◆第二十一話『順調なときに限って』
翌日の朝。ついに私たちは王都の外の浄化作業に取り掛かっていた。ゾンビの数は城下町よりも圧倒的に多かったけど、苦労したのは最初だけ。城下町で要領を得た騎士さんたちの相手じゃなかった。
城門付近でどんどん無力化されていくゾンビたちに私はこれまで通りちょんちょんとタッチする。事故は起きていない。いないのだけど、ただ一つ問題があった。
浄化作業が順調に進み――城門の内側で休憩中のこと。
「姉御! お疲れじゃありませんか?」
「あ、いや。まだ大丈夫です」
「姉御っ! 肩でも揉みましょうか!?」
「気持ちは嬉しいけど、大丈夫です」
「姉御、俺は舎弟なんで遠慮しないでなんでも言って下さい!」
「じゃあ少し黙っててくれるかな?」
昨日、知り合った盗人のロッソさんが身の回りをうろちょろしていた。本来なら禁固刑に処されて然るべきだけど、こんな状況とあって厳重注意だけで許されたらしい。その点に関して反対する気はないけど、こうして付きまとわれるなら反対していればよかったと思うばかりだ。もちろん、私にそんな権利はないけども。
「しかし、ロッソ殿。悪いな、騎士でもないきみに手伝ってもらって」
「気にしないでください。こんな状況なんすから力を合わせるのは当然じゃないすか」
「頼もしい限りだ。共にミズハ様を護ろうではないか!」
「うっす、レックスの兄貴ッ!」
暑苦しい会話をするレックスとロッソさん。私のためを思ってくれるのはありがたいけど、もっとこう緩い感じにしてくれると嬉しい限りだ。なんてことを思いながら私が頭を抱えていると、二人の騎士を連れたピーノくんがそばまでやってきた。
「少し見ない間に随分と愉快な奴を従えてるじゃないか」
「あ、ピーノくん。……従えてるっていうか勝手についてくるんだけどね」
あはは、と苦笑しながら実態を紹介する。と、ロッソさんがピーノくんをまじまじと見始める。
「姉御……失礼ですが、こちらのお子さんは? もしかして姉御の弟さんすか?」
「僕は子供じゃないし彼女の弟でもない」
ピーノくんがそっぽを向いて答える。
子供扱いされたのがよほど気に食わなかったみたいだ。
「この子はピーノくん。偉い学者さんらしいけど、ロッソさんは知らないの?」
「いやぁ。そっち方面は疎いんですわ。知ってるのは王女殿下。あとはレックスの兄貴と騎士団長のオデンさんぐらいっす」
あっけらかんと言い放つロッソさん。
「別に僕は有名になりたくて学者をしているわけではないからな。どうでもいい。そんなことより……聖女殿、今日はきみに協力して欲しくてここにきたんだ」
「協力? 私にできることならするけど」
「きみの唾液が欲しい」
「えい」
「うわッ!? 鼻っ、鼻がもげるっ!!」
ゾンビ臭い手を突きつけられ、ピーノくんが悲鳴をあげた。しばらくのたうち回ったあと、弾かれるようにして詰め寄ってくる。
「な、なにをするっ」
「いや、こっちの台詞なんだけど。いきなり唾液求めるのやめて」
「僕はただきみの唾液を使ってある実験をしたいだけだ!」
「だったら最初からそう言って欲しいな」
「言う前に鼻を潰してきたのはそっちだろうっ!」
いかに非道と言われようと、この問題に関しては戦っていきたい。
「ったく……大体、僕はきみには興味がない。あるのは聖女としてのきみだけだ」
「うわ、それはそれで傷つくかも」
「大丈夫っす姉御! 俺は姉御の漢らしさに興味津々っすから!」
「はーい、ロッソさんは黙ってようね」
「うがぁっ」
ロッソさんにもゾンビ臭をプレゼントしておいた。効果抜群。静かになった。
「ん、でも。〝私には〟ってことは興味ある人いたりするの?」
「……言い方を誤っただけだ。とくにそういった相手がいるわけでは――」
「いま、ちょっと間があったよね?」
「ああもう、僕はこんな話をしにきたわけじゃないっ! 実験だ実験!」
なんてわかりやすい話題転換だ。私は思わずニヤニヤしてしまう。ピーノくんはグランツ王国の浄化が終わればなんでも教えてくれると私に言った。これはもう異世界のことを訊くついでに好きな人も教えてもらうしかない。ちょっと楽しくなってきた……!
「なにをそんな嬉しそうな顔をしている?」
「なんでもないよ~。それより実験って言ってたけど、私はなにをすればいいの?」
「簡単だ。外の堀の水を浄化してもらいたい」
「まだゾンビいっぱいいるけど……」
「問題ない。むしろそのほうが都合がいい」
不敵に笑うピーノくん。いったいなにを考えているのか。ひとまず休憩終了後、騎士さんたちの協力を得てピーノくんの実験を行うことになった。堀は長いので遠くのほうでは腐水に浸かったままのゾンビがいる。そういえばゾンビがいるときに浄化をしたことがないな、と思いながら唾液を垂らす。
「こっち向いていいよー」
強制的に背中を向けさせていたみんなに合図を送る。全員が振り向いたのち、驚きの声をあげた。浄化された水の中、ゾンビたちが苦しそうに身悶えていたのだ。ピーノくんが小石を投げると、もっとも近いゾンビが反応。のろのろとこちらに向かってくる。
「見るからに鈍重になっていますね」
「あっちなんて死んだみたいに浮いてるっすよ」
「ピーノくん、これって……」
どうやらこの結果はピーノくんには予想の範疇だったようだ。ひとりだけ平然とゾンビの動きを観察している。
「やはりか。いや、きみによって清められた水であれば、ゾンビにもなんらかの影響を及ぼすんじゃないかと考えていたんだ」
「それがこの結果ってことね」
「人の姿に戻すほどではないが、極端に弱体化できるようだな。これは大きいぞ」
ピーノくんは大満足といった様子だ。ほかの騎士たちもゾンビ弱体化と聞いて希望に満ちた顔をしている。ただ、私は気になることがあって素直に喜べなかった。ゾンビの周囲から再び水が濁っているのだ。
「でも、いつまでも効果があるってわけじゃなさそうだね」
「たしかに、ちょっとずつ濁りはじめてるっすね」
「一度浄化したところでそこにゾンビが残っていればまた腐っていく。この流れはおそらく腐った土地と一緒だろうな」
夜に活性化したゾンビにお城を奪われ、浄化していた前庭が再び腐ってしまったことがあった。あのときのことをピーノくんは例に挙げているのだ。
「ふむ、とりあえず今回の結果は収穫だ。みんな、協力感謝する」
ピーノくんがお礼を口にした、そのとき――。
「ブァッ、ブァッ、ブァッ」
どこからか変な声が聞こえてきた。聞いたことのない声だ。音の出所を探ると、遠くのほうに影を見つけた。地につけた四本の長い脚。長めの胴体にこれまた長い首。前方に突き出すような頭部、と見るからに人じゃない。あれは――
「馬……だよね?」
「腐ってるけどな」
ピーノくんの言うとおり馬は腐っていた。皮膚は青紫、口からは腐水のようなものをボトボトと垂らしている。ただ、腐っていることよりも馬がいたことに驚いてしまった。この世界に来てからというもの動物を見ていなかったからだ。
「でもなんか様子が変っすね」
「こっち、じっと見てるね」
あんまり見ていたくないのに、なぜか目が離せなかった。ちょっと気持ち悪い。
「なぜここに……?」
レックスがぼそりと呟いた。生き別れの家族に出会ったかのような雰囲気だ。
「あの馬のこと、知ってるの?」
「あれは私の愛馬……ヴィアンタです」
言って、レックスが腐った馬――ヴィアンタのほうへと歩みはじめる。が、逆にヴィアンタは踵を返して遠くのほうへと駆け出した。
「ど、どこへ行く……? 待ってくれ、ヴィアンタ!」
ヴィアンタの姿が見えなくなり、がくりとうな垂れるレックス。思った以上にへこんでいるようだ。普段が普段だけに調子が狂ってしまう。
「また会えるよ。すごい遠くにいるってわけじゃないんだし、ね?」
「そう……ですね」
「今度見つけたときは私がさくっと浄化するから。ほら、元気出して」
「……ありがとうございます、ミズハ様」
レックスが長く息を吐いてから顔をあげる。作り笑顔なのは丸わかりだけど、それでも気持ちを切り替えようと努力しているのは伝わってきた。私は両手に拳を作りながら頑張れと笑顔で応じる。
と、いきなり突風に見舞われた。あちこちで驚きの声があがる中、私は変に心がざわついた。すごく気持ち悪い。この感覚、以前にもどこかで――。ふいにヴィアンタが去ったほうから黒い霧が現れた。すごい速さで私たちの頭上を通り、王都すべて覆ってしまう。
「この黒い霧って、あのときの……すっごい嫌な予感がするんだけど」
「聖女殿はあれについてなにか知っているのか?」
ピーノくんから問われ、私は「うん」と頷く。
「お城に来るまでに一回遭遇したの。そのとき、あれに誘われるようにしてゾンビの集団が来たんだよね……」
「そのわりにはゾンビに動きはないっすね」
ロッソさんが周囲を確認しながら言う。たしかに遠くのほうに見えるゾンビに目立った動きはない。ピーノくんが難しい顔をしながら提案する。
「今日の浄化はこれで切り上げるべきだ。いまゾンビに動きがなくとも、これからあるかもしれない」
「夜にくるかもってこと?」
「可能性は捨てないほうがいいだろうな」
たしかに、なにも準備せずにゾンビに攻め込まれて終わり、なんてことになれば笑い話どころでは済まない。レックスが難しい顔をする。
「しかし外にはまだ沢山のゾンビがいます。それらがあの活性化した状態で襲ってきた場合、広い王都を果たして守りきれるでしょうか」
「広くて守りきれないなら狭めればいい」
「また城に避難してもらう、ということですか。民には窮屈な思いをさせることになりますが……止む終えませんね」
「死ぬよりはマシだろう」
ピーノくんの躊躇わない口ぶりに周囲の騎士たちが顔を引き締めた。この子、本当に子供なのかな、とつくづく思う。少なくとも私よりしっかりしているのは間違いない。
「僕に幾つか策がある。騎士のみなに協力してもらいたいのだが……いいだろうか、レックス殿」
「もちろんです……!」
レックスが力強く頷く。まだゾンビたちの襲撃がくると決まったわけじゃない。だけど胸のざわつきが、きっとくると言っているような気がしてならなかった。
……なにも起きなければいいんだけど。