◆第二十五話『女神お姉様』
今日も今日とて浄化の日々。とはいえ外壁に群がるゾンビの浄化は終わったので周辺地域の浄化が主な仕事だ。あとは唾液で作物を育てたりもしたけど、私的には黒歴史なのでなかったことにしている。
「そういえば、もうみんな家に戻しちゃってるけど大丈夫なの?」
ぽかぽかと暖かいお昼。復興に勤しむ人々を見ながら、私はレックスと一緒に城下町の大通りを歩いていた。
「夜、音とか出しちゃったらゾンビがうぼぁーって来ちゃわない? 周辺のゾンビはあらかた浄化したけど、万が一ってこともあるし」
「ご心配の通り外壁周辺は危険ですから、騎士以外は昼夜問わず立ち入り禁止という形で対策しています。該当地域の住民には申し訳ないのですが、こちらで用意した代替住居に移り住んでもらうことになるかと」
「我慢してもらうしかないよね。いまでもはぐれゾンビと遭遇するときあるし」
昨日の時点で周辺のゾンビは浄化したはずなのに、今朝にはまた数十体が発見されたのだ。きっと夜のうちに移動したのだろう。
「まだまだ油断はできませんからね。念のため、民にも夜はなるべく静かにするようお願いしています」
「寝ない子にはゾンビがくるぞーって言い聞かせる家が多くなったりして」
「げ、現実的で効果がありそうですね」
いまでこそ我慢できているけど、ゾンビの顔はなかなかに強烈だ。もし子どもの頃に見ていたら間違いなくトラウマになっていたと思う。
「それにしても自由に過ごしてって言われてもなぁ」
「ピーノ殿に依頼された件ですね。私も騎士団を通じて話を聞き及んでいます。まさか世界を救うため、邪神討伐に乗り出してくださるとは……」
あー、そういうことになってるんだ。異世界云々の話をしたらややこしいし信じない人もいるかもだから、きっとピーノくんが機転を利かしてくれたのだろう。
「民の安全を第一に思う、その清く美しいお心。さすがはミズハ様です」
「や、やめてってば。そんなんじゃないって」
もちろんこの世界の人たちが安全に暮らせればとは思うけど、自分が元の世界に帰りたいからなんて理由が混ざっているとはとても言えない。
「邪神討伐の際には、もちろん私も同行させてください。このレックス・アーヴァイン。必ずやお役に立ってせます」
「うん、そのときはお願いするね」
「はいっ」
レックスが自信満々に胸を叩いた。その直後、近くからガラガラと大きな音が聞こえてきた。音のほうを見ると、一軒屋の玄関先に角材が散らばっていた。そばには脚を抑えながらうずくまる小さな少年。
「大丈夫っ!?」
「いたい、いたいよぉ~……」
私はすぐさま少年に駆け寄った。屈み込んで脚の状態を診る。どうやら膝を打ったようだ。それほど大きな怪我じゃない。おそらく角材に足を引っ掛けて転んだのだろう。ただ血が出ている。すぐに消毒しないと。
「レックス、どこからかお水持ってこれる?」
「了解です! すぐに持ってきます!」
唾液で清めた水なんてかけられたくないだろうけど、我慢してもらうしかない。聖女なんて呼ばれる力があるなら傷も癒せたらいいのに――。そんなことを考えていたら少年の脚に当てていた私の左手が一瞬だけ仄かに光った。
「……あれ? 痛くない」
さっきまで泣いていたのが嘘のように少年は平然としていた。私は思わず目を瞬いてしまう。少年がいきなり泣き止んだからじゃない。
「傷が治ってる……?」
血を流していた少年の膝から傷が綺麗さっぱり消えていたのだ。たしかに傷を癒せたらと思ったけど、まさか本当にできるとは。思い返せば、これまで右手右手ばっかりで他人に左手で触ることはあまりなかった。それも怪我人にとなると一度もなかった気がする。
「捜したんだよ、ライル。って、どうしたんだい、そんなところに座り込んで」
「あっ、お母さん! さっきそれに足引っかかって転んじゃったんだ」
「転んだって……大丈夫だったのかい? 怪我はしなかったかい?」
「血ぃ出ちゃったけど、このお姉ちゃんが治してくれたよ」
ライルと呼ばれた子が私を指差してくる。と、母親から「傷を治したって……?」と怪訝な目を向けられる。不思議な力で傷を癒した途端、気味悪がられるパターン。色んな創作物で見たことがある。気づけば周囲に人が集まっていた。あちこちから視線が向けられる。これ、まずいんじゃ――。
「そ、それじゃ、私はこれで……」
「お待ちください」
背を向けて早々に立ち去ろうとしたけど、呼び止められてしまった。恐る恐る振り返る。
「な、なんでしょうか~……」
「ありがとうございます。なんとお礼を言ったらよいか。ほら、ライルもしっかり頭下げときなさい」
「わかってるよ。ありがとう、お姉ちゃん!」
予期せぬ展開に思わずしどろもどろ。けど、不審者極まりない自身の行動を顧みて、すぐさま冷静に対応する。
「い、いえいえ。そんな大したことしてないですし」
とは言いつつ、傷を一瞬で治すこと自体は客観的に見れば大したことだ。周囲の人間もそう思っているようで懐疑の視線を私に向け続けている。若干、ざわざわし始めてきた頃、レックスが水入り瓶を手に戻ってきた。
「ミズハ様? これはいったい」
「あ、レックス。いや、なんか左手使ったらこの子の傷、一瞬で治せちゃって」
「なるほど」
「驚かないの?」
「はい」
なんてあっさりした返事だ。レックスの感性が本当によくわからない。なんて思っていたら次の瞬間にはよく理解できた。
「なにしろミズハ様は聖女なのですから! 傷のひとつやふたつ、癒せて当然です!」
「なにそのめちゃくちゃな理由!? っていうか大声でやめてよっ」
おかげであちこちで「聖女だって?」「あの人が聖女?」なんて声があがりはじめた。怖れていたことが起きてしまった。これはもう「この女が聖女だって? フッ」と鼻で笑われる未来も遠くない。
「いいえ、違います!」
私が頭を抱えていると、どこからか空気を一閃するような声が響いた。声の主を探ると、いかにも修道女ぽい法衣を纏った妙齢の女性に行きついた。目鼻立ちがくっきりしていて、女の私でも見惚れてしまうほど綺麗な人だ。ベールからは銀の髪が覗いている。
「そのお方は聖女ではありません」
修道女ぽい人が力強い声で言葉を繋ぐ。
「女神様ですっ!」
◆◆◆◆◆
お城三階の一角。外の景色が望める庭でシアとお茶をしていた。茶葉なんて嗜好品、どうやって用意したのかは当然、アノ方法だ。いまさらだけど、自分の体内を経由していると思うと複雑の一言。考えないのが一番だ。
「お姉様、お顔が優れませんね」
シアが心配そうに声をかけてくる。正直に言うと、私がいかにもぐったりモードだったので催促した形だ。やっと愚痴を吐ける。
「聞いてよー。お昼に城下町回ってたら私のこと『聖女じゃない。女神様だー!』って言う人が現れて」
「め、女神様とはまた……」
「でしょ。さすがに女神様は行き過ぎだよね。聖女でも畏れ多いっていうのに」
あのあと修道女ぽい人はずっと「女神様!」と叫び続けていた。さらには私が女神様であることを周囲に力説する始末。レックスや駆けつけた騎士団の人たちのおかげでその場は収まったけど、それはもう凄まじく居たたまれない時間だった。……ああ、思い出すだけで胃が痛い。
「ですが、どうしてまた女神様と」
「それがね、ちょうど転んで怪我しちゃった子がいたの。で、その怪我した箇所に私の左手を当てたら傷が一瞬で完治しちゃったんだよね」
「め、女神お姉様……!」
「ちょっと、シアまでっ」
「冗談を言ってみました。半分本気でしたけど」
クスリと笑いながら一言。半分どころか本気っぽく見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。
「ですが、そのお方がお姉様を女神様と思うのも無理ないかもしれません。なにしろ言い伝えの女神様と同じ力をお持ちなのですから」
そういえばピーノくんも女神様が浄化の力を持っていると言っていた。その浄化の中に癒しの力も入っているのだとしたら、たしかにさらに信憑性が増すのかもしれない。けど――。
「私、本当に違うからね? 女神様じゃないし、聖女でもないから」
「はい。シアは存じております」
ニコニコと応じるシア。これ、例の「そういう設定なんですね」顔だ。こうなるとなにを言っても無駄なのでため息をつくしかない。どんどん外堀を固められている気がするなぁ……。なんて思いはじめたとき、足音が聞こえてきた。見れば、庭に面した柱廊にレックスが立っていた。
「失礼いたします。いま、お時間よろしいでしょうか」
「ええ、構いません。お姉様」
「どーぞー」
私の気の抜けた私の返事を機に、レックスが庭に下りてきた。
「ミズハ様、彼女について調べがつきました」
「彼女って……昼間の女神女神騒いでた人?」
はい、とレックスは頷く。
「名前はイーリス。王都からほど近い場所にあった村の孤児院育ちのようです」
「孤児院……」
「ええ。ただ、その孤児院ですが、経営難なうえ援助も得られなかったことから彼女が十二歳になる頃には潰れてしまったようで」
どう反応したらいいのかわからなかった。自分が育った場所がなくなるのはさぞかしショックだったに違いない。
「以来、彼女は王都の教会で過ごすようになったのですが、孤児院の閉院が原因か、よく奇行に走り、神のお告げと称してはたびたび問題を起こしてきたそうです。今回も、その……ミズハ教なるものを開いたそうで」
「私の名前じゃん!」
名前に自信がないわけじゃないけど、そんな風に使われると恥ずかしいことこのうえない。もう少しなんとかならなかったのか。
「そ、それで誰か入ってるの?」
「いえまったく。それどころか避けられているようです」
「これ私が一番の被害者じゃないの」
胡散臭さから入らないのは当然だろうけど……すごい敗北感だ。
「ただ、ひとつ懸念があるのです。人々は女神サディアを崇拝しているのですが、中でも狂信者と呼ばれる過激派がいまして。女神サディアを冒涜しているとして彼らがイーリスに危険を及ぼすかもしれません」
「そ、そんなに危ない人たちなの?」
「なんでも石にして女神像として飾るとか……」
「それは危ない」
イーリスさんがいかに変な人でも危険な目には遭って欲しくない。どうしたものかと私が唸っていると、シアがすっくと立ち上がった。
「お姉様の心労を考えると放置はできませんね。レックス、なるべく双方の動向は把握しておいてください。行き過ぎているようなら捕縛も止むを得ません」
「承知しました」
なんだか物騒な方向に動き出した。
「あんまり乱暴なことはしないでくれると……」
「いいえ、ここは強気に行くべきです。お姉様に迷惑をかければどうなるか、見せしめにする良い機会です。さぁレックス、行くのです!」
シアが凜乎とした声をあげながら、ビシっと城下町を指差した。
あの、シアさん。キャラ変わってませんか……。




