◆第三話『今日も賑やか王都』
翌日、まだ朝のひんやりとした空気が残る頃。私はシアとナディちゃんと並んで王都を歩いていた。レックスと数人の護衛も少し離れたところからついてきてくれている。初めはぴったりとそばにつくつもりだったらしいけど、友達だけにしてほしいとお願いしてなんとか妥協してもらった形だ。
「王都もゾンビだらけだったんだよね」
「うん、大体3か月ぐらい前かな。人だけじゃなくて建物も腐ってて、もうほんとあちこちボロボロだったんだよねー」
「でも、もうどこもそんな感じしないね」
ナディちゃんは活気に満ち溢れた王都内を見ながら感嘆していた。復興のために少しは頑張ったこともあって私としても感慨深いものがある。とはいえ、頑張ったのはやっぱりグランツ王国の人たち自身だ。
私のいた国もよく自然災害に見舞われて、そのたびにみんなで頑張って復興していた。だからか、なんだかとても親近感を覚えてしまう。
「聖女様、おはようございます」
「わ、聖女様だ~! いつもありがとう!」
大人たちの気さくな声や、子どもたちの元気な声があちこちから飛んでくる。妙にかしこまった人たちも中にはいるけど、多くが親しみやすいものだ。私は声をかけてくれたみんなに手を振って挨拶を返していく。そんな光景を見てか、ナディちゃんが驚いていた。
「王都に来たときも思ったけど、ミズハちゃんって本当にすごい人気だね」
「お姉様の人徳は聖女という肩書ではなく、その行動によって得たものですから」
そう得意気に説明するシア。いつも思うけど、シアはどうして私をそこまで美化できるのか。いや、慕ってくれているのは嬉しいけれども。私の醜い一面を見られたときが怖くて仕方ない。
「最初の頃は必要に迫られた感がすごいけどね」
「それでもいまは違いますよね」
「ま、まあ……そうかも」
聖女として女神の力を使って世界を浄化する。そんな道を最後には自分で選んだ。だから、シアの言い分をすべて否定することはできなかった。
「あなたもどうですか? ミズハ教に入れば漏れなく幸せになれるですよ!」
ふいに、どこからか聞こえてきた声。いやな予感をひしひしと感じながら出所に目を向けると、修道女っぽい法衣に身を包んだ女性が道行く人に声をかけていた。
端正な顔立ちに、ベールから覗く銀髪。間違いない。私を女神様と信じて疑わないイーリスさんだ。それに彼女の周りには、彼女と志を同じくするミズハ教の信者たちもいる。
「ミズハ教に入れば、もうゾンビに怯えることはありません!」
「お肌も永遠につるつるつやつや!」
「さあ、今日からあなたもミズハ教に入るです!」
適当なことを言いまくりだ。というか肌が腐るどころかいつまでもつるつるつやつやとか私がなりたいぐらいだ。いや、もとは女神様の力だし、それぐらい力があってもおかしくないかもしれない。だとしたら活用しない手はない。ということでまずは私自らが今日から試してみるしか──。
「ね、ねえ……ミズハちゃん。あれって」
「見たらダメ。目を合わせたら面倒だから」
なんて言っていたら信者の一人と目が合ってしまった。お互いに時が止まったように硬直したのち、弾かれたように動き出す。
「イーリス殿、女神様です! 女神様がいました!」
「本当ですかっ!? 追うです! 今日のナデナデ──ではなく、神託を頂くです!」
「やばっ、絡まれたら面倒だし逃げるよ!」
路地に入って幾度も角を曲がっていく。こっちには運動が苦手なシアもいる。普通に考えたら逃げられるわけはないけど、少ししたらイーリスさんたちの気配がなくなっていた。きっとレックスたちがなんとかしてくれたのだろう。べつの通りに出たところで私たちは足を止めて息をつく。
「もう大丈夫かな」
「な、なんだかすごい熱狂的な人たちだったね」
「何度言ってもやめてくれないんだよねー……」
「お姉様、言ってくださればすぐにでも王国は動きます」
「あ~……そこまで大事にするのはちょっとしのびないっていうか」
崇めるのはさすがにやりすぎだけど、慕ってくれていることだけは嬉しい。一応、邪神を呼び出した人を懲らしめるときにも活躍してくれたし。ともかく、一概に悪として裁くのは気が引けるというのが本音だ。
「ミッズハーッ!」
「うわ出た。今度はあの人かぁ……」
「はい、出ましたね……」
後ろから聞こえてきた声に、私とシアは揃ってため息をついてしまった。ナディちゃんだけが「え、なにが?」と困惑している。私の友達として一緒に過ごすことが多くなれば、いやでも知ることになる。なにしろ声の主とは王都を歩けば高確率で遭遇するからだ。
「できれば今日は来てほしくなかったなぁ」
私はもう一度盛大にため息をつきながら振り返る。目の前には、いかにも貴族のおぼっちゃまといった風貌の青年がいた。彼はキース・ロワダン。私との出会いに運命を感じているらしく、たびたび愛の告白をしてくる面倒な人だ。
「つまり来てほしい日もあるということだね」
「いや、いつも来てほしくないですけど、今日はとくにってことです」
「ははっ、相変わらずミッズハーは照れ屋さんだね」
キースさんにはどれだけ悪態をついても効果がない。耳が遠いのか、鋼の精神を持っているのか。いずれにせよ、厄介なことこの上なかった。ナディちゃんが恐る恐るといった様子で訊いてくる。
「ミズハちゃん、この人は?」
「キース・ロワダンさん。まぁまぁ頭のおかしな人」
「ひどいな、ミッズハー。そこは〝私を誰より愛してくれる人〟と紹介するところだよ」
「この通り話が通じないの」
「み、みたいだね」
さすがにナディちゃんもミズハ教の人たちを見たとき以上に引いていた。無理もない。初めて会ったときの私も同じ気分だった。と、シアがその綺麗な眉を逆立てながらキースさんの前に立った。
「ロワダン卿、もうお姉様には付きまとわないようにと告げたはずですが」
「これはこれは王女殿下。ご挨拶が遅れて申し訳ございません」
さすが貴族といった風に一礼したのち、キースさんが飄々と喋りだす。
「ミッズハーの件ですが……僕と彼女は運命の赤い糸で繋がっているのです。そう、僕を闇から救ってくれた光り輝く一瞬。この胸の奥深くまで響く魂の一撃を受けた、あの日からっ!」
「いやだからそれ単純に浄化しただけだから。キースさん以外の人にもしています」
「それでも、きっと僕以上にあの衝撃を受けたものは絶対にいないはずさ!」
ゾンビだったときもいまみたいにしつこかったとしたら、その可能性は大いにあるかもしれないけど。とはいえ、それが愛情と繋がっているわけがない。
「それじゃミッズハー。僕と一緒に行こうか。今日はきみのために素敵な昼食を用意させているんだっ」
「いや、誰も行くとか言ってないんですけど」
いつものごとく話を聞く気がない。キースさんは私を連れていこうとして手を伸ばしてくる。でも、その腕を先んじてナディちゃんが掴んで遮った。
「あの、ミズハちゃんが困ってます。からっ!」
「なんだね、きみは? どこにいた?」
「最初からいました」
「すまないが、私にはミッズハー以外の人間は目に入っていないのでね」
どうやらキースさんの目はまだ腐ったままのようだ。
「それはわたくしもですか? ロワダン卿」
「も、もちろん殿下は例外です」
シアの攻勢にはさすがのキースさんもたじろいでいた。ただ、それでも引く気はないらしい。
「と、とにかくこの手を放したまえ。私の手に触っていいのはミッズハーの清らかな手だけだ」
「いやです、放しません」
頑なに放そうとしないナディちゃん。どうやら相当な力なようでキースさんがどれだけもがいてもはがれそうにない。
気弱な彼女にここまでしてもらえるほど大事に思ってもらえている。嬉しいことこのうえないけど、これ以上はナディちゃんがキースさんに目をつけられかねない。こんな変な人でも一応は貴族だ。大事になれば厄介なことになりかねない。どうにかしないとと考えはじめた、そのとき。
「ロワダン卿、そこまでです」
レックスが来てくれた。キースさんは幾度となく敗れたこともあり、力で勝てないとわかっているのか、その顔を苦々しく歪めている。
「レックス・アーヴァイン……また僕とミッズハーを引き裂こうというのかっ!」
「引き裂かれるほどくっついてないでーす」
「ミズハ様はこう言っておられますが」
「人前だから照れているだけだ」
「なるほど、どうやらロワダン卿は図書館に用があるようだ。お連れして差し上げろ」
レックスの後ろから2人の兵が現れるなり、キースさんを連行しはじめた。
「は、放せ! なにが図書館だ! 学をつけるべきはきみのほうだろう! この兵士どもっ、僕を誰だと思ってる!? くっ、覚えていろレックス・アーヴァイン!」
そんな悪役っぽいセリフを残して、ついには消えていくキースさん。何度も見た光景だけど、相変わらず去り際も騒がしい人だ。
「助かったよ、レックス」
「いえ、ミズハ様の騎士として当然のことをしたまでです。では」
どうやら今日は陰からの護衛を徹底してくれるらしい。端的な挨拶を残して、また距離をとらんと離れていった。……なんだか今日はちょっと格好よく見える。いや、やっぱり気のせいかも。
「守ってくれてありがと、ナディちゃん」
「ううん、お礼なんていいよ。だって……友達、だし」
私から友達になりたいと迫ったこともあって、少し強引だったかなと心配していた。だからか、こうしてナディちゃん自身から〝友達〟という言葉を聞けたことが嬉しくてしかたなかった。
「シアもありがと」
「お姉様の妹として、当然のことをしたまでです」
一波乱、いや二波乱もあったけど、その後は落ちついて王都を歩くことができた。そしていろんな人と話をしながら目的の場所に到着した。
王都を囲む城壁の入口からほど近い広場だ。緑があふれる中、色んな花が咲いている。ただ、とくに中心の花たちが目立っていた。純白の大きな花弁を4枚つけている。どれも垂れ気味に添えられながら、先端がくりんと可愛らしく反り返った形だ。
「あれがシアの言ってた花?」
「はい。聖花と呼ばれています」
「……もしかしてそれって」
「以前までは見かけなかったことから、お姉様の浄化によって生まれた花と言われています。ですから、聖女であるお姉様にちなんで、ちまたでは聖花と名づけられました」
「やっぱりか~!」
なんとなくそんな気がしたけど、予想通りだった。自分の唾液で育ったと思うと、なんだか複雑な気持ちだ。とはいえ、綺麗なものは綺麗だ。見れば、広場には多くの人たちが集まって一様に聖花を見つめては感嘆していた。
「綺麗……」
隣に立つナディちゃんも目を細めながら、うっとりと見惚れている。……ナディちゃんにこんな喜んでもらえているんだし、聖花が生まれたきっかけなんてどうでもいっか。なんてことを思いながら、私も聖花を見つめていたときだった。
「きゃぁああああっ!」
どこからか大きな悲鳴が聞こえてきた。王都にはもうゾンビがいないうえ、城壁に囲まれている。唯一、開いている正門も兵士さんたちが守ってくれているから侵入は難しいはずだ。日中の動きが遅い状態ならなおさらだ。
でも、これまで私の想像を何度も上回ってきたゾンビたちだ。もしかしたらという想いがあった。私は弾かれるようにレックスのほうを見やる。
「レックス!」
「はい、すぐに向かいましょう!」