっさに身を横に動かして、間一髪のところでゾンビ鳥の軌道からそれた。びゅんっと凄い速さでそばを通り過ぎていくゾンビ鳥。当たっていたら間違いなく体のどこかに穴があいていた。ほっと息をつきかけたけど、ゾンビ鳥の動きを見てぞっとした。上昇したゾンビ鳥が旋回してまた私に向かって飛んできたのだ。
さっきより鋭い。もう目の前だ。あ、これダメかも。
視界一杯に広がるゾンビ鳥の姿。その嘴が私の鼻先に触れようとした、瞬間。私はどんっとなにかに突き飛ばされた。軽い衝撃で視界が揺れ、気づいたときには床に仰向けに倒れていた。幸い頭は打っていない。どうして?
目の前に映った顔が答えを物語ってくれていた。レックスだ。きっとレックスがとっさに私を抱きかかえてゾンビ鳥の軌道からそらしてくれたのだ。助かったことに安堵しそうになったけど、いまはゾンビ鳥に狙われている状況だ。動きを止めるべきじゃない。
なんて思っていたのだけど、視界の端──私がさっきまで立っていた場所でゾンビ鳥を見つけた。それもぐちゃぐちゃになった姿で。たぶん勢い余って激突したのだろう。その余りにもひどい光景に、私は思わず「ひっ……!」と小さい悲鳴をあげてしまう。
「お怪我はありませんか?」
「う、うん……」
声をかけてくれたレックスに、私は戸惑いながら返事をする。ただ、ゾンビ鳥のグロさに持っていかれた思考は一瞬にして別のものへと移った。それはいまの体勢だ。
レックスに覆いかぶさられる格好になっていた。少しでも頭を起こそうとすれば、額がぶつかるぐらいの距離にレックスの顔がある。はっきり言ってすごく近い。
「よかったです……」
心の底から安堵するレックス。その穏やかな顔も、すべて私の身を案じてくれたものとあって余計に意識してしまう。顔が綺麗って本当にずるい。ただ、これ以上は私の顔がもたない。いまにも熱くて沸騰しそうだ。
「あの、レックス? 助けてくれてありがとうだけど……その、早くどいてくれると嬉しいなーなんて……」
私の遠慮がちな言い回しもあって、すぐには理解するに至らなかったレックス。ただ、気づいた瞬間には飛び跳ねるようにして立ち上がっていた。
「も、申し訳ございませんっ」
「ううん。助けてくれただけだし、うん。べつに気にしてないからっ。ありがと」
差し伸べてくれた手を借りながら私も立ち上がる。レックスも顔をそらしているあたり少しは意識してくれているらしい。嬉しいやら恥ずかしいやら。そうして私たちがよそよそしいやり取りを繰り広げていると、シアとナディちゃんが駆け寄ってきた。
「お姉様、大丈夫ですか?」
「うん、レックスのおかげでなんとか。ナディちゃんもありがとね」
「ううん。私は声をかけただけだし」
「ナディ殿のおかげで私もいち早く動けました。感謝します」
レックスに頭を下げられ、「いえいえっ!」と恐縮するナディちゃん。でも実際にナディちゃんの一声がなければどうなっていたかわからない。それだけいまの襲撃は未知のものだった。私は改めてそばでひしゃげたゾンビ鳥に目を向ける。
「それにしても、これ……」
「おそらく鳥ですね。いえ、正確には鳥だったゾンビでしょうか」
「やっぱりそうだよね~……」
翼もあるし、長細い嘴やかぎづめがある。胴体に関してはひしゃげてしまってなかなかに気持ち悪い見た目になってしまっているけど、全体的に腐食化している。ちなみに大きさはカラスとほぼ同じぐらいだ。
「そいつだ! そいつがお母さんをゾンビにしたんだ!」
男の子がゾンビ鳥を指さして叫んだ。私はレックスと顔を見合わせる。
「正門は守られていますし、日中にゾンビが城壁内に現れるのはおかしいと思いましたが……」
「空からか~……また厄介なのが出てきたなぁ」
上空から飛んできては人をゾンビ化させたり、さっきみたいに突撃してきたりする。動きからして鳥も獣のように日中の影響で遅くなったりはしないみたいだ。
「もう城壁で囲まれてるからとか、日中だから安心とか言っていられなくなった感じだね」
「ですね。これは早急に対策をする必要がありそうです」