◆最終話『ゾンビだらけの世界でも』
翌朝、レックスと一緒に私はヴィタンタに乗り、女神様のもとへと向かっていた。ほかには誰もいない。邪神消滅により危険度が大幅に下がったので護衛をぞろぞろと引き連れる必要がなかったのだ。
今日はレックスと必要最低限の会話しかしていなかった。おかげでヴィアンタの足音や葉擦れの音がよく聞こえる。森の中に入ってからほどなくして、木々が無残な姿で散らばる地帯に入った。地面にはあちこち窪みができている。昨日、巨人ゾンビが暴れた場所だ。
奥のほうにはジェラさんの小屋が見えた。近くで馬を繋ぎ、降りる。
「また地下にいるのかな」
「どうでしょうか」
扉を開けると、やたらと眩しい光が目をついた。うわっ、と思わず腕で目を塞いでしまう。
「随分と早い到着でしたね」
ゆっくり腕を退かすと、女神様が映り込んだ。椅子に座って優雅にティーカップを手にしている。室内に漂う香り高い匂い。いかにも美味しい紅茶が入っていますよと言わんばかりだ。レックスがぽつりと一言。
「……とてもくつろいでいますね」
「そ、その、あまりにも暇だったので……」
女神様は慌ててティーカップを置くと、ばつが悪そうに笑う。たしかにこんななにもないところだけど、女神様が暇をもてあまして紅茶を飲んでいるとは思いもしなかった。そもそもどうやって用意したのかと問いただしたい。私はじーっと見つめる。
「なんとか留まってみるって言ってましたけど、実は余裕あるんじゃ」
「そんなことはないですよ。これでもギリギリなんです」
威厳を保とうと胸を張る。思っていた以上に女神様は俗っぽいのかもしれない。私の呆れた視線に居心地が悪くなったのか、女神様がすっくと立ち上がる。
「そ、それよりです! ……返事を聞いてもよろしいですか?」
無理矢理だけど、いきなり本題に入ってきた。「はい」と私は頷く。答えは昨日のうちに出している。もう迷うことはない。
「私は元の世界に――」
「ミズハ様っ!」
突然、レックスによって遮られた。あまりに唐突だったうえ、大声だったので私は思わず目をぱちくりとしてしまう。
「……レ、レックス?」
「申し訳ありません」
俯いたかと思うや、レックスは再び顔を上げ、真剣な眼差しを向けてきた。
「ミズハ様にはミズハ様の世界がある。それはわかっています。本来、騎士は主に尽くすべき存在。このようなことは許されざる行為だと重々承知しています。ですが、それでも私は……」
三拍ほど間を置いてから、静かに、力強く言葉を紡ぐ。
「ミズハ様のそばにいたいと思っています」
なにかが私の中を突き抜けていくような、そんな感覚に見舞われた。レックスの綺麗な瞳が真っ直ぐ私を射抜いてくる。なんだか恥ずかしい。でも、なぜか目をそらせない。
「ミズハ様がご自分の世界に戻られると言うのなら私も共に参ります。いえ、行かせてください」
「レックス……」
まさかそこまで慕ってくれているとは。レックスの騎士としての誓いは私が思っていた以上に強く、その心に打ち付けられていたみたいだ。
「それはできません」
女神様がぴしゃりと言い放った。凛々しかったレックスの顔が途端に翳りはじめる。
「……なぜですか?」
「彼女を連れてきた私が言えたことではないのですが、世界の行き来は本来許されざる行為。新たにあなたを送ることはしません」
「そんな……では私は、私はどうすれば……っ!」
レックスが俯き、首を横に振る。声の端々からも懊悩のほどが痛いほど伝わってきた。ただ、私にはレックスのような緊迫感はなかった。今生の別れになるとは思っていなかったからだ。私はばつの悪さを若干感じながら、なるべく優しく話しかける。
「なんだか予想外の展開でちょっと戸惑ってるんだけど……あのね、レックス」
「……はい」
「私、戻るつもりないよ?」
「そう、ですか……そうですよね。やはり生まれ育った世界のほうが大事なのは当然のこと。たかだか数週間いた程度の世界に愛着が湧いて残ろうと考えるのは頭がおかしいとしか――って、残られるのですか!?」
少しの間現実逃避してから、ようやく気づいたらしい。
「うん。頭おかしくてごめんね?」
「あ、いえ。それはその……申し訳ありませんっ。っと、それよりも! 本当の本当に残られるのですかっ!?」
「うん」
「な、なぜ……」
いまだに信じられないようだ。ぶっちゃけてしまうと、私自身も信じられないと思う気持ちはある。でも、ちゃんと自分で考えて決めたことだった。
「レックスの言うとおり残るなんて考えるほうがおかしいと思う。王都の周りを浄化したとはいっても、まだまだゾンビだらけで腐った世界みたいだし。正直、衣食住のどれを取っても元の世界のほうが快適だしね」
「ならば、なおさら――」
「でもなんていうのかな……愛着? みたいなの沸いちゃったんだよね。辛くて怖い思いしてやっとのことで手に入れた環境ってのもあるかもだけど。復興していくグランツ王国を見て、思ったんだ。私も、ここの一部なんだなって」
――やりたいこと。いつかどこかで見つかればいいなぁ。なんてユルユルと過ごしてきたけど、ようやく見つかったのだ。まさか異世界で、それも環境最悪な場所でとは思いもしなかったけど。
生まれてこの方、事なかれ主義だと思っていただけにこの決断には自分でもびっくりだ。でも後悔だけはない。
「ですが、それではご家族と会うことは……」
「それなんだけど……」
私は女神様のほうへと向き直る。
「いまは腐った世界をもとに戻すから余裕がない。でも、もとに戻したら余裕ができるよって女神様の言葉。これ、事が済んだら私を行き来させる分の余力はできるってことですよね?」
「そ、そこに気づいてしまいましたか」
「ふっふっふ」
と自慢気に語ってみせたけど、実は今朝、お城を出る前にさりげなくピーノくんが助言してくれたのだ。ピーノくん、ありがとう!
「ですが、先ほども伝えた通り世界間の行き来は――」
「人のこと勝手に連れて来ておいて、それはないんじゃないかなって思うんですけど、そこのところどう思いますか? 女神様」
「うっ」
「それに私はもう一回しちゃったんだし、二回も三回も一緒ですよ」
「ま、まるで犯罪者のような思考……」
こっちは死にそうな体験をさせられたのだ。これぐらいの我侭は許して欲しい。
「きっと頻繁に行き来はできませんよ。いくら万全の状態でも相当に力を使うので」
「充分です」
「世界が正常に戻るまでどれほどのときを要するかわかりません。それでもよいのですか?」
「はい。もう決めたので」
「決意は固いようですね。わかりました。ですが、一つだけ条件があります」
まさかの条件付き。対価が対価だけにどんな要求が来るのかと思わず身構えてしまう。
「いま、あなたの中にある私の力。もとの世界へ送り届ける際に返していただくつもりでしたが……あなたに預けたままにします」
「えっと、もしかして浄化を手伝えってことですか?」
「察しが早くて助かります」
なんだそんなことかぁ、と私は心の中で安堵した。
「わかりました」
「あっさり……ですね?」
「だって、もとよりそのつもりでしたし」
女神様から頼まれなければ私から手伝わせて欲しいとお願いするつもりだった。それが、私のやりたいと思ったことにも繋がるからだ。女神様が柔らかく微笑む。
「やっぱり、あなたを選んで正解でした」
「女神様特典、とことん使わせてもらいますのでっ」
私の開き直った言葉に女神様がクスリと笑みを零した。昨日、女神様が私と心が近いと言っていたけど、いまならなんとなくわかる気がする。他人じゃない。そう思える親しみを感じる。
「では行きますね」
どこへでもない。これから女神様は世界を維持するために世界の一部となる。
「またいつか」
「はい。世界が正常に戻った、そのときに」
その言葉を最後に女神様の身体から閃光が放たれた。やがて光が収まったとき、そこにはもう女神様はいなかった。
「行ってしまわれましたね」
「……うん」
しばらくの間、私たちは女神様がいたところを見つめていた。たとえ、消えることが正常だったとしても、ついさっきまでいた人がいなくなるのは寂しい。とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかない。それにいまは一刻も早くなにかをしたい気持ちで一杯だった。
「それじゃ、帰ろっか。私たちの国へ!」
◆◆◆◆◆
王都の大通りは沢山の人で埋め尽くされていた。この世界に来てから、ここまで多くの人を一度に見たことがない。王都にゾンビが蔓延っていたときも相当な密度だったけど、いまはそれ以上だ。
「ほんとすごい数。こんなにいたんだ……」
「みな、お姉様のおかげで人の姿に戻れたのですよ」
「そう思うと感慨深いけど、それ以上に驚きかも」
私はシアと手を繋いで歩いていた。そばにはレックスやユリアンさん、クルトさん。ほかにも数名の騎士が控えていることもあって人の波に潰される心配はない。
正午から邪神討伐を祝って祭りが催されていた。ただ祭りと言っても私が知っているものとは全然違う。食べ物を売っている露店は幾つか出ているけど、環境が環境なだけに決して豪勢なものじゃない。量だって充分じゃない。それでも各人が楽しむことを主眼においているのか、大いに盛り上がっていた。
「みんな楽しそう」
「グランツの民は元気が取り得ですから」
「これならきっとすぐに復興できるよ」
「はいっ。わたくしも王女として出来ることを精一杯頑張ろうと思います!」
時が過ぎるのは早いもので女神様と別れてから一ヶ月が経った。まだまだボロボロな区域はあるけど、着々と修復が進んでいる。食糧に関しては、当面は私の唾液で繋ぐ必要があるけど、作物が安定して収穫できるようになればお役ごめんになる見込みらしい。急かすつもりはないけど、私の尊厳維持のためにもぜひとも大急ぎで頑張ってもらいたい。
「聖女様!」
ふと数人の民たちが道の脇から声をかけてきた。
「いつも美味しいお水をお恵み下さり、ありがとうございます……!」
「俺たちが農家をやっていけるのも聖女様のおかげです」
彼らだけに留まらず、行きがけに沢山の人から感謝される。あまりに大袈裟で「ど、ども~」なんて微妙な反応をしてしまったけど、悪い気がしないのはたしかだ。そうして民たちに手を振っていると、レックスが後ろから声をかけてくる。
「もうすっかり聖女が板についてきましたね」
「さすがにこれだけ言われると慣れてきちゃったよ……」
女神様とお別れをしてから間もなくのこと。回復した国王様、王妃様に会うことになったのだけど……グランツ王国を救ったことに溢れんばかりの感謝を受けた。さらになにを思ったか、私を聖女として認めるなんて言い出したのだ。
もちろん最初はやめて欲しいと全力でお願いしたけど、ピーノくんの「聖女の肩書きがあれば色々と動きやすくなるぞ」という助言を受けて結局、頷くことにした。たしかに今後、グランツ王国の復興を助けるにはある程度の立場であったほうが動き安いのも事実だと思ったからだ
「あれ、姉御じゃないっすか!」
聞こえた弾むような声。その先を辿ると、ロッソさんの姿を見つけた。手前には大きな台が置かれ、上には沢山のパンが並んでいる。
「ロッソさん? お店、出してたんだ」
「ちょうどいい機会だったんで、ここらで儲けをと思って。へへ」
「お兄ちゃんってば! 誤解されるようなこと言わないでよ!」
そうロッソさんを窘めたのは隣に立つ少女だ。年齢はシアよりも少し上なぐらい。肩口まで伸びた赤毛とくりっとした愛らしい目が特徴的だ。
「すんません。紹介がまだでした。うちの妹のメイベルっす」
「は、初めまして聖女様っ。兄がお世話になっております」
かなり慌てていたのか、メイベルちゃんは頭を下げた拍子に台に額をぶつけてしまった。かなりドジっこらしい。羞恥心と痛みで涙目のメイベルちゃん。どうにかして気を紛らわしてあげないと――。
「そうだ。この間もらったパン、すごく美味しかったよ」
「本当ですか!? ありがとうございますありが――」
ゴンッ。とまたもや頭をぶつけていた。うぅ、と額を押さえるメイベルちゃんを見て、ロッソさんが笑う。
「こいつ、俺の話を聞いてから姉御の虜なんすよ」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃんっ! うぅ……」
そのままロッソさんを殴るかと思いきや、私のほうをちらりと窺ってから恥ずかしそうに俯いてしまった。……どうやら本当の話らしい。
「ちなみにどんなこと話したの?」
「そりゃ、姉御の張り手のことっすよ。迫りくるゾンビをバシンバシンと力強く吹っ飛ばしては浄化。あんな芸当、普通じゃできやしねえっすから。ほんと尊敬しやす!」
「あ、あはは……あのねメイベルちゃん。ロッソさんの話、盛りまくってるし、実際はもっと優しく触ってるからね?」
「で、でも私のときはすごかったです……っ!」
まさかの経験者だった。……今後はもっと気をつけて浄化しよう。なんて反省を心の中でしていると、後ろのほうがざわつきはじめた。
「ミッズハァーッ!」
「うわ出た」
確認しなくても誰だかわかるようになってしまったのが悔しい。私は片頬を引きつらせながらロッソさんに訊いてみる。
「やっぱり、あの人?」
「ええ。いつものあいつっすね」
ロッソさんが肩をすくめながら答えた。私は観念して振り返ると、思った通りの人――キースさんがいた。騎士の人たちが阻んでくれるおかげで近寄れないようだけど、花束を掲げながらもがいている。
「今日こそ僕の愛を受け取ってもらうよ!」
「……本当にめげませんね」
「めげるわけないさ! だって最後には僕と結ばれると決まっているからね!」
邪神がいなくなってからというもの、大体二日に一回はこれに近しい言葉を聞かされている。よくもまあ飽きないものだと思う。私が冷ややかな視線を送っていると、シアが物凄く嫌そうな顔で訊いてくる。
「そうなのですか、お姉様?」
「いやいやっ。この人の妄想だから信じないで」
「もしかして迷惑してらっしゃるのですか?」
「うん。結構」
「わかりました。ユリアンさん、クルトさん」
シアの言葉を受け、ユリアンさんたちがキースさんの両腕をがっちりと固めた。
「な、なにをするっ」
「殿下の御命令です。素直に従ってください」
「僕にこんな真似をして許されると思っているのか!? くそっ、放せ! ミッズハー! ミッズハァアーッ!」
無情にも引きずられ、やがてキースさんの姿は見えなくなった。私の名前を呼ぶ声だけはしばらく聞こえていたけど。恥ずかしいので本当にやめて欲しい。
「行きましょう、お姉様っ」
シアが満面の笑みで私の手を引いてくる。何事もなかったかのようなその振る舞いに少し寒気がしたのは内緒だ。それからしばらくの間、城下町を回った。色んなものを食べて色んな人と話をして。はっきり言って娯楽のバリエーションはなかったけど、どこへ行っても笑顔になることができた。
大通りの端まで到達したあと、シアが歩き疲れで城に戻ったのでレックスと二人きりになった。外壁に上がったあと、私は腰を下ろして足を投げ出した。うっすらと黒ずみはじめた空の下、町ではまだ祭りの余韻のせいか、ちらほらと人の姿が見える。
「後悔していませんか?」
「んー? なにがー?」
レックスがなにを言いたいのかはわかっている。
「いえ、その……」
「してないよ」
私は足をぶらぶらとさせながら話を継ぐ。
「そりゃあ、いまだに慣れないことも嫌だなって思うことも沢山あるけど。でも、それ以上にこの世界で得られるものが多いんだよね」
グランツ王国の復興を通じて強く感じられる人と人との繋がり。元の世界でもそれを感じられる場所はどこかにあったかもしれない。けど、私にとってのその場所はここだった。この世界でなら私は人として成長できると思ったのだ。
「それともレックスには私が後悔してるように見える?」
「……とても楽しそうに見えます」
「でしょ」
私はすっくと立ち上がると、お尻についた砂埃を両手で払った。くるりと振り返り、レックスに向きなおる。
「あとはゾンビの臭いだけどうにかなれば最高かな」
「そればかりはどうにもできませんが……ゾンビからは必ずお護りします」
「ゾンビだけ?」
「いいえ。ミズハ様に害をなすすべてからお護りします」
そんな恥ずかしい台詞を照れずに言ってくるからずるい。こっちは照れ隠しに笑うので一杯一杯だ。ふと、こそばゆくも温かい感覚が胸に満ちるのを感じた。私は胸に手を当てる。世界に残った一番の理由……悔しいから当分の間は内緒にしておこうと思った。
ふいに悲鳴が聞こえてきた。声の出所を見つけるのは簡単だった。大通りから逃げ惑う人々。その背中を辿った先、一体のゾンビが闊歩している。まだ夜じゃないのでゾンビが外壁を越えることはない。おまけに門も閉まっているとなれば原因は一つしかない。
「えぇ、昨日握手会したばっかりなのにっ」
「最近はゾンビが出ていませんでしたから、問題ないと勝手に判断してしまったのかもしれません……」
「とにかく急いで浄化しないと。行くよ、レックス!」
「はい!」
レックスに続いて私は階段のほうへと駆け出した。もう慣れたもので昼間のゾンビ一体程度ならまったく怖くない。でも、それは前に大きな背中があるからだ。
「ねー、レックス! これからもよろしくね!」
「いきなりどうされたのですかっ!?」
「なんとなくいま言いたい気分だったの!」
レックスが走りながら肩越しに振り返る。
「もちろんです、私はミズハ様の騎士ですから!」
予想通りの返事に思わず笑ってしまう。よくもまぁ恥ずかしげもなくそんなことを言えると思う。けど、だからこそ私は安心して前に進むことができる。きっとそれは今後も変わらない。たとえ、このゾンビだらけの腐った世界でも――。
「うん、頼りにしてるっ!」
最後までお読み下さりありがとうございます。
おかげさまで最後まで楽しく書くことができました。