◆第二十三話『肉を詰めたらこうなるらしい』
二十人ぐらいの集団とともに城内を早足で移動する。みんなの手には様々な形状の花瓶や桶。中に入っているのは私が清めた水だ。
「重労働は専門外だというのに……なんで僕がこんなことを」
そばを歩くピーノくんがぼそりとこぼす。
「ぐだぐだ言わないの。ほら、シアも手伝ってくれてるんだから」
少し後ろからシアが「んっしょんっしょ」とおぼつかない足取りで続いている。
「……しかたないな」
さすがのピーノくんも王女であるシアを引き合いに出されると文句を言えないらしい。渋々ではあったけど、きりきりと歩きはじめた。ピーノくんの横を歩きながら、私は両手で抱えた桶の中を覗く。
「水、効くかな」
「嫌がってはいたんだろう?」
「うん、こう……うがぁあって」
「……つまり通常ゾンビより耐性は強いかもしれないが、間違いなく効果はあるということだ。使わない手はない」
ボンレスハムを倒すための方法をピーノくんに相談したところ、私の案をもとに作戦を考えてくれた。いまみんなで運んでいる大量の水もボンレスハムにかけるためのものだ。
やがて前庭に面する廊下に到達する。と、骨が震えるような大きな音が響いた。慌てて窓から外の様子を窺う。いまもなお前庭ではレックスがボンレスハムの相手をしている。地面を転がるように避けては立ち上がり、といった動きにはさっきよりも余裕がない。
「限界が近いようだな」
「急がないと」
ちょうど内城門の上に当たる廊下から、ひさしのような足場が前庭側へと突き出していた。みんなと一緒にその足場へと乗っていく。
「ロッソさん、お願いします!」
私は前庭の端のほうへ両手を振ると、そこで待機するロッソさんが手を振り返してくれた。ボンレスハムの動きを見てから走りはじめるロッソさん。相変わらずの足の速さだ。瞬く間に内城門前まで辿りついた。
ロッソさんはシャベルで素早く地面を掘り返し、種を植え、また土で埋める。不要になったシャベルを地面に突き刺すと、腰に差していた木製の水筒を手に取った。
「準備完了っす!」
その合図を機に私は足場から身を乗り出して叫ぶ。
「レックス、ロッソさんのところに誘導して!」
「了解です!」
こっちがなにをしようとしているのか。わからないはずなのにレックスは疑念を持つことなく従ってくれた。ボンレスハムの気を引きながら、じりじりと内城門のほうへと向かっていく。
「ロッソ殿!」
「兄貴、あとは俺に任せな!」
駆け抜けたレックスのあとにボンレスハムが続く。その巨体が先ほど種を植えた場所を踏む、直前。ロッソさんが水筒に入った液体を垂らした。間髪を容れずにボンレスハムが攻撃を繰り出したけど、ロッソさんは真横に身を投げて軽々と躱す。
「そら、姉御の濃厚唾液だっ! 育てやリンゴさん!」
濃厚唾液ってなんてこと言うの。小一時間どころか一日中問い詰めたいところだけど、そんな間もなくロッソさんの足場一帯が眩く光りはじめた。ポンと出た芽が一気にリンゴの木となり、ボンレスハムを力強く持ち上げていく。
「おっしゃあ、きたきたきたぁーッ!!」
ロッソさんが歓喜の声をあげる。ボンレスハムは枝に絡まれてうまく動けないようだ。ただ、力任せに次々に枝を折っていく。あまり時間はない。
「殿下!」
「はい! お願いします、みなさん!」
ピーノくんの指示が飛び、シアの合図で一斉にみんながボンレスハムへと水をぶっかける。一つ一つはそれほどじゃないけど、合わせれば相当な量だ。その巨体を余すことなく濡らされたボンレスハムがもがき苦しみはじめる。
「グァアアア……ッ!」
「効いてる!」
ただ、ボンレスハムのあまりの重さにリンゴの木は耐えきれなかったようだ。メキメキと音をたててついに折れてしまった。ボンレスハムが転がるように地面へと落ちる。水の影響か、ぐったりとして動かない。ピーノくんが待っていたとばかりに叫ぶ。
「聖女殿、いまのうちに浄化だ!」
「よし、任せて! ……って、あれ? どうやって下りるんだっけ」
「決まってるだろ。飛び下りるんだ」
「……え?」
これまで仏頂面ばかりだったピーノくんがそれはもうとびきりの笑顔を浮かべた。かと思うや、トンと私の背中を押してくる。なんとか落ちないように足場の縁で両腕を泳がしてみるけど効果なし。ぐらりと前庭側に身体が倒れていく。
「いや、ちょっと待って! え、嘘でしょっ!?」
「頑張れ聖女殿」
「お姉様っ」
無慈悲なピーノくんと違ってシアは手を伸ばしてくれる。けど、その手を取ればシアを道連れにすること間違いなしだ。覚えていろピーノくんと恨み節を胸中で吐きつつ、仕方なく私は覚悟を決めた。
「レックス殿、上から女が降ってくるぞ!」
「み、ミズハ様!?」
「お願いしまぁああああす!」
滞空時間はほんのわずか。レックスが抱きとめてくれた。お姫様抱っこの格好だけど、甘々な雰囲気なんて微塵もない。それどころか視界に映るレックスの顔は血管まで浮き上がるほど気張った状態だ。
「ぐぬぅおッ」
「重くないよね?」
「も、もちろん軽いです!」
「百点。でもってありがとっ!」
一瞬のうちにそんなやり取りをして、私はレックスの腕から飛び出た。弱ったボンレスハムとの距離を詰めると、過剰に浮き出た筋やら血管ぽいのやらが鮮明に見えてくる。はっきり言って生理的に無理なぐらい気持ち悪かった。それでも触らないといけない現状に泣きたくなるけど、やるしか選択肢はない。
ついに、あと少しで手が届くところまできた。鼻をつく悪臭を我慢しながら、ぐいと腕を伸ばす。と、ボンレスハムの左腕がモリっと膨張した。さらに機敏な動きを取り戻して私のほうへと左拳を突き出してくる。……え、嘘でしょ?
あのでかい拳が当たれば私なんて骨ごと砕け散る。一巻の終わりだ。そうして諦観が胸中に満ちた、瞬間。ボンレスハムの左拳が弾かれるようにして持ち上がった。いったいなにが起こったのか。答えを見つけるのは簡単だった。目の前に割り込んできた血だらけの騎士――オデンさんが盾で弾いてくれたのだ。
「オデンさんっ!」
「いまだ、ミズハ殿ッ!」
必死なその声に押されるようにして私は動きだし、よろめいたボンレスハムのお腹にタッチした。ぐにゅっとした感触に私が思わず「うげぇ」と声を漏らしてしまったのと同時、ボンレスハムの身体がピカっと発光した。
さらにパズルピースのような継ぎはぎの線が入り、身体がボトボトと分解されていく。光が止んだ頃にはボンレスハムはいなくなっていた。代わりに目の前には大量の――。
「ど、動物……?」
牛や鹿、豚が転がっていた。気絶しているようだけど、どれも生きているようで鼻息が聞こえてくる。たしかに肉ではあるけど……まさかボンレスハムの正体が動物たちの集まりだったなんて。とはいえ個人的には見慣れた動物の姿に驚きだ。倒すのに苦労したせいか、どうせならクリーチャー感を出して欲しかったと思わなくもない。
「ヴィアンタ……!」
レックスが転がった動物たちの群れへと入っていく。どうやら昼間に見た愛馬が混ざっていたらしい。横たわった馬――ヴィアンタがレックスに頭を撫でられ、目を覚ました。互いの頭を擦り付けるようにして再会を喜んでいる。
「その子もいたんだ。良かったね」
「はいっ、ミズハ様のおかげです。本当にありがとうございます……!」
きっとレックスにとっては家族も同然の存在だったに違いない。微笑ましい気分に浸ってしまったけど、周囲から「うぼうぼ」と呻き声が聞こえてきて現実に引き戻された。縄に引っかかったままのゾンビがまだ沢山いるのをすっかり忘れていた。
「あやつらの浄化は後日に回したほうが良いだろう。幸い水をかけ続ければ継続して拘束できそうですからな」
隣に立ったオデンさんがそう提案してくれた。そのほうが私としても助かる。いまから浄化したとしても倒れる気がしてならないからだ。ただ、そんなことよりもいまはもっと問題にすべきことがある。それは頭から血を出しているオデンさんの身体だ。
「オデンさん、さっきはありがとうございます。でも大丈夫なんですか? その、血が……」
「なに、これぐらいで倒れていたら騎士団長は務まら――ごふっ」
「ちょっ、オデンさん!?」
めっちゃダメージでかそうなんですけど!? 私が慌てふためく中、オデンさんが「冗談だ」とサムズアップをしてくる。本当に大丈夫なのだろうか。やせ我慢の可能性大なので一刻も早く治療してもらいたい。
私は改めて辺りを見回した。残念ながらみんなが無事……というわけではないけれども。ひとまず次の朝を迎えられそうだ。




