◆第三十三話『天罰です!』
「いやいやいやいやっ!」
少なくとも全長十メートル。ボンレスハムなんかよりもずっと大きい。当然、足の大きさも相応で踏まれでもしたら間違いなくぺしゃんこだ。
「あの小娘を狙うのよ! あいつさえいなくなれば世界は元通りになるわ!」
「やっぱり私かー!!」
知ってた。知ってたけど、いまほど予想が外れて欲しいと思ったことはない。レックスがすぐさまヴィアンタの腹を足で叩き、手綱を強く引いて反転させた。ズシンズシンと近づいてくる足音。ヴィアンタも頑張ってくれているけど、距離は縮まる一方だ。
いまのうちにジェラさんを誰かが抑えられれば――。そう思ったけど、どうやら相手も警戒していたらしい。両脇に土人形を二体従わせていた。どちらも黒い霧で包まれ、さっき戦った土人形とはどこか違う雰囲気だ。
と、巨人が屈むようにして右腕を払ってきた。レックスと一緒に出来る限り身を低くする。聞こえてくるバキバキメキメキという音。きっと枝葉が破壊される音だ。影が通り過ぎていった。どうやら直撃はまぬがれたようだ。
ただ、直後に猛烈な突風に襲われた。思わず体勢を崩してしまったけど、レックスの腕に支えられ、なんとか落ちずに済んだ。私はほっと息をついてから、すぐ後ろを見やる。いまだ巨人は追いかけてきている。
「このままじゃ追いつかれるっ」
後ろからではレックスの表情はわからない。けど、無言なことが打つ手なしであることを語っていた。
「聖女殿!」
ふと聞こえたのは戦場に似合わない幼い声だ。オデンさんとピーノくんを乗せた馬が併走してくる。
「ピーノくんっ!?」
「あの小屋に行け! そこなら奴も攻撃できないはずだ!」
たしかにジェラさんはあの小屋を『愛の巣』と言うほどだ。きっと巨人が壊そうとするなら止めるに違いない。王様を危険に曝すのはちょっと申し訳ないけど、このままじゃ巨人に踏まれて終わりの未来しかない。
「レックス!」
「了解です!」
またもやヴィアンタが反転する。立ちはだかる巨人ゾンビは近いこともあって視界に収まりきらない。改めて大きいと思う。きっと自分の足だったら恐怖で走れなかったに違いない。ヴィアンタに乗っていて良かったと心の底から思った。思ったのだけど、少し待って欲しい。どうしてヴィアンタは巨人に真っ直ぐ向かっているのか――。
「って、なんで迂回しないのッ!? 死ぬ! 死ぬ! 死ぬ!」
「股下を突き抜けます!」
「いぃぃいいやああああああああッ!」
私たちを踏み潰そうとしてか、巨人が右足を持ち上げる。大きな足が頭上から迫ってくる。あと少しで踏み潰される――直前に駆け抜けた。地面が激しく揺れる中、巨人の軸足となった左足のそばを通り過ぎていく。
「心臓がぁ……っ」
バクバクと鳴りっぱなしだ。大迫力もあってか、いままでにないほど死を目前にした気がする。
「ちょこまかとっ! さっさとやってしまいなさい!」
ジェラさんの指示によって巨人はなおも私たちを追いかけてくる。さっきの逃走で愛の巣こと小屋まで離れてしまった。戻るまで少し時間がかかる。その間にこちらの意図――小屋を盾にする作戦が悟られたら対策されてしまうかもしれない。そう心配していたけど、杞憂だった。オデンさんがジェラに向かって叫ぶ。
「聞け、ジェラとやら! 貴様は知らぬだろうが、陛下とリア様は大層仲が良かったぞ! それはもうグランツ王国始まって以来、最高の夫婦と言われるほどな!」
なるほど。国王と妃のラブラブっぷりを伝えて挑発するつもりのようだ。ただ、思いのほかジェラさんには効いていない。
「挑発のつもり!? そんな安いものじゃアタシは釣れないわよ!」
「酔った陛下から聞き出した、リア様への求婚の言葉を特別に教えてやろう! きみは誰よりも美しい! 心も、体も! たとえどれほどの距離があったとて私はきみを捜し出しただろう――」
「このクソジジイ! 嘘言ってんじゃないわよ! あの女がアタシより美しいはずがないでしょう! ぶっ殺すわよ!」
一時はどうなるやらと思ったけど、案外簡単に挑発に乗ってくれたようだ。ジェラさんがある意味でオデンさんにお熱となっている間、どうにか私たちは通称〝愛の巣〟にあと少しというところまでやってきた。もう気づかれても問題ない。というか気づいてもらわないと困る。
「あのー! このデカイの、このまま進ませてもいいんですかーっ!」
「ハァッ!? 良いに決まってるでしょ! そう、そのまま! そのまま小娘を押し潰して――って、良くないわよ! ちょっと待ちなさいッ! 待ってッ! 愛の巣ぅううううッ!」
ジェラさんの絶叫によってすでに持ち上がっていた巨人の足がピタリと止まる。予想以上に気づかれるのが遅くて内心ドキドキだったのは内緒だ。ジェラさんも心底安堵したように息を吐いている。その隙にヴィアンタが巨人の足下まで素早く移動してくれた。
「えいっ」
私は巨人の足にペチっと触れる。とその大きな身体が眩い光を放ち始める。規模が規模なだけに辺り一面、真っ白だ。ただ、ジェラさんの「謀ったわね小娘ぇえええ!」という怒り狂った叫びだけはしっかりと聞こえてきた。
光が止んだ直後、巨人の身体にまるでパズルのような切り目が走った。次いでそれぞれが離れ、多種の動物となってボトボトと落ちてくる。どれもピンク色の粘液まみれだ。気持ち悪くて出来れば近づきたくない。うぇえ、と思わず声を漏らしてしまう。
「一時はどうなるかと思いましたが……」
「なんとかなったね」
「はい。これもヴィアンタのおかげです」
レックスがヴィアンタを優しく撫でた、そのとき。ジェラさんを護衛していた――黒霧人形が物凄い速さで接近してきた。地を這うように迫り、ヴィアンタの足を掴む。突然のことに驚いたヴィアンタが暴れ、レックス共々私は投げ出されてしまう。
「ミズハ様っ!」
レックスが身を挺して私を守ってくれる。おかげで体を地面に打ち付けることはなかったけど、さらなる危険が目前に迫っていた。もう一体の黒霧人形が飛び込んできたのだ。レックスがとっさに抜いた剣を横に構え、受け止める。
「レックス!」
かなりの重圧みたいだ。レックスの顔はひどく険しい。すぐにでも私が触れて、浄化しないと――。そう思った矢先、またも迫る気配があった。
「お前さえ殺せば、すべてはまた元通りにッ!」
まるで黒い霧に押し出されるようにして、ジェラさんがレックスの脇を抜け、肉迫してきた。鋭利な刃物のように長い爪が私の首に迫る。あまりにも速すぎて逃げる間もない。そんな……やっとここまで来たのに!
諦観から目を瞑った、瞬間。ゴンッと鈍い音がした。いったい何事か。すぐに目を開けると、なぜかジェラさんが倒れていた。視界の端には女子高生像――もとい私の像が転がっている。これって……。
「天罰です!」
聞こえた高らかな声。それを辿った先、得意気に胸を張るイーリスが立っていた。