◆第十八話『異世界の存在と約束』
「ん~っ!」
翌日の早朝、私は前庭に出て伸びをした。王都周辺が腐っているせいか、相変わらずお日様は霧で覆われているけど、城の城壁内は浄化済みなので空気だけは良かった。
こんなにも清々しい朝を迎えられたのは一重にピーノくんのおかげだ。昨夜、灯をつけずに城内で息を潜めていればゾンビに襲われることはなかった。城壁上を走ったり城壁に突進したりするゾンビはいたけど、なにかに反応したわけではなく単純に進路上だったからという感じだった。いずれにせよ凄まじくシュールな光景だったのは言うまでもない。
「聖女殿は早起きなのだな」
威厳のある口調に反して幼い声。振り向くと、内城門のほうからピーノくんがあくびをしながら歩いてきていた。
「城壁を越えてきたゾンビを浄化しないといけなかったしね」
「あとは食糧の調達もか」
ピーノくんが辺りを見回しながら言った。前庭には浄化ついでに育てたリンゴの木があちこちに生えている。お城の物々しい空気が一転して農園よろしくな状態だ。
「食べる?」
「……実は人に戻ってからなにも食べていなかったんだ。一つもらうとしよう」
近くの木からリンゴを掴もうと背伸びをするピーノくん。けど、あと少しの届かなかった。よほど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして私のほうをちらりと見てくる。ちょっと可愛い。
ピーノくんはやけくそ気味にジャンプしてリンゴをもぎとると、羞恥心を振り払うよう荒々しくリンゴにかぶりついた。瞬間、なにか衝撃を受けたかのように大きく目を見開いた。まるで料理漫画に出てくる人の反応だ。
「な、なかなか美味いじゃないか」
ピーノくんはシャクシャクと音を鳴らしてリンゴを食していき、あっという間に食べ終えてしまう。よほど気に入ったらしい。
「とはいえ、これだけでは栄養も偏るし、なにより飽きる」
「そうなんだよね。贅沢言ってられないんだけど」
「いずれほかの食べ物も増やしていかないといけないだろう」
などと今後の展望を見据えながら、ピーノくんが芯だけとなったリンゴをじーっと見つめる。
「それにしても、きみの唾液で育ったと思うと少し複雑だな。って、なんだその嬉しそうな顔は。こっちは貶しているんだぞ。気持ち悪いぞ!」
「ごめん。でも、やっと普通の反応してくれる人がいたって思うと嬉しくて……!」
唾液を天の恵みとありがたがる人ばかりで感性がおかしくなりかけていたところだ。正常な反応をする人とやっと出逢えて心底ほっとした。どうやらピーノくんも事情を察してくれたらしい。呆れたように息を吐いていた。
「この国の人間はお気楽な奴ばかりだからな」
「良い人たちなんだけどね」
「それは僕も認めるところだ」
誇らしげなピーノくんからは、グランツ王国が好きな気持ちがたくさん伝わってきた。学者だから、きっと王国の深いところまで知った上での発言なのだろう。と、そんなことを思ってから、ふとピーノくんに訊きたかったことを思い出した。
「そういえばピーノくんって学者なんだよね。色んなこと知ってたりする?」
「えらく漠然とした質問だな。まあ、こんな歳で学者を名乗るぐらいだからな。知識量には自信がある」
「ねぇ、もしかして異世界に通じる道具とか魔法ってあったりする……? あぁ、やめてその『なに言ってんだこいつ』みたいな顔」
「僕はただ期待通りの反応をしてやっただけだ」
年下の少年からこんな蔑んだ目を向けられるなんて思いもしなかった。なんというか駄目人間であることをまざまざと思い知らされているようで心がすごく痛い。
「ったく、なにを言い出すかと思えば……」
「でも、あんまり驚いてないね?」
「当然だろ。きみはゾンビや土地を浄化したりする未知の存在だ。そんなきみから未知の情報が出てきたところでなにもおかしいことはない」
「おぉ、なんか頭良さそう!」
「……僕をバカにしているのか?」
「そんなことないよー」
「どうだか。きみも僕を見た目で判断してるんだろ」
ピーノくんはふて腐れたようにそっぽを向いてしまった。なんともわかりやすい悩みだ。
「まあ正直に言うとこんなに小さい子が学者? って初めは思ったけどね。でもレックスやシアが認めてたし、なによりこうして話してみて、ああ本当に頭良いんだなって感じすごいしてるし」
「まあ僕ぐらいになると知性が溢れ出てしまうかもしれないが……」
「ほら、昨夜ゾンビをやり過ごせたのだってピーノくんのおかげだし」
「そ、そうか。そうだったな。いや、あれは騎士たちが協力してくれたからこその成果だ。僕だけの手柄じゃない」
ピーノくんは鼻高々といった様子だ。しかも乗せると素直になるらしい。なんだかいまの一瞬で今後もうまくやっていけそうだと思った。気をよくしたピーノくんが饒舌に話しはじめる。
「それで話を戻すが……その異世界というのは、いま僕たちが立っている世界とは異なる世界という意味で間違いないな?」
「うん。っていうかレックスもそうだったけど、異世界って言葉で伝わるんだね」
元の世界に名前があればわかりやすかったのだけど、聞いた覚えがない。どこかの国だったり宗教だったりの中ではあるのかもしれないけれど。
「僕たちの神は異世界から来たんだから、あって当然だろ。なに言ってるんだ」
ピーノくんからいぶかるような目を向けられているけど、いまはそんなことなんてどうでもいい。異世界があるという事実のほうが重要だ。
「その異世界のこと詳しく教えてくれない?」
「やけに食いつくな」
「私にとってすごい大事なことだからね」
その異世界が元いた世界かもしれないのだ。
「というかきみが知らないことが驚きだ。異世界の話は子供でも知ってるぞ」
「だって私、この世界の住人じゃないからね」
「ちょっと待ってくれ。さらりと言ってくれるな……」
ピーノくんが頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。うーん、と唸っている。考え事には糖分が必要かなと思って「リンゴいる?」と訊いたら「いる」と言われたので取ってきて手渡した。獣のようにリンゴを食したのち、ピーノくんはすっくと立ち上がる。リンゴの芯を〝この世界〟と〝異世界〟に見立てて話しはじめる。
「つまりこうか。きみは予期せぬことで異世界からこの世界に来てしまった。だから異世界――元の世界に帰るための方法を探している」
「おお、ピーノくんすごい! そこまで理解してくれたんだ!」
きっと私がピーノくんだったら頭大丈夫かどうか心配するだけで終わっていた。自分で言うのもなんだけど、それぐらい荒唐無稽な話だと思う。
「きみの話を元に答えを構築しただけだ。それにしても、やっぱり馬鹿にしてるだろ」
「だってレックスに言ったら聖女だから当然みたいな感じでまともに取り合ってくれなかったから」
「僕がレックス殿を尊敬していることを前提で言わせてもらうが……あの脳筋と一緒にするな」
真顔だ。きっとそれほどピーノくんにとって重要なことだったのだろう。下手に刺激しないようそれ以上は触れないことにした。
「とはいえ、レックス殿の気持ちはわからないでもない。なにしろ異世界の存在は認めていても異世界から人が来たなんて信じられないだろうからな」
「でもピーノくんは信じてくれてるよね」
「勘違いしないでくれ。僕はあくまで仮で話しているだけだ」
「む、なんだかずるい」
「まあ待て。話はそこで終わりじゃない。僕は信じなければなにも始まらないとも思っている。だから、初めから信じないという選択をするつもりはない」
とりあえず信じようとしてくれている、という解釈でいいのだろうか。なんだかよくわからないけど、頭ごなしに否定されるよりはよっぽど良いか、と私は楽観的に捉えることにした。
「さて異世界についての話だが……これはまた今度にしよう」
「え、なんで!? そのまま話してくれる流れじゃないのっ」
「これからすることがあるだろう?」
そう言いながら、ピーノくんは内城門のほうを見るように目線で促してきた。そこからはレックスやオデンさん、ほか十人ほどの騎士がこちらに向かってきている。私は思わず「あぁ~……」と声を漏らしてしまう。これから城下町のゾンビを浄化する予定だったのをすっかり忘れていた。
「ま、きみにとってグランツ王国の浄化はしなくていいことかもしれない。でも、僕にとってはしてもらわないといけないことだ」
ピーノくんが人差し指をピンと立てながら提案してくる。
「だから、こうしよう。無事にグランツ王国の浄化を終えたとき、僕はきみの質問になんでも答えようじゃないか」
「そうくるか~……」
「悪くない提案だと思うけどな」
城下町のゾンビを浄化する――それはとても危険なことだけど、夜に行動しない限り危険度が低いことはわかっている。騎士のみんなも手伝ってくれるし、きっと問題なく遂行できるだろう。というかもとより浄化はするつもりだったから、ついでに元の世界の情報も手に入って一石二鳥だ。
「うん、受けるよ」
「賢明な判断だ」
「あ、でも一つ訂正したいんだけど……この国の浄化って〝私にとってしなくてもいいこと〟じゃないからね」
一瞬、面食らっていたピーノくんだったけど、すぐに楽しそうな顔へと変貌させた。
「聖女として、なかなかの回答じゃないか」
「だから聖女じゃないってば」
私の抗議を鼻で笑ったのち、ピーノくんは背を向けて手ひらひらと振ってくる。
「ではな、〝唾液の聖女様〟」
「むぁッ!?」