◆第二十六話『信者合体』
翌日のお昼時。
はぐれゾンビや周辺の土地の浄化を終え、私はレックスとともに城下町へと戻ってきた。一人の騎士がレックスを見つけるなり駆け寄ってくる。
「レックス殿!」
「ミズハ様、失礼いたします」
少し離れたところで会話を始めるレックスたち。どちらも険しい顔をしている。間もなくして会話を終えたレックスが戻ってきた。
「イーリスさんの件?」
「お気づきでしたか」
「そりゃ昨日の今日だしね。あまり上手くいってない感じ?」
「過激派の者たちは団体なので容易に見つけられたのですが、イーリスのほうは昨日の一件以来、行方をくらましているようで」
「過激派に捕まったってわけじゃないんだよね?」
「彼らの活動拠点はいまも監視していますが、そのような報告は受けていません」
「だったら、とりあえずは安心だね」
ふぅと息つくと、レックスが微笑を向けてきた。
「やはりミズハ様はお優しいですね」
「やー。そんなことないよ。ただ自分絡みで問題起きるのが嫌なだけ」
なにしろ私の名を冠する宗教を開いた人だ。なにかあったら寝覚めが悪いどころか未来永劫気にしてしまうに決まっている。
「でも、どこに行っちゃったんだろうね」
「無人の家屋は沢山ありますから、手当たり次第捜索するしかなさそうです」
「なんだかごめんね。私のせいでこんなことになっちゃって」
「これも騎士の務めですから」
レックスがそう誇らしげに笑った、そのとき。
「喧嘩だ! あっちで喧嘩が始まったぞ!」
どこからか聞こえてきた。こんな大変なときになにをしているのか。私はレックスと顔を見合わせる。
「レックスっ」
「ええ、行きましょう!」
そうして一緒に走り出したはいいものの、私は早々にフラついてしまった。午前中にたくさん力を使ったせいで疲労が残っているようだ。
「み、ミズハ様? 大丈夫ですか?」
「ごめん、朝の浄化で思ったより疲れちゃったみたい。私のことは気にせず先に行って」
「……了解です!」
渋々走り出したレックスを見送る。申し訳ないけど、喧嘩の収拾は任せて休ませてもらおう。そもそも私が行ったところでできることなんてない。せいぜい喧嘩でできた傷を癒すぐらいだ。そんなことを考えながら、私は近くの家屋の壁に寄りかかった。瞬間――。
視界が黒で覆い尽くされた。一瞬、何事かと思ったけど、誰かに袋を被せられたのだとすぐにわかった。
「ちょ、ちょっとなに? なんなの!?」
手の平で袋を押してみてもほんの少し伸びるだけで効果はない。それでも必死に暴れていると、両腕を巻き込む形で抱きつかれた。感触的に人の体で間違いない。しかも片腕。そのわりに物凄い力で外すこともできない。
「なるべく傷つけたくないので騒がないでくださいです」
「その声……もしかしてイーリスさん?」
「覚えていてくれたのですかっ。光栄です、女神様!」
透き通った声だけに、わずかに混ざったねっとり感が気になる。ただ、その嫌悪感が奇しくも冷静な思考を取り戻してくれた。現状把握のために恐る恐る問いかける。
「……なにが目的なの?」
「イーリスはただ女神様をあるべき場所にお迎えしに来ただけです」
ぐいっと足が宙に浮いた。どうやら肩に担がれたらしい。華奢な体だったように思うけど、なんて力だ。下手に抵抗しないほうがいいかもしれない。それからイーリスさんは走り出した。犬みたいに荒い鼻息を耳にすること約五分。ようやく袋が取られる。
そこは八畳間程度の暗い一室だった。ボロ布で塞がれた窓からかすかに入ってくる日射しでなんとか視界を確保できている状態だ。
「ここは……」
「ミズハ教総本山です!」
仰々しい名称にしては粗末な場所だ。私は手足を椅子に縛り付けられ、そのままの状態で部屋の最奥に置かれた。イーリスさんが思い切り息を吐いたかと思うや、私の胸に顔を埋めてきた。ぐりぐりと顔を押し付けながら、すぅーすぅーと荒く息を吸いはじめる。
「女神様っ、女神様ぁっ!」
「なっ、なにしてるの!? やめて、やめてってばっ」
「お日様のように優しくて温かい……これが女神様の匂い! イーリス、覚えました!」
こんな風に匂いを嗅がれたのは初めてだ。あまりに羞恥プレイ過ぎて顔が熱い。イーリスさんはやっと顔を離してくれたけど、今度は私の膝に抱きついて頬ずりを始めた。……なんなの、この人。
「あの、イーリスさん。なんでこんなことするの?」
「こんなこととは?」
「いや、私をこんなところに監禁して……」
「監禁ではありません。ミズハ教にミズハ様が祀られるのは当然のことですから」
うーん。話がかみ合っているような、かみ合っていないような。
「世界が腐ってしまい、イーリスは信じていた女神様に裏切られた気分でした。ですが、女神様は裏切ってなどいなかったのです。こうして人の姿で降臨し、世界をお救いに来られたのです!」
「いや、私は普通の人間です」
「いいえ、女神様です! 女神サディアは、女神ミズハだったのです!」
よくわからないけど、いまも私が女神様だと勘違いされていることだけは理解した。とにかくいまはここから抜け出したい。イーリスさんの活動拠点、レックスたちはわからないと言っていたし、すぐに助けは来ないだろう。となると自力で脱出するしかない。不本意ではあるけど、私がイーリスさんにとって女神様であるならいくらでもやりようはあるはずだ。
「えとイーリスさん。縄、解いてくれないかな? 肌に食い込んで痛くて……」
「ダメです。逃げる気でしょう?」
「そ、そんなことないよ。逃げないから、ね?」
引きつる顔を抑えて、なるべく笑顔を作り続ける。けど、イーリスさんはジーっと見つめてくる。見るからに警戒心むき出しだ。相手にとってなにかメリットのあることができれば――。
「解いてくれたらナデナデしちゃおうかなーなんて」
さすがに無理だよなぁ……。
「わかりました」
いいのかこれで。やっぱり犬みたい。
「でも三ナデナデでお願いします。もちろん往復で一回です」
「は、はい」
ちゃっかりとしているというか、なんというか。とにかく大した条件じゃないので呑んでおいた。早速、縄が解かれる。やっと自由になれたけど、解放感も一瞬。なにも解決していない現状に緊張の糸を結びなおした。イーリスが軽く屈み、頭頂部を傾けてくる。
「では女神様、お願いします」
「じゃ、じゃあするね」
恐る恐る撫ではじめる。ベール越しなので触感についてとくに思うことはない。やがて要望通り三往復を終えると、イーリスさんが祈りのポーズで恍惚の笑みを浮かべた。
「あぁっ、まさか女神様にナデナデしてもらえるときが来るなんて……至福ですっ!」
イーリスさんが昇天しているうちにこっそり離れてから私は一気に駆け出した。あと少しで部屋の扉に辿りつく――というところで、ぐわしっと腕を掴まれる。イーリスさんが肩越しに低い声で囁いてくる。
「逃げないって言ったのに騙しましたね?」
「あ、あのね。いますぐにおトイレ行きたくて」
「女神様が嘘ついたらダメです」
正面を向かされたかと思うや、さらに無表情の顔を近づけてきた。綺麗な顔をしているからか、余計に怖い。
「もし本当にトイレに行きたいのならそれにして下さい」
イーリスさんが指差した先にあるのは酒樽のみ。おまるにすら見えない。
「いやいやいや。さすがにそれは――」
「一生ここで過ごすのですから。あそこでできないなら床でどうぞです」
淡々としながらも威圧感たっぷり。この人、本気だ。
「総本山、臭くなると思うんだけど」
「女神様のものならドンとこいです」
「こっちはドンと引いてるよ……」
まさかここまで心酔されているとは。これで私の言うことをなんでも聞いてくれるならまだ可愛げがあったけど、残念ながらそうじゃない。
「さぁ女神様。あちらに戻りましょう……」
手を引かれて部屋の奥へと戻される。騎士団がイーリスさんを捜索しているようだけど、城下町はとても広い。最悪、長期の監禁生活になりそうだ。殺されそうにないのが不幸中の幸いだけど、こんな場所でずっと過ごすのはさすがに耐えられない。
いつもみたいにレックスが助けてくれたらなぁ。なんて都合の良いことを考えていたら、突然、後ろからバキバキっと木材の破砕音が聞こえた。振り向いた先、ドアが破損していた。もしかして本当にレックスが? と思ったのは一瞬。部屋に侵入してきたのは三人組の見知らぬ男たちだった。全員、地味目の紺色法衣を着ている。
「狂信者ですか」
イーリスさんが男たちを睨みつけながら言った。どうやら目の前の男たちがレックスの言っていた狂信者たちらしい。なにやらイーリスさんとは因縁浅からぬ様子だ。
「狂信者という言い方はやめてもらいたい。我らはただほかの信者よりもサディア様を深く信仰しているだけだ」
「過剰な信仰は盲目になるだけです」
あなたが言うなと突っ込みたい。
「貴様がそこの女を祀り上げ、サディア様を冒涜したこと。これは許されざることだ。異端者として我らが貴様を粛清する」
狂信者たちが背中から剣を抜くように取り出した得物。それは腕の長さ程度の女性像だった。簡素な服装ながら溢れ出る神々しさは、どこからどう見ても女神像だ。
「そっちがその気ならこっちもやるだけです」
イーリスさんが隅っこに置かれていた木箱を漁り出した。いったいなにを出してくるかと思いきや、こちらもまた女神像だった。私、いつかサディア様に会ったら「あなたの像で殴り合いしてる人たちがいますよって」伝えようと思う。
双方、臨戦態勢のまま睨み合いを始める。いまなら逃げられそうだ。壁伝いにじりじりと出口のほうへ向かおうしたけど、途中でやめた。このまま本当に殴り合いになったら放っておけない。
「あ~……どっちもやめよ? ね? ここは穏便に話し合いで――」
「このクソ女に話す言葉なんてないわっ!」
「こっちだってクソ男共と話したくないです! 耳が腐ります!」
静まるどころかヒートアップしてしまった。だめだこれ。もう止まる気配がない。床がミシっと軋んだ。それを合図に双方が動き出す――直前、ドタドタと激しい足音が聞こえてきた。ガシャンガシャンという音も聞こえる。これって……。
破損した扉を抜け、五人の騎士が雪崩れ込んできた。騎士たちは止まることなく狂信者たちを押し潰し、あっという間に拘束していく。
「ミズハ様っ!」
「レックス!」
騎士のひとりはレックスだった。
「……ご無事でなによりです」
「ありがと。来てくれるって信じてた」
さすがにこんなに早く来てくれるとは思ってなかったけど。
「でも、どうしてここがわかったの?」
「彼らのあとをつけてきたのです。ちょうどミズハ様がいなくなられてから、不審な動きを始めたので関連性があるのではと」
狂信者の動向は把握しているようだったから、そこから辿ったというわけか。こればかりは狂信者に感謝しないといけないかもしれない。
「ここはミズハ教総本山です。たとえ騎士でも信徒以外は帰ってください」
「ならば問題ない。私もミズハ教ですから」
「なに適当言ってるのレックス」
「ど、同志なのですか……」
しかもイーリスさん信じちゃってるし。レックスが不敵な笑みで畳み掛ける。
「あなたよりもずっと前から崇めておりますよ」
「せ、先輩……?」
イーリスさんが衝撃を受けたように仰け反った。かと思うや、頭をブンブンと横に振った。
「だ、騙されるところでした……あなたはイーリスから女神様を奪おうとする人。つまり敵ですっ!」
イーリスさんが女神像を手に向かってくる。けど、動き出した直後にはレックスによって両手首を掴まれ、動きを封じられていた。さすがの怪力イーリスさんでも戦闘が本職のレックスには敵わないらしい。
「大人しく投降してもらいます。……国を救って下さったミズハ様を拉致した罪は重いですよ」
程なくしてイーリスさんと狂信者たちは縄で拘束され、あとは連行されるだけとなった。
「さぁミズハ様。行きましょう」
「う、うん……」
レックスに連れられ、部屋をあとにしようとする。
「返せっ! イーリスの女神様を返せぇえええ!」
イーリスさんが暴れはじめた。縄で縛られた手足をちぎらんばかりの勢いだ。肌に食い込んだ縄が痛々しくて思わず目をそむけたくなる。
「レックス。ちょっとだけ時間ちょうだい」
私はイーリスさんのもとに近寄り、目線を合わすように屈んだ。
「ねえ、イーリスさん。私、本当に女神様じゃないんだ」
「嘘です! 女神様は女神様です!」
「信じてくれないかな?」
「イーリスには女神様しかいないのです! イーリスの世界を照らしてもらうんです!」
その言葉から孤児院育ちという情報を思い出した。孤児院だからといって悲観している人ばかりじゃない。可哀相なんておこがましいかもしれないし、間違っているのかもしれない。それでも放っておけない気持ちが勝った。それにイーリスさんは年齢こそ私より上だけど、精神的にはおそらくまだ子供だ。
「レックス。この子、解放してもいい?」
「さすがにそれは……第一、また危険な目に遭うのはミズハ様なんですよ」
「たぶんそこは大丈夫」
私はもう一度、イーリスさんと目を合わせて優しく話しかける。
「ね、イーリス。牢屋の中に入りたい?」
「いやです。女神様に会えなくなります……」
「じゃ、誰かに危害を加えるようなことはもう絶対にしないって約束してくれる?」
「ミズハ教を開いてもいいですか?」
「だめ。それも追加でだめ」
「うぅぅぅぅ……」
懊悩し続けるイーリスさん。どれだけミズハ教を開きたいんだと突っ込みたい気持ちを抑えること十秒ほど。イーリスさんが口を尖らせながらこくりと頷いた。
「わかった……です」
「ん、いい子いい子」
見返りにさっき喜んでいた頭ナデナデをしてあげると、イーリスさんは表情筋をこれでもかというぐらい緩めた。素地が良いのもあるけど、物凄く可愛い。いつもこうだったら誰からも好かれるだろうに勿体無い。
「わ、我々もなんでも言うことを聞くので、どうか牢に入るのだけはっ」
イーリスさんの縄を解いた直後、狂信者たちが騒ぎ出した。
「レックス。その人たちも解放してあげて」
「で、ですがっ」
「イーリスさんだけお咎めなしってわけにもいかないしね」
「……承知しました」
レックスが渋々ながらほかの騎士たちに縄を解くよう目で訴えた。解放された狂信者たちに笑顔が戻る。喜んでいるところに申し訳ないと思いつつ、私はできるだけ威圧感たっぷりに釘を刺す。
「次、誰かに危害を加えるようなことしたら、私もレックスたちを止めないからね。あと女神像を粗末にしちゃだめだよ。それじゃ女神様が悲しんじゃうからね」
「しかし、そうなるとどうやって天罰を下せば……」
「っていうか天罰ってあなたたちが下すものじゃないでしょ?」
「我々は地上におけるサディア様の代行者であり――」
「天罰禁止。なんでも聞くって言ったよね」
「お、仰せの通りに」
「うん、わかってくれたならいいよ」
私は微笑みながら応じた。なんとか穏便に済んで良かった。その一言に尽きる。
「おい、イーリス。貴様がすべて正しかったようだ」
「理解してくれたようでなによりです。あとは任せたです」
「任された……!」
イーリスと狂信者の一人がなにやら固い握手を交わしていた。よくわからないけど、仲直りして一件落着……なのかな。