◆第三十五話『本当に色々なことがあった』
王都に凱旋した、その日の夜。
「どうだった?」
王様の寝室から出てきたシアに私は問いかけた。隣ではピーノくんが同じように返答を待っている。
「意識ははっきりとしています。まだ歩くことはできないようですが、しばらくすればまた元気に歩けるそうです」
「そっか、良かったぁ~」
心底ほっとした。いくら治癒の力を使ったとはいえ、かなり憔悴した状態だった。無事で本当に良かった。シアが深く頭を下げる。
「お姉様……本当にありがとうございます」
「私はただゾンビ触ってただけだよ。頑張ったのは一緒に来てくれたみんな。遭遇したでっかいゾンビを倒せたのもピーノくんのおかげだしね」
「そうだったのですか。さすがピーノ様です」
「き、気にするな。僕はただ助言をしただけだ」
「いいえ。そうはいきません」
シアが首を横に振ると、ピーノくんの手を両手で握る。
「ありがとうございます。このご恩はいずれお返しいたします」
「あ、ああ……」
ピーノくん硬直。なんてわかりやすい反応だ。
「あの……それでお姉様」
シアがピーノくんから離れ、窺うような目を向けてきた。
「うん、わかってる。しばらくご両親のそばにいたいんだよね」
「まだ帰って来てくれたことが信じられなくて」
「いてあげて。そのほうがきっと二人も安心すると思うよ」
「はいっ」
良い笑顔だ。よっぽど嬉しかったに違いない。それでは失礼します、と別れを告げたシアが王様の寝室へと戻った。二人きりになったのを機に私はニヤニヤしながらピーノくんを見やる。
「……なんだ、その顔は」
「ん~? べっつに~っ」
「なにを勘違いしているのか知らないが、僕は彼女のことをなにも思っちゃいないぞ」
「そういうことにしておきます」
ピーノくんが舌打ちをした。かと思うや、ため息をついて真面目な顔になった。
「それより言わなくていいのか?」
「ん、なにを?」
「ここでとぼけるか」
元の世界に戻るかどうか。女神様から選択を迫られたことをシアには話していない。
「ありがとね」
「フン、僕には関係のないことだしな。まあ、仮にいなくなったら少し退屈になるかもしれないが……きみの人生だ。勝手にすればいい」
そう吐き捨てると、ピーノくんは私に背を向けて歩き出した。小さな背中を見送りながら、私は苦笑する。
「素直じゃないなぁ」
◆◆◆◆◆
お城の三階にある庭に来ていた。縁に両腕を置いて城下町を見下ろす。消灯が原則とあって光はどこにも見当たらない。ただ目が慣れたせいか、建物はうっすらと判別できる。
「こんなところにいらしたのですか」
後ろから聞こえてきた。この声はレックスだ。見ずともわかる。
「風邪を引かれますよ」
「もうちょっとだけ」
「……答えは出たのですか」
元の世界に帰るかどうかについてだろう。
「ここに来てからのこと、ずっと考えてたんだ」
夜風が吹き、髪がなびいた。かきあげるようにして耳にかける。
「目が覚めたら周りは毒の湖だし、臭いし。なにがなんだかわからないって混乱してたらゾンビも来るし。もうほんとにびっくりだった」
「あのときの強烈な一撃はいまでも忘れません」
「しょ、しょうがないでしょ。いきなりだったんだからっ」
あのときはもう臭くてたまらなくて。とにかく遠ざけたい一心だった気がする。
「ですが、そのおかげでミズハ様に浄化の力があることがわかりました」
「そのあとは最悪だったけどね」
「唾液ですか?」
「いまでも恥ずかしいんだからね。誰かさんのせいで唾液の女神様なんて言われるし」
「みなの中では蔑称ではなく敬称ですよ」
「だから余計にタチが悪いんだよね……」
グランツ王国民は頭のネジが外れている人が多い。良い人なんだけども。
「それからシアと出逢って王都を目指すことになったけど……さて、ここで質問です。すご~く無茶なことしたと思うんですけど、そこのところ改めてどう思いますか、レックス・アーヴァインさん?」
「あ、あれは……私も少々無茶なことをしたなと反省しています……」
「本当だよ。うまくいったから良かったけど、誰かゾンビになっちゃってもおかしくなかったからね」
「……返す言葉もありません」
言うほど責めるつもりはない。ただ、すごく怖かったのでお返しの意地悪だ。
「ま、それでもなんとかお城を取り返せたんだけど。そのあとだよね」
「まさか夜にゾンビが活性化するとは思いもしませんでした」
「うん。命からがら逃げ延びられたのも本当に運が良かった」
シアの寝室から抜け道へと入ったときの記憶がふと蘇る。ゾンビを部屋の入口で阻むレックスの大きな背中。そして再び寝室に戻ってきたとき、ゾンビになってもなお抜け道を護ろうとしていたレックス――。
「あのときのレックス、ちょっと格好良かったよ」
「……ただただ必死でした。お二人を護らなければ、と」
「ありがと」
「いえ」
騎士だから当然といった様子だ。
「そこからはようやく落ち着いて浄化できて。どんどん人も増えていって」
「ただ順調かと思いきや別の問題が生まれましたね。盗みを働く者が現れたりと」
「ロッソさんか~……私的にはイーリスの誘拐が強烈だったかな」
「その節は申し訳ありませんでした」
「いいよいいよ。結果的に助かったし」
当時じゃ考えられないほど、いまのイーリスは素直だ。時折、というか見張っていないと危なっかしいのは変わらないけど。
「短い間だったけど、ほんと色々あったね」
「……はい」
「正直、ゾンビまみれで最悪な出来事が沢山だったけど、それと同じぐらい……ううん、それ以上に素敵な出会いがあったなぁって」
レックスやシア。オデンさんにピーノくん。それからロッソさん、イーリス。クルトさん、ユリアンさん。彼ら以外にも握手会で沢山の人と知り合うことができた。元の世界にいたときには考えられないほど輪が広がった気がする。
「楽しかった。本当に楽しかった。この世界に来て良かったって心の底から思ってる」
私は振り返って、その言葉を笑顔で伝えた。意図はない。ただ、なんとなくレックスに向かって言いたいと思ったのだ。
「それじゃ、もう寝るね」
「はい。おやすみなさいませ」
私はレックスの横を通り過ぎ、奥の柱廊へと向かう。
「ミズハ様っ!」
突然、大声で呼ばれた。振り返ると、レックスがなにやら切羽詰ったような顔をしていた。私は首を傾げる。
「うん?」
「いえ……なにも」
下唇をかみながらレックスが目をそらす。わなわなと震える体。強く握られた拳。いま、レックスがなにを思っているのか。思い違いじゃなければ、きっと――。私は小さく息を吐いてから、また笑みを浮かべた。
「明日も護衛、お願いできるかな?」
「……はい、もちろんです」