◆第十七話『頼れる小さな学者さん』
私はむくりと起き上がった。目覚めたばかりで視界はかすんでいる。頭もうまく働かない。けど、学校に行かなくちゃと本能的に思った。なんだかいつも以上に柔らかく感じるベッドから這い出ようとする。
と、腹に衝撃を感じて思わず「ごふっ」と漏らしてしまった。おかげで一気に覚醒した。見下ろした先、ドレス姿の少女が泣きながら私に抱きついている。
「お姉様っ」
「……シア?」
「はい、シアでございます。お目覚めになられて本当に良かったです……」
現実離れしたシアの気品と愛らしさが、奇しくも私にとっての非日常な記憶を一瞬にして呼び起こしてくれた。
「あ~、そっか。私、あのあと倒れちゃったんだっけ」
「ずっと走り続けていましたから……きっとお疲れだったのだと思います」
たしかに肉体的な疲労はあったと思うけど、なんというか体の内側からダルさが襲ってきたような感じだった。その異質さから、私はこれまで使ったことがなかった不思議な力――浄化の力が原因じゃないかと思った。もし無制限に使えるわけじゃないなら今後は注意しないといけない。そこまで考えてから、私ははっとなった。
「って、そうだ! 私どれくらい寝てた? まだ夜になってないよね?」
「は、はい。ですが、もう夜は近いです」
そう口にしたシアの視線を追って部屋の窓を見た。外はうっすらと暗くなりはじめている。夕刻といったところか。
「急いで街の人を浄化しに行かないと」
「お姉様っ、そのお体では。それにいまからでは時間も――」
「でも、いま行かないとまたみんなゾンビになって……昨夜の二の舞になっちゃう」
夜を迎えるたびに今回の城内浄化作戦を繰り返していたら、いつまで経っても前に進めない。多少無茶をしてでも王都からゾンビがいなくなるまで浄化しないと――。
「そのことですが、どうにかなりそうです」
声を発したのはドアなしの入口に立つ騎士だった。見慣れたその顔を見た途端、私は思わずまぶたを跳ね上がらせてしまう。
「レックス……!」
「ご無事でなによりです」
「誰かさんが頑張ってくれたおかげでね」
互いに笑顔を向け合うだけで、それ以上はなにも語らなかった。
「それでさっきの……どうにかなるって話、説明してくれる?」
「はい。とは言っても説明するのは私ではなく、この方ですが」
レックスが横にずれると、小柄な少年が部屋に入ってきた。歳はシアより少し上ぐらいだろうか。騎士たちと違って布地のふわっとした衣装を身に纏っている。切り揃えられた髪も相まってなんだかいいところのお坊ちゃんといった感じだ。
「彼はグランツ王国お抱えの学者――」
「ピーノだ。よろしく頼む」
なんだか偉そうだ。この年齢で学者と言われて一瞬疑ってしまったけど、シアやレックスが認めているようだし間違いないのだろう。いずれにせよ、私自身敬われるほど大した人間でもないので偉ぶられても構わなかった。
「えーと、ミズハです。よろしくね、ピーノくん」
私が握手するために手を差し出すと、ピーノくんが「いっ」とびくついて後退した。明らかに避けられている。なにか変なことしちゃったかな。それとも右手にまだゾンビ臭でも残っていたかな、なんて思っていると、シアが得意気な顔で声をかけてきた。
「ご安心ください、お姉様。洗浄済みですっ」
うん、たしかに臭わない。なんて気が利く子だ。単純にあまりの臭さに洗わずにはいられなかったのかもしれないけど、追及しないでおこう。そのほうがきっと幸せだ。
でも、臭いが原因じゃなかったらピーノくんに避けられる理由がますますわからない。もしかして生理的に無理だとか。だったらさすがにへこみそうだ。
「す、すまないが僕は握手をしないことを信条としているんだ。だからできれば気を悪くしないでくれると助かる」
ピーノくんが慌てて弁解してくる。その姿はなんだか年相応で、ついさっきまでの慇懃無礼な印象が一瞬にして消え失せた。握手をしない信条は正直意味がわからなかったけど、ここは乗っておくこととしよう。
「了解。そういうことなら仕方ないね」
「悪いな。それで先ほどの話だが……端的に言えば、夜をやり過ごすことは可能だ。それもかなり簡単にな」
確信を持って言っているようだ。
「でも、昨夜の活性化したゾンビを見た身としては信じられないんだけど。走るのすごく速かったし、とてもじゃないけど逃げ切れるとは――」
「そこだ。まず交戦を前提としているのが大きな間違いだ」
「見つからないようにするってこと? でも、昨日だって見つかってないはずの城内の人まで襲われてたし……」
「無理もない。ゾンビが反応する要素が城内には沢山あったからな」
いったいなんのことだろう。と、私が首を傾げたのが予想通りの反応だったのか、ピーノくんが満足そうに笑った。
「きみが気絶したあとも少しだけ城内にゾンビが残っていてな。ああ、安心してくれ。騎士たちが地下牢に幽閉してくれたから被害はない。ただ、そのゾンビを使ってある実験をさせてもらったんだ」
「実験って、なんの?」
「ゾンビがなにに反応するのかを、な」
にやりと笑ったピーノくんが指を三本立てて話を続ける。
「結論から言えばゾンビが大きな反応を示したのは三つだ。一つ目は一定範囲内の視界に入った人間。二つ目は音。そして三つ目は光だ」
「光って灯りとかそういうの?」
「そうだ。そして光はどういうときに際立つ?」
「……そっか。夜だ」
たしかにそれならゾンビが城内を目指して侵入してきたことも説明できる。なにしろ昨夜の城内にはかなりの蝋燭が置かれていたからだ。前庭にも松明は沢山置いてあったし、暗いところなんてほとんどなかったように思う。
なんとなく邪悪な存在って光を嫌うようなイメージがあって、私自身城内の明るさには安心していた。けど、まさか逆にそれがゾンビをおびき寄せる原因だったなんて。
「あっ! ってことはゾンビをやり過ごす方法って――」
「そう、おそらくきみの思っている通り。城内の灯をすべて消して夜を過ごすんだ」
ピーノくんは得意気に笑って最後にこう付け足した。
「な、簡単だろ?」




