◆第二話『お友達とお風呂』
「聖女様だ! 聖女様が帰ってこられたぞ!」
「また多くの人を救ってくださったようだ! さすが聖女様!」
「ああ、俺もまたどつかれたい!」
「俺もあの張り手が忘れられない!」
3日かけて王都に帰還したところ、大通りで多くの人たちに出迎えられた。時折、変態的な声が混ざっているけど、ほとんどが称賛の声だ。
「あ、あはは……どうもー……」
グランツ兵の人たちと歩きながら、私は大通り脇の人々に手を振って応えていく。と、レックスが首を傾げながら私の顔を見つめてきた。
「ミズハ様? 顔色が優れないようですが、どうかなされたのですか?」
「いや、遠征から帰るたびにこれだよ。よく続くなぁって」
「それだけミズハ様が慕われているのですよ」
「嬉しいけど、ちょっとやりすぎだよね。あと、実際には私だけじゃなくて兵士さんたちも頑張ってくれたわけだし、一緒に褒めてほしいなって」
「ミズハ様……」
聖女なんて肩書のせいで私の貢献ばかり目立ってしまうのは仕方ないかもしれない。でも、やっぱり頑張った人には一声だけでもいいから褒めてあげてほしい。少なくとも私はみんなにそうであってほしい。
「その気持ちだけで我々は救われています」
「はい、いまのお言葉で10日は断食できます!」
「いや、倒れられたら困るから食べて。お願いだから」
リンゴならいくらでも出すから。
「す、すごい人だ」
「こんなに多くの人間を見たのは初めてだ」
「みんなでけぇ……っ」
後ろから驚嘆の声が幾つも聞こえてきた。騎士団の人たちに続く形で先日浄化した人たちがついてきていた。人間ばかりの普段とは違って、今回は多くがルコル族の人たちだ。
救出した当初、ルコル族の人たちは森に残ることを望んでいた。でも、再ゾンビ化の恐れがあることを伝えて説得。一時的に王都で生活してもらうことになった。
ルコル族の人たちはグランツ王国の人たちに圧倒されている様子だ。人の多さもそうだけど、身長差も大きく影響しているかもしれない。とはいえ、一人だけ大きな彼女──ナディさんも同じように怯えているようだったけど。
私は歩を緩めてナディさんの隣に並んだ。
「びっくりしたでしょ」
「は、はい。す、すごい人気で──」
ナディさんが私に気づくなり、はっとなった。おどおどしたように目を幾度もそらしたかと思うや、かしこまったように話しはじめる。
「先日は……ごめんなさい。聖女様とは知らずに」
「いや、私なんてたまたま女神様からもらった力で浄化してるだけの、ただの小娘だし。敬う必要なんてないよ」
「でも、ゾンビに立ち向かってることは事実です」
いくら浄化の力があってもゾンビに立ち向かうのはいまでも怖い。そんな気持ちを理解したうえで尊敬してくれていることがありありと伝わってきた。だからか、私は思わず嬉しくなった。やっぱりこのナディさんとは気が合うかもしれない。
「ね、ナディさんっていくつ?」
「……え?」
「あ、年齢のことね。私は17歳なんだけど」
「同じ、です」
「やっぱり! そうだと思ったんだよね」
ほとんど勘だけど、歳が近いと思っていた。
「お姉様っ」
そんな愛らしい叫び声とともに1人の少女がお城側から走ってきた。淡い緑基調のドレスを着て、いかにも高貴な身分といった装いの彼女はシア・グリーンフィールド。このグランツ王国の王女様だ。
シアはそのまま止まることなく私に直進してくる。抱きつく気満々の勢いだ。これは非常にまずい。私は慌てて左手のひらを突き出して叫ぶ。
「すとーっぷ!」
「うぐっ、お、お姉様!?」
私の左手を額に当てながら、どうしてとばかりに訊いてくるシア。私だって叶うなら可愛いシアをいますぐにでもぎゅーっと抱きしめたい。なにしろ私の数少ない癒しのひとつでもあるからだ。でも──。
「ごめんっ。でも、いまはほんとにダメだから」
「ど、どうしてですか?」
「いや、ほら。ゾンビを浄化しまくったうえに遠征で体中が、ね」
自分の臭いが気になって仕方なかった。
「そんな……お姉様が気にすることはなにひとつありません」
「じゃあいつもみたいに気絶する?」
「きょ、今日こそは耐えてみせますっ!」
「いや、無理に耐える必要はないんだからね」
気持ちだけありがたく受け取っておくことにする。というか、まるで私自身のニオイが原因で倒れられている気がして精神的に辛いからやめてもらいたいというのが本音だ。
「あの、でもお姉様のためにと浴場の準備はしています」
「さすがシア、わかってるっ」
私がお風呂好きと知っているからか、遠征から帰ってきたときは今回のようにいつも準備してくれている。本当によくできた〝妹〟だ。
「あ、ひとり連れていってもいい?」
「構いませんが……イーリスさんですか?」
「いや、それはないかな」
イーリスさんは私のことを女神様と信じて崇めるちょっと変わった人だ。なにかと行き過ぎてよく問題を起こしている。根は悪い人ではないんだけど……身の危険を感じるのでできれば一緒にお風呂に入るのは遠慮したいところだ。鼻血とかでお湯が赤く染まりそうだし。
「知り合ったばかりの子。ナディさんって人」
言いながら、私はくるりと振り返った。目が合ったナディさんはきょとんとしていた。それからきょろきょろと辺りを見回したあと、驚いたように自分を指さした。
「え、私……ですか?」
◆◆◆◆◆
「遠征帰りはやっぱりこれだよね~っ」
「お姉様、わたくしにもお願いできますか?」
「はいはーい。行くよ~!」
早速、お城の浴場を訪れた私は温まったお湯で体を洗い流していた。一緒に入ったシアにも頭からぶっかける。初めて入ったときからの習慣だ。
髪の毛も含めて全身お湯まみれのシアは、まるで子犬のようだった。でも、それと違うのはぷるぷると首を振らないことだ。目をつぶったままじっとしている。そんな愛らしい姿にくすりと笑みをこぼしながら、私はシアの髪を手櫛で梳いて目元の水気も拭った。
「もう開けても大丈夫だよ」
「いつもありがとうございます」
「これぐらいお安い御用です」
このままお湯に浸かるまでがいつもの流れだけど、今回に限ってはそうもいかない。私は後ろを振り向いて声をかける。
「っていうか、ナディさんもそろそろこっちに来たら?」
「で、でも……こんな贅沢なこと本当にいいのかなって」
ナディさんはいまだに入口付近で突っ立っていた。後ろで結っていた髪を解いているからか、印象がまるで違う。なんというかさっきよりも大人びて見える。それに大きい。なにがって胸だ。ここまで大きい人は日本ではそうそう見かけなかった。
「私なんかって、べつにそんなかしこまる必要ないよ」
「聖女様も聞いたと思います。みんなから私がどう思われてるか……」
ナディさんはルコル族から少し疎まれているようだった。「巨人」やら「役立たず」やら遠征からの帰還時も散々なことを言われていた。さっき私がナディさんに話しかけていたときも「どうして聖女様がナディに声をかけるんだ?」といった旨の声も幾つか聞こえてきた。
「とにかく、私はルコルの中では異質なんです。だから、聖女様からこんなことをしてもらう資格なんて……」
「ルコル族のことは詳しく知らないけど、さ。異質だからって悪いことじゃないでしょ。っていうか異質さで言ったら私に敵う人いないと思うんだけど」
「そ、それは……」
ゾンビをタッチするだけで浄化できるし、腐った水や土地も唾液を垂らすだけで浄化できる。女神パワーを宿した女子高生だ。なにより違う世界から来たというワードには誰も勝てまい。そうして私が勝ち誇っていると、隣から「はい、お姉様は特別です!」とシアの声が飛んできた。
「そう、それそれ。異質ってことは特別なんだと思う。だから気にしないで。少なくとも私たちはナディさんのことを変な目で見たりしないから。ね、シア」
「はい、もちろんですっ」
私たちの気持ちが伝わったのか、ナディさんの態度が軟化したように感じた。私はここぞとばかりに手招きする。
「こっちこっち。ここに座って」
恐る恐る近くまできたナディさんがそばで膝をついた。近くで見ても、私たち人間と違うのは耳と尻尾だけだ。爪は尖ってないし、肌も健康的でむしろきめ細やかな感じだ。私たち人間となにも変わらない。
私は「行くよー、目つぶって!」という声とともにナディさんの頭からお湯をかけた。ふさふさだった耳と尻尾の毛が一気に湿り、ふにゃっとなる。
シアに倣ってか、ナディさんも目をつぶったままじっとしていた。耳と尻尾要素も相まって愛らしさがマシマシだ。
私はシアにしたのと同じように髪の水気をとっていく。どさくさに紛れて耳をちょこんと触ってみたけど、短くて細い毛が連なって造り物感がいっさいなかった。いや、実際に本物なんだけど。できれば濡れていないときに触らせてほしいところだ。
目元も拭い終わってから「もういーよ」と声をかける。ナディさんが「あ、ありがとうございます」と遠慮がちにお礼を口にしながら目を開けた。
「すごい。ただお湯を被っただけなのに……すごくさっぱりした気がします」
自身の体や耳と尻尾を触りながら驚嘆するナディさん。そんな彼女にシアが得意気な声で告げる。
「それはお姉様の唾液のおかげです」
「シア、そこは黙っててもよかったんだけど」
「ごめんなさい。でも、お姉様に汚いところなんてひとつもありませんから」
力説すればするほど私の大事ななにかが崩れていっていることにそろそろ気づいてほしい。シアだけでなく、このグランツ王国すべての人に私が心から伝えたいことだ。
「っていうか、そろそろお湯に浸かろ。体冷えちゃうし」
そうして話をそらしつつ、入浴タイムへと移行させた。3人揃って浴槽に腰を下ろす。当然だけどシアと2人で入っているときよりも水位がわかりやすく上がった。
「ふぁ~……生き返る~……」
疲れた体の芯まで染み渡るような感覚に見舞われ、思わずそんな声を漏らしてしまう。日本の友達の前でこんなセリフを漏らせば「なにそれミズハ、おっさんぽい~!」なんて笑われるところだけど、ここは異世界。気にする必要なんてなにもない。
お風呂は大好きだ。一気に体がほぐれていく気がする。ただ隣のナディさんはいまだ緊張しているようだった。と、私と目が合ったナディさんがすっと体を縮め、肩の高さをなんとか下げようとみじろぎはじめた。
「ごめんなさい、大きくて」
「そういう意味で見てたわけじゃ──」
「あ、あのっ、大きいのはいいと思います!」
私が弁明しようとしたのを半ば遮る形でシアが励ますように声をあげた。あまりにいきなりだったのでナディさんが目をぱちくりとさせている。
「シアはね、早く大きくなりたいんだって」
「そう、なのですか……」
主に大きくしたいのは胸らしい。体格的にもいまがちょうどいいと思うんだけど、本人はそうは思わないらしい。ともあれ、そうした事情もあってナディさんはシアにとって憧れの対象というわけだ。
「シアはまだ成長途中ってだけだと思うけど」
「ですが、大きくなるとは限りませんし」
ぺたぺたと自身の胸を触るシア。成長すると、こうしたしぐさも見られなくなるのかと思うと少し寂しい。とはいえ、私はシアが悲しむところは見たくない。叶うなら彼女の望みどおりに育ってほしいところだ。
「お2人は仲がいいんですね」
「なんだかんだ誰よりも一緒にいるしね。浄化したのも2人目だし」
「あのときの顔面張り手はいまでも忘れません」
シアが大切な思い出をしまうかのように胸に両手を当てる。と、ナディさんが弾かれたように声をあげはじめた。
「わ、私も同じでした! 聖女様の手が顔に当たった瞬間、すごくまぶしい光に包まれて。あとすごい衝撃も全身に走って……」
「わかります! ナディさんも一緒だったのですね」
なにやら熱く語り合うシアとナディさん。
完全に私は蚊帳の外だ。
「あの~、変なところで意気投合しないでもらえるかな」
私も好きで叩いているわけじゃない。必要に迫られているだけだ。極々たま~に驚いて反射的に強くどついてしまうけど。
「ね、それよりずっと思ってたんだけど、その聖女様ってのどうにかならないかな?」
「ですが、聖女様はすごい人で……本当は私がこうしてお話しをすることすらも憚られるぐらいで──」
「っていうか友達になりたいんだよね」
そう伝えると、きょとんとされてしまった。
呆けた様子で「と、友達?」と口にしている。
「だから、名前で呼んでほしいなって。私もナディちゃんって呼ぶからさ」
「ちゃ、ちゃん!? 私みたいなのを、そんな可愛く呼ぶのは似合ってないというか不相応というか……っ」
「え、ナディちゃん可愛いじゃん」
たしかに小さいものが可愛いなんて感覚は私の世界でも、国でもあったけど。必ずしもそうとは限らない。現に私は心の底からナディちゃんを可愛いと思っている。耳と尻尾はほかのルコル族にもあったけど、とくに毛並みが綺麗だったし、なにより目が綺麗だった。それこそ〝絶対にいい人だ〟って思えるぐらいに。
「あと最初見たときに思ったんだよね。あ、この子と絶対友達になりたいって。ダメ、かな?」
「だめじゃ、ないで──ないよ」
口にしかけた他人行儀な言葉を呑み込んで、友達としての言葉に変えてくれた。それからナディちゃんは恐る恐るといった様子で口を開く。
「ミズハ……ちゃん」
「あ~、こっちにはちゃん付けしなくても」
「私だけはずるいよ」
それを言われたら反論できない。そもそも大事なのは呼び方じゃなくて友達になってくれるかどうかだ。敬語もやめてくれたし、結果オーライだ。
「お姉様、明日のご予定はもう決まっているのですか?」
「さすがに休ませてもらおうかなって思ってる。遠征後でちょっとくたくただしね」
「そう、ですか」
しゅんと目線を下げるシア。どこか残念そうだ。
「どうしたの? なにかあった?」
「最近、王都内にとても綺麗な花が咲きはじめたらしく、一緒に見にいけたらと思ったのです」
「あ、そういうこと。いいよ、行く行く」
「いいのですか? お疲れで休みたいのでは」
「大丈夫大丈夫。べつに走り回るわけじゃないし」
厳密にはゾンビとの触れ合いがなければ問題なしだ。
「よかったらナディさんも一緒に行かない?」
「でも、2人の邪魔になると思うし」
「お姉様のご友人であれば、わたくしも大歓迎です!」
あえて〝ご友人〟の箇所を強調して言うあたりさすがシアだ。言い訳を失ったナディが観念したように頷いた。満足気に微笑んだシアがさらなる提案をしてくる。
「よければ王都の案内もして差し上げるのはどうでしょう?」
「いいね、それ」
「えと、そこまでしてもらうのは」
「友達に遠慮はなしだよ、ナディちゃん」
いま以上に友達という言葉を素敵だと思ったことはない。ずっとこわばったまま笑顔を見せなかったナディちゃんが目を瞬かせたのち、ほんのりと笑みを向けてくれた。
「う、うん。聖女様……じゃなくてミズハちゃん」




