◆第三十四話『本物が出た』
「もう、人に危害を加えたらダメって言ったでしょ」
「だって、そのオバサン、女神様を襲って――」
「ダメなものはダメ」
「うぅ……っ」
正座したイーリスにお説教をしたあと、私は軽く息を吐いて気持ちを切り替えた。
「でも助けてくれたのは事実だから……」
イーリスが大好きな頭ナデナデをする。
「ありがとう。正直、イーリスが助けてくれなかったら私、死んでたかも」
「えへへ……イーリス寵愛されてるです」
本当にわかっているのか謎だけど――命を助けてもらったのは事実だ。いまは感謝の気持ちを込めて精一杯甘やかしてあげよう。そう思いながら優しく撫でていると、ほかの信者たちが恐る恐る近づいてきた。
「あ、あの……わ、我らも女神様の像を投げました。ので!」
「ので?」
「その、ナデナデを……」
揃ってもじもじしはじめた信者たちに、私は細めた目を向ける。
「さっきの話聞いてなかった? 危ないって言ったよね。ていうかいくらなんでも皆が皆投げたら危ないでしょっ。イーリス以外、外れたから良かったものの……」
「く……明日からは投擲訓練を――」
「し・な・い」
「はい」
まったくもって危ない集団だ。以前は見逃してもらったけど、これは本格的に取り締まってもらったほうが世のため人のためかもしれない。はぁとため息をつきながら、ちらりと目をそらす。その先で気絶中のジェラさんが兵士たちによって縄で縛られていた。大事をとって治癒の力も使ったし、怪我の心配はないはずだ。
「いました! 陛下です!」
レックスが愛の巣、もとい小屋から顔を出した。安全確認もかねて先に入ってもらっていたのだ。ピーノくんやオデンさんと一緒に私は中へと入る。
「すごい埃だな」
「カビの臭いもすごいね」
質素な机や椅子が置かれているだけで、おそろしく生活感がない。私だったらこんなところで過ごせる気がしない。と、隅のほうでレックスを見つけた。憔悴しきった男の人を支えている。
「陛下っ!」
オデンさんが弾かれるようにして憔悴した人に駆け寄った。どうやらその人が王様で間違いないみたいだ。王様の唇がゆっくりと開かれる。
「オデンよ。よくやってくれた……」
「みなのおかげです」
「シアは……シアは無事か?」
「はい。いまは城におられます」
「……そうか」
安心したように笑みを浮かべたかと思うや、王様は真顔になった。
「ときにオデンよ。私の一世一代の言葉を皆に聞かせて楽しかったか?」
「…………陛下、まだ意識がはっきりとなさらぬ様子。城に戻るまで、いまはごゆるりとお休みに――」
「オデン。あとで覚えておれよ」
「は、はい……」
あのオデンさんも国王の前では形無しらしい。私とピーノくんがこっそり笑う中、王様が部屋の角へと視線を向けた。そこには下へと続く階段がある。
「その先にリアと……邪神がいる」
「あとはお任せください」
レックスが頷くと、王様は安心したように目を閉じた。気を失ったのだろう。ほかの兵士に王様のことを任せ、レックスが立ち上がる。
「行きましょう」
◆◆◆◆◆
地下には二本の蝋燭しか灯がなかった。薄暗くて隅々まで把握できない。と、一人の女性が壁に貼りつけるようにして手足を鎖で繋がれていた。
「リア様っ!」
レックスがそばへと駆け寄る。どうやらあの人がシアのお母さんらしい。たしかに髪の色は同じだし、どことなく顔も面影がある。ただ、王様と違って怪我だらけだ。あまりに惨くて思わず目をそらしそうになってしまう。
「ミズハ様」
「うん」
私の治癒は体力や病気の回復はできない。ただ、怪我なら治すことはできる。左手でリア様に触れると、体中に刻まれた傷がみるみるうちに癒えていった。意識は戻っていないけど、呼吸は穏やかになった気がする。
「ジェラは負けたか」
低音が幾つも重なり合ったような声が聞こえてきた。声のした部屋の最奥でぼんやりとした影が揺れる。輪郭は鮮明じゃないけど、どこか人を思わせる形状だ。「地下にリア様と邪神がいる」とさっき王様が言っていた。レックスとオデンさんが剣を構える。
「剣を収めろ。どうせいまのオレに抵抗する力はない」
「……我々を騙す気か?」
いっそう警戒を強めるオデンさんとは相反して、ピーノくんは落ち着いていた。
「あの女では貴様を満足に蘇らせられなかったか」
「そっちのちっこいのは話せるみたいだな」
フンと鼻を鳴らして答えるピーノくん。邪神相手でも相変わらずの態度だ。
「あの女を介してしか力を行使できなかった、といったところか。道理で襲撃が甘いわけだ」
「オレが完全だったら今頃お前らはここに立ってない。いや、そもそもサディアに対抗策も取らせはしなかった」
揺らめく影の中、目と思しき二つの紫光が私を射抜いてくる。
「おい、そこの」
「わ、私!?」
「お前以外にいねぇだろ。サディアの力をもらった女」
私の力は女神様のものではないのか。そんな考えをピーノくんから聞かされたことがあったけど、どうやらその通りのようだ。
「さっさとやれ」
「やれって、なにを……?」
「浄化に決まってんだろ」
私は思わずきょとんとしてしまう。
「え、いいの? そんな簡単に許しちゃって」
「こんなクソみてぇな状態で残るぐらいなら、さっさと消えたほうがマシだ」
なんと潔い。姑息で陰険なイメージを勝手に膨らませていたこともあって意外も意外だ。もしかしたら悪い人じゃないかも? なんて考えが一瞬脳裏を過ぎったけど、ブンブンと頭を振る。この邪神がいなければそもそも世界は腐らなかったのだ。同情なんてする必要はない。私は邪神へと近寄り、右手を伸ばす。
「じゃ、じゃあ失礼して」
「……おい。次あったら容赦しねぇからな」
ドスのきいた声。さっき悪い人じゃないかもなんて一瞬でも思った自分がバカだ。やっぱり悪い人だ。ヒィッと短い悲鳴を漏らしながら私は右手を伸ばし、邪神の影に触れた。途端、部屋の最奥を閉めていた影が大きく揺らぎ、ついには私の右手から生まれた光によってかき消される。
やがて部屋に満ちた眩い光が弱まると、私はみんなと揃って目を見開いた。部屋の最奥に恐ろしく綺麗な女性が立っていたのだ。とてもこの世の存在とは思えない。それを裏付けるように背後ではハローっぽい光が輝いている。
「みな、よくやってくれました」
透き通るような声で女性が言った。オデンさんが震える口で問う。
「もしや女神サディア……なのですか?」
「あなた方の間ではそのように呼ばれているようです」
その返答にオデンさんとレックスが感嘆の声を漏らした。あのピーノくんでさえも少し驚いているように見える。私はというとあまり驚きはなかった。現れた瞬間、この人が女神様だと感じていたからかもしれない。
「あの~、質問が……私をこの世界に連れてきたのってやっぱり女神様なんですか?」
もし会えたらいの一番に訊こうと思っていたことだ。女神様が眉尻を下げる。
「はい。あなたには沢山の苦労をかけてしましたね」
「そうですね。ゾンビだらけの世界に一人放り出されて……いきなり殺されかけたり女神様と間違えられて拘束されそうになったり」
「うっ」
「あ、責めるつもりはないんです。水を浄化するのに唾液を出すなんてこともしないといけませんでしたけど、まったく、これっぽっちも責めてません」
「うぅ……」
女神様がどんどん縮こまっていく。ピーノくんが「容赦ないな」と小声で言ってくる。こんなことをしておいてなんだけど、本当に女神様を恨んだりはしていない。ちょっとした仕返しだ。
「ただ、できれば説明して欲しかったなぁと」
「ご、ごめんなさい。あなたをこの世界に呼び、力を授けるだけで精一杯だったのです」
「でも、どうして私なんですか? 自分で言うのもなんですけど、もっと適任の人がいたんじゃないかなと」
女神様が穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。あなたしかいませんでした。あなたの心がもっとも私に近かった」
「私が……女神様に似てる……」
聖人のような清い心を持ってはいない。それでも女神様と同じと言われると悪い気はしないどころか、ちょっと嬉しい。そうして私が少し悦に浸っていると、そばから誰かがひょこっと顔を出した。
「やっぱり女神様は女神様でした! イーリスは間違っていなかったのです!」
「イーリス!? 外で待っててって言ったのに……!」
「うっ、すごい光が外に漏れたので気になって――」
「口閉じて静かにしてる」
「は、はいですっ」
イーリスが正座をして両手で口を押さえる。女神女神と騒がしいイーリスのことだ。こんなことになるのではと思って外で待っていてもらったのだけど、どうやら無駄に終わったようだ。ピーノくんが難しい顔をしながら女神様に問いかける。
「一つ訊きたいことがある。ディアロが表に出たのは、やはり女神の力が弱っていたからか? あのジェラという女の力だけで呼び起こせるとはどうにも思えなくてな」
「察しの通りです。大きな原因はトルシュターナとラダンです」
そのやり取りの裏で、私はレックスにこっそり質問する。
「ねえ、トルシュターナとラダンって?」
「どちらもグランツと並ぶ大国です。そして両国は長年に渡って争っていました」
以前、シアが争っている二つの国があると言っていた。どうやら、その国のことだったみたいだ。
「理解した。しかし、神ともあろう存在が世界のありように左右されるとはな」
ピーノくんの皮肉った物言いに女神様が困ったように笑う。怖いもの知らずなのはいいけど、さすがに女神様ぐらい敬ったほうがいいんじゃと思ってしまう。
「私が戻ったことでこれから世界は緩やかに浄化されていくでしょう」
「こう、一瞬で戻ったりはしないんですか?」
「先に話した通り、私の力はいま弱っている状態ですから」
女神様が「さて」と話を切り替えると、私に目を向けた。
「あなたは無事に役目を果たしてくれました。あなたが望むならいますぐにでも元の世界へと送りましょう」
私から切り出そうか迷っていたことだ。とはいえ、戻れるかどうかを知りたいだけで、最終的な決断はまだ自分の中でできていなかった。横目でレックスを見やると、目が合った。初めは複雑な表情をしていたレックスだけど、すぐに微笑を浮かべて頷く。後押しをしてくれているのだ。それはわかる。わかるけど――。
「あのっ……少し待ってもらうってことは出来ますか?」
「ミズハ様!?」
「あ、いや。なんというか……いきなり過ぎたから、ね」
帰る方向で話していたのだからレックスが驚くのも無理はない。なんだかばつが悪くて、私は逃げるように女神様へと視線を戻した。
「いまの私はこうして自らの意思で話し、力を行使することができます。ですが、本来は世界の一部として組み込まれた存在。力のすべては世界の維持のために使われます」
「つまり私を元の世界に戻す余裕はないってことですか?」
「少なくとも世界のすべてが浄化されるまでは」
浄化にどれほどのときを要するのか。私には計り知れない。ただ、女神様は弱っている。きっと途方もない時間がかかるに違いない。
「あなたを巻き込んでしまったのは私の責任です。一日……なんとかこの場に留まりましょう」
つまりその間に答えを出せということだろう。
「まだ名前を聞いていませんでしたね」
「……ミズハです」
「私が言えたことではありませんが……ミズハ、ゆっくりと考えて下さい。これはあなたの未来を大きく左右することになります」




